こんにちは!
今週も出張行脚でヘロヘロのルドルフです!!
今週のラー活は👇👇👇
泊まったホテルの朝食で【どん兵衛】が提供されました🍜
二日酔いで弱っている胃に染み渡る旨さ
山形出張のお土産を恐妻へ
それでは本題へと参りましょう。
前回に引き続き、韓国の大衆音楽ウェブマガジン【IZM】を取り上げます。
今回は、愛妻テヨンのアルバムレビューです。
I -The 1st Mini Album ★★★⯨
2015
良い結果を掲げてソロキャリアの本格的なスタートを告げる。 アルバムを始めるタイトル曲「I(Feat.バーバルジント)」から印象的だ。 ファン(Fun.)をはじめ、最近多くの海外バンドが駆使するポップロック、アリーナロックフォーマットと共にする組み合わせがバラードOSTを中心にしてきたこれまでの活動では露出しなかった魅力を与えてくれる。 サウンドとボーカルパフォーマンスの相乗効果が特にすごい。 腕力が与える強烈さ、多様な音色が与える華やかさが密度よく結合された。 疾走感のあるピアノロック編曲と力強く出てくる歌唱が高い吸入力と意外性からくる面白さを一度に提供する「Stress」もこの脈絡で一緒に話してみることができる。
スペクトルの多角化がかなり大幅に行われたが、結果物は決してぎこちなくない。 過去、多くのスローテンポナンバーのヒット原動力になった立派なボーカルとキャッチしながらも、形が明確なメロディーが変化を安定的に後押ししているためだ。 「I」と「Stress」は新しい動きと慣れた姿の間で重心をよく取った結果といえる。 むしろ既存のカラーに安全に乗った「UR」と「 先に言って(Farewell)」のようなバラードトラックの注目度が相対的に落ちる。 常套性を脱ぎ捨てる作品全般のスタイリングがあまりにも強烈なためだ。 しかし、アーティスト固有の力量をよく表すと同時に、アルバムにバランスをもたらすという点で、これらのトラックも十分に肯定するに値する。 平凡さが与える物足りなさはそれほど大きくない。
素敵な青写真を提供するという点において、<I>の価値は相当である。 ここには優れたボーカリストとしての才能も含まれており、精一杯広げた活動領域の地形図も含まれている。 これだけではない。 多彩なカラーとバランス感のあるスタンスを一緒に見せているため、作品は本格的な開始を知らせるソロプロジェクトには活力を、アーティストの短くない経歴には転換点を用意してくれるものと見られる。 有能なボーカリストの個人プロジェクトが必須要素として扱われているアイドルシーンで、遵守した先行事例としても残るのに不足はない。
My Voice ★★★
2017
西欧化したビジュアルほどポップの作法を追うアルバムだ。 前のミニアルバムの「Why」とシングル「11:11」でアコースティックギターの運用に対する検証を終えた彼女は、本正規アルバムのタイトル曲「Fine」を通じてアイデンティティを本格的に表わしている。 前哨の感情線をくすぐるストリングソロパートとともに、サビでの激情的なドラムビート、雰囲気を盛り上げる節尾の感嘆詞などは、大衆の好みを完全に体得した形で存在する。 まるで従来のテイラー·スウィフトを連想させるスタイルと展開方式がポップの典型に従っていることを示している。
ポップの構成の下でアイデンティティを獲得した彼だが、同時にそれによって訴求力を失った歌詞が物足りなさを残す。 容易ではない内攻の海外プロデューサーたちが生産したトロピカルハウス、R&B、スイングなど多様なジャンルの曲は完成度の高いサウンドを聞かせることとは別に、各歌の歌詞と調和を成していない。 それぞれ差し入れられた歌詞が旋律と音節の不均衡を招いたのだ。 「I'm OK」の最初の小節「何でもないふりをしても知らないふりをしても」が代表的な例だ。 アルバム全般にわたり時々発見されるこのような未熟な接合は「翻案曲」が連想される。
