***前回の記事、その6より続きです***
岐阜県最南端の展望タワーで景色を楽しみますよ!
やっぱりこういった施設に登るのはワクワクしますね。
ところで国営木曽三川公園とは木曽三川沿いに点在する13か所の公園の総称で、
ここは「国営木曽三川公園センター 水と緑の館・展望タワー」。
東側の景色、今歩いてきたばかりの立田大橋と長良川大橋。
こうして木曽川と長良川を越えてきました。
西側は多度方面、これから歩いて行く方向で、橋を真っすぐ行ったあたりに今日の目的地、多度大社があります。
南に目をやると・・・伊勢湾に向かう木曽三川。
左から木曽川長良川揖斐川のそろい踏み、今日は水量が多くて見ごたえあります。
ところですぐ下に見えている森にこのすぐ後に向かおうとしている治水神社があるのですが、
白い鳥がたくさんいるのがここからでもわかりますが、しらさぎの寝床になっているのか?
北は、右手は木曽長良が寄り添い上流に。
揖斐川のみ少し離れて左に向かいます。
これだけの大河が並んで見られる場所は日本には他に無いのでは?
床にガラスの部分があり上に立つのは怖いはずなのですが・・・表面が傷だらけで下は霞んでて怖くない、改修ではこれ直してください笑。
一階には木曽三川や治水を学ぶフロアがあります。
ここの展示も木曽三川の歴史、水運の歴史なんかを学ぶことができてなかなか興味深いですよ。
ブラタモリの木曽三川の回の記念額とポスターがありました。
番組が終わってからのロスは続く・・・スペシャル回はまだか~?
雄大な景色の大展望を楽しみました、さあ街道歩きに戻ります。
ここからまずは先ほど上から見た治水神社に向かいます。
江戸幕府の強制工事命令で犠牲になった薩摩藩士を祀る治水神社。
その近くに渡し場跡があるはずなのですが。
やっぱり想像通り、頭上が騒がしい鷺の糞が落ちまくりの森の中を速足で通り過ぎます。
お願いだからフン落とさないでよ~。
そして参拝、薩摩の皆様ありがとうございましたと濃尾平野の民として感謝の参拝。
すぐ横に渡し場跡があるはずですが・・・このへんかな、記念碑や解説板はあるかな。
あった!
油島渡船之跡。
ここの渡し跡だけは下調べで石碑等があるのかどうかわからなかったのですが、やっぱりありました!
しかし・・・。
こういう石碑、いつも言ってますが文字に色を入れるとかしないと読めないって!
後世にまで伝えたいから耐久性のある石碑にするのは大昔から同じなんでしょうが、
昔のツヤの無い石の面ならまだしも読めるけれども・・・。
今のテカテカの石の面では光の反射でまったく読めませんって。
ある意味マニアの自分でも現地では投げ出したのに、これでは普通の人がたまたま偶然通りかかり、これなんだろ?って思っても読めません。
歴史に興味を持てるきっかけになるものなのに作っておしまいの自己満足じゃもったいないですよ。
旅人としても読めないとストレスたまるし、じっと頑張って粘って読んでたら蚊に刺されるし笑。
もちろん油島の渡しはもうないので橋で揖斐川を渡りましょう、油島大橋。
橋の歩道上の街灯の上でカラスがスタンバイしています。
またまたまた頭上に鳥さんの恐怖を味わいます、このパターンは今日3回目、フン落とすなよ~。
以前、カラスに目の前に爆撃された記憶があるので恐怖です。
油島大橋途中で再び県境を越えます、あっという間の3県制覇。
三重県桑名市に入りました。
ただ、ここからまた整地エリアが延々・・・。
地図で判ってたしなんなら展望台から見えてたし、仕方あるまい。
そしてようやく道が歪んだ~!
歪んだ道嬉しい~!
多度川の堤防道に上がります。
クロスする養老鉄道線の橋梁の美しいレンガ橋脚。
この路線はレンガ橋脚天国です。
そして前歩いた時にも見ている自然石道標が見えてきました。
まず見えている面は、すぐ多度道
江戸時代の「すぐ」は「真っ直ぐ」という意味ですがまあホントにもうすぐではあります。
反対側の面を見ると、
右 つしま
左 ミの(美濃) 道
そうです、右つしま道からここまで来ました!
ここでも羽田看板。
おいおい元気いっぱいだな!
多度大社の門前町的な通りに入ってきて古民家や歴史あるお店などを眺めつつ、あと少し。
謎の徳調屋パンの看板、ググってもまったく引っ掛かりません。
かなり錆びてしまってますが古いコカ・コーラ看板。
このパターンの看板は1970年より前のものらしいです。
多度大社に着きました。
多度には養老道歩きの時にも来ています。
多度山登山の時にも何度か参拝してます。
三重県名物里程標。
そのすぐ横にあるこちらの石標は、「しるべ石」というものです。
とってもわかりやすく詳しい記事が桑名市図書館さんのブログ記事としてあるのどうぞ。
昔の迷子掲示板です。
ところで迷子が出たらこれに紙を張って訪ねたり知らせたりするとのことですが、
ガムテープもビニールテープもない時代にどうやって貼ったのかが激しく気になります。
それでは参拝しましょう。
この常夜灯はいつの時代のものか見忘れましたが、「海上安全」とあるのは七里の渡しのある桑名っぽいですね。
伝統の神事か動物愛護かで随分とニュースになった上げ馬神事の坂が見えます。
確かに最後の壁の部分がなくなってます。
いつもの。
多度大社、とても良い雰囲気なのですよ。
参道は緑の谷を詰めていく形です。
この門(於葺門、おぶきもん)の先が多度両宮です。
本宮と別宮ではありますが並び立つように鎮座していて、この先はちょっと世俗とは違う雰囲気が漂っています、ここは神妙に参拝。
参拝を終えて神馬さんにご挨拶、ここの神馬さんは本物のお馬さんでエサをあげられるのです。
ですが・・・あれ、いませんね。
奥の部屋に入ってました、もう終業時間なんかな?
帰り際にご由緒書きなどを読んでいます。
ありました、「お伊勢参らばお多度もかけよ お多度かけねば片参り」
ちゃんと実行してますよ。
そうそう、ひっそり隣接する多度観音堂にも是非お参りください。
そっと扉を開けると、とても美しいお姿の千手観音さまと十一面観音さまのお姿、是非に。
無事お多度をかけて多度駅に向かいます。
この止まってる車、行きに見かけて「すぱんこ」って何?としばらく考えてましたが、帰りに反対側から見たらなんのことはない、「こんぱす」でした笑。
帰路は今まで歩いたことのない多度川の反対岸、右岸の道を歩きました。
なぜこの道をといえば、この古い校舎を見に来た。
昭和8年築の旧多度小学校、多度尋常高等小学校の校舎を移築保存したとのことですがちょっと市街地から離れすぎててなかなか目に入らない場所にあり、惜しいですね。
てな感じでお伊勢参り2日目終了、多度駅から養老鉄道でお帰りです。
ログ。
ホントは葛木の渡しを渡った場所からタワーのある油島の渡しの間の海津市の対岸の道も歩いておきたい所なのですが、全区間堤防だし史跡もなさそうだし、うーん、まあいいか。
多度駅からの電車、すぐに来たのが大垣行だったので岐阜まわりで帰宅、あれあれなぜだか岐阜駅あたりで背中が重くなりました。
岐阜県のウマウマお酒コンビ。
ふたつ目のお守り。
次回は伊勢東街道(多度と桑名の間も多度道、美濃道などいろいろな呼び名があるのでややこしい)で桑名を経てその先の東海道まで歩きます。