伊達と酔狂とRRJ!橋満克文(RRJグループ代表) -2ページ目

”2019年振り返り。”

ブレてないと言えば、ブレてないけど、変わってないと言えば変わってなくて、けど、ちゃんと会社は進化してくれている。

ありがたい。

 

 

自分がぶれているから言葉遣いがブレるのか、相手に合わせてるからブレるのか謎です。

僕は、基本的に穏やかに話したいし、丁寧に言葉を使いたいと思ってる。

 

けど、時折、相手に対して上から目線になってしまっているとか、知らずに人のことをバカにしているようにも捉えられる言葉を使ってしまったなぁと思うことがあります。

 

関西弁が出たりもするし、社長としての強めの言葉も使うときがあります。

 

表現がブレブレで、自分でも時折というよりは子供の頃から嫌だった。

 

親が九州と四国だから、そもそも関西になじめてない自覚があって。

阪神が好きとか、ボケツッコミや、そんなのもあまりうまく出来ないし、その場のノリというのがどうしても苦手だった。

 

言葉使いを穏やかにしたらちょっとだけ自分のことが好きになれた。

 

基本的に、他人と話したりすることが好きなほうではないし、自分のことを話すのも好きではない。

 

だから、こんな自分が良く社長ができているなぁと思うことがあります。

 

関西にいたころの自分はあまり好きではなかったし、今の自分も全部が好きな訳じゃない。

 

言葉使いがブレると、「あ、自分は、まだまだ未熟だな」と強く感じます。

 

自分がブレているのなら、それは変えたいし、相手に合わせているなら、それはそれでブレないような相手との接し方や考え方にたどり着きたいなと思う。

 

「陰キャ」と言う言葉ができて、ちょっとだけ楽になった。

 

僕は無制限に陽気で前向きな未来を信じて経営してきたわけではないし、どちらかといえば悲観論に基づいて経営してきてると思う。

 

だから、そもそも、陽気な場所は苦手で、仲間が楽しんでてても遠くで見てるのが楽で良いのです。

 

そして、他人と話していると、相手の毒みたいなものを受けることがある。

 

やだな、合わないなとか、どうしてこんな言い方するんだろう、とか。

 

そこが引っかかってしまう。

 

その毒を笑顔と言葉でいなせる様になればいいけど、僕はまだ人間ができてないので、表情などに色々と出てしまう。

言葉には出さなくなってきた。

 

そこが大きな課題だなと思っています。

 

相手がどうあれブレない自分でいたいし、相手にも合わせない自分でいたい。

 
そろそろ老境に入るので、自分の考えや、行動原理とか、行動力学みたいなのをちゃんと確立しておきたいなぁと最近は強く思います。
 

 

世界が平和でありますように。

タイトル通りです。

 

仕事も暮らしも、遊びも全部。

 

平和があってこそ。

 

すごく嫌なことがあっても、嫌いな人がいても、日常の中で納まる範囲であって欲しい。

 

仕事はうまくいってるようないってないような。

 

そんなフワフワした状態は常に続いてます。

 

上手くいってると宣言できるときは、危険な時だし。

上手くいってなければ、無言で頑張るべき時。

 

だから、いまのフワフワした時は最上の状態だと思う。

 

政治についても世界情勢についても思うことはたくさんある。

 

難しいことはわからない。

わからないから黙れという風潮は嫌い。

けど、ちゃんと本気で学んでないのに、言いたくない。

 

だからふわっとしたことしかいえない。

言えないけど、言えないけど。

悲しい。

 

だから、せめて自分の周りだけは平和でありたいし、自分の心中も平和でありたい。

 

世界が平和でありますように。

 

そんなことを思いながら、今日も平和のためには何もできない。

 

せめて自分のことを自分で決めて自分で歩んで、ちゃんと合わない部分とは折り合いもつけて、自分が余力ができたら人様の為に何かさせて頂きたい。

そういう人生しか、歩みようがないと思う。

 

楽しくの前に、自分のことを自分でちゃんと定めてゆきたい。

”採用活動していて思うこと。”

 

弊社、現在、webディレクターさんの採用活動を行っております。

 

大変ありがたいことに、経験者枠での募集に応募が割ときてて、未経験の方も熱い思いを持って応募いただいてます。

 

