ルドルフの生涯SONE宣言!【少女時代応援ブログ】 -5ページ目

ルドルフの生涯SONE宣言!【少女時代応援ブログ】

少女時代 【소녀시대/Girls' Generation/SNSD/ソニョシデ/ソシ】応援ブログです。

悪夢です。

 

 

テヨンちゃんのソロデビュー10周年という記念すべき年の

 

TAEYEON CONCERT – The TENSE

 

明日から2日間、有明アリーナで日本公演が開催予定でした。

 

しかし、昨晩・・・

 

 

もう見たくもない記事タイトルです。中止理由は機材未着のため準備が困難とのことです。

 

 

テヨンちゃんのコメントは、

 

 

일본공연 취소된 소식이 전해졌을 때 소원 걱 정되고 마음이 너무 안 좋아서 무슨말을 어떻 게 해야할지.. 이 모든 상황이 너무 싫고 소원 에게 미안해요. 모든이의 노력과 기대감으로 만들어진 내 공연이 한 순간에 날아가버리고 도둑맞은 느낌이고 허무하고 허탈한 이 감정을 어떻게 표현해야 할지도 모르겠어요

 

日本公演中止の知らせが届いた時、SONEを心配して、とても嫌な気持ちになり、何をどう言えばいいのか...この状況がとても嫌で、SONEに申し訳ないです。 皆の努力と期待で作り上げた私の公演が一瞬で吹き飛ばされ、盗まれたような気分で、虚しく、虚脱なこの気持ちをどう表現したらいいのか分かりません。

 

言いたいことは山ほどありますが、中止という現実は変わりません。

 

ぐっと腹に収めますよ。

 

振替公演の可能性も含め、検討しております。
今後の対応や詳細につきましては、決定次第改めてご案内いたします

 

さて、どうなることやら。

 

はぁ~なんだかなぁ~

 

おわり

 

※画像・映像・文書文言等は引用をさせて頂いております。

肖像権・著作権等の権利は、すべて各権利保有者に帰属します。

営利目的は全く無く、 権利侵害の意図も全くございません。 

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こんにちは!

 

今週の少女時代のトピックは、これに尽きるでしょう!!

 

 

2023年にSMとの専属契約が終了し、その去就が注目を集めていたソニたん。

 

ついに

 

専属契約‼

 

締結先は大方(?)の予想通り、かつてのSMEの総帥であった叔父さん

 

 

イ・スマン氏が創業のA2O Entertainmentです。

 

 

オンラインメディアOSENの記事を引用させていただきますサーチ

 

「イ·スマン設立」A2O側「サニー専属契約..ユ·ヨンジンの指導の下、プロデュース訓練」 [公式立場]

 

少女時代 サニーが叔父イ・スマンの会社と専属契約を結んだ。

A2Oエンターテインメントは「サニーは最近、A2O Entertainmentと契約を終えた」とし、「現在、ユ・ヨンジンプロデューサーの指導の下、プロデュース訓練中だ」と公式立場を明らかにした。

続けて「A2Oの練習生たちのトレーニングプログラムもデザインしながら、心理的ケアもしている。映像コンテンツの撮影にも参加し、スタイリングはもちろん、振り付けも指導している」とし、「サニーに対する愛情あふれる関心にいつも感謝しており、今後、より良い姿でお目にかかろう」と伝えた。

 

ガールズグループ「少女時代」のメンバーサニーが叔父のイ・スマン師団に加入したという事実が公開され、注目を浴びた。

A2Oエンターテインメントは去る7日、YouTubeチャンネルに「A2O練習生「A2O Summer Training Camp 2024」ハイライト」(A2O Trainess 'A2O Summer Training Camp 2024' Highlights)というタイトルの映像が掲載された。

 

こちらがソニたんが出ているyoutube動画👇👇👇

27秒あたりです。

 

 

映像の中には、A2Oエンターテインメントの練習生がアメリカへトレーニングキャンプに出発する様子が収められている。A2Oエンターテインメントはイ・スマンプロデューサーが設立した芸能プロダクション。

特に、A2Oの練習生たちの様々な姿が映像に映し出される中、少女時代のメンバー、サニーの姿も映し出された。アメリカで生活中のサニーは、録音室でA2Oの練習生たちと一緒になり、コンソールボックスの前に座って練習生たちの録音を見守りながら独特の笑顔を見せた。

サニーの近況が公開されると、ネチズンの間ではサニーがイ・スマンプロデューサーを手伝って音楽作業に参加しているのではないかという推測が続き、これは事実であることが分かった。サニーはイ・スマンプロデューサーの兄であるイ・スヨン氏の末娘であり、イ・スヨン氏は芸能プロダクションのスターワールドの代表として、過去にガールズグループ「Sugar」を制作したこともある。

一方、サニーは2007年にガールズグループ「少女時代」で歌謡界にデビューし、2023年8月にSMエンターテインメントと専属契約が終了した。

 

以下は、A2Oエンターテインメントの公式声明全文

 

サニーは最近A2O Entertainmentと契約を結びました

現在、ユ・ヨンジンプロデューサーの指導のもと、プロデューストレーニング中で、

A2Oの練習生たちのトレーニングプログラムもデザインし、心理的なケアもしています。

映像コンテンツの撮影にも参加し、スタイリングはもちろん、振付指導もしています。

サニーへの愛情深い関心にいつも感謝しており、今後より良い姿でご挨拶させていただきます。


ありがとうございます。

 

決してきれいな形でSMEを去ったわけではないイ・スマン氏の芸能事務所と契約締結。

 

少女時代としての活動の際にSMEがネガティブな態度に出ないことを祈るばかりです。

 

本日はここまで。

 

あっ!今週のラー活ラーメンはこちら👇

 

 

ラーメン以外では駅でちくわ天そばを喰らったり

 

 

函館出張の帰りにはハセストのやきとり弁当をいただきましたてへぺろ

 

 

作法通りに串を引き抜いてから喰らいました割り箸

 

 

4月限定のわさびごはんです🍚

 

うめがぁたぁ~爆  笑

 

おわりクラッカー

 

※画像・映像・文書文言等はお借りしております。

 

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こんにちは!

 

今朝から自家用車のタイヤ交換で腰をやってしまったルドルフです笑い泣き

 

スタッドレスタイヤを物置きまで運ぶ時にピキッと…ガーン

 

こちらの記事をUPしたら横になりますえーん

 

今週はラー活ラーメンはなく、定食お弁当と居酒屋生ビール

 

 

それでは本題へと参りましょう。

 

韓国の大衆音楽ウェブマガジン【IZM】を今回は取り上げます。

 

Gee ★★★

2009

 

 

少女時代の曲の中で中毒性の強い歌はなかった。 しっかりした補筆ハーモニーや滑らかな編曲より、単純で感覚的な単語の繰り返しを前面に出したのが功を奏した。 「パンチャッ パンチャッ」「カムッチャク カムッチャク」「チャリッ チャリッ」のような単語は、口にぴったりと乗って一緒に歌いたい気持ちにさせる。 ミニアルバムであるにもかかわらず、大衆の即刻的な反応を引き出した力は、まさにこの単純性とともに歌う衝動にある。 もちろん、ここで一緒に歌う衝動とは、Wonder Girlsの「Tell me」のようなケースで、純粋に遺訓として消費される口ずさむことをいう。
単純性と感覚を前面に押し出し、抱いた水準で一緒に歌う衝動を刺激することが、一面商業的なものとして批判されることもある。 だからといって、芸術家の苦悩と真実性だけを論じ、このような歌をひたすら歌うこともできない。 音楽を聞くのではなく、消費することになってしまった現実では、そのような진시압がかえって音楽の受容者に不便な点を与えることができるためだ。 仕方なく私たちが受け入れるしかない事実は、アティテュードを論じるよりは、私たちとよく遊んであげられる、しかしよく聞かずによく聞こえる音楽を勧めるのがはるかに親切な行為になるということだ。 そのような観点から見ると、少女時代の今回のアルバムを勧めるのは、なぜ親切な行為に映らないのか。
品質確認見本ハーモニーで走り、楽しく曲を歌う少女たちの姿の前で、氷を張った表情をすることはなかなか難しいことではない。 決心して批判的に見ない限り、彼女らの音楽を拒否することは難しい。 淡い先使用と荒いギターの間を走り回る少女たちの声が元気を出す「がんばれ!! 厚く塗ったシンセサイザーを突き抜ける涼しい見本ハーモニーが聞きやすい「苦しむ恋人たちのために皆が聞く人に幸福感を感じさせる曲だ。 その幸福間の有効期間がどれほど長いかは分からないが、聞く瞬間だけは確実に値する。
少女時代に物足りなさがあるなら、彼女らが商品としての音楽を聞かせるという、そのような古い愚痴ではない。商品としての音楽であってもよく作られていれば、しかも聴く人に良い気分を与えてくれるのであれば、むやみに非難してばかりではいけない。 それよりも少女時代というブランドが持つ説得力と、その商品価値がどれだけ長く続くかについて考えてみるべき点が多い。
美味しい食べ物も飽きるもの、音楽も同じだ。いくら高いクオリティーを施しても向上変化しているため、実際はそうではない。 少女時代が少しでも長く生きたいなら、現状の既成概念を打破しなければならない。少女時代というブランドの逆説は、あまりにもきれいで善良だということにある。 「少女」という単語を狭小に解釈したのではないかと、初心者に胸が震えて言葉も話せない思春期少女の情緒を歌う「Gee」や母親の言うことをよく聞くという優しい娘の告白「Dear.Mom」が端的な例だ。 ソナーだからといって、みんなこんなに純真で優しいだけではないはずなのに、こんなにアイロンをかけたソナーの姿を見せるのは面白くない。
情実性のないキャラクターもそうだが、定型化された音楽パターンも仕事をしていないという感じを与えることができる。 適度にざらざらした全粒粉のギター、シンセサイザーの頻繁な使用、またクライマックスで爆発する宝巻ハーモニーの組み合わせはあまり変わっていない。 「そのため」が異なって見えたのである。 テンポの速さ、単純な言葉の繰り返し、そこからのアクセント、金角的な転用音。少なくとも音楽的には変わった一面を見せた。
おそらくSMも少女時代という音楽ブランドが持つ商品価値を高め、さらに長く持続させる方法を悩んでいるだろう。 容易ではないことだが、これからは現実感を持って少女キャラクターを進化させ、音楽的にどのように違って見えるかという悩みをもっと深く考えなければならない。 もはや大衆は型にはまった아이트、剣の絵を望まない。 もちろん、아이 돔、길 그룹が持つ生まれつきの限界を知らないわけではない。 士気音楽に対する確実な主導権の欠如、安定した音楽消費層などの問題がそう簡単に解決されることはないということもよく知っている。 しかし、限界が明確なので、それを超えるのが格好よく見えるかもしれない。
進化する子供たち! その二律背反的で魅惑的なタイトルを少女時代が占領できるだろうか、違うと釘を打つこともできないが、だからといって少女時代がそれならできると死神らしく言うことも難しい。 しかし、大衆がすることであり、時間が少し経った後になってこそ、その判断が正しい時と間違った時を開くことになるだろうが、まだ誰も確答を与えることができないことだけは確かだ。

