先月、月に1~2度しか逢えない彼と
久しぶりに逢える~♪と喜んでいたら
別れを切り出されました。
『嫌だ、そんなの嫌』って言ったんですが
彼の決心は揺るがずに
そのまま別れることになってしまいました。
彼ね、私に本当の自分を見せてなかったそうです。
『大切な人に本音が言えるカウンセリング』って
今のブログタイトルが悲しく、皮肉に感じられ、
そして、大切な人の本音に氣がつけなかった衝撃で
胸の真ん中が爆発したみたいに空洞になったような
日々を過ごしていました。
いっぱいいっぱい振り返って考えました。
私の何がいけなかったんだろう。
どうすれば良かったんだろう。
どうして本当の姿を見せてくれなかったんだろう。
なんで私は氣がつけなかったんだろう。
たくさん思い返す中で、彼が本当を出せていないことに氣がついていたことを思い出しました。
彼は、いつも両方の手をグーの形に握っていたんです。
『なんでこんな風に力を入れてるの?パーにしたらいいやん。開いてもいいやん』って直接言ったことがあるし、彼の手を見る度にあぁ、まだパーじゃない・・・って感じていました。
私は手相の講師でもあるので、開かない手が意味することを知っていたのに、いつか開く日が来るだろうって悠長にかまえていました。
(手を開くという事は手の内を明かすということ。ありのままを見せるってことです)
またや・・・。
また、私の大切な人は私を置いて行ってしまう。
好きな人が出来たと言って20年越えの結婚生活を終わらせて彼女のところへ行ってしまった元夫。
この状態は、前にもあったな・・・とみていくと幼稚園くらいの時に、左官屋だった父親と手伝っていた母親が、遠くの現場に行くために夜明け前に寝ている私を叔母のところへ預けて仕事へ行き、途中で目が覚めた私は、真っ暗ながら匂いが違うところにいる・・・、ここはどこ??なんでここにいる??お母さんが居ない・・・、暗闇にも目が慣れてきて、あ、おばちゃんの家だ・・・嫌だ、お家に帰りたい、お母さんのところに行きたい、と寒かったのか怖すぎたのか震える身体で布団を抜け出し、玄関へ行き、自分の靴が分からなくて裸足で外をとぼとぼ歩き出した時のことを思い出しました。
足の裏が痛くて冷たくて、道が暗いのが怖くて、心細くて涙が出て来て、ガタガタ震えながら歩きました。
「お母ちゃん、お母ちゃん」って言いながら歩いていました。
家までの道を覚えてなかったのと、おばちゃんの玄関の鍵をかけないで出てきたことで泥棒が入ったらどうしようと心配が膨らんで自宅にはたどり着けずに、戻れなくなることも怖くなったので、覚えている道のうちに引き返しました。
おばちゃんの家に戻り、足の裏の汚れを拭く雑巾の場所が分からないので少し はたいてから、すっかり暗闇に慣れた眼で自分が寝ていた場所に誰にも氣づかれないまま戻りました。
恐怖と一緒に信念(ブロック)として記憶されたことは、『私は大切な人に置いて行かれる』でした。
このブロックあったら、大切な人になるほどに私を置いて行ってしまうよね。
更にブロックの詳細をみてみると『私は大切な人に愛されていないから置いて行かれる』でした。
小さい頃のブロックは、認識や解釈自体が幼いので飛躍したものになりがちです。
このブロックも例外ではありませんでした。
恥ずかしい話し最終回に続く