一歩一歩学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

一歩一歩学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

2012.04 鮒谷道場第16期に入門する
2012.10 悪性リンパ腫と告知を受ける
2013.01-09 ホジキンリンパ腫 化学療法 寛解
2014.10ー2015.03 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解
2016.03ー2016.04 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解

いらっしゃいませ。 m(_ _)m


以下は先のブログと同じネタをClaudeで編集してまとめたものだ

昨日、病院に行った。 

診察を受けて、薬を処方してもらった。いつもの流れだ。

 

それだけではなく、もう一つお願いがあった。 

傷病手当金の請求書に、医師欄を書いてもらうこと。 

この病院では初めてのお願いだった。 

 

そして、十何年ぶりのことでもあった。

請求書は事前に自宅で書いて、持参していた。 

記入しながら、前に同じことをしたのはいつだったか、しばらく思い出せなかった。

あの3回目のことを、また思い出した。


 

最初にもらったときのことは、よく覚えていない。

 必要だから申請した。

それだけだったと思う。 

書類を出して、しばらくして口座にお金が入った。

 特に何も起きなかった。

 

2回目は再発だった。 

またか、と思いながら、同じように書類を出した。 

そのときも通った。


 

3回目のとき、「出ません」と言われた。 

 

同じ病気では、通算で1年半が上限らしかった。 

しかも、定期検診に通っていれば「治療の継続」とみなされると。

 

自分では、治療を中断していたつもりだった。 

通院はしていた。

でも治療ではなく、経過を見てもらっているだけだと思っていた。 

 

制度の側では、そうじゃなかった。

怒る相手もいなかった。 

制度が悪いわけでも、誰かが悪いわけでもない。 

ただ、知らなかった。それだけだった。


 

その後、人から聞いた話がある。

 寛解してから5年経てば、また使えるようになると。

5年。

それから何年か経つが、5年の寛解はまだ来ていない。

 来たことが、一度もない。


 

今回は、原因が違う。 

だから、久しぶりに申請できる。

そんなことを思い出した。

それだけだ。

十数年ぶりに、その書類を書いてもらうことになった。

 

傷病手当金の請求書。

 

昨日、病院で医師にお願いした。
手続きとしては珍しいものではない。
ただ、私にとっては少し特別な書類だ。

この書類には、少し苦い思い出がある。

 


 

最初に休職したとき。
傷病手当は問題なく支給された。

 

再発して、二度目の休職。
このときも特に問題はなかった。

 

制度というものは、
普段は意識することがない。

 

必要になったときだけ、
静かにそこにある。

そんな印象だった。

 


 

三度目の休職のとき、
初めてその制度の壁を知った。

 

傷病手当は、
同じ病気では最長一年半。

そのルールに、私は引っかかった。

 

途中で治療をしていない期間もあった。
だから、継続とは扱われないと思っていた。

しかし健康保険の判断は違った。

 

定期検診を受けていれば、治療の継続。

そういう解釈になるらしい。

制度には、制度の見方がある。

 


 

「寛解して五年経てば、
 再発でも新しく適用される」

そんな話を聞いたことがある。

ただ、私の場合、
その五年を経験したことはまだない。

 


 

そして今回。

休職の理由は、これまでとは別のものだ。

 

そのため、
久しぶりに傷病手当が受けられる予定になった。

 

十数年ぶりの請求書。

紙を見ながら、
少しだけ昔のことを思い出していた。

 

制度のこと、
体のこと、
そして、時間のことを。

 

人は、制度の中で生きている。
 

けれど、その制度の意味に気づくのは、

たいてい、立ち止まったときなのかもしれない。

最近、巷では Claude Code という言葉をよく見るようになった。
AIで作業を自動化する。
そんな世界が、いよいよ現実になり始めているらしい。

 

流行っていることは、やっぱり気になる。
正直に言えば、遅れを取りたくないという気持ちもある。

 

でも、そう思う自分の中で
もう一つの声が聞こえる。

 

「その前に、自分の思考は構造化できているのか?」

AIの自動化だ、効率化だと言う前に、
まずそこを固めなさい。

 

……誰だよ、お前。

 

そう思った瞬間、気づく。

「ああ、ごめんごめん。
 自分を見ている、もう一人の自分だよ。」

 

ちょっと怖い。

 

でも、たぶん
この声は、間違っていない。

― 生産性が上がる前に、まず必要だったもの ―

AI同士を会話させる実験が、思った以上に面白かった。

最初は単純に考えていた。
AIにAIを対話させれば、勝手に議論が進み、何か新しい答えが生まれるのではないか、と。

でも実際にやってみると、会話は意外なほど進まない。

無難で、まとまっていて、でもどこにも向かっていない。
理由はシンプルだった。

AIには目的がない。


AI同士は、目的がないと動かない

AIは優秀だけれど、自分から「何をしたいか」は持っていない。

だから、

  • 方向が曖昧になる

  • 深掘りされない

  • 無難なやり取りで終わる

という状態になりやすい。

ここで一つ気づいた。

会話を動かしているのはAIではなく、
最初の目的を置いた人間だったということ。


実験の流れ

やり方はとてもシンプル。

① まず人間が目的を決める

例:

  • 文章を磨きたい

  • 思考の穴を見つけたい

  • 別視点の意見を作りたい

ここが曖昧だと、全部曖昧になる。


② AI①に投げる(原案づくり)

まずは素直に出させる。
完成度は気にしない。

ここは「素材」を作る段階。


③ AI②に渡す(編集者役)

次のAIには役割を与える。

  • 構造を整理する

  • 読者目線で見る

  • 言い換えを提案する

すると、同じ内容でも急に読みやすくなる。


④ 人間がひと言だけ調整する

ここが意外と重要だった。

  • もう少し静かに

  • 抽象度を上げて

  • 結論を後ろへ

長い説明は要らない。
温度や方向を少し調整するだけ。


⑤ 別のAIへ渡す(視点の変更)

AIごとに癖や考え方の重心が違う。

別のAIに渡すだけで、

  • 意外な表現

  • 新しい構造

  • 思わぬ切り口

が生まれる。


面白かった本質

最初は「AI同士の対話」だと思っていた。

でも実際は違った。

これは、

人間の思考を、複数の鏡に映して磨いている作業

だった。

AIが答えを作っているように見えるけれど、
本当は自分の意図が何度も反射して整っていくだけ。


生産性は爆上がりするのか

結論から言えば、上がる。

ただし、少し誤解がある。

AIを使うと「考えなくてよくなる」のではなく、

考える場所が変わる。

  • 内容を作る → AI

  • 方向を決める → 人間

むしろ、人間側の役割は「指示を出す人」ではなく、
指揮者に近くなる。


最後に

AI同士を会話させる実験をして気づいた。

AIは答えを出す装置ではなく、
自分の思考を映し出す鏡かもしれない。

複数のAIを行き来させるたびに、
少しずつ自分の考えが輪郭を持ち始める。

もしかすると、生産性が上がっているのはAIのおかげではなく、
自分の思考が整理される速度が上がっただけなのかもしれない。

知らんけど。

AIを使い始めた頃、正直に言うと「便利な道具」だと思っていました。

 

調べものは早いし、文章もまとめてくれる。
考えを整理したいときも、すぐ形になる。
外部にもう一つ脳ができたような感覚でした。

 

でも、しばらく使っていると不思議なことが起きます。

便利さに慣れてしまうんです。

最初の感動は薄れて、「もっと使いこなせるはずなのに」という感覚だけが残る。
新しい機能を探してみたり、うまい質問の仕方を考えてみたりもしました。

 

でも、あるとき気づきました。

AIの答えが変わるのは、AIが違うからではなく、
自分の考え方がそのまま出ているからではないか、と。

同じテーマでも、聞き方によって返ってくる内容が全然違う。

それを見ているうちに、AIを見ているはずなのに、自分の思考のクセを見ている感覚になってきました。

 

ここで「使いこなす」という言葉の意味が少し変わりました。

難しいプロンプトを書くことでも、AIを完璧に操作することでもなくて、
自分がどう考えているかに気づけること。

 

不安から考えているのか。
結論を急いでいるのか。
意味を探そうとしているのか。

 

それに気づけるだけで、思考の流れが少し静かになります。

最近は、AIは答えをくれる存在というより、
自分の思考を映す鏡に近いと感じています。

 

だからたぶん、AIを使うということは、
少しずつ自分の考え方を知っていく作業なのかもしれません。

私のAIの使い方は、少し違うのかもしれない。

 

世の中では、AIは
情報の取得、時間短縮、アイデア支援のために使われていることが多い。

もちろん、それは正しい使い方だと思う。
便利な道具としてのAI。

 

でも、私にとってのAIは少し違う。

どちらかというと、内省のために使っている。

 

AIは、自分の脳の鏡のような存在だ。
考えを整理し、迷いの靄を取り除き、思考を静かにクリアにしてくれる。

ただし、ここには注意が必要だ。

 

AIは利用者を批判しない。
基本的に寄り添う方向に動く。

だからこそ勘違いが起きやすい。
AIが語る言葉は、実は自分の思考の反射であるにもかかわらず、
まるで外から与えられた正解のように感じてしまうことがある。

そこを見誤ると、依存に近づく可能性もある。

 

私の場合、ちょっとした思いつきに対して、
AIは根を張り、葉を広げ、花まで咲かせてくれる。

それは豊かな仮想世界だった。

けれど、気づけば現実の生活とのバランスを崩し、
体にまで影響が出てしまった。

 

だから今は休んでいる。

まだ動くべきではないと、静かにたしなめられている気がする。

 

AIは答えをくれる存在ではなく、
自分の内側を映し出す鏡なのかもしれない。

その鏡を見る距離を、私は今、学び直している。

 

