伊達と酔狂とRRJ!橋満克文(RRJグループ代表) -5ページ目

採用活動していて思うこと。

最近、うれしいことに、ウチが好きなのでどうしても入社したい、という言葉を頂く。

心底、うれしい。

 

うちの会社の良さを理解してくれて、入社前に勉強までしてくれて、一生懸命に意思表示をしてくださる方が多くて、不採用を言うにしても胸が痛いし、苦しい。

 

どうしてウチなんですか?

なんで野暮なことは聞いてないけれど、聞きたくなるけど、あのみんなの顔を見たらもうダメだなと思う。

 

けど、もちろん、見えてる範囲と見えてない範囲で色んなことはあるわけで、きっと理想通りというわけではないと思いますが、けど、その想いだけで、うちの会社のみんなは喜んでくれるし、相手を理解したいと考えてくれると信じていますし、願っています。

 

さらに最近大事にしないとなと思うことは、その人の背景。

 

働いてきた人生の背景を大事にしたいと思っています。

 

人柄というのは面接だけでは理解できないのですが、その人の過去であれば、その行動や考え方を教えてもうことで理解できそうだと思います。

 

過去の事実と行動はそのままその人の人柄を含んでいると思いますので、大事だなと思います。

 

うちの会社はいい会社だと思います。

けれども、それは僕が言っても何の説得力もないと思います。

 

ですので、良い会社とはどんな会社なのか。

そして、社長は無私の心でどこまで行くことができるか、とても大事です。

 

人それぞれには役割があるので、僕には僕の役割、次の社長には次の社長の役割があると思いますが、良い会社を作る、それは同じ思いだと思います。

 

良い会社を作りましょう、とは僕の敬愛している塚越会長の言葉。

良い車を作りましょうとは、僕の尊敬している豊田章男社長の言葉。

シンプルな言葉は強く、そして、誰にでも理解がしやすい。

 

さて、うちはどうなんでしょうか、ということで。

次の代に宿題を残しておきましょう。

 

 

事務所縮小

事務所を縮小しました。

 

全然人こないからというのも理由だし、コロナというのも理由。

 

リモートワークが出来ている会社だから、そもそもハコにお金かけてもね。

 

会社が成長しているときに、事務所を縮小するというのは、なんとも不思議な気持ち。

 

変な噂が立つのが嫌なので、会社の状況を話すと、スタッフの数はここ2年くらいで2倍になって、売り上げも上がってる。

 

新規に採用もかけてるし、更に採用活動をする。

 

不便だなと思うことはなくもないけどそれも数か月に1回くらいの不便で、そんなに困ることでもなさそう。

 

会社だけではなく組織の在り方、働き方も変わって、働き方改革とか言ってた時代の想定とは大きく違うけど、これはこれでよかった気がする。

 

僕自身と言えば、あんまり働き方は変わってなくて、毎日出社するし、ありがたいことに、僕を指名してくださる、現場仕事も比較的多い。

 

心から感謝してます。

 

社長というのは会議ばかりで、後ろから座って、デーンとしているというのは大手じゃないと無理で、中小企業の社長というのはそういうもんだと思います。

仕事が好きなので会社をやっているので、仕事ができないのはストレスになるということもある。

 

だから、僕は現場をやり続けることになると思います。

事務処理だけとか、現場だけとか、経営判断だけとか、そんなのは、僕らの規模の会社だとコスパがわるいと思う。

 

そしてそれは、出来なくもない、とも思わない。

 

仕事は下におろすべきとは、よく言われていますが、降ろしていても、こんなもんだと思います。

 

事務所は縮小しましたが気宇も規模も大きく、これからも仕事をバリバリしていきたい。

 

 

苦楽の楽

時々、寂しい気持ちに襲われる。

 

自分のことは自分でなんとでもなるけど、他人のことは人に任せるしかない。

 

知恵も度胸も行動力も全部、一人称だった時代があって、

会社には歴史があって。

それが俺たちの時代に、つまり役員の時代があって。

 

