9月13日から、時代劇専門チャンネル原田龍二さん主演の『南町奉行事件帖 怒れ!求馬』が始まった。かねてから見たいと思っていたタイトルだが、なぜ今まで見たことがなかったのだろう。自分でも不思議だった。ナショナル劇場といえば、東野英治郎さんの『水戸黄門』はもちろんのこと、加藤剛さんの『大岡越前』も、西郷輝彦さんの『江戸を斬る』も大好きで、見逃しているはずはないと思っていたからだ。しかし、実に単純な理由だった。放送開始は1997年だという。すでに私は社会人になっていて、地上波の番組にはまるで関心がなくなっていたのだ。まだケーブルテレビにも加入していなかった頃のことだ。

 

 なぜ、この番組に興味をもったのか。最近でこそ、ドラマに取り上げられる機会も増えたとはいえ、遠山の金さん大岡越前などと比べれば、はるかにマイナーで地味な根岸肥前守鎮衛)を中心に据えていたからだ。演じるのは名優・田村高廣さん。しかも、主人公はその孫だという。

 植木等さん演じる蜀山人こと大田直次郎と肥前守の友情もいい。年は肥前守が一回り上であった。寛政六年(1794)、学問吟味に首席で及第した直次郎は、このころには支配勘定に昇進して、勘定所でまじめに働いていた。肥前守は町奉行になる前は公事方勘定奉行であったから、直属ではないものの、肥前守は直次郎の上司の一人には違いないし、直次郎の甥で狂歌師(紀定丸)としても知られる吉見儀助は評定所(公事方勘定奉行)に勤務していたが、肥前守を敬愛し、交流もあったという。直次郎との接点があってもおかしくはない。芸達者な二人の演技も見どころの一つになるだろう。

 

寛政譜

 

 寛政譜には孫たち(榮太郎求馬篤五郎)の名前も出ている。これらは成人した後の通称ではなく、幼名という気もするが、それならそれで求馬の前髪姿も分からなくはない。とはいえ、求馬は一体いくつの設定なんだろう。まあ、細かいことは気にすまい。兄の榮太郎すなわち九郎左衛門衛恭)は肥前守の嫡孫で、後に根岸家の当主となる。その子は、後に町奉行となり、『柳営補任』の著者としても知られる二代目肥前守衛奮)だから、求馬は祖父の両方に町奉行をもつことになるわけだ。

 

 ちなみに初代肥前守鎮衛)の実家である安生家や、彼が末期養子に入った根岸家が御家人だったと思っている人もあるようだが、どちらも旗本である。実父の安生太左衛門(定洪)は確かに御家人株を買って安生家に入ったようではあるが、彼は元文元年(1736)に徒組頭を経て、代官に昇っており、その同じ年には部屋住みの兄・太左衛門直之)が有徳院殿吉宗)に拝謁しているから、この時点ではすでに家格は旗本であったと考えるべきだ。

 また根岸家についても、肥前守は宝暦八年(1758)に家督を継ぐや、惇信院殿家重)に拝謁し、すぐ勘定になっている。したがって、根岸家が旗本であったことも疑いようがない。

 

 さて、ドラマの設定では、野川由美子さん演じる、求馬たちの母・巴絵は夫と死別したことになっているようだ。祖父・肥前守は健在なのだから、父・九郎兵衛衛粛)は部屋住みのまま亡くなったという設定だ。しかし、九郎兵衛は実際には、肥前守が死んだ二年後に亡くなっており、二年だけだが、根岸家の当主にもなっている。

 文化十三年(1816)の武鑑には根岸家当主時代の先手弓頭・九郎兵衛の名前も見える。

 

 

 ところで、求馬が母や榮太郎と一緒に住んでいる家を飛び出し、肥前守に文句をいう為、南町奉行所の表門から中に入っていくシーンがある。求馬たちは一体、どこに住んでいる設定なんだろうか。求馬はともかく、母の巴絵や兄の榮太郎は、当然ながら数寄屋橋内にある肥前守の役宅内に同居しているはずだから、いったんは裏門から出て、表門から入り直したのだろうか、なんて疑問を口にしてはいけない。それが時代劇の作法というものだ。ちなみに役宅の平面図こちら