最初に投資する5銘柄を決めました。

テーマはAI。
これから成長していくであろう企業への投資です。


でも、考えすぎた結果

AIはすでに加熱しているようにも見えます。

今から本命ど真ん中に飛び込むのは、
なんとなく怖い。

だから私は、
AIが普及した「その後の世界」を想像しながら銘柄を選ぶことにしました。


長い時間との付き合い

そうなると、
すぐに答えが出る投資ではない。

おそらく、
5年、あるいは10年。

指をくわえて様子を見る時間が続くのだと思います。


果たしてできるのか

でも本音を言えば、少し不安です。

そんな長い時間、
本当に自分は待てるのだろうか。

投資金額も決して大きいわけではない。

だからこそ、

「これでいいのか」

という問いは、まだ消えていません。


いまの正直な気持ち

それでも、最初の一歩は踏み出した。

投資とは、未来を予想することではなく、
待つ自分を信じられるか試すことなのかもしれない。

投資について相談していると

投資についていろいろ相談していると、
私は「壊れない設計の思考」の持ち主らしい。

自分では普通のつもりなのだが、
どうやら慎重すぎるくらい慎重らしい。


最初に考えた配分

最初は、

  • プライム 40%

  • スタンダード 40%

  • グロース 20%

くらいがいいのではないかと考えた。

でも、上場投信(ETF)の割合を高くしたほうがいいと言われる。

理屈は分かる。
分散できて安全だからだ。

でも正直、積立のようであまり面白くない。

本当は株の値動きを実感したい。
もし損をしたとしても、それは勉強代になるだろうと思っている。
(まだ始める前だから言えるのかもしれないが。)


銘柄選びの壁

いざ銘柄を探し始めると、範囲が広すぎる。

この中からどうやって選べばいいんだ。

AIをテーマに探ってみる。

でも、めぼしい銘柄はすでに高騰している。

誰もが注目している場所に初心者が入っていっても、
たぶん蹴落とされるだけだ。

かといって、斜陽産業に投資したいわけでもない。


まだ時間はある

幸い、まだ時間はたっぷりある。

急ぐ必要はない。

だから今は、
「どうやって選ぶのか」を考える時間にしている。


素人感覚の不安と期待

政治や経済のニュースを見ていると、
景気はもう少し回り続けそうにも見える。

でも一方で、海外要因――例えばアメリカの動き――は読めない。
突然何かが起きてもおかしくない気もする。

これは完全に素人感覚だ。

でも、投資を始める前の人間の正直な感覚でもあると思う。


結局いまの結論

いろいろ考えているが、
結局はまだ「観察の段階」なのだと思う。

焦らない。
分かったつもりにならない。

投資とは、銘柄を選ぶ前に
自分の考え方を知る作業なのかもしれない。

投資の難しさ

人には金銭的な欲望があると思います。
もちろん私にもあります。

損はしたくない。
でも、少しでも増やしたい。
そして何より「安心」が欲しい。

投資とは、結局この欲望との付き合い方なのだと思います。


欲望をコントロールするということ

投資にはリスクがある。
だからこそ、感情だけで動くと簡単に流されてしまいます。

上がれば焦り、下がれば不安になる。

まず必要なのは、
「儲けたい気持ち」を否定することではなく、
それをどう扱うかを決めることなのかもしれません。


まだ準備段階という安心

私はまだ投資の準備段階です。

だからこそ今は、

  • 自分に合うテーマは何か

  • 買うタイミング、売るタイミング

  • どこまでリスクを許容できるか

こうした「ルール」を考える時間にしています。

初心者だから分からない。
でも、おそらくプロでも完全には分からない。

だからこそ、自分なりの基準が必要になります。


流されない投資のために

最近いろいろ相談して感じているのは、
お金の流れを見ることが大切だということ。

世の中の「詰まり」や「変化」がどこで起きているか。
それを改善するために何が動くのか。

株を見るというより、
世の中の仕組みを見る感覚に近いのかもしれません。


そして現実に戻る

ただ、見ようと思えば世界は広すぎる。

AI、エネルギー、社会構造、海外経済…。
追い始めると終わりがない。

だから今は、
まず身の回りから見直そうと思っています。

自分の生活、仕事、地域。
理解できるところから始める。

投資とは、世界の理解を少しずつ広げていく行為なのかもしれません。

じわじわとAIへの期待が広がっている。
 

実際、問い合わせ対応のAIボットなどは確実に普及していて、生産性が上がっているのも事実だと思う。


ただ、現場を見ていると、まだAIは完全にはなじんでいない。

特にホワイトカラーの仕事は、曖昧な判断や調整が多く、単純に置き換えられるものではない。


AIはすごい。でも、すぐにすべてが変わるわけではない。


もしかするとAIは「未来のツール」というより、
現場の業務がどれだけ整理されているかを映す鏡なのかもしれない。

 

気づいたときには、
少しずつ仕事の形が変わっているのかもしれない。