それが始まった時、以来、僕がやってるのは燃え尽きるように自分を消していくこと。

 

自己否定と再出発の連続。

 

個人を失うことにより、判断をゆだね、考えなどが仲間の中に溶け込んでいく、会社は生き物だから、徐々にそれで成長していける。

そして、その中で忖度が生まれたときは、それを潰す。

忖度は社長の気持ちというものだから、自分で自分の気持ちを潰すことに繋がって、自己否定が進む。

 

創業以来、ずっとバントをやっているような気持ちで、役員と、会社の成長という同じ目標に向かって進んできた。

日々はライブで、ライブとは生きること。

 

会社を進めてきて、何人かのメンバーと、苦労とジョークと時間を共にしてきた。

何名かの仲間と思えるメンバーとともにサバイバルを続けている。

それが18年以上の歳月であったこと。

 

仲間は裏切れない。だから裏切らない。

 

 

時折、現れる。

楽しいという言葉。

 

苦楽の、楽なんてもんはウソ。

 

そう思ってる。

 

楽の正体はただ単に楽しいではない、自分が楽ということ。

 

仕事を通じている以上は、自分が楽という視点はあり得ないだろう。

だから、楽しいはいらない、仕事はそもそも楽しくはない。

 

だから、あるのはジョークでいい。

もしくは、真っ当な利益。

 

寂しさに襲われるのは、気持ちがまだ揺れているから。

 

全員を守りたいが、守れない、そんなことが起きたとき、どうすればいいんだろうか。

 

会社が成長することが失うものがある。

 

他愛のない会話。

 

他愛のない会話。

 

ジョークを失って、真っ当な利益のみの苦楽の楽。

 

それをそうとして割り切るには、寂しい。

 

 

 

 

 

 

プライドと見栄。

 

見栄とプライドで崩れていく。

 

ギリギリまで一生懸命に見栄を張って、踏ん張って、格好悪い自分を見せていると言いながらも実は見せてない。

だから倒れてしまうときは、一瞬で、周囲が驚いてしまう。

そんな場面を何度か見てきて、僕はそれを我が身の事として身につまされてるようなそんな経験を過去何度かしてきた。

その場をみたり、立ち会ったりできたこと自体は経験として尊いものだが、それでも一緒に走っていたかったそんな気持ちが今でもわいてくる。

 

僕自身は、自分にこのようなことが起きたら怖いと、震えながら、臆病になって、自分でそれが格好悪いなと思いながらも、直視して生きてきた。

多分、死ぬな。

こうなったら俺は死ぬな。

そう思うと、生きた心地もしない。

その気持ちを忘れず、いまでもずっと怖いまま。

 

朝、ホームレスの方を見て、明日は我が身だと思い、病気になった人の話を聞き、人生はままならないと思い、事故に遭った人の話を聞けば、命があってよかったと安心したり、そんな考えて生きてる。

 

僕は財布の中に30円もない時代を経験して、お腹がすいても食べられないそんな時代もあった。

だから、僕は今でも1日1食だし、それに慣れてしまって、すっかりそのまま。

 

もともと、何もない。

何も持ってない。

 

自分は失うものなんて何もない。

いまの立場、今、手元にある僅かな金銭は、僕は預かりものだと思うことにしたので、様々なのものに執着がなくなった。

執着がなくなるとプライドがなくなる。

意地も、見栄もなくなる。

 

そして、その代わりに、生き方の中には美学が生まれる。

強くもなる。
そして、最後には本当に優しくなれると思う。

 

だから、僕には、見栄やプライドはじゃまだと思った。

 

僕は、車を運転しているけど、擦り傷がついても直さないことにした。

 

どうして直すのだろうかと考えると、人様からの見栄え、信用の問題もあるけれど、結果、自分の見栄だった。

そもそも、言い訳はあれども、自分でやったことだし、それを恥ずかしいとか、思うなら、そうならないように気を付けて運転すればいい。

 

見栄。

修理するお金は、別の何かに使える。

使わないならば日々の備えであろうと思う。

 

