第一週ゴール前
やっと1週間終わったーー
立ち上がり休みぼけがひどくて出社拒否しそうだったのが
年明け早々しびれるオーダー。
しかも媒体担当替わったばっかり。
目ェ覚めた。
今日夕方、なんとか着地。
なんやゴール前でシュートしまくってるイメージが
とれないよ。
来週は原稿にかかりきりでっす。
新年から幸先いい!
追;しかし打ち合わせから戻って、
待ちかまえてた同僚の顔みる感じ、超~いい。
ありがとうございました。
立ち上がり休みぼけがひどくて出社拒否しそうだったのが
年明け早々しびれるオーダー。
しかも媒体担当替わったばっかり。
目ェ覚めた。
今日夕方、なんとか着地。
なんやゴール前でシュートしまくってるイメージが
とれないよ。
来週は原稿にかかりきりでっす。
新年から幸先いい!
追;しかし打ち合わせから戻って、
待ちかまえてた同僚の顔みる感じ、超~いい。
ありがとうございました。
瞬発力
今年の隠れテーマは滅私奉公、じゃなかった
まわりにこれまで世話になったぶん還元(あ、御恩奉公?)なのですが。
夏から隣にいる新人。この子どうしよう…
特に教育係って訳じゃないけども、年齢は近い。
そして昨年後半はむしろ私が助けて欲しい的てんてこまいやったので
ほぼ放置状態で。
ほっといても自分であがいてみるタイプもいるけど、
どうも違う…
一年目なんやから、なんもできなくとも
にこにこしてたり愛されるだけで合格点なんやけども、
うちの同期に言わせると、
「あいつ、わりと童顔だし可愛がられそうな雰囲気なんだけど
喋るとなんか苛つくんだよなー」
・・って。(悩)
何が原因?
うーん、、あんまりネガティブなことは言いたくないけど
謙虚さに欠ける感じはするな…
(でも若さってゴウマンさ?)
でまあ、今年はちょいちょい口出ししたほうがいいかなあ
と思っているのだけども、
(後輩がデキたほうが私も楽やし。)
そんときの反省。
目の前で新人くんが無意識に失言したときとかの話なんやけど。
悪気なく失礼なことを言っちゃったり、
仕事ナメてんのか的学生ノリがでちゃうことが
まあ、ある。※そろそろ無くならなきゃヤバい時期ですよ
それが出たときに私も私で、その場ですぐに指摘せずに
(あれっ、いまコイツ変なこと言わんかったか??)
って胸の中で保留して、そのあと何度か反芻して反芻して、
(やっぱ、さっきのナシだよなあ…)
ってなるんやけども、時すでに遅し。
事件発生から数時間経っちゃってたりするんだよね。
そうすっと今さら蒸し返してもなー
と思うし後から注意されても腹立つやろ。
その場が一番受け入れやすいから
なんとしてでもその場で「いい/わるい」の判断をして
「おかしいでしょ、今の。」
って言えないとなーー
としみじみ思うのです。
なんですぐ言えないんやろ。
今でもカンタンなことならすぐ突っ込める。
着座の順番やら、目上に電話折り返させるなとかね。
そういうのはカタチとして決まってるから。
そうじゃないもうちょっと細かな注意がソッコーでできないのは
たぶん私のなかにも明確な基準がないから
判断が遅くなるのだと思う。
ようは、私もぜんぜんだな、と。
あとなんつか。
褒められがちに接して伸びるのと、
脅されがちで伸びるのといろいろあると思うんだけど
正直どっちかよくわからん。
なやむねーー
(ちなみに私は目的をはっきりさせると頑張るタイプ
)
まわりにこれまで世話になったぶん還元(あ、御恩奉公?)なのですが。
夏から隣にいる新人。この子どうしよう…
特に教育係って訳じゃないけども、年齢は近い。
そして昨年後半はむしろ私が助けて欲しい的てんてこまいやったので
ほぼ放置状態で。
ほっといても自分であがいてみるタイプもいるけど、
どうも違う…
一年目なんやから、なんもできなくとも
にこにこしてたり愛されるだけで合格点なんやけども、
うちの同期に言わせると、
「あいつ、わりと童顔だし可愛がられそうな雰囲気なんだけど
喋るとなんか苛つくんだよなー」
・・って。(悩)
何が原因?
うーん、、あんまりネガティブなことは言いたくないけど
謙虚さに欠ける感じはするな…
(でも若さってゴウマンさ?)
でまあ、今年はちょいちょい口出ししたほうがいいかなあ
と思っているのだけども、
(後輩がデキたほうが私も楽やし。)
そんときの反省。
目の前で新人くんが無意識に失言したときとかの話なんやけど。
悪気なく失礼なことを言っちゃったり、
仕事ナメてんのか的学生ノリがでちゃうことが
まあ、ある。※そろそろ無くならなきゃヤバい時期ですよ
それが出たときに私も私で、その場ですぐに指摘せずに
(あれっ、いまコイツ変なこと言わんかったか??)
