むかしのはなし -3ページ目

胆大小心録 その163

百六十三

仏教が衰えるのも、
金銭の流通と同じようなものと見れば残念という事もない。
七大寺も大社と同じ値段では無く遥かに高くつく。

玄昉・実忠・道鏡が帳台に入り、帝座を汚す事を、
神も仏も知らぬ顔とは、どういう事か。
清麿ただ一人が宇佐八幡の神勅を報告せず、
(道鏡が皇位を継ぐのを阻止し)正統な者に継がせた。
そのような忠臣すらも中納言で終わるとは不幸な事だ。
天の下す運命がえこひいきされるものなら、
自分は本腰で(清麿の)味方をしたい。

この卿の像の賛辞を請われて述べたのは、
 忠言硬直、涅而不緇、若矯神勅、則豈有今日哉
 (忠言で諌める素直な人で、黒に染めようとも決して染まらず、
 もしも神勅を曲げなければ、どうして今日まで皇統が保たれただろうか)

 あしの浦のきたな丸てふあた波をかけてもきよき名に流れけり
 (きたな丸という汚名をつけられても、清い名が知れ渡っている)

その王朝には、大臣が大勢いたが、
吉備公(吉備真備)こそ憎むべき存在だ。
人倫の学を尽くし、機会を謀り、出たり入ったり、
鼠が物を盗るような心持ちで、とても憎い。
周勃・陳平の例を思い、国家を護持して傾けなかったと言うが、これは偽りである。
本当は、「あの傾城づらめ」と言いたい。


奈良時代の和気清麿(清麻呂)という人物の話です。
当時権勢を誇っていた道鏡と対立していたそうで、
宇佐八幡神から、
道鏡を皇位につければ天下が治まるという怪しい神託が出された際に、
それを阻止したという宇佐八幡宮神託事件で有名な人物です。

その後、道鏡に皇位を継がせたかった称徳天皇に憎まれ、
穢麿(きたなまろ)という屈辱的な名前に変えられた上に、
流罪にされたそうです。

一方、吉備真備に対しては辛らつです。
こちらは有能な政治家で、
遣唐使の一員としても有名な人物ですが、
儒教の精神を忘れ、道鏡に屈服したという一面もあり、
秋成は相当嫌っていたようです。
秋成が以前に書いた「遠駝延五登」という書の中でも、
「きたな丸という名は真備にこそ相応しい」
という内容の言葉が残っているほどです。


というわけで、これにて胆大小心録は終わりになります。
約半年に渡ってお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
正直途中で辞めるつもりもありましたが、
実際に始めてみるとなかなか面白く、結局最後まで続ける事ができました。
学力の方はほとんど進歩せず、
怪しい部分があるとわかっていながら発表してしまった回も結構あります。

今後は今までと同じく放置しがちなブログに戻りますが、
また機会がありましたら違う作品にも挑戦したいと思っております。
伴蒿蹊の「近世畸人伝」がいいかなと思っていますが、
軽く読んでみたところ、全く歯が立たなそうなので、
多分やらなそうです。

感想などコメントして頂けると助かります。
ではでは。

胆大小心録 その162

百六十二

四方の国々が服従するのも時勢があっての事だ。
まず、それまでは門を守り、垣を堅くして守るべきだ。
これまでの茶に酔っての戯言はあまりに分を越えた放言だ。


当時北方で紛争があったそうで、
前半部分はそれに関する意見だそうです。

最後の一文は秋成著の茶瘕酔言に似たような言葉が出てくるそうですが、
この胆大小心録のまとめとも取れそうな一言ですね。

いよいよ次が最後です。
この期に及んでなかなか手こずってますが、
明日に更新できるように頑張ります。

胆大小心録 その161

百六十一

それにしても釈迦は賢い人だ。
人情の欲だけを、先に説いて、無の見地へ導く。
しかし三千年も経ちながらもまだ(欲望を優先する事を)直せてはいない。
達磨・善導の本源の心も、
(現在これを伝える僧侶達も)口だけの悟り顔で、
身の行いを見れば、高座に上る人とは大違いである。
一文不知の僧と剛毅朴訥の民の中には、必ず無の見地を成就する人がいる。
いつ成就するかの前後は問題ではない。


何度も出てきた仏教の堕落に関する話です。

一文不知というのは文字を一文字も知らないという意味だそうです。
ここでは法然の言葉にある、
たとえ教法をよく学んだ者でも、一文不知の身となり、
智者のふりをせずに、一心に念じなさい
という教えを守った僧という意味で使われています。