周りがあまりに不景気だから。

 執着なんてロクなもんじゃない。

そんなことを書きたくなった。

 

僕の財産はきっとお金では買えないものばかりだから、ここから自分が年金暮らしできるところまで、周囲にいるみんなの生活が守れれば満足。

 

酒も飲まんし、ギャンブルも興味ない、暇な時間は、散歩すればいいと思うし、音楽も映画も色々と安く楽しめることはあると思う。
全部、預かりもの、返すものという考えて、物事をとらえればとても楽だし、あとは繋ぐものであると思えば、人生は豊かになると思う。
 
生きていくのに勝ち負けはないけど、見栄とかプライドが時折、勘違いを引き起こして、そこにとらわれるとそんなことを考えてしまう。
 
不況のせいか周囲が倒れていく、寂しい。
 
僕は、僕の役割を果たし。
 
美学をもって、静かにみんなと過ごしていければそれでいい。
 
プライドはいらない。見栄は無駄。

 

その美学を、よりカッコいい言葉を変えれば高潔なる魂とでも言うべきか。

 

 

 

ロックンロールジャーニー

 

 

1972年David Bowie(デビッド・ボウイ)は「Rock 'N' Roll Suicide」と言った。

 Mott The Hoople(モット・ザ フープル)は「Rock 'n' Roll Never Die」といった。

Lenny Kravitz(レニー・クラビィッツ)は「Rock And Roll Is Dead」と言った。

僕は「Rock 'N' Roll Journey」と言った。

サンボマスターは「ロックンロールイズノットデッド」と言った。

 

デビッド・ボウイの縁のある京都で僕は思春期を過ごし、大阪城ホールにレニー・クラビィッツのライブに行って(全然出てこなかったので)ムカついて、サンボマスターを会社のみんなで見に行って勇気をもらった。

 

 

Rock 'N' Roll Journey

 

僕がこの言葉を使い始めたのは、18歳の時、恐らく友達がピックアップトラックを買った年だと思う。

だから、1992年か93年くらいだと思う。

 

社会人になって、自分がトンガっているのかもトンガってないのかも意識すらできなかったけど、一生懸命、反抗しながら、何か、いや誰かの背中に追い付こうとしてた。

 

誰の背中だったかと思うと、いま思えば親父の背中だったと思う。

知らない間に追い抜いてしまった後に、虚しさを感じた。

あ、俺は親父にただ、ただ、強くいて欲しかっただけだったんだ。

そう思った。

(これは2021年10月1日の明け方にそう思ったのでここに書いておきます)

 

2004年に創業し、社名変更の2006年、RRJ。

ロックンロールジャーニーという名称を迷ったが、断念した。

まるで遊んでいる会社みたいだし、奇をてらう程の実力もないのにこんな名前は自殺行為だと思った。

だから、アールアールジェイにした。

カタカナにしたのは、アート引越センターが電話帳で一番上に来るように社名を付けたという話を聞いたので、アールアールジェイ、カタカナにした。

 

仕事が始まり一番大事にしたのは人が辞めない会社であること。

だから、辞めないと、思える仲間になることを大事にして走ってきた。

うちの仲間はみんな、いい奴らだし、義理も人情も約束も大事にする。

言葉の重みを知ってる、そんなんが多い。

 

仲間の定義ってなんですか?

裏切らない事

じゃあ、バンドのメンバーは仲間ですか?

