恥ずかしい話し①の続きです。
おばちゃんの家に戻り、暗さにも目が慣れて自分が寝ていた いとこの隣の布団に入って
『お母ちゃん、なんでおらんのやろう』
『なんで(自分は)ここにおるんやろう』と、ぐるぐる考えました。
私は自分が何かをしたから、こんな目に遭っているんだろうという思いに至って自分がしたことを振り返ったりしたのですが、これと言った思い当たる出来事も浮かばずにいて、こんな目に遭っている状態の整合性をはかるために「自分は嫌われているのだ」ということで自分を納得させました。
幼さゆえの突拍子もない結びつき方をしたのです。
嫌われていないとしたら、この状況が起きていることの説明がつかないと感じたのです。
父親から虐待を受けていたので、こういう結論には、たやすくたどり着きました。
これ以上、こんな目に遭わないようにするには、とにかく嫌われないことが最重要課題となりました。
常に、どんな時であっても私は今よりも嫌われては、ならないのでした。
だって、嫌われたら死ぬかもしれないって思うほど、あの夜が恐ろしかったから。
成長するにつれて、『私は親から嫌われている』が、
『私は愛されていない』になり、
さらに『私は誰からも愛されない』という思い込みに
変形していきました。
人生は自分の信念の証明ですから私は、ひたすら誰からも愛されないという現実を生み出し続けました。
中学生の頃には、クラスのほとんどの人から無視されて教室では言葉が要らなかった頃がありました。
「ろくよん」とゲームのように名づけられていました。
ろくよん・・・64・・・無視って意味でした。
私のことを愛しているという人が現れても信頼しきれずに、ありのままの私など出せるわけもなく、どんな私でも愛されるなんて到底思えずに、だからこそ、私は何かを差し出さなければ愛していると言ってもらえないし、愛され続けるには、なにかを差し出し続けなければならないと心底、信じ、そう行動して来ました。
父親に言われていた『働かざるもの食うべからずや、飯食わしてもらえるだけでもありがたいと思え』に反応して、小学生の時からお買い物、炊事、洗濯、掃除、お風呂の支度など常に自分にできる事を探し出して実行して来ました。
家事は嫌いじゃなかったです。
お母ちゃんが喜んでくれるから。
お母ちゃんが嬉しそうに笑ってくれるから。
美味しいねって言葉に胸が温かくなったから。
1人でお留守番している夜の怖さなんて、あの震えながら歩いた夜の恐ろしさに比べたら小さいものでした。
雨降りや、雷の日は恐かったけど・・・やっぱり自分の家だから恐さはましでした。
振り返るとね、悪いことばかりじゃなかったんです。
役に立つ喜びも知ったし、料理も家事もこなせるし、挨拶も出来れば、笑顔の力も知っていました。
自分が今何をすればいいのか、喜ばれるのかを常にリサーチしているので看護師として必要な資質を子供の頃から鍛えて来た実績になりました。
ただ、親(人)から嫌われないように身についた習性が自分自身を生きることを難しくしてしまいました。
あらゆる行動や選択が人からOKをもらうために向かっていたから。
いわゆる他人軸で生きるということだったから。
「ありのままの自分で生きる」とか「自分軸で生きなきゃ」と言われても皆目見当もつかないのでした。
恥ずかしい話し最終回に続く