鎌倉殿の13人:序盤の見どころを妄想する(1)

 

 半年かけて、年間のストーリー予想を書いてきた。ついては、来年の放送開始までの間、のんびりと序盤の見どころを妄想してみようと思う。

 

 物語はいつごろ、どんなエピソードから始まるのだろうか。創業の功臣といわれた人たちは少なくないが、決定的といえるような働きをなした人は限られてくる。二十年にも及んで、流人時代の頼朝(大泉洋)を庇護し続けた比企尼(草笛光子)と、その一族は最大の功労者といって差し支えないだろう。尼の献身的な支えなくして、頼朝は挙兵することすらできなかったかもしれない。

 夫の比企掃部允亡き後は、養子の能員(佐藤二朗)が中心となって、頼朝を扶助したものと思われる。尼と能員の母子がどのように描かれるのか。草笛さんも佐藤さんも芸達者なだけに楽しみだ。尼の三人の娘婿もそれぞれに重要な役割を果たす。長女の夫は、頼朝に近侍する股肱の臣・安達盛長(野添義弘)だ。序盤から頼朝の傍らにはつねに影のように付き随う盛長の姿があるはずだ。次女の夫は、畠山重忠(中川大志)や江戸重長とならぶ武蔵秩父党の重鎮・河越重頼だ。彼の娘は後に頼朝の異母弟・義経(菅田将暉)に嫁ぎ、奥州で彼と運命を共にしている。

 

 (比企尼の)三女の夫は、頼朝と敵対することになる伊東祐親(浅野和之)の次男・祐清(竹財輝之助)だ。頼朝の愛人・八重姫(新垣結衣)の兄でもある。もし二人が添い遂げていれば、義時(小栗旬)ではなく、彼がこの大河の主人公になっていたかも知れないなどと妄想しながら見るのも楽しみ方の一つかもしれない。

 そして、八重姫が登場するということは、始まりが頼朝の挙兵時よりも、もっと以前に遡るということでもある。それはつまり、鹿ヶ谷の謀議や、治承三年の政変が描かれるかもしれないということでもあり、平清盛(松平健)のキャスティングが活きてくるかもしれないということなのだ。1979大河『草燃える』で義時を演じた松平さんの起用は、前作へのオマージュといえるだろう。

 

 もう一人、決定的な功労者といえば、石橋山で敗れた頼朝の、絶体絶命の窮地を救った鎌倉殿の謀臣・梶原景時(二代目中村獅童)の名を上げないわけにはいかないだろう。彼がいなければ、頼朝の志望は相模の山中に埋もれてしまっていただろう。頼朝の死後、彼が真っ先に追い落とされていなければ、源氏が三代で絶えることもなかったに違いない。

 そして最後に、大軍とともに馳せ参じ、頼朝の成功を決定づけた上総介広常(佐藤浩市)だ。まさにキングメーカーといってよく、旗揚げ時から従う三浦介義澄(佐藤B作)や、広常よりも先に馳せ参じて、頼朝を感激させた千葉介常胤(岡本信人)ら最古参の御家人たちの中でも存在感は際立っている。

 

※()内は演者(敬称略)

 

■ストーリー予想

【予習10】第一部 第一章 挙兵編 前編(鎌倉殿の13人:2022大河)

 

 9月13日から、時代劇専門チャンネル原田龍二さん主演の『南町奉行事件帖 怒れ!求馬』が始まった。かねてから見たいと思っていたタイトルだが、なぜ今まで見たことがなかったのだろう。自分でも不思議だった。ナショナル劇場といえば、東野英治郎さんの『水戸黄門』はもちろんのこと、加藤剛さんの『大岡越前』も、西郷輝彦さんの『江戸を斬る』も大好きで、見逃しているはずはないと思っていたからだ。しかし、実に単純な理由だった。放送開始は1997年だという。すでに私は社会人になっていて、地上波の番組にはまるで関心がなくなっていたのだ。まだケーブルテレビにも加入していなかった頃のことだ。

 

 なぜ、この番組に興味をもったのか。最近でこそ、ドラマに取り上げられる機会も増えたとはいえ、遠山の金さん大岡越前などと比べれば、はるかにマイナーで地味な根岸肥前守鎮衛)を中心に据えていたからだ。演じるのは名優・田村高廣さん。しかも、主人公はその孫だという。

 植木等さん演じる蜀山人こと大田直次郎と肥前守の友情もいい。年は肥前守が一回り上であった。寛政六年(1794)、学問吟味に首席で及第した直次郎は、このころには支配勘定に昇進して、勘定所でまじめに働いていた。肥前守は町奉行になる前は公事方勘定奉行であったから、直属ではないものの、肥前守は直次郎の上司の一人には違いないし、直次郎の甥で狂歌師(紀定丸)としても知られる吉見儀助は評定所(公事方勘定奉行)に勤務していたが、肥前守を敬愛し、交流もあったという。直次郎との接点があってもおかしくはない。芸達者な二人の演技も見どころの一つになるだろう。

