奈良の纒向(まきむく)遺跡の近くから発掘された遺品の中に桃の種が2000以上あった、ということでした。
桃が花を付け、受粉して実がなったことは確かです。
ということは、花粉を媒介する昆虫がいたことになります。
それがもしミツバチだったとしたら、3世紀の日本にはちみつもあった。
と前回は、こんな飛躍した私の推理でした。
でも推理とも言っていられない次のような事実もあるのです。
1970年、長崎県壱岐の島の長者原の地層の中から、ミツバチの化石が発見されたのです。
調査したところ、発見されたミツバチの化石は、2300年前の化石だということがわかりました。
これが日本最古の日本ミツバチの化石です。
2300年前といったら、紀元前ですよね。
縄文時代の前期でしょうか?
そのころには壱岐にはミツバチがいたわけです。
ミツバチがいたと言うことは、やはりミツバチの巣があり、その中にはハチミツがあったのです。
壱岐の島の蜜蜂の化石は、人間が食料としてはちみつを利用していた、ということではなく、倭バチ(日本ミツバチ)の蜂蜜が存在したことの証明なのです。
飼育される蜜蜂と違って、野生の蜜蜂は、岩や木の洞(うろ)などに巣を作ります。
縄文の蜜蜂も、壱岐の島の温暖な気候と数多くの花の蜜源によって生き延びてきたのでしょう。
残念ながら、壱岐の島の日本蜜蜂は、戦後絶滅してしまいましたが、
「壱岐・五島ワバチ復活プロジェクト」が結成され、久志冨士男氏の指導の下に、2007年~2008年には全ての島で倭バチが復活したのです。
今では、ミツバチの化石が発見された壱岐の島では、倭バチ(日本蜜蜂)の美味しい蜂蜜が採れているそうです。
美味しいハチミツは「銀座のはちみつ」は家族全員ハナマル
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