むかしのはなし -27ページ目

胆大小心録 その91

九十一

岡山藩主の池田光政の御元へ、
(岡山藩から)禄を受けていた京の儒者が、年始の挨拶に出た。
「最近京で変わった事はないか」
と尋ねられ、
「定家卿の筆をよく似せる者がいて、
人を惑わすのが迷惑だと、人々が言っております」
と言うと、
「定家の筆はよく似せたとしても、骨董品の様な物だから、実生活の妨げにはならん。
聖人ぶる儒者こそが憎むべき存在だ」
と仰ったそうだ。

真跡の面影を忠実に再現しているのならば、
真跡と同じように扱ってもいいのだろうと思う。
貫之の書とされているものも、道風のものも、
古筆の歌書を切り離したもので署名は無い。
よく似ているという程度の鑑定でおいておくべきだ。
値段を吊り上げようとして鑑定書を出す悪書の者の、恥知らずな事よ。

(秋成と同郷の)浪花人だといって、最近私に頼みごとをしに来た者は、
今は浪花で鑑定の力量に優れていると言われているらしい。
その際に出された書付は俗書で、人柄も俗っぽく、
こんな奴にまともな鑑定などできるものかと思った。
(物売りのように)古鑑定と言って町々を呼び歩くような人物らしい。
翁(秋成)は悪書なので、軽々しく古筆の談義などはしないようにし、
「古色があり能書の趣がある等と言うに留まる」と、常に言っている。


引き続き鑑定の話です。
金を儲ける為に、鑑定に必死になる醜い者を批判しています。

秋成に依頼をした人物は陶々居という人物と推測されています。
「古筆名葉集」という本の序文を頼み、苦々しい文章を書かれたそうです。

胆大小心録 その90

九十

近年、書の達者な人はもちろん、拙い人でさえも、
古人の筆跡を好んで、真贋を論じたりするのがけしからん。
自分の技量をわきまえて、何かと大口を叩くべきではないのに、
鑑定の談義とは甚だ片腹痛い。

また鑑定家と名乗る者も、昔は知らぬが、
最近京阪で知れ渡っている人は悪書の者ばかりだ。
こんな腕前でどのように鑑定するのかと思えば、
そもそもは近代の公家の名家の書をまず習って、
少しずつ遡って、貫之や道風などの書を鑑定するという事だ。
こんな方法で納得できるものではない。

江村専斎の「老人雑話」にて、
蓮華王院(三十三間堂)に収められている貫之の土佐日記の自筆本を、
定家卿が書き写したものを、連歌師の里村玄的が度々見たという。
最後の二、三枚は定家卿が貫之の筆跡を模写したといわれており、
その字の形は科斗のようであった。
今、貫之の書と言われているような物では無いそうだ。
その日記は加賀殿(前田家)に召されたが、
今は智仁天皇の下にあるそうだ。
これは実際に見た人の話だ。


現代でも様々な鑑定家がいますが、
筆跡にももちろん鑑定が必要ですね。
未熟な者が知ったかぶって真贋を語るのも滑稽ですし、
肝心な自分の技術を磨く事を疎かにして、
他人の筆跡を勉強するというのは確かに片腹痛いですね。

最初に公家絡みの名家を勉強して、
紀貫之や小野道風のような偉人を後回しにするのは
第1条でも出てくるへつらいの類でしょうか。

里村玄的は江戸時代前期の歌人です。
江村専斎は同じく江戸時代前期の医師で、100歳まで生きたそうです。
彼の言葉を弟子の伊藤坦庵がまとめたものが「老人雑話」です。

胆大小心録 その89

八十九

翁(秋成)が五歳の時に、疱瘡の症状が重く、
右手の中指が小指ほども短くなった。
また左手の人差し指も短くなり役に立たなくなって、
書き物をする際には右手の中指は無いも同然で、
筆に力が入らなくなってしまった。

ある書人が言うには、
「そなたは書を習ってはいけない。
うわべだけ似せても根本的な技法は身につかない」
という事だ。

この言葉に従って、
二十三、四歳から名前も満足に書けなかったが、
(家業が)商店だったので、
ただ日々帳面を記載する仕事をしていたが、
書を書く事に熱心では無かった。
そのせいで悪筆を人前に晒す事になった。

近頃は目も悪く、老いてきて、ただ字とも何とも思わずに、
心のままに筆を走らせているのを、
ある人が「読みづらい」と言う。
傍から言う。
「「なぜ今頃になって問うのか」と古人も言っていた」
と笑うと、
またある時、書の達者な人が、
「近頃のあなたの書には趣を感じる。
仏祖などが気力がこもった文を書くのに似ている」
と言う。それに答える。
「仏祖が必ず書に気力をこめるのかは知らない。
私はただ鳥の跡に倣っているだけだ」
と言う。
それを聞いて大いに笑って去って行った。


秋成は幼い頃に疱瘡を患い、生命の危機に陥ります。
養父が神社で回復を祈願したこともあり快癒するのですが、
その際に指に障碍を負う事になります。

秋成はそんな自分の手を皮肉って
「剪枝畸人」という号を名乗ったりもしています。

後半部分は第74条と同じエピソードですね。