いい会社にしたい。

いい会社とは人が辞めない会社である。

 

これを大真面目にやってきました。

もちろん、いい顔ばかりしてませんので、首にする人も数名いましたし、出ていって頂いた人もいました。

 

状況は大きく変わらず、僕もリストラをした経験をすることなく20年近く会社がやってこられたのは幸せなことだと思っています。
 
大きな勝負もしませんでしたので、大きすぎる発展もなかったかもしれませんが、それでも会社は成長させていただいております。
 
これから先のことはちゃんと考えて行かないといけませんが、後継者もいますし、僕一人いなくても何とかしてしまえる人がうちの会社におりますので、真面目に経営して、お仕事をしっかりしていれば、大きく踏み外すこともないかなぁと思っています。
 
いつか第二の創業期みたいなことを書いたことがあるのですが、今思うと、どの口が言ってるんだと思うくらい自分たちのことをちゃんとつかめておりませんでしたが、会社の役員はじめスタッフも仲良く、これからも、仕事をしっかりこなしていける人たちの集まりとして頑張っていけると思います。
少なくとも役員の派閥なんてありません。
そういう旧態依然としたものは事業の邪魔になるだけだと思っています。
 
個人的には会社が好きな人がいると思いますし、適切な距離感でみんないると思います。
 
僕は採用していることは言いますが、採用情報を見つけて頂くところは自分でやっていただきたいと思っていますのであまりダイレクトにURLなどを張ることはしません。
それもご縁のつなぎ方だと思うので。

 

会社のことを好きな人たちがいる会社なので、来ていたける人にも会社を好きでいて頂きたいですし、入社前にも是非、知って居て頂きたいです。

 
現在、あえて数は控えますが応募をいただけております。
本当にありがとうございます。
 

言葉を残そう

会いたい人に会い。

話したい人と話すことの大事さはわかっているつもりだけど。

人生は短い。

出来なこともある。

こちらのタイミングで「今」じゃないという時もあれば、先方の都合もある。

タイミングを逃すとそれだけで、人とのすれ違いははるか先になる。

けど、それも人生だからいいのだと思う。

 

そこを逃すと二度とその道は無くなるかもしれない。

会えなくとも言葉を残すことはできるので、僕はTwitter(X)やブログで話しているんだなぁと改めて感じています。

 

この文章をどうして書いているかというと、会いたいなぁと思っていたのに、頑張れば会えたのに、もう会えない人がいるからです。

そして、その立場がいつ自分になるかもわからず。

そういう風に思うと、他人との出会いは奇跡と出会いを大事にしましょうと言いますが、出会った後、こそ大事にしないといけないなぁと思いなおしました。

 

もちろん、心の中ではそういうこと思っていましたけど、改めて考え直しています。

 

自分は深く狭くというのが人付き合いの中心にあって、あまりだらだらとした飲み会や付き合いはしない方だし、それが好きなんだと思う。

 

利害関係が発生した時にとてもつらくなることが多いからだと思う。

 

自分にとって適当な距離間で、適当に付き合うのが大事だと思っています。

適当とは、 度合がちょうどよいこと。 

なので、常日頃から深いお話をすることがあるようなないような、そんな感じですので、僕は、言葉をちゃんと残そうと改めて思いなおしてます。

そして、仕事の時の写真もちゃんと写してもらおうと考えています。

じゃないと、僕は人様の撮影ばかりしてるので残らないので。

写真のことは置いておいて。

 

最近、更新が頻繁なのはそれが理由です。

縁起でもないとは思うかもしれませんが、人生の別れとはそういうもので突然にやってくると思います。

自分も老境に入り、そういう時のことを想定しておかねばならないと思いますし、まだ若いですなんてのは、言葉だけのもので、自分の体の調子などは自分が一番把握できてます。

病気があるというわけではなく、圧倒的に体力が落ちているのがわかるからです。

また、目が僕と同じ年代に比べて極端に悪くなってきてる。

目が見えなくなるかもなと思う時もありますし、これからはサングラスをすることが増えると思います。

などなど不調は多々。

そもそも家系的に短命であることも事実。

 

「常に備えよ」とは最近の僕の座右の銘の切る抜き。

 

危険が想定された時点で、動かないのは愚かなり、常に備えよ。

 

これが常の心構え。

 

自分の経営的な考えの部分はTwitterだとなかなか追えないし、やはりブログなどの記事が一番良いのだと思います。

というわけで、3連休も終わって、通常モード。

頑張ります。

 

 

 

 

 

何様?