 

'Run Devil Run' The 2nd Album [Repackage] ★

2010

 


「Gee」から「願いを言ってみて(Genie)」、「Oh!」を経て「Run devil run」に至るまでグループは少女とそこからもう少し年を取った姿に変身しコンセプトを変えた。 前の2曲は感性の違いがそれほど顕著ではなかったが、後の歌2曲は明らかに違った。 しきりに「オッパ」を歌いながら可愛くくっついていた人が、まるで躁鬱病患者のように、今度はお前を蹴ってやるぞと180度態度を変えてしまった。 一度軽快に行ったら、次は少し重く、暗く、そしてまた元気な姿を見せる。周期を置いて変化するのが三寒四温である。
このような戦略または公式は放送活動曲にのみ該当する。 アルバムに収録されている他の歌は大体明るい。 「별별별(☆★☆)」や「永遠にあなたと夢見たい(Forever)」が物静かなだけで、ダンス音楽ではない「キャラメルコーヒー(Talk to me)」と「良いことだけを考える(Day by day)」でもさわやかで生き生きとした気運を精一杯表わしている。 グループ名にふさわしい少女の感性がそのまま伝わる。
過度に一貫した少女感性の発現によって、アルバムはとても幼稚で情けなく感じられる。 ボーイとガール、男、女が歌のあちこちに待機中であり、相手が私をどう思っているのか確認しようとする気持ちで、好きだと告白する前の状況を中心に内容を埋めてみると、これはまるで理性を一度誘ってみようと決心してきた人々でいっぱいの中高等部の夏の聖書学校の打ち上げの場を彷彿とさせる。 世間の心配を投げ捨てたまま、初々しい愛だけを明らかにする男女と彼らの話が沸き立つのが、聞く人の精神年齢まで下げる態勢だ。
耳をひりひりさせる絢爛たる伴奏と歯ぎしりだけがいっぱいだ。 最初から最後まで今流行している音楽スタイルと遊戯だけに専念している。 このため、炊事なしにひたすら楽しむことだけを強要する場としか思えない。
それでも多くの人が彼女らに熱狂すれば売れる。 ただでもなくとてもよく売れる。 物を扱うように書いた表現に不快感を感じる人もいるだろうが、事実がそうだ。 出てくると羽が生えたように売れ、毎回熱い人気を実感させる。 EPを出そうが、フル(アルバムを出そうが、この前出たフルアルバムに数曲を追加して入れて、付いている商品を変えて発売しようが、販売量が不振になることは絶対にない。 何をするにしても毎回売り切れの事例が彼女らにはもっと馴染み深い。わずか2ヵ月前に発売したアルバムに、「黒い気運」を吹き込んだ歌を含めた新曲をいくつか追加し、少しリニューアルしたこの「リパッケージバージョン」もそうだろう。 しかし、興行の主要因が参加作曲家の曲やメンバーのボーカルにあると見るには難しそうだ。 放送での姿、以前とは違うコンセプト、ファッションの変化に魅了された人々の所蔵欲が販売量を上げてくれるだけだ。 売れっ子スターの「歌うCDも付いてくる写真集」以上の魅力はない。

 

훗 (Hoot) ★

2010

 


「ボンドガール」という苦心したキャラクター設定、振り付けに名前まで付けて「真似する」ことを強要する基本的な方式は、依然として「変化」の強迫観念に捕らわれているようだ。ところが、その変化というものがビジュアルを隠してみると、足踏みと作法の乱用だけで、芯が尽きた創作力とアイデアの不在だけを如実に見せるだけだ。
「Gee」の成功と「願いを言ってみて」、初期の「Kissing you」、「少女時代」までイメージのギャップはあったかもしれないが、彼女らがそれでも変化しているというタイトル曲はむしろ「循環」に近かった。 「Gee」、「Oh!」、「Hoot」につながる手法が明らかに見える一文字のタイトルやフックソングの「Gee」から抜け出したと話した「願いを言ってみて」さえもいつも同じ音楽の継続的な繰り返しだったに過ぎない。 結局、ティーザー映像の熱い関心とオンラインチャートの善戦は、主人公が持つスター性と好奇心を刺激するイメージが合致した結果に過ぎないということだ。
言い換えれば、慌ただしいエフェクターと単純にメロディーを追いかける意味のない単語、たくさん歌われ、より多くプレイされることだけに専念する曲は新曲「훗」でも同じだ。 よく練られたメロディーライン、重要な度に爆発するインパクト一発、レトロなギターサウンドは印象的だが、企画化された毎回同じ作法スタイルはその魅力を削減する。 BPMが上がった曲で緊迫感を与えたので、他の収録曲ではスピードを落として叙情性を補う配置(내 잘못이죠 (Mistake))、ロックサウンドで編曲の変化を図った단짝 (MY BEST FRIEND)もアルバムの古臭さを打破するには力不足だ。
これくらいなら、あまりにも陳腐なストーリーだ。 最も洗練された感性と感覚で同時代のトレンドを投影してはいるが、覇気と新鮮さで解答を得ることができないまま、ひたすらスピード感と反復だけで脱出口を作っている。 結局は作曲家の名前だけを変えながら同じ音楽を聞かせる企画と、今や簡単に食傷気味になった彼女らのボーカルスタイル、少女たちの無意味な厚いコーラスラインもいつまで有効になるかは未知数だ。

 

The Boys ★★★⯨
2011

 

 

彼女らの新作が他の時より重みが加わる理由は二つのとげだ。 一つは前作を出す時とは次元が違って高くなった位相、もう一つは「3人組」ということだ。 ガールズグループの第1人者の席を論じるのはすでに意味がなくなった時点で、道は企画会社のエイチオーティーやメスイエス、神話とFly to the Skyが頂点をとった時期とかみ合う3番目のスタジオアルバムだ。興味のない人も、少女時代なら一度は耳を傾けざるを得ない状況ということだ。
期待が大きければ失望も大きいと言ったのか、新作に対する反応は正反対に称えている。 否定的な意見を表明する人々は皆「少女時代」らしい姿の消失を根拠にしている。 実は誰よりもこれをよく得ている企画会社であるにもかかわらず、最後までタイトルを「The boys」と信じて出たのはすごい冒険だ。 果敢に「Gee」のようなフックソングリバイバルを借りて新しい告示を目標にしたのは、企画会社が他の人より数歩先を見ているということを証明する。
実際、それが失敗であれ成功であれ重要ではない。 ただ、それを試みるだけの時期だということが確実なだけだ。 K-POPブームに歩調を合わせてグローバル化という名目で出した「The boys」という曲は、ある意味リスクが非常に大きいシングルアッシュだが、今こそ適期だと思ったSMはその選択を押し進めた。 このように期待が広まっている状況で、彼女らは内需市場の要求に100%合わせるよりは、その犠牲を踏み台に加速度を倫理する方法を選んだのだ。
多くの人が言及したように、この曲で砂金まで感じてきた「少女」たちの感性を感じることは難しい。 強い戦士サウンド、濁ったビートに耳に入りにくいメロディーは普通、イメージはかつてないほど強く、サビは中毒性のあるフックの代わりに"Girls' generation make you feel the heat!" 「全世界があなたに注目して」のようなラップフレーズが繰り返されるだけだ。 それでも曲作りの完成度は決して高くない。余白を適当に与えながら鑑賞する人たちは信じて引っ張る微妙な魅力、堅固なリチウム構造は、あえてある部分をポイントにしなくても「一塊」の曲として勝負できることを示している。
普通のガールズグループに比べて一歩先を行っている素敵な女性は、このような紅の実力から始まる。 他人がトレンドに「反応してついて行くのに汲々とする時、人々がどのように見ても考えた通りに行うということだ。 Teddy RileyがRaniaの'Dr.feel good'ユン(윤)を制作した時も、これほど大衆の要求を排除しなかった。 長年の経験を通じて積もった会社のノウハウが、少なくとも子供たちの市場でだけは新航路を開拓しているのだ。
「The boys」を除けば、残りの部分は他の国内作品と似た構成だ。 特別なことはないが、代わりに<Oh!>(2010)に比べてはるかに聞くに値するトラックが多い。 当初、プロモーショントラックを念頭に置いて作業するような最近の方式とは異なり、深みはなくても一緒に楽しめる、後続曲として使われても無理のないトラックが大幅に増えた。 さわやかなシン・ユンのシンセポップ「テレパシー(Telepathy)」、「Hoot」の路線をつなぐ「Top secret」と日本で発表した曲は翻案した「Mr. Taxi」など貧弱な構成を持つ他のグループの正規作に比べればはるかに充実しているという印象を与える。
ただ、だんだん打ち消されるような歌唱は問題視される部分である。ランタイムが終わるにつれて感じる無味乾燥な感情処理は、東方神起の「Mirotic」(2008)を思い出させる。完璧な理解なしにスケジュールを割り切って録音したために生じる欠点である。磨くところまで磨いたのだろうが、そうすればするほど工業製品の痕跡はよりはっきりと現れるものだ。サウンドの余白が生じるバラード「봄날 (How great is your love)」や「제자리걸음(Sunflower)」で、ボーカルだけでその空白を埋めることができないのがその例だ。
音楽ファンは、K-POPブームに対して少しは逆説的な態度を示すことがある。国内で活動する時は中身がないと非難し、日本で外貨を稼いでくると誇りを感じるような二重的な態度だ。しかし、今は明らかにアイドル文化をエンターテインメントそのものとして認める姿勢もある程度必要な時期である。商業的に加工された結果物を何も考えずに歌うような行為は望ましくないが、アイドルにミュージシャン的な課題を課そうとするのも、決して正しいことではないだろう。すでに時代は彼女らの音楽を世界に知らせる代表的な韓国の文化として選んでいる。全世界の10~20代を揺るがす大衆性の具現を看過してはならない。 そして彼女らは新作を通じ、これを最も濃密に作り上げた。まさに本当の「少女時代」だ。