って胸の中で保留して、そのあと何度か反芻して反芻して、
(やっぱ、さっきのナシだよなあ…)
ってなるんやけども、時すでに遅し。
事件発生から数時間経っちゃってたりするんだよね。
そうすっと今さら蒸し返してもなー
と思うし後から注意されても腹立つやろ。
その場が一番受け入れやすいから
なんとしてでもその場で「いい/わるい」の判断をして
「おかしいでしょ、今の。」
って言えないとなーー
としみじみ思うのです。
なんですぐ言えないんやろ。
今でもカンタンなことならすぐ突っ込める。
着座の順番やら、目上に電話折り返させるなとかね。
そういうのはカタチとして決まってるから。
そうじゃないもうちょっと細かな注意がソッコーでできないのは
たぶん私のなかにも明確な基準がないから
判断が遅くなるのだと思う。
ようは、私もぜんぜんだな、と。
あとなんつか。
褒められがちに接して伸びるのと、
脅されがちで伸びるのといろいろあると思うんだけど
正直どっちかよくわからん。
なやむねーー
(ちなみに私は目的をはっきりさせると頑張るタイプ
)うたかた

田辺聖子さんの著作の復刊が続いています。
講談社文庫からでたこの本は、
なんと田辺さんのデビュー作「虹」を含む短編集。
これを旅行の移動時間にちびちび読んでました。
短編集、作家さんを問わず大好き。
短いぶんあれこれ自分で埋める余地が多い気がするし、
なにより私は物語を一回読んだだけでは覚えられないのです。

一回読んだ作品のあらすじを後になってすらすら言える人を尊敬。
どんなに素敵な作品でも1ヶ月後には何も思い出せないのです、昔から。
経済的だけど、あほかもしれぬ。
さておき。
田辺さんのお話に出てくる人は
どの人も総じて気持ちのいいひとばかりです。
とても情けが深いけれども一方でからりとしている。
あのじわっとする感じはこの文章のどこに閉まってあるのかと
丹念に読んでみると意外とハッキリ文字で言ってるのに
それがすっとはいってさばさばと感ぜられるのも不思議だなー。
デビュー作「虹」は、足に障害のある女の子の実らない恋の話。
けんか腰で職場を離れたものの、年老いた母親と二人暮らしの息苦しさ、
再就職の不安、自由にならない自分の体への苛立ち、
そのなかで彼との距離がどんどん遠くなる…
といった心の揺れが手に取るように写し取られています。
でも最後には私も幸せになるんだ、頑張るわ、と締めくくるんだから
田辺聖子ワールドの登場人物は足腰が強い。
読んでてかなしい恋ばかりなんやけども、読み終えてすっきりする。(しかも短い)
話変わるけど、島田洋七さんがテレビで
「最近のやつはやれストレスだなんだっていうけども違う、我慢が足りんだけや。」って言ってたのが痛快でした。
大阪やっぱいいなあ~さばけてて・・って違うか。
--------------------
田辺聖子
悩む力
読了。
じわじわ売れて50万部突破らしいです。
新書でハーフミリオン・・すごいす・・・

中身はなんだか大学の講義みたいでした。
大学は政治学科やったので、そもそも姜尚中さんは
そのつながりで気になっていたのです。
こんな教授いたら楽しいやろなー
ハンサムでかつ自分の意見をずばと言う。
世間の出来事を先生どう見てるかな?と毎週楽しみにしそうな教授。
前半は、普段使わない言葉が多いので
ちょっと読みづらい。
トピックスが姜先生の専門分野に近いぶん
肩に力が入ってるのかもしれません。
19世紀末から20世紀初頭の漱石・ウェーバー時代と
100年後の現在の状況が意外に似てるという気づきから入って、
漱石・ウェーバーといった名士でも神経衰弱になるほど自我と向き合い
(つまり悩み、)思索を深めていったこと…「自我」。
マネーゲームの様相になってしまった現在の資本主義を
成り立ちからひもとく「お金」にまつわるあれこれ。
情報が溢れているようでいて、
そのどれもが断片的で恣意的(勝手、脈絡のない)な現代は
誰もが「知っているつもり」で退化してるのでは?