それにもかかわらず、優れた感想を作り出す根源地は声だ。 「Fine」「날개(Feel So Fine/翼)」などのポップスはもちろん、速いリズム感の「Cover up」、スローテンポバラードの「수채화(水彩画) (Love In Color)」まで。 すべての領域を網羅するオールラウンドボーカルの強みがアルバムタイトル通り<My Voice>の中で発現している。 特にサビでパワフルなボーカルトーンを披露する「Sweet love」が印象的だ。 ただ、この地点でもポップという名目の下、歌詞に韓英混用戦法を忠実に適用したため、韓国の叙情性を完全に感じることは難しい。 それさえもネル(Nell)のキム·ジョンワンがプロデュースした「Time lapse」が韓国的な情緒を内包しているが、過度に「キム·ジョンワン化」したボーカルは不便な既視感を呼び起こす。
今年で10年目を迎える少女時代のリーダーからソロ歌手に生まれ変わったテヨン。 彼女はK-Popを主導するアイドルとして華麗なルックスと優れたボーカルを活用して持続的な成功を続けていく。 ポップ感性を基調にアコースティック·ギターを打ち出した機敏な戦略は、彼女の力量に翼をつけたわけだが、音律の基本的な発音体系を軽視した人為的なメッセージの組み合わせは、ストーリーテリングの人となりを弱めている。
This Christmas – Winter is Coming ★★★
2017
テヨンはいろんな顔を持っている。 少女時代の中では華やかで硬く見えても、ソロで活動する時は限りなく感性的で流麗になる違いも特別だ。 皆が明るいクリスマスだが、テヨンはアルバムジャケットを黒く満たす。 このアルバムは、チャイムベルとくすぐったいメロディーで作ったキャロルのように、理由もなくときめく年末気分を攻略しない。
태티서/テティソが華麗なクリスマスアルバムを残したとすれば、テヨンは静かで清潔な旋律で満たす。 「This christmas」と「Christmas without you」の中のクリスマスは誰かが去って一人で迎えた瞬間を盛り込む。 落ち着いて歌いながらも、空気を含んで少しザラザラした彼女の歌唱がとても近くに置かれている。 少ない楽器で簡素に構成された「겨울나무 /I`m all ears/冬の木」のような歌も季節の温度を持っている。 バラード曲が全て似たような雰囲気を持っているという限界があるが、一人で埋めたにもかかわらず空白が感じられない。
クリスマスの雰囲気を出す曲もある。 ミュージカル式展開の「Let it snow」は一人でも少女時代の「Holiday」の華やかさを具現し、アイドルとの作業ごとに良い曲で痕跡を刻んできたファン·ヒョンは「Candy cane」で溌剌とした歌詞を書いてくれた。 レトロで演出された装飾を取り除き、過去の태티서/テティソアルバムより馴染みがあり、聞くにも淡泊だ。 雰囲気を盛り上げるために入ったはずの「쉿 (Shhhh)」は、他の収録曲との組み合わせやテヨンのボーカルとも似合わない。
壊れるように走っていく「I」や「why」でテヨンは華麗で素敵な顔で歌う。 一番きらめくアイドルの姿を持っているが「Make me love you」、「11:11」等、最近の曲に行くほど静かさを指向する彼女の素顔が歌に溶け込んでいる。 < My Voice>と<I>のタイトルも自らを向いている。 このアルバムでも、じっくりと染み込む歌詞、そうしているうちに時々気分が良くて口ずさむメロディーが歌手にそっくりな静かなクリスマスを描き出す。
Purpose★★★⯨
2017
可能性と限界、その一端
