***前回の記事、その7より続きです***
お伊勢参りの旅、ここまで津島神社と多度大社を無事参拝、もうすでに片参りとは言わせません。
今日は多度からのスタートです。
多度から桑名への道は三重県から見ると美濃街道、岐阜県から見ると伊勢街道、伊勢東街道などと呼び名はいろいろなのですが、
今回はお伊勢参りの旅、三重県に敬意を表してここは美濃街道とします。
朝イチ、地元の稲沢駅のホームの端で電車を待っていると、ん、目の前に貨物列車が止まりました。
なんと旅客駅のホームで機関士さんが交代しています、あんまり見ないですよね。
機関車をこんな近くで見られる機会はそうありません。
まじまじと観察させていただきます。
桃太郎のイラスト、こんな近くで見られるとは。
積荷はレールでした。
ロングレールを運ぶ貨物列車でした、初めて見ました。
いつも三重県へはあたりまえに近鉄電車なので今日は気分を変えてJRで桑名に向かいました。
そして桑名で養老鉄道乗り換え。
じゃあ行こか~、と多度駅から歩き始めると多度山、恐ろしくどんより。
多度大社の御神体ですからね、多度山と養老山系は。
なにかお怒りなのか?
前回前を通ったこの名もなき橋から伊勢への旅再スタートです。
橋を渡るとちょっとよさそうな道と交差しますがこの道は左に行くと多度の湊町、香取への道です。
3年前に散策した香取、とても良い町並みでした。
桑名まではその「養老道歩き」シリーズで歩いた区間、雰囲気は知っているので新鮮味はありませんが、コース選定時にちょっとお楽しみを見つけてます、張りきって行きましょう。
地図記号のようなハの字に広がった形のレトロな橋、いいね~。
肱江(ひじえ)橋、以前のままに老朽化看板が健在。
多度方の親柱の蛇の目傘はなぜ?
何らかの理由があるはずですが・・・これは前回も書いたはず。
こちらは調べがつきました、桑名方の親柱のイラストは鯰。
街道沿道の徳蓮寺というお寺に伝わる鯰のエピソードからのようです。
徳蓮寺は3年前には階段を登り参拝しましたが今回はスルーしました、階段長いですし・・・。
蛇の目傘は今も理由わからずです、どなたかご存じですか?
緑に包まれる神社は野志里(のじり)神社。
倭姫命の言い伝えの神社です。
立派な御神木。
解説板にある通り倭姫命(ヤマトヒメノミコト)ゆかりの言い伝えが残っています。
ヤマトヒメは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の叔母さんで、甥っ子のタケルに草薙の剣をあげた人です。
伊吹山~三重県北部あたりまではヤマトヒメとヤマトタケルの言い伝えが多いですね。
堅苦しい解説よりもこの解説のほうがわかりやすい。
ヤマトヒメはあちこち歩いてアマテラスさまをお祀りする場所を探し伊勢にするとを決めたのですが、その選定の旅の途中に立ち寄ってしばらく滞在したのがここ。
今回の旅にも関係が深いですね。
またうちの信長がご迷惑をおかけしました、ごめんなさい。
神社の裏手にひっそりと石碑の立つ「千人塚」があります、そっと手を合わせました。
ここにも鯰の絵がありますね。
了解いたしております!
口元が笑ってる桑名型とび太くんが増えてきた。
前野先生彰徳碑という石碑前に道標、これは前回見つけています。
御衣野員辨道
御衣野という集落を通りいなべに抜けるローカル街道です。
今は線路でぶった切れていますがこの先道が伸びていたんでしょう。
御大典記念、大正のものかな?
・・・を通り過ぎて遠くに羽田のおなじみの赤い看板が見えるな~と歩いていると、ん、左手に石柱が!
道標だった、前回は気が付きませんでした!
先ほどの御衣野道標と同じタイプのように見えます。
写真忘れましたが裏側には御大典記念 下野代青年団、やはり同じ時の設置と思われます。
今島わた志ば道
古い地図を見るとここを入った先にある今島という集落の揖斐川を渡る渡し舟があります。
その渡し場に向かう道の案内ですね。
「わた志ば」という表記が良いなぁ~。
これ、以前歩いた時には見落としたかなとストビューで見てみると・・・。
なんと2014年と2021年のスストビュでは↓こんな折れて電柱に立てかけられた状態なのでした。
10年以上前にぶつけたかなんかでずっと折れて放置されていたんですね。
直していただきありがとうございます、嬉しいな、涙が出るよ~!