などなど。
とりわけ1つめ「自我」の章は、姜先生の生い立ちにも触れています。
(姜尚中さんは在日2世で、大学まで永野鉄男という日本名でした。)
後半は慣れてきたのか、(私も)
トピックスがより具体的なのもあってぐっと読みやすい。加速度的読書。
ちなみに
「青春」…意味を求めるのが青春、若さだ。
「信じる者は救われるか」…スピリチュアルブームの心理。
「なぜ働くのか」…働いて一人前、は他者からのアテンションありき。
「不変の愛はあるのか」…自由が愛を妨げる。
「なぜ死んではいけないか」…生きている意味が見つからない=見つければ生きられる。
と続きます。
今回一番の収穫は「なぜ働くか」のくだりで、
「なぜブログが蔓延してるか」がすこし分かった気がしたこと。
※本の内容とは一切関係ナイけど
なんというか、ここもそうなんだけども
ブログって誰に対して話してるのか、
それとも独り言に過ぎないのか
立ち位置のビミョーなメディアなのだけども、
一方でその曖昧さが便利だったりもして
ここまで伸びたということもありそうだけども。
それはつまりひとの生き甲斐にまでつながってしまう話。
人間の行為の一番底にあるものは、
誰かに自分の存在を認めてもらったり受け入れて欲しいということに尽きて、
だからこそ「働く」ことに意義があったり、
ブログも特定の誰かに伝えたいという以前に
誰でもいいから(それこそ自分のなかの自分でも)
何かはきだしたものを受け止めてほしい
ってすごい根っこの欲求と繋がってんねや。
そして日記との違いは、
不特定多数にオープンにすることで
かすかでも誰かと繋がれる可能性を生かせることと、
もし拒否されたとしても「あなたに言ってるつもりはありません」
てリーサルウェポン的自己弁護が
できることやろか。
本としては、全般に各トピックスについて
さらりと端的に触れているので
いっこいっこをもうすこし掘りさげてほしい感もあるのですが
なんか高校生とか、大学1年生がウィキペディア引き引き
読むとよさそーー!
そして大学入試現代文とかに出そーー!
と、思った次第。
それにしても、学生時代にもっと古典と呼ばれるものを
読んでおけばよかったと思います。
ウェーバーどころか、漱石すら全然読んでません。
でも今だから理解できるのかも。
遅くないかも…。
じわじわ売れて50万部突破らしいです。
新書でハーフミリオン・・すごいす・・・

中身はなんだか大学の講義みたいでした。
大学は政治学科やったので、そもそも姜尚中さんは
そのつながりで気になっていたのです。
こんな教授いたら楽しいやろなー
ハンサムでかつ自分の意見をずばと言う。
世間の出来事を先生どう見てるかな?と毎週楽しみにしそうな教授。
前半は、普段使わない言葉が多いので
ちょっと読みづらい。
トピックスが姜先生の専門分野に近いぶん
肩に力が入ってるのかもしれません。
19世紀末から20世紀初頭の漱石・ウェーバー時代と
100年後の現在の状況が意外に似てるという気づきから入って、
漱石・ウェーバーといった名士でも神経衰弱になるほど自我と向き合い
(つまり悩み、)思索を深めていったこと…「自我」。
マネーゲームの様相になってしまった現在の資本主義を
成り立ちからひもとく「お金」にまつわるあれこれ。
情報が溢れているようでいて、
そのどれもが断片的で恣意的(勝手、脈絡のない)な現代は
誰もが「知っているつもり」で退化してるのでは?
などなど。
とりわけ1つめ「自我」の章は、姜先生の生い立ちにも触れています。
(姜尚中さんは在日2世で、大学まで永野鉄男という日本名でした。)
後半は慣れてきたのか、(私も)
トピックスがより具体的なのもあってぐっと読みやすい。加速度的読書。
ちなみに
「青春」…意味を求めるのが青春、若さだ。
「信じる者は救われるか」…スピリチュアルブームの心理。
「なぜ働くのか」…働いて一人前、は他者からのアテンションありき。
「不変の愛はあるのか」…自由が愛を妨げる。
「なぜ死んではいけないか」…生きている意味が見つからない=見つければ生きられる。
と続きます。
今回一番の収穫は「なぜ働くか」のくだりで、
「なぜブログが蔓延してるか」がすこし分かった気がしたこと。
※本の内容とは一切関係ナイけど
なんというか、ここもそうなんだけども
ブログって誰に対して話してるのか、
それとも独り言に過ぎないのか
立ち位置のビミョーなメディアなのだけども、
一方でその曖昧さが便利だったりもして
ここまで伸びたということもありそうだけども。
それはつまりひとの生き甲斐にまでつながってしまう話。
人間の行為の一番底にあるものは、
誰かに自分の存在を認めてもらったり受け入れて欲しいということに尽きて、
だからこそ「働く」ことに意義があったり、
ブログも特定の誰かに伝えたいという以前に
誰でもいいから(それこそ自分のなかの自分でも)
何かはきだしたものを受け止めてほしい
ってすごい根っこの欲求と繋がってんねや。
そして日記との違いは、
不特定多数にオープンにすることで
かすかでも誰かと繋がれる可能性を生かせることと、
もし拒否されたとしても「あなたに言ってるつもりはありません」
てリーサルウェポン的自己弁護が
できることやろか。
本としては、全般に各トピックスについて
さらりと端的に触れているので
いっこいっこをもうすこし掘りさげてほしい感もあるのですが
なんか高校生とか、大学1年生がウィキペディア引き引き
読むとよさそーー!
そして大学入試現代文とかに出そーー!
と、思った次第。
それにしても、学生時代にもっと古典と呼ばれるものを
読んでおけばよかったと思います。
ウェーバーどころか、漱石すら全然読んでません。
でも今だから理解できるのかも。
遅くないかも…。