いや、メンバーは、一部っていうか、共同体というか。

 

と、チバユースケはインタビューでそんなことを答えてた。

 

そんなことを、僕も大事にしてきた。

ロックンロールジャーニーと僕が言い始めたころ、いわゆる青春時代ってのだと思う。

だから、甘ちゃん。

今思えば超甘い。

現実見えてなかった。

 

実力よりは情熱の比率が大きくて、ハイラックスのピックアップトラックでエアロスミスを爆音で流しながら、EAT THE RICH!!!とか叫んでたけど、今思えば、これは初心を忘れるなという意味あいのことばなのに、金持ちどもを叩き潰す!みたいなことを思って叫んでた。

 

僕は叩き潰せたのか、巻かれてしまってんのかな。わかんない。

けど、まずはなんとか自力で、立ててる。

 

週末は朝まで走り回っていたので、いま考えればロクでもないし、ロックでもないそんな時期。

けど、考え方は、裏切らない仲間と己をもって旅を続けることだったと思う。

 

1995年まで、俺は大学受験もうまくいかずに、浪人中で、それでも遊んでた。
 

 

2浪中は勉強は割かししてたけど、そんなには賢くもなれてなかった。

勉強する目的がわからなかった。

それをずっと悩んでた。

 

2年間の浪人、偏差値低くて40前半ばかり、なんだかもう受験なんてのは自分探しのツールでしかなかった。

けど、口ではカッコイイこと言ってたけど、自分は探してなかったし、そんなのは今でも見つけられてない。

 

当時は、人生に意味はあるのか?みたいに思ってた。

 

しっかりせい!親父に怒られてた。

母親にも迷惑かけた。

金の大事さもわかってなかった。

浪人させてもらえることのありがたみ、そんなのは知るかよ、大人の世界の事だとイライラしてた。

仲間は裏切らない、大事なのは仲間だとか思ってた、

親父は言った「社会に出たら友達なんていない」と。

いまならよく理解できる言葉だけど、当時は全く理解できなかった。

とにかく仲間と遊んだ。

金なんて要らないとか、そんなことも言ってたけど。

遊ぶ金は、多くは親の金。

 

受験の時期に、阪神淡路大震災が起きた。

俺より偏差値が高い人が震災の影響で受験を落としていく。

 

遊んでいた俺が、自分の実力以上の大学に受かってしまった。

 

人生というのが、いよいよ、わからなくなった。

 

根本の反省も、想念も成熟しないまま、僕は、ロックンロールジャーニーという名のよく言えばドライブ、悪く言えば徘徊を続けてた。

 

大学には友達は2名+1名の女友達。(いまでも大事な仲間)のみ。

 

教授とは喧嘩するし、友達だけじゃなく、運動部の脳みそが筋肉でできたような意味不明の先輩至上主義の連中に絡まれて喧嘩、色々とはき違えてた。

 

けど、一切の後悔はない。

自分がまけと思わなければ負けてない。

そんな言葉が支えだったかもしれない。

 

1999年、就職の時期に、親父が就職を勧めてきたのを全て蹴りつけて、無職になりそうになって、受ければ誰でも入れるような、そんなところに就職。

キャッチセールスの世界で働くことの厳しさ、難しさを理解し始めた。

すぐ会社は辞めた。

これも社長と喧嘩というか、部下に休みをくれっていっただけ。

休みはなかったけど、それでも、ロックンロールジャーニーは続けていた。

 

いずれ、大阪の今でも大好きな、僕を拾ってくれたシステム開発会社のボスから、東京で自分を試してこいと激励を受けて、僕の運命を全て切り開いてくれた東京。

(人数はうちの方が大きいけど、今でも僕はあの会社には勝ててすらいない)

 

2000年11月。(正確には2000年10月22日富士通に入社)

渋谷ITの中に身をゆだねていくことになる。

激しい時代だったし、活気のある時代。

ベンチャー企業の出向、シェアオフィス、隣にセールスフォースがいて、@ITがいて、オラクルの創業者がいて、追い付くのに必死。

スピードも速いけど、自分の至らなさを痛感していた。

 

上京して、ロックンロールジャーニーはできなくなった。

仲間が身近に居なくなった。

敵だらけ。ライバルだらけ、けど、大好きな先輩は少しいた。

 

ある意味で、ロックンロールジャーニー、それを失ったそんな時期。

母親も親父も死んだ。

特に、親父、勝手に死にやがって!