 

I Got a Boy ★★⯨

2012

 

 

現在のSMには適度に二分された図式が存在する。一方は、アルバムは年間チャート上位に入るほどよく売れても、音源成績がそれに反比例するチームと、両方とも適度に好調なチーム、前者は大規模なファンダムを基盤とするグループ、後者は世代や性別を超越した大衆的な人気がある程度保証されていることを意味する。このように、誰もが歌って楽しめる「ヒット曲」の概念がCD販売ではなく、音源販売量にさらに傾いている時点であるため、SM内での少女時代の位置づけはより特別なものであった。両者とも極端な強さを見せてきたこと、確固たる支持勢力を構築すると同時に、一般の人々の爆発的な反響を引き出し、所属事務所内でもなかなか見られない、ほぼ唯一のオールラウンドプレーヤーであることを証明してきた。

 

このような枠組みが揺らぎ始めたのは「The boys」の頃からだった。自分たちがシーンを主導しなければならないという過度の責任感と新しさへの強迫観念は、少しずつグループへの接近性を低下させていったが、幸いにもTeddy Rileyから始まった音楽的な一貫性と、「Mr.Taxi」、「Trick」などの良質な収録曲がそれを払拭した。しかし、今回は少し違う。事実、「I got a boy」は新しい試みを超えて、軽く楽しむように少女時代を消費してきたライトなファンが真の忠誠勢力なのか、それとも一時的に好きなだけなのかを問うようなニュアンスが強く漂う結果物だからだ。
まず「I got a boy」という曲は非常に難解だ。4分30秒の間、重厚なビートとエレクトロニカのソースが何度も交差し、サビAとサビBはジャンル転換とともに次々と登場し、メンバーのキャラクターを生かしたボーカルパートまで秒単位で分割して挿入し、それぞれの個性を生かそうとした。 これだけ多くのことを見せようとすると、一貫性の喪失は避けられない。各パートの運用や骨格がどんなに良くても、「1曲」という範囲内で受け止めるには過負荷になる。実験や変化はともかく、基本の問題なのだ。

 

このような過程の中で「Kissing you」や「願いを言ってみて」のような曲でチームに好感を持ってきた人たちは戦線を離脱するほかはない。 SHINeeが歌った「Sherlock」の場合、グループ自体が既存路線とは異なる性向のキャリアを積み、これを追いかけてきたファンがいたので無難に彼らの曲として受け入れられることができたが、少女時代の始まりは「また巡り逢えた世界」であり絶頂は「Gee」だった。 反感を呼ぶのが当然だ。 定石を過度に外れた曲に対する非好感は拒否感につながり、大衆とファンダムの溝が深まる要因に変貌する。 発売後、音源が前作ほど力を発揮できない現時点は、これを正確に反映している。
代案として評価されるのがKenzie作曲の「Express999」だが、こちらもあまり好ましくはない。 適当な水準でテンポ変換が行われ、レトロとロックの色彩をよく混ぜ合わせた編曲に「急行に乗って」という確実な一発を搭載したが、前半部が退屈で後半4節に力が集中していて「キーリングトラック」と名付けるには躊躇することになる。 このように、ランニングタイム中に不足したり、過度だったりが繰り返される。 「Dancing queen」はそれなりに遵守するが、とにかくDuffyの「Mercy」との比較を避けにくく、「XYZ」は繰り返しが激しく退屈で乾燥に聞こえる。 それでも善戦するのは皮肉にも一番昔のスタイルを維持する「Baby maybe」、良いメロディーをささやくような音色で洗練された「浪漫道」程度ではないかと思う。


昨年1年間、YGに押された理由を集めて一枚に集約したようなアルバムだ。 すでにSHINeeとf(x)があるので、彼女たちまでこのようなタイトル曲を作る必要があったのか、もう少し無難に行くことはできなかったのか残念です。年末の歌謡番組を見れば分かるように、誰もが一緒に楽しめる目線の高さで繰り広げられるBIGBANGの舞台と、まるで感心するように完璧に構成された枠組みの中で繰り広げられるSUPER JUNIORのステージは、熱狂する対象が同じになるはずがない。ファンダムの規模を増やして韓流進入に成功したSMだが、そのマニアックさが毒になっている現状況なので、少女時代だけは一般大衆に対する最小限の配慮がなければならなかった。 今のような巨大企画会社になるまでは老若男女が好きだったH.O.Tの「Candy」があり、S.E.Sの「I'm your girl」があったことを忘れてはならない。 今のSMは謙遜ではない。

 

Mr.Mr. ★★⯨

2014

 

 

<IGot A Boy>の衝撃は単純なファンダム内部の「びっくりメンタル崩壊」ではなかった。 全体大衆の範囲で歌に対する甲論乙駁が広がり、これは一つの社会的問題としても全く不足しないレベルだった。思ったより巨大だった波及力は既存少女時代に下された単純な「アイドルグループ」の定義が全面修正されなければならないことを力説した。 今や彼女らは一般的なアイドルではなく全大衆を網羅する巨大な「国民ガールグループ」だ。 「I got a boy」の失敗は力を持った状況で別途の音楽的キャラクターを別に付与したりマニア層を攻略しようとする欲であり、これがむしろ慣れ親しさを壊し、全体的な難解さに繋がってしまった。少女時代に対する企画は今、より広い視野をもとに、全大衆を巻き込んでいかなければならないという新たな宿題を背負った。
「I got a boy」が広げた大衆との距離を縮めることが今回の活動全体の目標といっても過言ではない。そのために、音楽性と大衆性の両方のバランスをある程度整えたと評価される「The Boys」の方式を再び取り出した。海外の作曲家との協業を通じて一定の領域での新しさを追求しながらも、その構造やメロディーはシンプルであるという点、タイトルや歌詞など様々な面で「The boys」と類似している「Mr.Mr」は差し引いても、一つの一定の枠組みの中で小さな変奏を通じて聴き応えのあるトラックを盛り込む構成まで、多くの部分で類似性を感じることができる。


過去のやり方への回帰は安定をもたらす。 しかし、これが遠ざかった世論を再び変えることができるかは疑問だ。 「The boys」から強烈さだけを除いた「Mr.Mr」の応援は単調さを先に思い出させ、曖昧なコンセプトもまた本当の意味を計りにくくする。 他の収録曲も鑑賞に大きな邪魔があるわけではないが、わざわざ探して聞くほどの吸引力はない。 シンプルな構成の「Goodbye」や神秘的な「Europa」は、国内歌謡では感じられないポップな感覚を盛り込んでいるが、インパクトの部分で低い点数を受ける。 最後の反転形式で入れた「Soul」もまた力不足なので「凡作」にはなっても「秀作」にはなれない。


少女時代のジレンマは、好むと好まざるとにかかわらず、「国民的ガールズグループ」という名前で活動を続けていかなければならないという点だ。デビュー7年目、もう見せられるものはすべて見せたことになるが、新しい試みをしようとすると、固まったイメージがあまりにも大きく道を阻んでいる。いつの間にかメンバーも'少女'ではない状況だ。グループの現在に対する正確な判断と未来への指向を明確にし、新しい盤を組むことが、より長い長期政権を可能にするだろう。答えを見つけるのは彼女ら自身次第である。ただ、その答えは「Mr.Mr.」ではない。

 

LION HEART ★★★⯨

2015

 

 

