むかしのはなし -30ページ目

胆大小心録 その82

八十二

牡丹・カキツバタ・山吹・つつじは夏にかけて咲く。

(牡丹を)廿日草と呼ぶのは詞花集によるもので、
元々は白氏(白楽天)が作った「開落二十日」という句によったものだ。
一つの花が二十日を過ぎても咲き続ける事は無い。
(途中で)咲き変わって二十日を経過する事はほとんど無い。
牡という理由は木芍薬が雄で、草芍薬は雌だからだ。

この花は蜀(中国四川省の辺り)では柴薪にするとされている。
(唐代の)開元・天宝の時代に至った頃に観賞用として流行り出す。
魏紫姚黄という名が有名である。
黄花(黄色の牡丹)は宋朝では詩に詠われていたのだが、明代には無くなった。
王敬美がたまたま手に入れて誇らしげにしたが、次の春に白に変わってしまった。
(王敬美は)がっかりして、「我は欺かれた」と嘆いたそうだ。


詩花集とは平安時代に編集された詩花和歌集の事で、
廿日というのは二十日を意味する言葉で、そのまま「はつか」と読みます。

唐の玄宗が牡丹をこよなく愛したそうで、
その時代に大流行したそうです。

王敬美は明の文人で本名を王世懋というそうです。

胆大小心録 その81

八十一

鶯は冬の終わりに鳴き始め、秋までも鳴き続けるもので、
流鶯を詩に作って、宛転低昂の時と詠うのは、
四月に姿が木に隠れ声だけが聞こえる時期の事である。

梅は冬に咲き始め、二月の水面に老いた姿を映しつつ散っていく。

梅花帳というものは、冬の寒さを避ける為に、
梅が咲く前から、散り始める二月までも紙帳の中に薫らせるのだ。
(帳の中に)寝床を入れて眠り、机を置いて書を読む。

また花瓶を隅々の柱にかけて、梅を挿し入れる。
好事家はこれを懸壁と呼ぶ。大体の場合金の瓶を使う。

他に歌があり、
 ふくむより散りはつるまでへしほどに梅のかたびら引きもせしかな
 (蕾の頃から散るまで梅花帳の中にいたので、ようやく帷子も引いて開けた)


歌枕としても有名な梅と鶯の話です。
流鶯とは鶯が流暢に鳴く事だそうです。
また宛転低昂(もしくは低昂宛転)は
よどみなく滑らかに、抑揚を持って鳴く事だそうです。

紙帳というのは紙でできた蚊帳のようなもので、
主に防寒用に使います。
その中に梅を入れる事を梅花帳と言うのだそうです。

胆大小心録 その80

八十

海棠・木瓜・施覆花・ヒルガオ・木芙蓉・水仙などの草々は歌の題材に良い。
(しかし)歌よみと称する者たちは上手く詠む事ができない。

私は常に詠んでいる。
水仙は字の音のままで良く、桔梗はきちこう、
紀友則が詠んだのは物の名を伏せて詠み込んだものだ。
だからといって(桔梗を)蟻の火吹きという名前では詠まぬ。
(しかし)私は詠むのだ。

レンギョウをいたちはぜ、シャクヤクをえびすぐすり、
(なぜ他の者は)こんな名で詠まないのだろう。


この条では、歌詠みたる者は、漢音や異名を取り入れて、
自由な発想で和歌を作るべきだ、という事だそうです。

桔梗を蟻の火吹きという異名で詠んだり、
同じような音の字を使って伏せたりといった技術を薦めているようです。