どういう経緯で直してくれたのかが激しく気になります。
この日はいくつかの線路の向こうの坂に消える階段上の寺社をスルーしてます。
ここは例の鯰のお寺、徳蓮寺の参道階段です、前回見た階段下の木造の建物がなくなってるようです。
自治会より かなりのお願い
かなり困ってるようです、ゴミ出しルールは守りましょう。
うん、街道っぽい景色。
この街道沿いの石仏さまはお地蔵様と頭が螺髪の如来様です、個人的にイチ推しの馬頭さまはこの日はまったく見ませんでした。
地域ごとに推し仏があって野の石仏も面白いです。
レトロ感のあるSLの踏切標識。
調べてみるとこのSLの標識は廃止されている旧型なわけではなく、現在でもSLの物と電車の物とどちらでも設置しても良いらしいですが、現場では誰が決めるんでしょうね。
まあ現代ではまず電車の標識を選ぶのでしょうね、子供たちSL知らんし。
ああ消費税ももう35年も経ったのか・・・。
まだ使えそう!
今期初ひまわり。
この日は前日の雨で蒸し暑いことこの上なし、汗だくで歩き中、もう夏。
やや色あせてますがあじさいが彩る線路区間、ここで電車こんかな。
こんね。
ついにこんかった・・・笑。
かなり長い区間だったのに・・・。
電車の車窓からも見える看板たちも健在で何より。
養老鉄道線のレンガ橋脚、街道から見えるすべての橋脚、細い水路を渡るかわいい橋台までレンガ造り。
これもう線路ごと歴史遺産です、この路線の建設開業は大正初期。
遠くに見えるこの車、車種は?
春日神社会館、桑名宗社の結婚式場。
桑名宗社は今日この後立ち寄ります。
火の見櫓の向こうの由緒ありそうな建物、正面は普通の色だったはずですが裏は壁青い。
なんかよい看板、「夫婦でヨシャーイク」笑。
遠くに国道1号線の伊勢大橋の美しい姿がちらりと見えてます。
伊勢大橋架け替え工事が進んでいて、完成時期はわかりませんが海側に橋脚がトントンと立ち並びつつあります。
この昭和9年架橋の美しい橋が消える日が来るのでしょうか?
東名阪桑名東インターチェンジをくぐると・・・前回も苦労したこの街道の難所は近い。
美濃街道はインターを降りた交差点直進の道にトレースされてしまうのです。
高速下りたばかりの勢いですっ飛ばす車が走る、歩道のない道はコレは危険すぎます、回避!
前回は集落内に迂回する道を歩きましたが今回は田んぼの広がるほうに脱出。
いつもは整地されたこんな道は嫌悪するのですが今日はこの先がちょっとしたお楽しみ。
JRをくぐります。
並行する近鉄線との間の旧線路跡の橋台はレンガが残っています。
そして近鉄線をくぐると・・・。
揖斐川の鉄橋から桑名駅に向かう近鉄&JR線路大カーブの内側に出ました!
名古屋から電車で長良&揖斐川鉄橋を渡ると左方向桑名に向かってぎゅいーんと曲がるあの場所です。
ここ、いつも電車から見てていちど行ってみたいと思ってたんですよ、どんな景色か。
美濃街道の難所を避けるルートを前回同様あれこれ考えてて・・・あ、これあの大カーブのすぐ近くじゃんと気がついたのでした。
立ってる位置を巻くように線路が伸びていて、沿線田んぼばかり。
自分を中心にぐるっと線路、全くさえぎる建物とかはなく思った通り大展望です。
すぐにひのとりが来たよ~。
JRは近鉄の向こう側なのでちょっと見にくい。
しばらくいるだけで電車じゃんじゃん来ます。
面白い~けど今日は街道歩き、きりがないので歩きだしました。
でもその後もどんどん来る。
ひのとりとJRの並走、鉄道模型のジオラマを見てるようです、面白いってここ。
貨物列車も。
ここは思った以上に楽しめました。
桑名大カーブを堪能して街道復帰、すぐに街道は国道1号線に吸収されて桑名の町に入ります。
もじゃもじゃ。
車で国道1号線を走ってても良く見える「参宮国道」の石碑。
伊勢大橋建設中にもうこの石碑立てていたんです、気が早い早い。
この石碑から国道1号線を離脱、裏道?に入ります。
青雲のレトロ看板、後藤酒造場は残念ながら街道沿いにありません。
伊勢西街道歩きで買った「久波奈」というお酒を醸す酒蔵です。
美濃街道はついに東海道と交わりました。
左が七里の渡し、右が京、自分がこの家に住んでたら、「左わた志ば江戸道右京道」の道標を建てるな笑。
桑名宿内の東海道は道路の色を違えてくれているのですぐにわかります。
ここからは東海道を伊勢に向かいますが、桑名宿そのものも楽しまねば。
桑名の町は大きいので街道沿いだけでもいろいろ引っ掛かるのです。
この後なぜかザックがどんどん重くなっていったのでした、続きます。
今回はなんだかまるで撮り鉄日記だったような気もしますがこれ街道歩き日記です!