むかしのはなし
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池亭記 その5

この二十年、世の人は豪邸を建てる事を好み、
柱に彫刻や模様を施し分不相応に贅沢をする。
巨額を投じて建てた家はわずかニ、三年しか住まない。
古人が言うには「家を建てたものはそこに住まない」ということだが、真の話だ。

私は晩年に及んで小宅を建てた。
これをわが身分に当てはめて考えるに、まことに贅沢である。
上を見れば天を恐れ、下を見れば人間に恥じる。
ちょうど旅人が仮に宿を作り、老いた蚕が繭を作るようなものだ。
いったいどれほどの期間住み続けると言うのか。
聖賢の家は、建てる為に民や神を頼らない。
仁義をもって棟と梁とし、礼法をもって柱と基礎となし、
道徳をもって門戸となし、慈愛をもって垣根となし、
好倹をもって家事となし、積善をもって家資となす。
そこに住む者は、
火に焼かれず、風に倒れず、
不思議な出来事が現れる事もなく、災いも起こらず、
悪霊が家を覗き見る事もなく、賊が入ることもない。
その家は自ずから栄え、その主は長寿を得る。
官位に永く留まり、子孫が代々続いていく。
だから、慎んで行動しなければならない。

天元五年(982年)十月、家主保胤、自ら作り自ら書く。


というわけで終わりです。
最後は自嘲の気味が加わるあたりが、方丈記とも重なる部分ですね。

以前の胆大小心録と比べれば遥かに短く、
解説が多いので、とても楽でした。
機会がありましたら、他の作品も読んでみたいところです。

短い間でしたが、読んでいただいてありがとうございました。

池亭記 その4

私は50歳になろうとしてようやく快適な小宅を持った。
かたつむりはその家に満足し、虱はその布を楽しむ。
かやぐき(鶉の仲間)は小枝に住んで広い林に住むことを望まず、
井の中の蛙は大海を知らない。

家主は内記の職に就いていようとも、
心は山中に住んでいるようだ。
官爵は公平な運命に委ね。寿命は天地に委ねる。
人が鳳のように出世することを望まず、
隠遁することも楽しまず、
王侯に媚びへつらうことを願わず、
また人の言葉や顔色を避け、深山幽谷に身を隠すことを願わない。
朝廷にあっては王のために働き、家にあっては仏に帰依する。

私は外では緑の朝服(6,7位)を着る。
位は低いが内記(中務省、詔勅の制作などを司る)の職は尊い。
家では白い麻の着物があり、春よりも暖かく、雪よりも清い。
手水の後に西堂に行き、阿弥陀に念じ、法華経を読む。
食後には東閣(書庫)で書を開き、古の賢人たちに会う。
漢の文帝は時代を異にする主君であり、倹約を好み人民を安んじる。
唐の白楽天は時代を異にする師であり、詩句に長じ仏法に帰する。
晋の七賢(竹林の七賢)は時代を異にする友であり、
朝廷に仕えながらも隠遁を志す。
私は賢主に遇い、賢師に遇い、賢友に遇う。

一日に三つの出会いがあり、
一生に三つの楽しみ(人として生まれる、男として生まれる、長寿)がある。
近代では一つとして喜ぶべきものはない。
教師たちは地位や富を第一に考え、学力を評価の基準にしない。
師などいないに越したことはない。
友人たちは権勢や利益をもって判断し、淡白な交わりをしない。
友などいないに越したことはない。
私は門を閉じて家に籠もり、独り詩句にふける。
興が乗れば下僕を呼んで菜園に行き、肥料や水をやったりする。
私は我が家を愛し、他には興味がない。


池亭での暮らしぶりです。
いわゆる隠棲文学の良さというのは、こういう部分を言うのではないでしょうか。

保胤の生活は、朝廷での仕事と池亭での暮らしを対極に置いているようです。
郊外に住むサラリーマンのようなものでしょうかね。
完全に俗世との関係を絶つわけでもなく、
家にいる間だけが心の安らぐ時間なのでしょうね。

「書を開き、古の賢人たちに会う」という一文は、
古典文学に触れる人なら共感できるのではないでしょうか。

漢の文帝は、前漢でも特に名君の誉れ高い人物で、
自身が恵まれない生い立ちであった為に恤民の心に溢れた人です。
白楽天は言うまでもなく有名な詩人ですね。
竹林の七賢は、後漢末期の詩人たちで三国志にも出てくるので、
知っている人も多いでしょうね。

池亭記 その3

私は元々住む家を持たず、陽明門付近の人家に寄居していた。
経済的な理由で家を所有しなかったが、
もしそれを求めても叶わなかっただろう。
土地が極めて高価な為だ。

私は六条の北に初めて土地を持ち、垣根と門を作った。
漢の名相蕭何に倣い辺鄙な土地を選び、後漢の仲長統のように広々とした住まいを思う。
周りの土地は全て耕してある。小山を造り小池を堀り、池の西に阿弥陀堂を建てる。
池の東には書庫を建て、池の北には妻子の住む家を建てた。
屋舎は十の四、池水は九の三、菜園は八の二、芹田(せりの生えた水田)は七の一。
その外には緑松の島、白沙の汀、紅鯉白鷺、小橋小船など、普段好むものを全て設置した。
さらに春には東岸に柳が生え、煙ったように細い枝が美しくはびこる。
夏には北側に竹が生え、清らかな風が颯爽と吹き通る。
秋には西の窓に月が写り、月光の下で書を開く。
冬には南の縁側に日差しが当たり、背中を暖めてくれる。


この作品の肝というべき池亭の構造です。

蕭何は漢成立時の宰相で、古代中国史上でも随一の政治家です。
仲長統は後漢末期の人物で、魏の曹操に仕えた人物です。
共に政府の高位にありながら清貧な暮らしを送った人物です。

中ほどに十の四やら、九の三やらという部分がありますが、
意味がわかりません。
全体の四割とか三割とかそのぐらいに認識する事にします。
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