いつの間にかソロ歌手のイメージが遠くから浮かび上がる。その比較的短期間でアイデンティティを確立することができた理由は、いくつか挙げられる。ひたすら歌手という役割に集中していたこと、ドラマOSTのヒットで人気と存在感を獲得した。加えて、成均やEPが横行する時代に、完成度の高いアルバムで評論家の懸念を払拭したということ、そのような点で、1stアルバム「My Voice」は素晴らしい試みであり、傑出した成果物として評価される。多様なサウンドスケープとそれを柔軟に操る彼女の声、グループ時代の栄光からなかなか抜け出せない彼女らとは異なり、死神と取引を正確に分離しているからだ。
そのような輝かしい前例があったからこそ、「Bulti (Spark)」に少し失望したのも事実だ。エミリー・サンデの「Hurts」とアデルの「Rollin' in the deep」を混ぜたような強いリファレンスが監視されていたからだ。これをはじめ、テイラー・スウィフトやステイシー・オリコなど、様々な英米の女性ポップ・シンガーが頭をよぎる序盤のトラックの中でも、異様に既視感の強いトラックをタイトルに選んだのは、明らかにマイナス要因である。ややダークなムードと中佐を中心とした歌唱も見慣れないので馴染みにくい部分、繰り返し聴きながら声に集中すればするほど、作品の真価が発揮される。強烈なビート中心の曲調を一人で消化し、スペクトルを広げたこと、細やかなボーカル・ディレクションで曲ごとに。小節ごとに異なる運用を見せている点が高い完成度の土台となる。それを一挙に示しているのが「Love you like crazy」だ。序盤からピアノの序音部が強く投げかけるのに、彼もまた歌に力を込め、見事に体を折り曲げて正面からぶつかってくる。サビでは意図的にバイブレーションを抑制し、仮想と現実の交差によって感情の波高を作り出す姿はまさに印象的だ。
より遅いBPMに乗って音質を十分に引き出して皮肉な表情を演出する「하하하(LOL)」、白黒映画を連想させるヴィンテージな伴奏の中で悲恋のヒロインに扮する「Better babe」など、解釈力に基づく感情表現にも長けている。膣政府を假声で処理してより豊かな情緒を誘発した「Wine」カシ、ランニングタイムには歌手の考えと態度がストーリー性を帯びている。単純に曲を受け取って歌うのではなく、発展のきっかけにして再び進化していくという、そんな意気込みだ。
序盤がアグレッシブなアプローチで冒険の旅路を歩んできたのなら、後半は本来の魅力をアピールするミリングタイムだ。ジャズベースの'Do you love me'は、初鑑賞時に特に気に入った曲で、弦楽器セッションと一緒に和気あいあいとした演奏を通して、ジャンル的な音楽にも特化した彼の姿を見ることができる。リズミカルな曲調の下、シティポップと個別を半分ずつ混ぜたようなほのかな感じで来る「City love」は、前述した長所をランタイムの終わりまで維持しながら、堅実な収録曲を生み出している。
早くも多くの成果を収めた彼女だ。 途中で監視される類似性は多少残念だが、それによることなく良い作品を完成したということは、ミューシション自体の力量だけでなく、作業過程での数多くの悩みも伴ったということを意味する。 特に、SMというパフォーマンスグループ中心のコンテンツを企画するところで、ソロ作品を作り上げたことは、若い彼女には拍手喝采を受けるに値する。 ただ、同時に限界も明確に感じられるのも事実だ。
<Purpose>での彼女の力量は明らかに輝いているが、外国の作曲家を通じた無国籍音楽を施行する憲法裁の慣習的なシステムの中で、これ以上良くなる可能性があるためだ。 BoAの「Woman」レビューでも言及したように、固着化したK-farmプロダクションというのは、その名を越えて死神の音楽をしようとする人々にとって、思いがけない障害になることもある。