「これからも少女時代」のために
断言しておくが、8人の少女時代は過去のような栄光を享受することはできない。すでにこのチームはデビュー8年目に5枚目の正規アルバムを発売した超長寿グループであり、現在の音源チャート中心の音楽市場もこのような中堅アイドルに好意的ではない。今、少女時代は現世代を掌握する代わりに、後日にも忘れられない巨大な一連のイメージにさらに力を注ぐ。その残像は「Gee」-「願いを言ってみて」-「Oh!」-「Run devil run」-「Hoot」につながる時期の「国民的ガールズグループ」に向かっている。


「The boys」や「I got a boy」につながる実験は必要ないということだ。 このため、アルバムは過去の溌剌としたイメージをベースにしながら、成熟した少女への実験を進めた日本活動コンセプトを多数活用する。楽曲を取り入れた「Show girls」を除いても、「Love & Peace」のタイトルシングル「My oh my」のコンセプトを取り入れた「Lion heart」から「Fire alarm」や「Green light」、「Check」などの曲は日本の少女時代の逆輸入の結果と言っても過言ではない。


新しい枠組みは外部だけでなく、SM内部からも取り入れることができる。強いボーカルを前面に出したトラップビートのダンス曲「You think」、グルーヴィーなR&Bスタイルの「Check」、アルバムの最後を飾る「예감(Bump it)」は、EXOやSUPER JUNIORが歌っても違和感がない曲だ。実際に例示的だった「Catch Me If You Can」や「You think」のパフォーマンスは、過去の「Run devil run」や「Hoot」よりも「Growl」、「Mamacita」に近い。SMという巨大グループが持つことができる強力な武器を新たに活用したのである。

 

このような再構築は、成熟したポスト少女時代のイメージを無理なく備えるだけでなく、曲のクオリティまで高めるという反射的な利益をもたらす。「The Boys」以降続いていた実験的な少女時代イメージの一筋から降りてきて、「みんなの少女時代」であった汎大衆性を搭載したことで、無理なく大衆的なウェルメイドポップがその場を埋めている。成功した自己啓発の事例といえるだろう。

メーガン・トレーナーに触発されたレトロなダンスを取り入れた「Lion heart」から不在であったメロディーを取り戻した様子であり、ファンキーなギターリフが中心を占める「Green light」、明瞭な構成を中毒的なフックでカバーする「Fire alarm」成熟した'キャラメルコーヒー'のようなラテン風のアコースティックスタイルの「One Afternoon」など、聴き応えのある曲の増加は確かに嬉しい。特に少女時代のテティソが母グループにも通用する「Talk talk」、f(x)に出てもおかしくない濃いシンセポップ「Sign」は高く評価されるべきトラックだ。

 

過去のような力を享受することはできなくても、アルバムは「The Boys」と共に自信を持って出せるほどの完成度を備えている。これをベースにした新・少女時代の姿は、忠誠を誓ってきたファンダム、漠然とでも彼女らと一緒に生きてきた人たちの意識の中の印象を刺激する。「Lion heart」の優雅なパフォーマンスが象徴するのは、依然として世代に深く残っている、21世紀最高の人気ガールズグループ少女時代の影響力である。 一歩後退し、目に見える成績が低調であっても、そのオーラは無視できない。

「第1期少女時代」が「今は少女時代」であったなら、「第2期少女時代」は「これからも少女時代」のための、長寿グループとしての歩みだろう。そして「永遠の少女時代」に向かってのスタートが「Lion Heart」である。実験と挑戦の末に見つけた鍵は進歩ではなく、歴史の中にあった。

 

Holiday Night ★★★

2017

 

 

現在進行形の10年目のガールズグループ少女時代には華やかなパーティーが必要だ。2015年の「Party」が8人でも変わらないという自信とそれを証明するショーケースであったとすれば、2017年の「Holiday Night」はタイトル通り10周年を迎えた自分たちのための本当のお祭りだ。激烈というよりはゆったりとした、思い出と過去を回想するメタファーが随所に刻まれている、これまでのレギュラー作品とは性格が異なる「記念作」だ。

1970年代のディスコと1980年代のマドンナを取り入れたダブルタイトル「All Night」と「Holiday」で、最も華やかで、華麗にきらめき、ゆったりとした少女時代を確認できる。シンセサイザーとパンクのリズムをベースにした前者は、レトロなミュージックビデオと共に過去を回顧し、気だるくもロマンチックなパーティーを演出し、ミュージカル形式のパーティーソングである後者は、華やかなブラスセッションと終始賑やかな祭りで10周年を自祝する。誰もが口ずさんでいた簡単なメロディーラインや一発のインパクトの欠如は、「本当に多くのことがあった私たちの間」、「Hey 特別な私たちのHoliday / あなたと私だけのための一日になるように」など、ファンにもっと特別なものになるようなメッセージで置き換えられる。この感謝の気持ちはすぐに続く次のトラック「Fan」で確実に構築され、アルバムを締めくくる「오랜 소원(It's you)」と「Light up the sky」を通じて静かな反響を呼び起こし、「少女時代10周年」にさらに大きな意味を与える。

 

既存の少女時代のアルバムの枠組みにトレンドの代わりにウェルメイド・ポップに進んだテティソのスタイルを移植した収録曲は問題なくその役割を果たしている。アルバムのスタートを告げる華やかなファンク(Funk)トラック「Girls are back」やミディアムテンポのミレニアムR&B「One last time」、アコースティックギターを基盤に快適な雰囲気を醸し出す「Only one」は、テティソの名前をつけても違和感のない曲だ。シャッフルリズムの上にセッションを加えていくR&B「Love is bitter」は「Romantic St.」「One Afternoon」に続く穏やかな少女時代的な小品集を続けるが、テティソのモダンさと大きなボリュームを加えながら、はるかに良い結果をもたらした。一方、新世代SMPの残響が感じられるEXOスタイルの「Sweet talk」は、むしろ外道な感じがする。音楽的にもコンセプト的にも見せられるすべてのものを尽くしたグループなので、とても新しいとは言えないが、ウェルメイドのクオリティを失うことはない。

 

破天荒と変身の代わりに歴史を選んだ「Lion Heart」以降、少女時代に新しい何かを期待したり、過去のような大きな人気を期待するのは難しい。代わりに2016年の一年間、メンバーたちが各自の個性を通じて新しい道に伸びていき、少女時代をロールモデルにした数多くの後輩グループがはるかに広い方向を開拓している。「Holiday Night」も特別なアルバムではないが、長い時間にもかかわらず、現在進行形であることを示し、10周年を迎えた少女時代の威厳を見せたことに意味がある。華やかで素敵なパーティーの中の少女時代は依然としてアイドルたちのアイドルであり、憧れの対象である。

 

今回はここまで。

 

おわりCD

 

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肖像権・著作権等の権利は、すべて各権利保有者に帰属します。

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こんにちは!

 

出張先で前立腺がんの検査をしたルドルフです!!

 

 

前立腺がんは遺伝要因がリスクファクターのひとつとして考えられているのですが、

 

会社の健診の検査項目にはないので受けてみました。

 

数時間で結果が出ます。

 

基準値は4.0ng/mL以下で、結果は0.64と問題なし爆  笑

 

さて、今週のラー活ラーメンは👇👇👇

 

 

プレゼン作りでホテル籠りではコンビニ弁当🍱

 

 

商談がうまくいった日は呑みに出ましたビール

 

 

こちらでは飲み放題にBOMBAYのジンがございます笑い泣き

 

 

それでは本題へと参りましょう。

 

韓国の大衆音楽ウェブマガジン【IZM】を今回は取り上げます。

 

本国では辛口の音楽批評で知られているそうです。

 

다시 만난 세계 ※★評価の記載なし

2007

 

 

ジョ・イスル
後半部に行われるパワフルなコーラスは聞きやすいが、もう少し率直に言えば「この歌を歌うのにあえてこんなに多くの人員が必要だったのか」という気がする。 独特な広報戦略と巨大な投資が行われたとすれば、何かもっときらめく再起が出てくるべきだと思うが、これはあまりにも平凡だ。 すでに「BoA」で全て明らかになった作曲家ケンジー(Kenzie)の作法も、すでにすべてを見せてしまったことをグループの同じ組み合わせも、今は少しうんざりする時になった。

イ·デファ
SUPER JUNIORのガールバージョンは納得しがたい企画だ。 いくら音楽界が不況とはいえ、あまりにも音楽ではなく「スター作り」に汲々としている。 少女時代は芸能人養成プロジェクト以上には考えられないチームだ。

ソ·スングン
一体どうして!!!!!!!!!!