自分は何様なのだろうか?

 

本当に本当に何様なのだろう。

 

自分はこうであると思いこむと、勘違いが起きる。

 

キャリアを重ねて、それが重たい雲のように邪魔なことだと思うことがある。

 

自分とは素直であるべくもの

 

と、僕は思っているが、本当に素直で生きていけないから、それを求めてしまう。

 

気持ちや感情はぶつけると色々と無駄な影響を生むこともあるから、僕はオブラートに包んで素直じゃない部分も抱えながら社会人として振舞っているのだろう。

 

本当に何様なのだろうか?と思います。

自分ごときが、偉くなったもんだ、と思います。

 

素直じゃない自分を操れるほど、自分は器用でもないし、そこまで体得する時間もない。

そして、自分で自分の考え行動を決めれるほどに、周囲に求めるように生きることがなんとおこがましいことだろうと思う。

 

長い年月と共に知らずに刷り込まれてしまった、自分の硬直した考えが勝手に何様でもない自分を何様かに変貌させているだけである。

 

ただ、頑張って働くだけでいい。

 

自分がこうである、自分たちはこうである、が邪魔して、それが1周以上回って、そうなってしまうのだと思う。

更には即時判断を逃す自分を生み出してしまっている。

 
そんな自分が嫌だった。

 

来月からとある経営塾に入らせて頂いて、新しいことを学ぶことになった。

 

経営塾では、僕はキャリア長い方かな?と思いこんでいたが、まだまだ若手だった。

 

本当に何様だと思っていたのだ。

 

世の中には凄まじいキャリアと、凄腕の先輩がいる。

 

そして、キャリアが若い人は若い人で凄まじい柔軟性と行動力がある。

 

僕が学ぼうなんて思うことも出来ないときに、学ぼうとしているのだから既に負けている。

 

自分は常に柔軟でいたい。

 

しかし、硬直している部分が確かにある。

 

だからこそ、それを疑い続けることこそ、大事なのだと思う。

 

 

友との再会

互いに多くを持ってなかった。

そのころの同僚が大阪からわざわざ新宿に会いに来てくれた。

 

友でもあります。

 

web上でのやり取りは割としていましたが、対面で会うのは実にウン十年ぶりだそうで。

 

積もる話が多すぎて、気が付いたら深夜。

 

お互いの立場とか関係の違いなどは、全く感じませんでしたが、ある意味で人生の責任というものを感じて、お互いがちゃんと実を持って生きていることを感じあった夜だったのではないかと思います。

 

友と呼べる人は本当に少ない。

 

そして、仕事を人生の中心にすると、そういうものを失っていく日々でもある。

 

友はいなくとも信頼とか信用してる仲間は増えてる。

 

利害関係が出るというのはそういうことだし、それでいいのだと思う。

 

その友ともまたビジネスをするかもしれないし、じゃないかもしれない。

 

けど、過去と今の話がないまぜで、最近だとあまりない経験だったなぁと思います。

 

あ、お互いに一滴もお酒が飲めなかったはずなのに、向こうはなぜか、飲めるようになってたか。

 

数少ない友人との再会は格別。

 

日々、細かなことを話さなくとも、交流はしている気持ちでいられる人がいるというのは、本当にありがたい。

 

僕は最近、弟に、北斗の拳の人物で

「トキの顔をしたラオウ」と言われたことがある。

その話をしたら、友人が、

「お前の性格で、よく会社やってられるよな」と言われた。

若かりし頃は同僚といえども僕は仕事に向き合うときは怖かったそうだ。

その印象は意外だったけど。

そうなのかな。

蛇足だが、僕の北斗の拳の憧れの人物は、山のフドウです。

 

僕にはあと数人、そういう人がいる。

あまり多くはないけど。

お酒飲んでの友達や仲間はほぼいないし好まないのに、それでも友情を寄せてくれてる。

あの場所にも、あの場所にもそういう人が日本中に離れても、いる。

そんな人間の為にも僕はちょっとは輝いて成果を出していかないとならない。

 