 

2021年11月と考えるとあれから20年。

そっか、上京して20年か。

 

20年たって、自分が何を取り戻したのか、そして、自分が何を失ってこれから何を得るのか、わかってきた気がする。

 

そして、僕は「Rock 'N' Roll Suicide」に戻ってきた気がする。

 

You're not alone
Just turn on with me,
and you're not alone
Let's turn on
and be not alone
Gimme your hands,
'cause you're wonderful

 

いまの僕の心の中には10年間の潜伏期間を経て復活した、あのスーツ姿のデビットボウイのHerosが流れている。

やさしく、HEROはYOUだよ。YOU、YOU、と歌ってる。

 

仲間へ。

そして、ロックンロールジャーニーに仲間と一緒に僕が、組み込まれていく。

ひとりじゃないもんな。

 

まだまだ、甘ちゃんだなと。

 

プロトコル

ふと、無意識で出る言葉。

もっというととっさに出る言葉ということも含むと思います。

 

僕は普段は割合、フレンドリーに接して頂くことが多いのですが、仕事となると頑として厳しくなるという側面があります。

それはそうですよね。

スタッフを食べさせないといけないので、責任者である社長が一番厳しいものだと思います。

ですが、なぜかお飾りの社長と思われることも多いようです。

ですので、ガツンと仕事で指摘されたり問題提起をすると、その印象とのギャップで、好きになってくれる人はとことん好きになっていただきますが、嫌われるときはおそらく嫌われてしまうのだともいます。

とはいえ、嫌われることは恐れもしません。

そもそも、仕事の現場で好き嫌いで物事を進めるレベルになってしまうと、もはや無理して一緒に仕事をする必要がないということになるのだと思います。

 

さて、とあるお打ち合わせで、(一応、僕は支払いする側つまり発注者だったりもします)

「上長の○○は忙しいので、今日はパスさせていただきました」といわれたことがあります。

 

こういう言葉を聞いてしまうと、

俺も暇ではないんだけどな、

パス?なんだその言葉?

軽く見られたもんだなと思うこともあります。

 

「私も暇というわけではないですけどね」

くらいは口に出したりもします。

 

すると、帰ってきた言葉が「スミマセン、うちチャット文化なんでナチュラルに失礼なことを言ってたとしたらスミマセン」でした。

 

僕は苦笑いです。

そして次のお仕事はお願いしたくはないなと思います。

 

僕がお仕事を頂く側だとこれは気にも留めません。

 

しかし、お仕事を発注する側としては違和感がすごく出ます。

 

これは、多分、悪気なく無意識に言葉を言っている類のものだと思います。

日々の業務での言葉使いが、付き合いが長くなると、狎れてしまって境目がなくなってしまったのだと思います。

 

チャット文化といわれるものは、枕詞など排して、シンプルに思うままに言葉を使い、敬語すら邪魔という考えなのだろうと思うのですが。

僕はそこに違和感があります。

 

ここで何が書きたいのかというと、無意識というのが怖いということとと、チャット文化はしっかり使い分けないと、事故になるということです。

 

チームで仕事を融通し合っているとき、もしくは協業関係の場合は割合、通用するかもですが、そうじゃない時、つまり受発注の時は、お客様が静かに離れていく、きっかけとなりえるので、個人的には非常に怖いと思っています。

 

慣れと狎れは違うとよく言葉に僕はしてて。

 

狎れてしまうと、ああ、これくらい大丈夫かなと思ったり、面倒に感じていたりする雰囲気が出てしまう。

なんでも杓子定規に対応すれば良いというものでもないのですが、そこはバランス感覚だと思います。

バランス感覚とはあいまいなので、その部分をさらにかみ砕くと、失礼のないようにすると理解すればしっくりくるのかもしれません。

 

こういう無意識の言葉や行動は、日々、意識していないと治らないし、普段の心の底の考えが写っているものでもあると思います。

 

あ、そこ手を抜くんだとか、あ、そういうこと言っちゃうんだ、というのは割合、多くの人に見抜かれているのだと思います。

 