ユン·ジフン
東方神起、天上智喜、SUPER JUNIORに続き、SMがもう一つのラインナップを構築した。 特有の呆れた命名センスを見せてくれる「少女時代」。 最近の雰囲気を見ると、かつてH.O.T.とS.E.S.の男女ダンスチームの構図に「神話、BoA」という強力なラインを保有していたアイドルの黄金期を連想させる。 J-POPにそっくりなきれいなメロディーに9人の美少女たちが繰り広げる華麗な群舞は確かに微笑ましい光景ではある。 しかし、チームの随所に染み込んだ徹底した企業マインドが音楽を音楽として受け入れることを妨害するのは仕方のないことだ。

パク·ヒョジェ
あまり注意を払わなくても、一気にSM印の歌であることがわかる。 日本進出を念頭に置いたのか、 J-POPの匂いが強い。 シンセサイザーが全体的な質感を形成する点や、絶頂部でボーカルを積み重ねる方式などがそのような感じを持たせる要素だ。 「女子SUPER JUNIOR」を標榜するというが、音楽はもっと大人しく整頓されている感じだ。 しかし、確実なインパクトの不在は残念だ。 見せかけのメタルリーフでは、そのような渇きを解決するのは難しそうだ。 何か新しい世界を待つ人々には喜ばしくない見覚えだ。

リュ·ソクヒョン
スタイルで言えば、最近よりは90年代に近いように見える。 子供の頃、ダンスマニアだった20代も楽しめる曲だ。 アニメの主題歌にも合いそうなメロディーは、日本の影響を受けたということを見逃してはならない。 韓国歌謡の目に見える10代の購買層に劣らず、日本文化が好きな人もそれだけ多いという意味だろう。 徹底的にビジネス的で企画商品という見方で少女時代を批判する人がいるなら、逆に韓国歌謡の競争力が落ちている断面も感じられる。 すべての人に選択の権利があるように、ひたすら10大消費商品だと皮肉るほどのことではないのではないか、聞いて良ければ楽しむべきだ。

 

何かもっときらめく再起が出てくるべきだと思うが、これはあまりにも平凡だ。

SUPER JUNIORのガールバージョンは納得しがたい企画。

特有の呆れた命名センスを見せてくれる「少女時代」。

確実なインパクトの不在は残念だ。見せかけのメタルリーフでは、

そのような渇きを解決するのは難しそうだ。

 

後の少女時代の活躍とタマンセが今ではプロテスト・ソングの代表格であることを踏まえると批評というものが当てにならないことを痛感しますね爆  笑

 

ラララ(feat. 少女時代)★★⯨

2008

 

 

 

ユンサンの新しいアルバムのニュースに興奮を隠せない人の数は、ユンサンのファンよりはおそらく少女時代のファンの方が多かったと思う。 しかし、とにかくユンサンの歌、検証された最高段階のユンサン狂信者でない以上は、この歌が一体どこから飛び出したのか曖昧だったのではないだろうか。 「アロ(Halo)」という混成デュオが1997年に発表した同名のアルバムに収録されている作品。 プログラミングでの装いを多く収めただけでなく、オリジナルよりはドラムビートも弱く、電子音もはるかに柔らかい。 歌詞やメロディー自体があまりにも明るいため、イメージや雰囲気は少女たちととてもよく似合う。 だからといって、本来の「ラララ」を歌った女性ボーカルより歌が上手だという意味ではない。 <Song Book>の中で最も華やかな曲だが、そうだな、原曲の感動を秘めた人には少し物足りないかも。

 

Gee ★★

2009

 

 

社風といえるSMP形式の、恐るべき勇壮さを表す歌でもなく、ある程度踊るのに適したテンポを備えた典型的なティーンポップの姿でもない。 溌剌さは相変わらずだが、前作に含まれた歌に比べて非常に速くなった。 「Gee」はそれで少女時代とファンにだけは新鮮だ。
速くなったということは速度感充満した進行中にもフックやコーラス、バス(verse)、あるいは他のどんなパートでも聞く人に強い印象を残せる装置と要素を用意しておいたことを意味する。 最近のダンス音楽の動向に合わせて、この歌も短い節を繰り返し、特定部分を強調する構造で、リスナーに中毒性を与える。 「gee」と「baby」が数十回以上出てくるので、この繰り返しに遭う者はそれほど多くないだろう。 それで、ある瞬間、歌を口ずさむ自分を発見することになれば、それは言いがかりに耐えられず受け入れる無意識的中毒だと言っても間違いではなさそうだ。
構成の類似性からWonder GirlsやBrown Eyed Girlsの歌と比較されることもできる。 しかし、彼女らの歌には同じリズムが最初から最後まで続き、その他には特別な強調点がないのに対し、「Gee」は「パンチャッ パンチャッ」、「チャリッチャリッ」に加えた音で平凡になる流れを刷新する。 むやみに注入だけを行ってはいないという若干の傍証だ。
反復性が中心となる曲なので、ブリッジに力を入れなくてもいいし、時にはそれ自体を最初から抜いてもいい。 ブリッジを入れたが、フックとコーラスをつなぐ架橋やクライマックスを完成させる役割をするのではなく、しばらく仕掛けてきた雰囲気を減速する、しばらく息を整える手段として利用される。 実は、すでに見せるものはすべて見せた状態なので、ブリッジなしにただ歌を終えても大きな関係はない。 そのような理由で、これをただメインボーカルのテヨンとそれに匹敵するジェシカを引き出すために無理に入れた付帯設備程度にしか見えないのが一方では残念だ。
10代の感性と呼吸しやすい淡い恋を描いた歌詞と弾ける伴奏、これらの融合で成し遂げた反復性は強い吸引力を持つ。 だが、これが最近になって大衆への浸透性を高めるための図式化された作法になっていることを想起してみる時、もう一編の組み立て式の歌が出たという感じを振り払うことは難しそうだ。

 

願いを言ってみて(Genie)★★

2009

 

 

通常、女性アイドル(idol)歌手が見せられる姿は、自分たちの年齢にふさわしい、あるいは本人たちを好きな若いファンが好きそうな初々しさや、きちんと整頓されていない焦った成熟さに限定される場合が多い。 デビュー曲「また巡り逢えた世界」から「Baby baby」、「Kissing you」、最近の「Gee」に至るまで、少女時代は前者に集中する企画で、主に老少を問わない「男心」を攻略し、毎回の戦術は見事に受け入れられた。 そのヒットフォーマットに沿って、感性年齢層が今後もある程度は維持されることが予想された。
新曲「願いを言ってみて(Genie)」はその予見から少し外れる。 どっしりとしたシンセサイザーと低い音で歌を開く導入部は、以前は発見できなかった変化で、全体的な音楽骨格が最近国内外で興行しているエレクトロニカスタイルに接している。 これまで披露してきた少女好みの歌詞や可愛らしいメロディーも、この歌ではほとんど蒸発した状態だ。 メディアを通じて公開された短い半ズボンのマリンルック姿も明らかに清純とは距離が遠い。 年を取ったように見せようとする試みと読まれる。
あくまでも企画会社が提示したコンセプトだが、この変化はそれこそ焦った成熟さに他ならない。 暗いトーンで重みを形成しているが、歌詞はかなり肯定的で、この変身が曖昧なだけだ。 セクシーにスタートしたが、バランスが取れず、「もう知らない。」と昔のイメージを引き出してきたようだ。 このため、歌の中盤部と最後の部分にメンバーたちが笑って騒ぐ声を入れたのは、彼女らの最大の武器だった少女らしさ、可愛らしさを離さないように無理に入れたように感じられる。
伴奏もとても単調だ。 トレンディな感じはあるが、間奏での合いの手に当たる声以外には、歌に折れ線を与える要素は見当たらない。 変奏もなく、基本筋に添付されて補完してくれる音もあまりなく、ダンス音楽にしては聴覚的興味を全く誘発できない作品だ。 後半に入ってソロのアドリブが入るのが添加のすべてだ。 これは少女時代が今まで公開した歌で十分に接することができる公式だったので、このパートで変わった面白さを感じることはできない。
若い子たちのグループは企業が出す意見に合わせて動くしかないが、変化した姿を企画する立場ならば作業が確実でなければならない。 すでに厚いファンダムが形成されたので、ある水準までは音源チャートと放送チャート上位圏を占有できると判断し、中途半端な姿を見せること、これはちょっと違う。 少女時代ではなく、他のジニー(Genie)に話す願いだ。

 

Oh!★⯨

2010

 

 

表に現れる特徴は若返りだろう。 大人らしいイメージを見せようとした過去のシングル「願いを言ってみて(Genie)」とは全く違って「Oh!」は終始溌剌として明るい気運を維持する。 いつも「オッパ」を歌って探し回る歌詞でも、再び少女らしい姿に戻ったことが感知できる。 若くなったという言葉よりは、若くなったという表現がより似合うような変化だ。
特定部分の振り付けと衣装が世間の関心を引いただけで、少女の生き生きとした面貌と成熟した女性の蠱惑的な姿の間で右往左往した「願いを言ってみて(Genie)」が前に発表した歌に比べて波及力が落ちた点を思い出してみれば、今回の変身が理解できる。 案の定、学芸会の特技自慢の時間に見られるようなダンスと舞台衣装を身につけ、1990年代、全国の家庭に一つずつは置かれていたトイレットペーパーの名前を歌い続ける歌も、興行の高速道路を走る状況だから、若くなるのも決して悪くないだろう。
「Oh!」は活力を存分に表わしてはいるが、これ以上に聞く楽しさを形成する魅力は発揮できない。 好きなオッパの関心を得ようと可愛らしく行動するが、彼の心をつかむ一発の武器がないのと同じだ。 ブリッジや間奏での変化、伴奏を補強できるプログラミング、目立ったボーカルアドリブなどが用意されておらず、平易さだけを映している。 音楽的に目立つ部分がないため、媚びを売ることが歌の全てを支配するものと考えられる。
今までリードシングルとして披露した曲の中で、退屈な感じが一番大きく感じられる歌でもある。 漸層して規模を拡大していった「また巡り逢えた世界」、歌詞で弾力を与えた「Gee」、間々ボーカルの添えで曲の密度を上げようとした「願いを言ってみて」と比較した時「Oh!」は歌をより一層おいしく作ってくれるソースが欠乏している。 「オ」と「ア」の繰り返しを通じて中毒性を図り、速いテンポ、ボリューム感が伝わる電子音で成し遂げた元気だけを吐き出す。 ランニングマシンの上を走ったり、フィットネスサイクルに乗る時、BGMとしては活用度が高そうだ。
起承転結の流れを見せる古典的な構造よりはフックが脚光を浴びる時代であり、早くて楽しくてリズム感のある音楽が人気を集める時だ。 逆にそのような面から見れば、賢く作った音楽だ。 ブリッジを入れず、直線的な魅力を生かしたわけであり、リズムや他の楽器プログラミングを付け加えず、コーラスを確実に伝えるようにしたためだ。 3分を少し過ぎた短い再生時間も、スピード感のある進行、早い結末を好む最近の大衆の好みを考慮した方策であろう。
速いテンポと弾けるサウンドでの武装は、少女の感性を含んだ内容を効果的に表出するためだ。 これで聞く人たちは、前回とは違う少女時代に接する。 しかし、このような方式の具現とフックを前面に押し出した構造は、トレンドに合わせていき、短い時間内に歌をリスナーに刻印しようとする意図、ヒットを保障する公式化された枠組みに過ぎない。 結局「Oh!」はフックと特定区間の猛烈な反復が横行する私たちの音楽界にもう一編のスニペット音楽が出てきて、終幕が分からないこれの大流行が再び始まったことを示唆するだけだ。