ビーズじゃないけど大事な人はみんなSTARS。

 

友とは並び立つもの

親友とは刺激しあうもの

仲間とは裏切らないもの

同僚とは支えあうもの

部下とは守るもの

上司とは働くもの

社長とは責任をとるもの

腹心とは自分より先にあるもの

自分とは素直で柔軟であるべきもの

 

 

 

ちゃんと心は死んでます。

タイトルが過激なのでご心配おかけしてるかもですが、表現の一つとしてとらえて頂けますと幸いです。

情で経営判断してないよというのと、決断するときはサクッと無感情でしますという趣旨です。

あしからず。

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ひとそれぞれ考えがあるけど、僕は長く考えを持ち続けていることに対して常に疑問を持たないといけないと思っています。

 

なまじっか長い間、会社をやってるとそれが、さも当然であることを、自分の好き嫌いではないか?とか、世の中とずれてないかとか思わないと、既に自分の頭が腐り始めていると思います。

それで、自分の中に正義があると思い込んでいると、もう終わり。

誰も助言もしてくれず、成長のきっかけももらえず、他人は離れて行くと思います。

自分はそうはなりたくない。

 

考えは人それぞれであることが当然で、それは自分の正義とは同じではないし押し付けられるものではない。

だからひとそれぞれでいいのだと思います。

 

ただ、決める立場である僕は、その権限の範囲内で色々と決めて行くことが大事だと思いますので、僕は自分がリスクを負う立場として決めますし、最後は断言もします。

 

それはその立場にあるからで、後ろに多くのスタッフと家族がいるからです。

とはいえ、それはかなりレアな状況だと思います。

僕はこう思うのでこうしますとは、ほぼ言わない。

 

「俺がこう思う」と責任ある僕が言うと議論の余地なんてないからである。

 

僕はこう思うんですが?どうでしょうか?がせいぜいで。

 

特に新人さんの意見は大事で、新鮮で、当然である部分をちゃんと指摘してくれる。

変わるチャンスもくれる。

 

だから意見を言ってくれる新人さんに感謝したいし、僕は僕でその責任の範囲と権限の中で物事を決定する必要があると思う。

 

意見は頂くが決定するのはすべてのリスクを背負っている僕で、権限のない人の決定や断言は組織とかチームを腐らすハラスメントであると思います。

そうじゃないのであれば単なるマウントでしかない。

だからこそ、責任者である僕が決めるのである。

決めるのが仕事なのである。

 

なので、決める前までは、そういうことは絶対にせず、と思います。

ハラスメントというのはハラスメントをしている人はまったく無意識なものだと思います。

だからこそ、無意識な部分への指摘や考えは至言であると思います。

 

その至言をどの程度受け入れて、決めるのは権限があるから自分がするのである。

 

自分は常に試されているし、自分は常に客観視を求められる。

 

時に冷徹な判断を求められるし、冷徹になる自分もいます。

感情はほとんどないです。

なにせ、自分の個人的な部分というか、平たく言うと、ちゃんと心は死んでいるからです。

 

最近、うちのスタッフと話す時によく言います。

ちゃんと心は死んでいるから大丈夫だよ、と。

心が死んでいるからこそ、情に流されず冷たくもあるが決断も出来るのである。

多くのスタッフは安心してくれます。

 

 

相反するこの状況を自分でバランスを取りながら、進もうと思います。

 

 

 

晴れの日には居ない。

僕は常々、会社はスタッフが主役だと言ってて、スタッフみんなが支え合いながらサバイバルが出来ていける仲間であればそれでいい。

 

だから、佳き日には、主役であるみんなが仕事を回してくれているので、僕なんていなくても全く問題がない。

むしろ数字にならない大事な仕事を人知れず行うのが良いと思ってます。

 

ただ、厳しいときと、平時には考えられないことが起きたときは、即断即決で行動して、ピンチをなるべく早い時間で平時に戻す、安定稼働を出来る環境を整えることが大事だと思っています。

そして常に、準備をしておくことも大事だと思います。

 

つまり、みんなが過ごしてて楽しい晴れの日には僕は居ないのである。

これは常にそう。

 

