何かを「でっちあげる」ことに、少し引っかかりを感じることがある。
正しくないことを言うのは、良くないことだと、どこかで思っているから。
でも、ふとしたときに気づく。
それって、本当にいつも同じ重さなんだろうか、と。
たとえば、アイデアを出したいとき。
まっさらなところから何かを生み出そうとするとき。
少し現実からずれた発想や、
「本当は存在しないもの」を混ぜたほうが、
むしろ前に進むことがある。
ここでは、正確さよりも広がりのほうが、少しだけ大事になる。
こういうときの「でっちあげ」は、
仮のものや、まだ確かめていない考えに近いのかもしれない。
一方で、誰かに説明するときや、
事実を確かめたいとき。
その同じ「ずれ」は、途端に困ったものになる。
さっきまで助けになっていたものが、
急に信用を削ってしまう。
AIも、どこかそれに似ている。
思いつかないときに、
ぽんと案を出してくれる。
自分では考えなかった方向を見せてくれる。
でも、そのまま「正しい情報」として使おうとすると、
少し不安が残る。
だから、使いどころを変えるだけでいいのかもしれない。
広げたいときに、そっと借りる。
確かめるときは、自分で戻る。
それだけで、あの「でっちあげ」は、
少し扱いやすくなる。
完全に信用するでもなく、
完全に疑うでもなく、
ちょうどいい距離で、隣に置いておくような感じで。
それでも、ときどき境目はあいまいなままで、
どこからが「使っていいずれ」で、
どこからが「気をつけるべきずれ」なのか、少しだけ迷う。