 

Run devil run ★

2010

 

 

「ブラック少女時代」と名付けられた外的スタイルモールを除いて音楽的な面で少女時代のものは一つもないシングルだ。 ケシャ(Ke$ha)が(デモバージョンで)歌った「Run devil run」は部分的に歌詞民を変えていつのまにか少女時代の曲に化けている。 少女時代の所属事務所側はケシャがこの曲の「ガイドバージョン」を録音して話題になったというが、ケシャの曲は「ガイドバージョン」ではなく正確に言えばアルバムの曲選定作業から除外された「デモバージョン」だった。
簡素な楽器で歌のメロディーを記録することに目的があるガイドバージョンとは異なり、アルバムバージョンの前哨戦としてサウンドと効果、ボーカルをきちんと構成して作るデモバージョンは厳然たる違いがある。 もちろん、デモバージョンも歌手ごとに違うが、インターネットに流出したケシャの「Run devil run」はアルバムバージョンに匹敵するデモバージョンだった。 したがって、所属事務所がガイドバージョン云々するのは音楽的な非難は避けながら、最近盛んに商売人であるケシャの「名前の価値」だけに便乗しようとする手段に過ぎない。
少女時代の「Run devil run」は,ケシャのデモバージョンをそのまま抜き打ちした。 少女時代の曲に使われたインストゥルメンタル(Instrumental)は、ケシャのものと違いが感じられないほどだ。 曲の始まりを開くイントロとクラップ(Clap)サウンドも同じだ。 曲の長さや間々に植えられたエフェクト、コーラスの配置も同じだ。
歌詞の内容も問題、ハングルの歌詞で書き直し、タイトルとサビの主要部分は維持したため、つじつまが合わない。 ケシャの歌詞からは、自分を翻弄した男に対する強い怒りと警告、実行意志を垣間見ることができる。 なぜ男性に悪魔(Devil)と言うのか、なぜ「You better run、run devil run」と言うのか理由も明確だ。 意図的に接近して自分を翻弄した男をキャノン砲を撃ってでも撃沈させるのだから、何とか捕まえて処理するのだから、7大洋を渡ってでも逃げろと言う。 男子としては行商人のモチベーションが確実に上がるわけだ。
しかし、少女時代の歌詞は単に「悪い男」の話だ。 その上、バスの部分では失望したことの羅列と自分を捨てた男を諭すのに止まるだけで、追撃して処理しようとする意志は失踪した。 「容赦を求め、これからでもうまくやれば受け入れる」という感じさえする。 そうするうちに突然コーラス部分に来て「逃げろ」と言って「素敵な私になる日、返してあげる」として行ったり来たりして展開が滑らかではない。 結局、男としては見なければそれでいいが、あえて逃げる理由まではない状況になった。 リフレーン「You better run、run devil run」の味を逃さないようにしたが、曲の内容がねじれた結果だ。
構成面で上記した通りなら、声に苦心した跡や自分だけのスタイルを植えなければならなかったが、ボーカル面でも曲の味をうまく生かすことができなかった。 「アンカルジゴ」「悪に支えられたように皮肉を言うケシャ」のボーカルとは違って、少女時代の9人のボーカルは、いかなる優越感も示せない。 テヨンジェシカは高音部分でかなり安定的な面を見せるが、1番目のサビの前のスヨンヒョヨンのパート、2番目のサビの後に続いたサニーのパートは男に裏切られて皮肉を言うよりは可愛いフリをするのに汲々としているように聞こえる。
リフレーンを弾力的に引いて歌い、多層構造で構成した点は、穀物の粘りを見せてくれた立役者で、これはケシャのボーカルスキルを踏襲したに過ぎない。 そのため、ケシャの「デモバージョン」に少女時代の声だけを乗せた習作のようなシングルになってしまった。
このような音楽で成し遂げた成果が、本人たちの商業的な利益の他に、韓国歌謡界にはいかなる肯定的な影響も与えないだろう。 今の時代に音楽性が最優先のアイドルたちを望むのも欲だが、最初からそのような点が排除されていれば困る。 ファッションに傾けたユニークで独創的な魅力を音楽にほんの少しでも投影してほしいという願いだ。 確かに音楽性が過小評価されたアイドルもいる。 しかし、明らかなことは、過小評価の被害者が決して少女時代ではない。

 

Catch Me If You Can ★★

2015

 

 

9人から8人になった少女時代が出した最初のシングルである。活動開始が韓国ではなく日本であることが残念ですが、1年間の空白を気にしたのか、国内バージョンも制作して日本より先に公開しました。
SMという所属事務所が電子音楽を使用するのは、今やすっかりおなじみのパターンであるにもかかわらず、少女時代が本格的に登場したのは異彩を放ちます。荒々しい音色がたくさん集まって、これまでチームが作ってきた姿を少し違った見方をさせてくれるからだ。 しかし、曲が持つポジティブな効果はそこまでで、音楽自体は旋律と伴奏が別々に遊んでいる感じを伝える。さらにはメロディに印象的な部分もなく、鑑賞用として楽しむには限界がある。まさにイメージチェンジだけに焦点を当てたシングルである。

 

Party ★★

2015

 

 

「8人の少女時代」や「Catch me if you can」のぎこちなさから脱却。色とりどりの爽やかさを携えて帰ってきた「Party」は、「願いを言ってみて」から「The boys」以前の全盛期の少女時代のスタイルに戻った。明るい笑顔の8人の女の子と涼しい海、「レモン焼酎、私はテキーラ、あなたはモヒート」と爽やかなミュージックビデオまで。夏のシーズンソングとしてはとりあえず合格。世論もこれ以上ないほど好意的だ。
様々な意味で複雑な状況を慣れで打開しようとする努力である。ただ、私たちの記憶の中の少女時代を呼び起こすことはできても、曲自体はそれだけの力を備えていない。 グルーブ感あふれるベースにギターリフを乗せて盛り上げるファンキー(Funky)なダンスシステムは、数多くの夏のシーズンソングに活用される公式であり、いくつかの部分はあの有名な'California gurls'に似ている。バス-ブリッジ-サビの構造はあまりにも正直で、これといった反転のポイントもなく、その過程も整頓されておらず、散漫に散らばっている。
< The Boys>以降、難解ながらも独自の道を模索していた革新にブレーキがかかった感じだ。 メンバー脱退と続く熱愛説で瓦解したファンを結集するためには仕方ない選択かもしれないが、イメージ再構築の意図が濃すぎる。結局、「良い曲」が肝心だ。フルアルバムに期待。

 

LION HEART ★★★
2015

 

「The boys」、正確には「Hoot」から始まって特色として位置づけられた難解さが消えた。 ひとまず嬉しい。 騒然となったグループとそれによって生じた大衆の誤解を蚕食するための攻略と見られる。
イントロが「Like a virgin」に似ているという印象を捨てておけば、「Lion heart」は少女時代という名前で出た最近の曲の中で一番素敵だ。 何より複雑に入り混じっていないので後味がさっぱりしている。 電子音ではなくハーモニーで積み上げていくフックは、少女時代がボーカルが弱いグループではないことをもう一度刻印させる。
問題は方向性だ。 独歩的な位置を占めているにもかかわらず、80年代あるいはその前のレトロから最近のEDMの間をさまよいながら彷徨している。 デビュー8年目の合間に、まだ「コンセプト」という仮面をかぶった「適当な色探し」とは。 「今は少女時代、これからも少女時代、永遠に少女時代」が成立するためには、もう方向を定めて定着しなければならない。

 

Holiday ★★★

2017

 

 

10周年を彩るのは大げさなコンセプトではなく、多くの経験から発するユニークな自然さだ。 ブラスが加味された豊かな曲調のトラックの中で、まるで日常で対話をするように声を通じて自分たちのキャラクターと魅力、個性を短い時間内にはっきりと表現している。 歌唱力と消化力は別の領域、歌の実力とは関係なく、コンセプトを理解してポイントをつかむ瞬発力は、ほぼ頂点に達したことを示す曲だ。
以前のタイトル曲に比べて多少平易な感じはあるが、応援のメッセージを渡す友人のような姿こそ、長い間大衆のそばにいたグループの10周年に最もふさわしい。 特別な何もなく「少女時代」というブランド自体で勝負できる時がまさに今なのだ。 年次が積み重なるほど、初期にやっただけの結果を出すためにかけなければならない努力と悩みの大きさはますます大きくなっていくもの。 多くの逆境をたゆまぬ情熱とそれ以上の汗で埋めてきた歳月。大衆の一人として、彼女らの音楽と舞台で楽しかった日々が少なくなかった筆者なので、このレビューを借りて言いたい。 ありがとう、少女時代

 

今回はここまで。

 

おわりCD

 

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こんにちは!