最近のコミュニケーションの流儀は、割合にチャット的といわれているのですが、チャット的にすることのメリットの最大のものはスピード感なので、スピード感が保てるならばどんな方法論でもいいですし、そもそも論として仕事の結果を出せていれば何ら問題ないと思います。

 

 

プロトコルということば、がインターネット黎明期にありました。

 

プロトコルとは規格ということで、つまりは接続するためのルールということです。

 

若い人と、我々、老境年代は会話のプロトコルが違うので、そこを混ぜるのはかなり危険だと思いますし、若い人も多くの場合、混ぜたいとも思ってないと思います。

 
チャット文化とか言いながら、そこに大先輩が混じると、非常に居づらくなる例があると思います。
 

そうなってくると年代別のゾーニング、職責ごとのゾーニングなど大事なんだろうなと思いますが、そもそも、ビジネスマナーを守ってればこんなことで悩まなくて済むというか、なんというか、普通につつがなくやっていけると思います。

親しき中にも礼儀ありとはまさにですので、失礼のないコミュニケーションをとるためには無意識で狎れた言葉を使わない環境を保持しておくことはとても意味があると私は思います。

 

個人主義か連帯責任主義か。

自分の食い扶持は自分で稼ぎましょう。

 

自分の食い扶持、つまり給料は、自分で稼ぎましょうというお話は割かしどの会社で勤めていた時でも僕は上長から話をされました。

 

時代じゃないですといわれればそれまでかもしれませんが、会社というのはない袖は振れないので、どう考えても最終的にはそういうお話にたどり着くのだと思います。

 

これが言えないのであれば僕は時代を否定しないといけないかなと思います。

 

ただし会社は、みんなで支え合っているので、それを厳密に突き詰めなくてもいいなというのが弊社の空気感としてあったのですが、ちょっと人数が増えてくるとそうもいかなくなってきたなというのがいまのうちの感じかなと思います。

 

これは率直に思ってしまうことです。

 

 

連帯責任チーム戦で頑張りますというチームもあればそうじゃない考えのチームもあると思いますので、同じ組織の中でお金の稼ぎ方が変わってくるのだろうなと思います。

 

そして、当然、経営層は、だからといって責任を免れるわけもないので、最後はどちらにしても僕が責任を負うことになるし、自由にやるなかで借金とかできてしまえば、全部僕個人が被るんだろうなと思います。

 

ですので、それくらいの覚悟とは迫力で事業を進めておりますが、だからといって僕以外のスタッフは同じ感覚ではないと思うのもそうだと思います。

 

そして借金するならば納得しないと僕は借り入れはしないです。

それだけではなく給与の支払いも納得して支払いたいです。

 

僕は借金背負いたくないので、借り入れしないで済むように利益も上げていくということを目指して現場には頑張ってもらうようにしてもらわないとならないわけですが、これってどうしても現場には伝わらなんですよね。

 

ですので、最低限、自分の食い扶持は自分で稼ぎましょうといのは守って欲しいですし、いうことになるのかなと思います。

ちなみに僕は僕で自分の給与以上は稼げていると思います。(現場やっていますので)

 

さて、

利益を上げるには、売り上げを上げることと、コストカットどちらかだと思います。

そんなの、わかってますと考える人は、

なにか本なりで勉強した人か、きっと自分の財布でこれをやったことがある人だと思います。

 

そのどちらかを選択しながら、更には、無駄も削減しないとならない。

 

これってコストカットではないですか?といわれそうですが、そうではないです。

 

無駄というのは、支出もあるかもですが時間もです。

時間もコストだから、やはり意識しないといけない部分であろうと思います。

時間が削減できれば別のことができるようになるので、その別のことを積極的に行って売り上げを積んでいかないとならないということになるだと思います。

 

その為には自分はこれだけやるという意識ではなかなか達成しにくいのではないかなと思います。ですので、なんでもやる、ですとか、別のことをやりたいとかそういう意識は持っていてもらいたいのです。

 

この文章を見て全否定できる人なかなかいないと思います。

 

