昨年(2010)ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞した「蜂蜜」を観に行ってきました。あらすじと感じたことを記してみました。
「蜂蜜」の主人公は6才の少年のユスフ。
ユスフは、父ヤクプと母ゼーラと3人で鬱蒼とした森林に囲まれた山で暮らしていました。
父は養蜂家、母も近所の茶畑で働いていました。
1年生のユスフは、父親と話す時は、普通に言葉が出るのですが、学校で緊張すると言葉をスムーズに発することができない吃音でした。
そんなユスフが何よりも好きなことは、父親といっしょに山の奥深くミツバチの世話をしに出かけることでした。
養蜂具を馬に積んで、ミツバチの巣箱のある森の奥深くへと出かけていきます。
耳にするものは、木々を渡る風の音、時折甲高く鳴く鳥の声。
時には風がザワザワと不安を掻き立て、時には木々の間を流れる水音に耳を澄まし、まるで耳元でしているようにブンブンと唸るミツバチの羽音、そして蜂蜜を採るためにロープを結んだ枝のきしむ音。
ユスフがいつも身に付けている鈴の音が泥の上を駆ける湿った足音とともに森の中に鳴り響きます。
観客は、ユスフの耳から入る音と全く同じ音を体験しているのです。
森の奥深く分け入っていく情景が、臨場感たっぷりに体験できます。
毎日様々な音に囲まれた生活をしている私には、余分な音のない、数えるほどの音達が感動的でとても神秘的でした。
決して貧しいわけではなく、かといって裕福ということもなく、静かな山の生活を送っているユスフですが、もっと深い森に入り込み尊敬する父親といっしょに作業することが何よりも心踊らせる楽しい遊びだったのでしょう。
分かるような気がします。
ユスフにとって、大好きな父とともに過ごす時間はとても幸せな時間だったのです。
高い木の上に置いた巣箱は、木樽の巣箱が一つしかありませんでした。
これで生計を建てているのですから、トルコの森の蜂蜜は相当高い高級蜂蜜なのでしょう。
深い森の樹木の蜂蜜だとすると、色の濃いミネラルの多い貴重な蜂蜜だと想像できます。
ひょっとすると幻の蜂蜜かもしれませんね。
一度食べてみたいものです。
ある日、高い木の上に置いた巣箱からミツバチがいなくなっていました。
何が原因なのか?
父は、小さな巣箱に女王バチ?を入れてたった一人で森に入って行きました。
そしてそれっきりユスフの元に帰ることはありませんでした。
ユスフはそれをきっかけに、言葉を発することさえできなくなっていました。
母は、捜索願を出すために、祖母にユスフを預けます。
祖母の家はアララト山にありました。
祖母の家で母を待つ間のユスフの行動が私にはとても印象的でした。
バケツの水に映るまんまるお月さま、それをユスフは手ですくおうとするのです。
鏡のような水面がユラユラと揺れて黄色の絵の具を流したように月が水に溶けて行きます。
やがてまた、満月を映す元の水面へと戻っていきます。
とても日本的な情景だと思いました。
月をすくうことに失敗すると(当然失敗)月の存在を捕らえようとするかのように、自分の顔を水に突っ込んでみたのです。
子供らしいですね。
高いところに登って手を伸ばすと夜空にキラキラと輝くお星さまが捕れそうだと思ったことはありませんか?
七夕も近いことです、竹竿で空の☆を捕ってみようかな~と子供が思うかもしれません。
そんな子供の感覚なのでしょう。
アララト山のお祭りの日父親は帰ってきたのですが、ユスフとゼーラに逢うこともなく、再び森の奥へと入っていきました。(結末は少し曖昧に略しておきます)
その後ユスフは父かミツバチか、聖なるものに導かれるように一人森へと入っていきます。
日の光りも届かない森の奥へ奥へと・・・。
闇が続きまたその奥の闇へ、遠雷が森に轟き、観るものをより一層不安にさせて行きます。
トルコの森を通してしっかりと結びついている親子でした。
見終わると、清らかな水を全身に注がれたような爽やかな気分と、荘厳な儀式の後のような静かな感動を覚えました。
映画「蜂蜜」は、優しい蜂蜜の甘さがいつの間にかヒタヒタと心に沁みてくる大人の映画でした。
機会があったら是非ご覧ください。
怖いくらいの森の美しさと、音楽のない音の世界に入り込んでそのままぐっすり寝込まないように気をつけてね!
ベルリン国際映画祭金熊賞を受…