悩む力
読了。
じわじわ売れて50万部突破らしいです。
新書でハーフミリオン・・すごいす・・・

中身はなんだか大学の講義みたいでした。
大学は政治学科やったので、そもそも姜尚中さんは
そのつながりで気になっていたのです。
こんな教授いたら楽しいやろなー
ハンサムでかつ自分の意見をずばと言う。
世間の出来事を先生どう見てるかな?と毎週楽しみにしそうな教授。
前半は、普段使わない言葉が多いので
ちょっと読みづらい。
トピックスが姜先生の専門分野に近いぶん
肩に力が入ってるのかもしれません。
19世紀末から20世紀初頭の漱石・ウェーバー時代と
100年後の現在の状況が意外に似てるという気づきから入って、
漱石・ウェーバーといった名士でも神経衰弱になるほど自我と向き合い
(つまり悩み、)思索を深めていったこと…「自我」。
マネーゲームの様相になってしまった現在の資本主義を
成り立ちからひもとく「お金」にまつわるあれこれ。
情報が溢れているようでいて、
そのどれもが断片的で恣意的(勝手、脈絡のない)な現代は
誰もが「知っているつもり」で退化してるのでは?
などなど。
とりわけ1つめ「自我」の章は、姜先生の生い立ちにも触れています。
(姜尚中さんは在日2世で、大学まで永野鉄男という日本名でした。)
後半は慣れてきたのか、(私も)
トピックスがより具体的なのもあってぐっと読みやすい。加速度的読書。
ちなみに
「青春」…意味を求めるのが青春、若さだ。
「信じる者は救われるか」…スピリチュアルブームの心理。
「なぜ働くのか」…働いて一人前、は他者からのアテンションありき。
「不変の愛はあるのか」…自由が愛を妨げる。
「なぜ死んではいけないか」…生きている意味が見つからない=見つければ生きられる。
と続きます。
今回一番の収穫は「なぜ働くか」のくだりで、
「なぜブログが蔓延してるか」がすこし分かった気がしたこと。
※本の内容とは一切関係ナイけど
なんというか、ここもそうなんだけども
ブログって誰に対して話してるのか、
それとも独り言に過ぎないのか
立ち位置のビミョーなメディアなのだけども、
一方でその曖昧さが便利だったりもして
ここまで伸びたということもありそうだけども。
それはつまりひとの生き甲斐にまでつながってしまう話。
人間の行為の一番底にあるものは、
誰かに自分の存在を認めてもらったり受け入れて欲しいということに尽きて、
だからこそ「働く」ことに意義があったり、
ブログも特定の誰かに伝えたいという以前に
誰でもいいから(それこそ自分のなかの自分でも)
何かはきだしたものを受け止めてほしい
ってすごい根っこの欲求と繋がってんねや。
そして日記との違いは、
不特定多数にオープンにすることで
かすかでも誰かと繋がれる可能性を生かせることと、
もし拒否されたとしても「あなたに言ってるつもりはありません」
てリーサルウェポン的自己弁護が
できることやろか。
本としては、全般に各トピックスについて
さらりと端的に触れているので
いっこいっこをもうすこし掘りさげてほしい感もあるのですが
なんか高校生とか、大学1年生がウィキペディア引き引き
読むとよさそーー!
そして大学入試現代文とかに出そーー!
と、思った次第。
それにしても、学生時代にもっと古典と呼ばれるものを
読んでおけばよかったと思います。
ウェーバーどころか、漱石すら全然読んでません。
でも今だから理解できるのかも。
遅くないかも…。
じわじわ売れて50万部突破らしいです。
新書でハーフミリオン・・すごいす・・・

中身はなんだか大学の講義みたいでした。
大学は政治学科やったので、そもそも姜尚中さんは
そのつながりで気になっていたのです。
こんな教授いたら楽しいやろなー
ハンサムでかつ自分の意見をずばと言う。
世間の出来事を先生どう見てるかな?と毎週楽しみにしそうな教授。
前半は、普段使わない言葉が多いので
ちょっと読みづらい。
トピックスが姜先生の専門分野に近いぶん
肩に力が入ってるのかもしれません。
19世紀末から20世紀初頭の漱石・ウェーバー時代と
100年後の現在の状況が意外に似てるという気づきから入って、
漱石・ウェーバーといった名士でも神経衰弱になるほど自我と向き合い
(つまり悩み、)思索を深めていったこと…「自我」。
マネーゲームの様相になってしまった現在の資本主義を
成り立ちからひもとく「お金」にまつわるあれこれ。
情報が溢れているようでいて、
そのどれもが断片的で恣意的(勝手、脈絡のない)な現代は
誰もが「知っているつもり」で退化してるのでは?
などなど。
とりわけ1つめ「自我」の章は、姜先生の生い立ちにも触れています。
(姜尚中さんは在日2世で、大学まで永野鉄男という日本名でした。)
後半は慣れてきたのか、(私も)
トピックスがより具体的なのもあってぐっと読みやすい。加速度的読書。
ちなみに
「青春」…意味を求めるのが青春、若さだ。
「信じる者は救われるか」…スピリチュアルブームの心理。
「なぜ働くのか」…働いて一人前、は他者からのアテンションありき。
「不変の愛はあるのか」…自由が愛を妨げる。
「なぜ死んではいけないか」…生きている意味が見つからない=見つければ生きられる。
と続きます。
今回一番の収穫は「なぜ働くか」のくだりで、
「なぜブログが蔓延してるか」がすこし分かった気がしたこと。
※本の内容とは一切関係ナイけど
なんというか、ここもそうなんだけども
ブログって誰に対して話してるのか、
それとも独り言に過ぎないのか
立ち位置のビミョーなメディアなのだけども、
一方でその曖昧さが便利だったりもして
ここまで伸びたということもありそうだけども。
それはつまりひとの生き甲斐にまでつながってしまう話。
人間の行為の一番底にあるものは、
誰かに自分の存在を認めてもらったり受け入れて欲しいということに尽きて、
だからこそ「働く」ことに意義があったり、
ブログも特定の誰かに伝えたいという以前に
誰でもいいから(それこそ自分のなかの自分でも)
何かはきだしたものを受け止めてほしい
ってすごい根っこの欲求と繋がってんねや。
そして日記との違いは、
不特定多数にオープンにすることで
かすかでも誰かと繋がれる可能性を生かせることと、
もし拒否されたとしても「あなたに言ってるつもりはありません」
てリーサルウェポン的自己弁護が
できることやろか。
本としては、全般に各トピックスについて
さらりと端的に触れているので
いっこいっこをもうすこし掘りさげてほしい感もあるのですが
なんか高校生とか、大学1年生がウィキペディア引き引き
読むとよさそーー!
そして大学入試現代文とかに出そーー!
と、思った次第。
それにしても、学生時代にもっと古典と呼ばれるものを
読んでおけばよかったと思います。
ウェーバーどころか、漱石すら全然読んでません。
でも今だから理解できるのかも。
遅くないかも…。