 

寛政譜

 

 寛政譜には孫たち(榮太郎求馬篤五郎)の名前も出ている。これらは成人した後の通称ではなく、幼名という気もするが、それならそれで求馬の前髪姿も分からなくはない。とはいえ、求馬は一体いくつの設定なんだろう。まあ、細かいことは気にすまい。兄の榮太郎すなわち九郎左衛門衛恭)は肥前守の嫡孫で、後に根岸家の当主となる。その子は、後に町奉行となり、『柳営補任』の著者としても知られる二代目肥前守衛奮)だから、求馬は祖父の両方に町奉行をもつことになるわけだ。

 

 ちなみに初代肥前守鎮衛)の実家である安生家や、彼が末期養子に入った根岸家が御家人だったと思っている人もあるようだが、どちらも旗本である。実父の安生太左衛門(定洪)は確かに御家人株を買って安生家に入ったようではあるが、彼は元文元年(1736)に徒組頭を経て、代官に昇っており、その同じ年には部屋住みの兄・太左衛門直之)が有徳院殿吉宗)に拝謁しているから、この時点ではすでに家格は旗本であったと考えるべきだ。

 また根岸家についても、肥前守は宝暦八年(1758)に家督を継ぐや、惇信院殿家重)に拝謁し、すぐ勘定になっている。したがって、根岸家が旗本であったことも疑いようがない。

 

 さて、ドラマの設定では、野川由美子さん演じる、求馬たちの母・巴絵は夫と死別したことになっているようだ。祖父・肥前守は健在なのだから、父・九郎兵衛衛粛)は部屋住みのまま亡くなったという設定だ。しかし、九郎兵衛は実際には、肥前守が死んだ二年後に亡くなっており、二年だけだが、根岸家の当主にもなっている。

 文化十三年(1816)の武鑑には根岸家当主時代の先手弓頭・九郎兵衛の名前も見える。

 

 

 ところで、求馬が母や榮太郎と一緒に住んでいる家を飛び出し、肥前守に文句をいう為、南町奉行所の表門から中に入っていくシーンがある。求馬たちは一体、どこに住んでいる設定なんだろうか。求馬はともかく、母の巴絵や兄の榮太郎は、当然ながら数寄屋橋内にある肥前守の役宅内に同居しているはずだから、いったんは裏門から出て、表門から入り直したのだろうか、なんて疑問を口にしてはいけない。それが時代劇の作法というものだ。ちなみに役宅の平面図こちら

 

 例えば、江戸の町奉行は東京都知事最高裁判所長官警視総監だったというような、ちょっと実態からかけ離れた説明をみて、しばしば違和感を覚えることがある。

 そもそも時代の異なる、封建社会の、軍政組織における役職を現代のそれに置き換えること自体に無理があるという他ない。そこで、本記事では、『天保年間諸役大概順』に掲載されている、重き役人といわれる「布衣以上」の役職名を現代風に言い換えてみた(※1)

 

 1)礼典管理官(高家、※2)

 2)将軍補佐官(側衆) ※加役兼帯者は首席補佐官(側用取次役、※3)

 5)本丸管理本部長(留守居)

 6)先鋒隊司令官(大番頭)

 7)白書院警備隊司令官(書院番頭)

 8)花畑警備隊司令官(小姓組番頭、※4)

 9)湯島聖堂学長(林大学頭)

10)三卿付事務局長(三卿家老)

 

11)大名監察官(大目付、※5)

12)市政裁判所長官(町奉行、※6)

13)民政裁判所長官(勘定奉行、※7)

   ※司法担当(公事方)と会計担当(勝手方)の別あり。司法担当は幕府裁判所(評定所)または長官役邸(役宅)で執務し、会計担当は会計局(御殿勘定所および下勘定所)で執務する。

14)軍旗警備隊隊長(旗奉行、※8)

15)建築局長(作事奉行)

16)土木局長(普請奉行)

17)修繕局長(小普請奉行)

18)甲府人事労働局長(甲府勤番支配)

 

19)長崎裁判所長官(長崎奉行、※9)

20)浦賀裁判所長官(浦賀奉行)

21)京都裁判所長官(京都町奉行)

22)大坂裁判所長官(大阪町奉行)

24)天皇付総務部長(禁裏付)

25)上皇付総務部長(仙洞付)

26)山田裁判所長官(山田奉行)

28)奈良裁判所長官(奈良奉行)

29)堺裁判所長官(堺奉行)

31)佐渡裁判所長官(佐渡奉行)

32)新潟裁判所長官(新潟奉行)

 

34)西丸管理部長(西丸留守居)