 

今週も出張行脚でヘロヘロのルドルフです!!

 

今週のラー活は👇👇👇

 

 

泊まったホテルの朝食で【どん兵衛】が提供されました🍜

 

 

二日酔いで弱っている胃に染み渡る旨さニヤリ

 

山形出張のお土産を恐妻へプレゼント

 

 

それでは本題へと参りましょう。

 

前回に引き続き、韓国の大衆音楽ウェブマガジン【IZM】を取り上げます。

 

今回は、愛妻テヨンのアルバムレビューです。

 

I -The 1st Mini Album ★★★⯨

2015

 

 

良い結果を掲げてソロキャリアの本格的なスタートを告げる。 アルバムを始めるタイトル曲「I(Feat.バーバルジント)」から印象的だ。 ファン(Fun.)をはじめ、最近多くの海外バンドが駆使するポップロック、アリーナロックフォーマットと共にする組み合わせがバラードOSTを中心にしてきたこれまでの活動では露出しなかった魅力を与えてくれる。 サウンドとボーカルパフォーマンスの相乗効果が特にすごい。 腕力が与える強烈さ、多様な音色が与える華やかさが密度よく結合された。 疾走感のあるピアノロック編曲と力強く出てくる歌唱が高い吸入力と意外性からくる面白さを一度に提供する「Stress」もこの脈絡で一緒に話してみることができる。
スペクトルの多角化がかなり大幅に行われたが、結果物は決してぎこちなくない。 過去、多くのスローテンポナンバーのヒット原動力になった立派なボーカルとキャッチしながらも、形が明確なメロディーが変化を安定的に後押ししているためだ。 「I」と「Stress」は新しい動きと慣れた姿の間で重心をよく取った結果といえる。 むしろ既存のカラーに安全に乗った「UR」と「 先に言って(Farewell)」のようなバラードトラックの注目度が相対的に落ちる。 常套性を脱ぎ捨てる作品全般のスタイリングがあまりにも強烈なためだ。 しかし、アーティスト固有の力量をよく表すと同時に、アルバムにバランスをもたらすという点で、これらのトラックも十分に肯定するに値する。 平凡さが与える物足りなさはそれほど大きくない。
素敵な青写真を提供するという点において、<I>の価値は相当である。 ここには優れたボーカリストとしての才能も含まれており、精一杯広げた活動領域の地形図も含まれている。 これだけではない。 多彩なカラーとバランス感のあるスタンスを一緒に見せているため、作品は本格的な開始を知らせるソロプロジェクトには活力を、アーティストの短くない経歴には転換点を用意してくれるものと見られる。 有能なボーカリストの個人プロジェクトが必須要素として扱われているアイドルシーンで、遵守した先行事例としても残るのに不足はない。

 

My Voice ★★★

2017

 

 

西欧化したビジュアルほどポップの作法を追うアルバムだ。 前のミニアルバムの「Why」とシングル「11:11」でアコースティックギターの運用に対する検証を終えた彼女は、本正規アルバムのタイトル曲「Fine」を通じてアイデンティティを本格的に表わしている。 前哨の感情線をくすぐるストリングソロパートとともに、サビでの激情的なドラムビート、雰囲気を盛り上げる節尾の感嘆詞などは、大衆の好みを完全に体得した形で存在する。 まるで従来のテイラー·スウィフトを連想させるスタイルと展開方式がポップの典型に従っていることを示している。
ポップの構成の下でアイデンティティを獲得した彼だが、同時にそれによって訴求力を失った歌詞が物足りなさを残す。 容易ではない内攻の海外プロデューサーたちが生産したトロピカルハウス、R&B、スイングなど多様なジャンルの曲は完成度の高いサウンドを聞かせることとは別に、各歌の歌詞と調和を成していない。 それぞれ差し入れられた歌詞が旋律と音節の不均衡を招いたのだ。 「I'm OK」の最初の小節「何でもないふりをしても知らないふりをしても」が代表的な例だ。 アルバム全般にわたり時々発見されるこのような未熟な接合は「翻案曲」が連想される。
それにもかかわらず、優れた感想を作り出す根源地は声だ。 「Fine」「날개(Feel So Fine/翼)」などのポップスはもちろん、速いリズム感の「Cover up」、スローテンポバラードの「수채화(水彩画) (Love In Color)」まで。 すべての領域を網羅するオールラウンドボーカルの強みがアルバムタイトル通り<My Voice>の中で発現している。 特にサビでパワフルなボーカルトーンを披露する「Sweet love」が印象的だ。 ただ、この地点でもポップという名目の下、歌詞に韓英混用戦法を忠実に適用したため、韓国の叙情性を完全に感じることは難しい。 それさえもネル(Nell)のキム·ジョンワンがプロデュースした「Time lapse」が韓国的な情緒を内包しているが、過度に「キム·ジョンワン化」したボーカルは不便な既視感を呼び起こす。
今年で10年目を迎える少女時代のリーダーからソロ歌手に生まれ変わったテヨン。 彼女はK-Popを主導するアイドルとして華麗なルックスと優れたボーカルを活用して持続的な成功を続けていく。 ポップ感性を基調にアコースティック·ギターを打ち出した機敏な戦略は、彼女の力量に翼をつけたわけだが、音律の基本的な発音体系を軽視した人為的なメッセージの組み合わせは、ストーリーテリングの人となりを弱めている。

 

This Christmas – Winter is Coming ★★★   

2017

 

 

テヨンはいろんな顔を持っている。 少女時代の中では華やかで硬く見えても、ソロで活動する時は限りなく感性的で流麗になる違いも特別だ。 皆が明るいクリスマスだが、テヨンはアルバムジャケットを黒く満たす。 このアルバムは、チャイムベルとくすぐったいメロディーで作ったキャロルのように、理由もなくときめく年末気分を攻略しない。
태티서/テティソが華麗なクリスマスアルバムを残したとすれば、テヨンは静かで清潔な旋律で満たす。 「This christmas」と「Christmas without you」の中のクリスマスは誰かが去って一人で迎えた瞬間を盛り込む。 落ち着いて歌いながらも、空気を含んで少しザラザラした彼女の歌唱がとても近くに置かれている。 少ない楽器で簡素に構成された「겨울나무 /I`m all ears/冬の木」のような歌も季節の温度を持っている。 バラード曲が全て似たような雰囲気を持っているという限界があるが、一人で埋めたにもかかわらず空白が感じられない。
クリスマスの雰囲気を出す曲もある。 ミュージカル式展開の「Let it snow」は一人でも少女時代の「Holiday」の華やかさを具現し、アイドルとの作業ごとに良い曲で痕跡を刻んできたファン·ヒョンは「Candy cane」で溌剌とした歌詞を書いてくれた。 レトロで演出された装飾を取り除き、過去の태티서/テティソアルバムより馴染みがあり、聞くにも淡泊だ。 雰囲気を盛り上げるために入ったはずの「쉿 (Shhhh)」は、他の収録曲との組み合わせやテヨンのボーカルとも似合わない。
壊れるように走っていく「I」や「why」でテヨンは華麗で素敵な顔で歌う。 一番きらめくアイドルの姿を持っているが「Make me love you」、「11:11」等、最近の曲に行くほど静かさを指向する彼女の素顔が歌に溶け込んでいる。 < My Voice>と<I>のタイトルも自らを向いている。 このアルバムでも、じっくりと染み込む歌詞、そうしているうちに時々気分が良くて口ずさむメロディーが歌手にそっくりな静かなクリスマスを描き出す。

 

Purpose★★★⯨

2017

 

 