経営者は孤独であるというはよく言われる言葉ですが、それはこういう行動をしている人の心には突き刺さることだと思います。

しかし、長くなってくると、それが当然になるので、寂しいとか切ないなんて考えることもなくなります。

 

そんなこと言わず、別に晴れの日にいてもいい(居るべきだ)、と考えることもできるのですが、社長というのは存在感が大きいから、それくらいの考えでなければならないし、その孤独と戦って腐らず、前向きにいなければやってはいけない。

 

そして、人が何かしら成果を称えたっているときにこそ、冷静でいて、次の問題を起こさせないようにしないといけない。

 

人は眩しい時にこそ重大なミスを見過ごしてしまうものだと思います。

 

あえて言うと浮かれている場所に、社長がいると、それで全てが是となり、出来てなかった部分を探す人が出なくなる。

 

大きな成果が出たときこそ、見落としてしまっている陰に隠れた成果をちゃんと探し出して、日なたに居る人にこそ寄り添う必要があると思う。

 

むしろ、そこに居ない人のことを思って行動をしなければならないのだと思います。

 

僕はお酒が飲めないし、嫌いである。

それは浮かれている自分が嫌いだし、わざわざ自分から判断能力を下げたくないという想いがある。

そして、人生で浮かれるようなことをしてはならないと思っています。

常に普通でいい。

 

人にはそれぞれの才能と役割があると思います。

その役割をどうやって果たしていくのかを考えると、方法は様々にあると思いますが、それに性格が加味されると、僕としての正解はここにあると思います。

 

他の人であれば他の方法が取れると思います。

 

生き抜くためには、短期と長期で行動を整えて、会社全体のバランサーで居なければならないと僕は思います。

 

そして、社長には「顔」の仕事があります。

表彰をして頂くときは、必ず出席する必要もありますが、それ以外で、僕が「顔」を出すということは、オールオッケーでなければならないと思います。

それはそれで僕なりの理屈があるのですが、趣旨とことなるので、今回は割愛。

 

晴れの日には居ない。

それで良い。

それが僕を社長にしてくれると思って、長い歳月を過ごしてきて、今時点で誤りではないと思っています。

 

 

王冠

 

僕は会社の社長なので、王冠を被っているようなもの。

 

この王冠は、自分を甘やかすと腐ってくるし。

自分が怒ると熱くなって火傷する。

 

ただ、一生懸命に努力していると、輝いて、周囲の皆の灯になる。

お客様から声もかかり、仲間になりたい人が来てくれる。

 

眩しく輝いているときは眩しくて、寝れない。

眩しすぎると自分も周囲も見えなくなる。

 

だから、自分で自分の王冠の灯りを調整することが大事だと思う。

 

輝き過ぎても、ダメ。

 

何事もバランスが大事で中道が大事。

 

それを王冠を被っているものは自分で考えて調整していかないと、会社が長く続かない。

 

組織は上から腐る。

社長は頭から腐る。

 

腐らせる要因は、「欲」。

 

無欲であるように生きるには、お坊さんのようなそんな気持ちが一番近いのではないかと思う。

 

そして、その王冠を被る資格はあるのか、日々自問自答する必要がある。

 

僕はどこまでいけば、良いのだろうか?と時々、思います。

 

良く、守りに入ってしまえば進化なしということをいう人がいる。

 

けれども、会社経営においては、攻守ともにバランスを考えて、仕事しなければならないと思います。

 

急成長は敵である、と年輪経営を提唱する塚越会長もおっしゃられてます。

(塚越会長はトヨタ自動車の豊田章男会長の経営上の師匠でもあるとのこと)

 

トヨタ自動車のフラッグシップと言われたクラウンという車も、トヨタ自動車が本気で作り上げた車であり。

王冠である。

クラウンは、急死した父親が憧れ抜いた車、弟が仕事でクラウンに関わるかもということを聞いて喜んでいた父親。

大嫌いだった父親、大好きだった父親、今の自分があるのは親父のお陰。

いつかはクラウンという言葉が、ある。

 

しかし、僕は知らぬ間にクラウンを手に入れていたようで、自分にはこの王冠が唯一無二のものだと思います。

 

つまり車のクラウンは要らない。

自分の頭の上にある見えない王冠が大事。

 

さて、今まで通り、欲との戦いを再開することにします。