前作の「Time lapse」や「When I was young」、今回のアルバムの「Do you love me」のように、ソングキャンプ体制から少し外れている曲がもう少し心の中に残っていることを見れば、死神の情事を理由に話すことができる人たちとの協業および疎通こそ、彼女に最も必要なことではないかと思う。 子供たちだから、SMだから受けることができたプロダクションおよびシステムに対する恩恵および助けをしばらく置いて、本人の内面の言語と息遣いが同僚のミュージシャンを含む周辺の人々の助けを受けて解放されるそのような作品に出会うことを願う利己的な欲に気をつけて行ってみる。 それほど遠くないことが分かったと思う。
What Do I Call You ★★★
2020
6曲という簡素な構成にも明確な変化を持たせている。< Purpose>がスポットライトの下で華やかなアーティストを引き出して「私はこれだけできる」と歌ったのなら、<What Do I Call You>はその対極に立っている。涼しげな鼻先をくすぐる日差しが差し込む場所で一気に書き下ろした日記を綴ったようなこのアルバムは、「これくらいなら問題ない」テヨンを表現している。一言で言えば、多くのものを削ぎ落とした姿だ。
一つは、濃く染み込んだ感情線を排除したことだろう。繊細な表現が凝縮され、適度なタイミングで破裂を起こした過去とは異なり、今回は先行公開曲「Happy」を原流とし、キーワードを単調さで捉える。ほのぼのとしたタイトル「What do I call you」は、甘酸っぱい声のテクスチャーと変奏を抑えたミニマルなビートの調和が秀逸だ。淡々とした音色で一貫しているが、生来の音色が牽引する吸引力は彼の実力を改めて証明する要素だ。
全体的な流れ、特にアコースティック・ギターの落ち着きが共存する「Galaxy」では、独特の悲壮感と壮大なスケールを脱ぎ捨て、ボーカルそのものに忠実であろうとする姿が感じられる。 つまり、SMという巨大なプロモーションから「ある程度」離れている状況。デコレーションを省いたまま流麗に乗り越える歌唱は、やがてアーティストの支えになる。この時、窮屈なムードを壊しながら空気を換気する役割の「들불/Wildfire」を中盤に配置し、退屈する隙を与えないのも満足できる点だ。
ただ、息抜きの段階への落ち着きは、必然的にポップスターの現在進行形と重なってしまう。コンセプト的にはテイラー・スウィフト、音楽的にはアリアナ・グランデの影を感じることがある。例えば、サビのファルセットが際立つ「To the moon」は、アリアナ・グランデの「Positions」の残響が入り込む部分だ。リファレンスに囚われるほどではないが、「テヨン」というブランドが持つ期待が高いだけに、残念さも伴う。
安住することなく、毎回多彩なペルソナを盛り込もうと悩んでいる様子がうかがえる。飾り気と過剰のない'削ぎ落とす'方式でも、感情表現の領域はより広がった「What Do I Call You」は、ベテランと誠実さの合作である。今やどんなジャンルに挑戦しても、無理なく自分の名前を刻んだ旗竿を立てる。全てはさておき、冷たい風が吹く季節に温かい息吹を吹き込む声が深く届くだけでアルバムは生き生きとしたものになる。
INVU ★★★⯨
2022
ギリシャ・ローマ神話の神々は高潔な存在でありながら、嫉妬、疑い、憎しみなど、卑劣な素顔をさらけ出す。月の女神アルテミスに変身した正規3集<INVU>のテヨンも、最も本質的で人間的な感情を掘り下げている。作詞と企画に直接参加したアルバムは、複雑な愛のイメージを十三の短編に細分化し、オムニバス形式を構築した。
前半と後半の感情線のコントラストがはっきりしている。先頭でアルバムをリードする「INVU」は、音幅の小さいボーカルと冷たいフルート旋律で「冷たい嫉妬」という矛盾したイメージを伝える。神話の動物セイレーンのように魅惑的な'Siren'と陰気な808ベースのブレーキをかけた'Cold as hell'まで繊細なボーカルで愛の破滅的な性格を浮かび上がらせる。