可能性と限界、その一端
いつの間にかソロ歌手のイメージが遠くから浮かび上がる。その比較的短期間でアイデンティティを確立することができた理由は、いくつか挙げられる。ひたすら歌手という役割に集中していたこと、ドラマOSTのヒットで人気と存在感を獲得した。加えて、成均やEPが横行する時代に、完成度の高いアルバムで評論家の懸念を払拭したということ、そのような点で、1stアルバム「My Voice」は素晴らしい試みであり、傑出した成果物として評価される。多様なサウンドスケープとそれを柔軟に操る彼女の声、グループ時代の栄光からなかなか抜け出せない彼女らとは異なり、死神と取引を正確に分離しているからだ。
そのような輝かしい前例があったからこそ、「Bulti (Spark)」に少し失望したのも事実だ。エミリー・サンデの「Hurts」とアデルの「Rollin' in the deep」を混ぜたような強いリファレンスが監視されていたからだ。これをはじめ、テイラー・スウィフトやステイシー・オリコなど、様々な英米の女性ポップ・シンガーが頭をよぎる序盤のトラックの中でも、異様に既視感の強いトラックをタイトルに選んだのは、明らかにマイナス要因である。ややダークなムードと中佐を中心とした歌唱も見慣れないので馴染みにくい部分、繰り返し聴きながら声に集中すればするほど、作品の真価が発揮される。強烈なビート中心の曲調を一人で消化し、スペクトルを広げたこと、細やかなボーカル・ディレクションで曲ごとに。小節ごとに異なる運用を見せている点が高い完成度の土台となる。それを一挙に示しているのが「Love you like crazy」だ。序盤からピアノの序音部が強く投げかけるのに、彼もまた歌に力を込め、見事に体を折り曲げて正面からぶつかってくる。サビでは意図的にバイブレーションを抑制し、仮想と現実の交差によって感情の波高を作り出す姿はまさに印象的だ。
より遅いBPMに乗って音質を十分に引き出して皮肉な表情を演出する「하하하(LOL)」、白黒映画を連想させるヴィンテージな伴奏の中で悲恋のヒロインに扮する「Better babe」など、解釈力に基づく感情表現にも長けている。膣政府を假声で処理してより豊かな情緒を誘発した「Wine」カシ、ランニングタイムには歌手の考えと態度がストーリー性を帯びている。単純に曲を受け取って歌うのではなく、発展のきっかけにして再び進化していくという、そんな意気込みだ。
序盤がアグレッシブなアプローチで冒険の旅路を歩んできたのなら、後半は本来の魅力をアピールするミリングタイムだ。ジャズベースの'Do you love me'は、初鑑賞時に特に気に入った曲で、弦楽器セッションと一緒に和気あいあいとした演奏を通して、ジャンル的な音楽にも特化した彼の姿を見ることができる。リズミカルな曲調の下、シティポップと個別を半分ずつ混ぜたようなほのかな感じで来る「City love」は、前述した長所をランタイムの終わりまで維持しながら、堅実な収録曲を生み出している。
早くも多くの成果を収めた彼女だ。 途中で監視される類似性は多少残念だが、それによることなく良い作品を完成したということは、ミューシション自体の力量だけでなく、作業過程での数多くの悩みも伴ったということを意味する。 特に、SMというパフォーマンスグループ中心のコンテンツを企画するところで、ソロ作品を作り上げたことは、若い彼女には拍手喝采を受けるに値する。 ただ、同時に限界も明確に感じられるのも事実だ。
<Purpose>での彼女の力量は明らかに輝いているが、外国の作曲家を通じた無国籍音楽を施行する憲法裁の慣習的なシステムの中で、これ以上良くなる可能性があるためだ。 BoAの「Woman」レビューでも言及したように、固着化したK-farmプロダクションというのは、その名を越えて死神の音楽をしようとする人々にとって、思いがけない障害になることもある。
前作の「Time lapse」や「When I was young」、今回のアルバムの「Do you love me」のように、ソングキャンプ体制から少し外れている曲がもう少し心の中に残っていることを見れば、死神の情事を理由に話すことができる人たちとの協業および疎通こそ、彼女に最も必要なことではないかと思う。 子供たちだから、SMだから受けることができたプロダクションおよびシステムに対する恩恵および助けをしばらく置いて、本人の内面の言語と息遣いが同僚のミュージシャンを含む周辺の人々の助けを受けて解放されるそのような作品に出会うことを願う利己的な欲に気をつけて行ってみる。 それほど遠くないことが分かったと思う。

 

What Do I Call You ★★★

2020

 


6曲という簡素な構成にも明確な変化を持たせている。< Purpose>がスポットライトの下で華やかなアーティストを引き出して「私はこれだけできる」と歌ったのなら、<What Do I Call You>はその対極に立っている。涼しげな鼻先をくすぐる日差しが差し込む場所で一気に書き下ろした日記を綴ったようなこのアルバムは、「これくらいなら問題ない」テヨンを表現している。一言で言えば、多くのものを削ぎ落とした姿だ。
一つは、濃く染み込んだ感情線を排除したことだろう。繊細な表現が凝縮され、適度なタイミングで破裂を起こした過去とは異なり、今回は先行公開曲「Happy」を原流とし、キーワードを単調さで捉える。ほのぼのとしたタイトル「What do I call you」は、甘酸っぱい声のテクスチャーと変奏を抑えたミニマルなビートの調和が秀逸だ。淡々とした音色で一貫しているが、生来の音色が牽引する吸引力は彼の実力を改めて証明する要素だ。
全体的な流れ、特にアコースティック・ギターの落ち着きが共存する「Galaxy」では、独特の悲壮感と壮大なスケールを脱ぎ捨て、ボーカルそのものに忠実であろうとする姿が感じられる。 つまり、SMという巨大なプロモーションから「ある程度」離れている状況。デコレーションを省いたまま流麗に乗り越える歌唱は、やがてアーティストの支えになる。この時、窮屈なムードを壊しながら空気を換気する役割の「들불/Wildfire」を中盤に配置し、退屈する隙を与えないのも満足できる点だ。
ただ、息抜きの段階への落ち着きは、必然的にポップスターの現在進行形と重なってしまう。コンセプト的にはテイラー・スウィフト、音楽的にはアリアナ・グランデの影を感じることがある。例えば、サビのファルセットが際立つ「To the moon」は、アリアナ・グランデの「Positions」の残響が入り込む部分だ。リファレンスに囚われるほどではないが、「テヨン」というブランドが持つ期待が高いだけに、残念さも伴う。
安住することなく、毎回多彩なペルソナを盛り込もうと悩んでいる様子がうかがえる。飾り気と過剰のない'削ぎ落とす'方式でも、感情表現の領域はより広がった「What Do I Call You」は、ベテランと誠実さの合作である。今やどんなジャンルに挑戦しても、無理なく自分の名前を刻んだ旗竿を立てる。全てはさておき、冷たい風が吹く季節に温かい息吹を吹き込む声が深く届くだけでアルバムは生き生きとしたものになる。

 

INVU ★★★⯨

2022

 

 

ギリシャ・ローマ神話の神々は高潔な存在でありながら、嫉妬、疑い、憎しみなど、卑劣な素顔をさらけ出す。月の女神アルテミスに変身した正規3集<INVU>のテヨンも、最も本質的で人間的な感情を掘り下げている。作詞と企画に直接参加したアルバムは、複雑な愛のイメージを十三の短編に細分化し、オムニバス形式を構築した。
前半と後半の感情線のコントラストがはっきりしている。先頭でアルバムをリードする「INVU」は、音幅の小さいボーカルと冷たいフルート旋律で「冷たい嫉妬」という矛盾したイメージを伝える。神話の動物セイレーンのように魅惑的な'Siren'と陰気な808ベースのブレーキをかけた'Cold as hell'まで繊細なボーカルで愛の破滅的な性格を浮かび上がらせる。
感情を吐き出していた語り手は「Timeless」から雰囲気を転換し、相手を抱きしめる。弾けるピアノ旋律の「Heart」と軽快なギターリフを加えた「You better not」も包容の姿勢をとる。ただ、ポップの文法を踏襲する限界を克服できていない。自ら作詞したガレージロック「Can't control myself」にはオリビア・ロドリゴの「Good 4 u」が、「Weekend」にはドジャカットの「Say so」が影を落としている。
最初から最後まで有機的で緻密な設計の下、感情の変化と人格的な成熟を盛り込んでいる。その流れの中で、1stアルバム『My Voice』の清らかな輝きから2ndアルバム『Purpose』のモノトーンまで、過去の胎動も捉えることができる。シングル単位で大成功を収めることもあったが、重層的に積み重ねられた彼女の和音のように、トラック一つ一つが集まって豊かで優雅な月明かりを作る。

 

Letter To Myself ★★★

2024

 

 

テヨンは自我のための支えを音楽で構築する。他者のための応援に集中する少女時代の歌詞とは相反する方向性である。ソロキャリア全体が額縁のように当時のテヨンの心を展示する。アルバム発売当日のライブ放送で「揺れるとき、私を掴んでくれるもの」を問う質問に「私自身が掴んで、私自身が揺れる」と答えた答えが彼女の心理に対するヒントだ。この問いかけがそのままアルバムに盛り込まれ、現在のテヨンをバンドサウンドとR&Bで表現している。
'Letter to myself'は2曲の続編としてその役割を忠実に果たしている。'To.X'の'X'を消してその代わりに自分自身を書き、'私に伝えたい言葉'のようなテーマを違った形で表現し、より強固になった心を表現している。前作で淡々と思いを綴ったのなら、今回はポップロックサウンドの下で、迷わず口にする。 「Hot mess」とインディーズデュオのスウェーデンクリーニング店が作詞した「Blur」なども類似したジャンルでアルバムの結束を助ける。その中でも、その緊密なつながりをしっかりと結びつけているのは、断然テヨンの力強い歌唱だ。
優れた歌唱力に加え、季節感にマッチして輝く「Strangers」と「Disaster」は目覚ましい成果だ。それぞれR&Bとポップロックで「11:11」、「Can't control myself」など、大衆が覚えているテヨンに最も近い。共通点として、彼女が持つ高い表現力が発揮される優れた曲だ。憂鬱な情緒をより染み込ませ、疲れた溜息を生命力のある息吹に変貌させる才能。17年間、ボーカリストとしての地位を確立させた力量である。
このように文句のつけようのない曲集だが、<Purpose>や<INVU>のような正規作に比べれば無難なアルバムであるのも事実だ。<What Do I Call You>から弱体化した力が今まで空席である。多彩なジャンルを行き来していた初期に比べ、3枚のEPが並べて似たような香りを共有している最近の活動は、確かに面白くない。大きなネームバリューに掛かった期待を下げることはないにしても、上げるような作品ではない。
テヨンはシンガーソングライターの専売特許のように思われていた真正性を、作曲家でないにもかかわらず持っていた。必ずしも直接的な表現をしなくても、自分の物語を語ることができることを、この9年間の活動で証明した。どんなに素晴らしい映画を見たとしても、観客は監督の意図通りに動くわけではない。心を揺さぶるには俳優の演技力が必ず伴うものであり、俳優もまた一人の創作者である。自分の色で再構成した真心のこもったテヨンは、いつも鮮明な名シーンを残す。

 

今回はここまで。

 

おわりCD

 

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