35)鉄砲支隊隊長(百人組之頭)

36)槍隊隊長(鑓奉行、※10)

37)人事労働局長(小普請組支配)

38)遊撃隊司令官(新番頭、※11)

39)歩兵弓・鉄砲分隊隊長(持弓・筒之頭)

40)消防隊隊長(火消役)

41)将軍秘書官(小姓)

42)表御殿担当秘書官(中奥小姓)

43)大奥総支配人(御臺用人、※12)

44)西丸大奥総支配人(簾中用人、※13)

 

53)大坂方面水軍司令(大坂船手)

54)本丸警備隊隊長(留守居番)

55)先鋒弓・鉄砲分隊隊長(先手弓・銕之頭)

   ※加役放火強盗犯取締局長(火附盗賊改)

56)監察官(目付、※14)

57)巡察官(使番)

58)白書院警備隊副官(書院番組頭)

59)花畑警備隊副官(小姓組与頭)

62)西丸裏門守衛分隊隊長(西丸裏門番之頭)

63)歩兵分隊隊長(徒頭)

64)親衛歩兵分隊司令官(小十人頭、※15)

 

65)将軍秘書(小納戸) ※将軍秘書室長(小納戸頭取、※16)

66)水軍司令(船手)

67)ニ丸管理部長(ニ丸留守居)

68)将軍家衣服調度品調達部長(納戸頭)

69)将軍家腰物調達部長(腰物奉行、※17)

70)放鷹局長(鷹匠頭)

71)会計監査役(勘定吟味役、※18)

72)閣僚付書記局長(奥右筆組頭)

74)将軍家儒学講師(奥詰儒者)

75)美濃裁判所所長(美濃郡代、※19)

76)西国裁判所所長(西国郡代)

77)飛騨裁判所所長(飛騨郡代)

 

※1)数字は大概順の掲載順位、()内は本来の役職名

※2)1は最も格式の高い旗本。吉良上野介で有名

※3)2は最も将軍権力に近い人

※4)8の「花畑」は小姓組の旧名(花畑番)に因んだ。

※5)11の大目付は、江戸中後期には式部官化しており、幕初ほどの権勢はなくなっていたものの、一般の旗本にとっては極官ともいうべき栄職であった。。

※6)12について、よくいわれる東京都知事だが、名目上はともかく、実態的には惣町の三年寄(の役所や、町役人たち)がその機能を担っていた(【番外編】参照)。役割上、幕府の方針を町奉行が三年寄に伝達する外、町奉行の組下にも町政に関わる掛役はあったが、多くは監察官的なものであった。

※7)公事方勘定奉行町奉行大名役寺社奉行とともに、幕閣の諮問機関でもある評定所一座のメンバーであり(いわゆる三奉行)、前二者(町奉行と公事方勘定奉行)に、勝手方勘定奉行と大目付を加えた三(四)役(11~13)は役方の実質的なトップであった。

※8)14は名目のみの、たまに出勤するだけの隠居役。

※9)19~22及び26~32の遠国奉行は公事吟味の裁許権能を重視し、すべて裁判所長官とした。

※10)36は14同様、名目のみの、たまに出勤するだけの隠居役。

※11)侍大将に相当する職は司令官、足軽大将に相当する職は隊長として、区別した。

※12)43は「広敷用人」に同じ

※13)44の「簾中」は将軍世子夫人のこと

※14)番方(武官)出身者の登竜門となるのが56の目付

※15)64は組衆が目見以上であることから、侍大将の格式とみなし、司令官とした。

※16)中奥筋(将軍の昵近衆)のキーマンが65の指揮・監督をする小納戸頭取だ。頭取の格式は従五位下諸大夫だから、平の小納戸よりもずっと序列は高いはずだ。

※17)69の「腰物」とは刀のこと

※18)役方(文官=役人)出身者の登竜門となるのが71の勘定吟味役。但し、役方トップ(大目付、町奉行、勘定奉行)に就任するのは圧倒的に番方出身者両番筋)が多い。

※19)75~77の郡代は公事吟味の裁許権能を重視し、すべて裁判所所長とした。

 

【番外編】

将軍代理(大老)

閣僚(老中) ※首相(筆頭老中)

家政担当閣僚(若年寄)

社寺裁判所長官(寺社奉行)

小伝馬町拘置所長(囚獄・石出帯刀)

江戸府知事(江戸の町年寄)

〇〇町長( 〃 町名主)

〇〇町副町長( 〃 月行事)

〇〇町事務長( 〃 自身番書役)

△地区消防本部長(町火消△番組頭取)

☓消防隊長(町火消☓組頭)

 

■参考サイト

天保年間諸役大概順(旗本・御家人の役職序列)

(1)布衣以上

(2)布衣以下目見以上

(3)目見以下

江戸雑記録