感情を吐き出していた語り手は「Timeless」から雰囲気を転換し、相手を抱きしめる。弾けるピアノ旋律の「Heart」と軽快なギターリフを加えた「You better not」も包容の姿勢をとる。ただ、ポップの文法を踏襲する限界を克服できていない。自ら作詞したガレージロック「Can't control myself」にはオリビア・ロドリゴの「Good 4 u」が、「Weekend」にはドジャカットの「Say so」が影を落としている。
最初から最後まで有機的で緻密な設計の下、感情の変化と人格的な成熟を盛り込んでいる。その流れの中で、1stアルバム『My Voice』の清らかな輝きから2ndアルバム『Purpose』のモノトーンまで、過去の胎動も捉えることができる。シングル単位で大成功を収めることもあったが、重層的に積み重ねられた彼女の和音のように、トラック一つ一つが集まって豊かで優雅な月明かりを作る。
Letter To Myself ★★★
2024
テヨンは自我のための支えを音楽で構築する。他者のための応援に集中する少女時代の歌詞とは相反する方向性である。ソロキャリア全体が額縁のように当時のテヨンの心を展示する。アルバム発売当日のライブ放送で「揺れるとき、私を掴んでくれるもの」を問う質問に「私自身が掴んで、私自身が揺れる」と答えた答えが彼女の心理に対するヒントだ。この問いかけがそのままアルバムに盛り込まれ、現在のテヨンをバンドサウンドとR&Bで表現している。
'Letter to myself'は2曲の続編としてその役割を忠実に果たしている。'To.X'の'X'を消してその代わりに自分自身を書き、'私に伝えたい言葉'のようなテーマを違った形で表現し、より強固になった心を表現している。前作で淡々と思いを綴ったのなら、今回はポップロックサウンドの下で、迷わず口にする。 「Hot mess」とインディーズデュオのスウェーデンクリーニング店が作詞した「Blur」なども類似したジャンルでアルバムの結束を助ける。その中でも、その緊密なつながりをしっかりと結びつけているのは、断然テヨンの力強い歌唱だ。
優れた歌唱力に加え、季節感にマッチして輝く「Strangers」と「Disaster」は目覚ましい成果だ。それぞれR&Bとポップロックで「11:11」、「Can't control myself」など、大衆が覚えているテヨンに最も近い。共通点として、彼女が持つ高い表現力が発揮される優れた曲だ。憂鬱な情緒をより染み込ませ、疲れた溜息を生命力のある息吹に変貌させる才能。17年間、ボーカリストとしての地位を確立させた力量である。
このように文句のつけようのない曲集だが、<Purpose>や<INVU>のような正規作に比べれば無難なアルバムであるのも事実だ。<What Do I Call You>から弱体化した力が今まで空席である。多彩なジャンルを行き来していた初期に比べ、3枚のEPが並べて似たような香りを共有している最近の活動は、確かに面白くない。大きなネームバリューに掛かった期待を下げることはないにしても、上げるような作品ではない。
テヨンはシンガーソングライターの専売特許のように思われていた真正性を、作曲家でないにもかかわらず持っていた。必ずしも直接的な表現をしなくても、自分の物語を語ることができることを、この9年間の活動で証明した。どんなに素晴らしい映画を見たとしても、観客は監督の意図通りに動くわけではない。心を揺さぶるには俳優の演技力が必ず伴うものであり、俳優もまた一人の創作者である。自分の色で再構成した真心のこもったテヨンは、いつも鮮明な名シーンを残す。
今回はここまで。
おわり
※画像・映像・文書文言等は引用をさせて頂いております。
肖像権・著作権等の権利は、すべて各権利保有者に帰属します。
営利目的は全く無く、 権利侵害の意図も全くございません。
ご連絡頂ければ即座に対応いたします。
よろしければ👇ポチッとお願い申し上げます
にほんブログ村