ない袖は振れない。
この事実だけは最後まで残ると思いますので。
 
ですので、これからの会社は若干、実力主義でやることになるのかなと思います。
チーム戦希望の人はチーム戦でもいいかなと思いますが、並立はできにくい、そんな部分が残るので、ここはとても悩ましいなと思います。
 
心の中に結論はあるのですが、それをいま明け広げることはやめておきたいと思います。
 
 

 

未来への選択肢

豊かな社会とは、選択肢が多いことであるとは、民際学で僕が学んだ言葉。

それが多様性であると、定義されてる。

 

龍谷大学時代に中村尚司先生に僕が教えてもらった一つ。

 

先生に多くのことを教えてもらって、多くの試行錯誤を得て、僕は経営者として大きな指針を得た。

 

それを時折、突き詰めて、経営哲学にどう活かすかを考えるときがある。

 

自分の思う経営哲学の一つに、ダサいことはしない。

というのがある。

カッコよく言い過ぎかもだけど。

 

これは自分の尺度の言葉で、ダサいというのがあいまいなので、似た言葉を並べてみる。

 

自分が認めれないことはしない、

美しくある、

カッコよくある、

分かりにくいんで、更に嚙み砕く。

 

家族に言えないようなことはしない。

大事な人に情けない姿を見せない。

自分のプライドを、心を腐らせない。

くだらない欲望には負けない。

人を愛するということをちゃんと理解する。

守るということは、どういうことか理解して行動する。

悪者に憎まれ役になるべき時はしっかりなる。

 

いま浮かぶのはこんな感じ。

 

その上で、親父とお袋からもらったもんなんで、命はかけない、、、、、、、だが人生は自分のもんなんで、人生はかけて行動する。

失敗したら、自らもちゃんと裁く。

 

自分の意思を持って、人生の長い道を共に進むというのがロックンロールジャーニーとはよく言ったもんで、外野にロックじゃねーとかロックだとか言われたくもねぇという感じ。

 

だけど、ちゃんと考えてんだなと、20前後の俺は今思えば気宇だけはデカくて、今や、おっさんも過ぎて、爺さんになりつつあるけど、内面は変わってないと思う。

 

だから、時代に取り残されてんのかなとも思う。

ゼリーとか、チューインガムとかは相変わらず嫌い、最近は、花が好きになってきた。

チューインガムが好きなジョジョの奇妙な冒険のイギーは好き。

 

さて、話がそれた。

何が言いたいかというと、選択肢の話だった。

 

それたついでに、

変わったといえば変わったかなと思うけど。

やっぱ、心の中では燃え滾る感じは変わってないし、あんまり創業時とかわんないくらい、たくさん働いているかなと思う。

 

で、選択肢に戻る。

 

多様性ということが大事だという世の中。

それはそれでいいかなと思うけど、多様性をを持つことが意味なく良いこととされてはならなくて、多いということが大事なのではなく、自らの意志を持って望んだ選択肢を増やして、豊かになってく。

ここが大事だと思う。

 

なので、僕は先生のロジックを経営哲学上は、一部、否定する。

そこに意志がないと会社としては意味がない。

俺の人生も意味がない。

 

望まない選択肢はいらないし、できれば望んだものだけで、進んでいきたいけど。

ままならないこともたくさんあって、自分の見えてる選択肢は、経験が重なった分だけ、実は少なくなってる部分もあって、経験を重ねるとはっきり見えてものが、わかって、時折、切ない。

自分の想像以上に。

歳月は早い。

選択肢は多いけど、選べる選択肢が少なくなってきてて、きっと自分はいま貧しくなってると思う。

ちょっとした絶望。

 

金で買えるものは所詮、金で消えていくもの。

媚びるやつもいらないし、媚びてまで友達も仲間もいらないし、好きな奴は好きだし、嫌いな奴は嫌い。

 

そんなんが欲しくて、四畳半一間で始めたのがロックンロールジャーニーではないので、ロックンロールジャーニーはロックンロールジャーニーとして再始動していくべきなんだと思う。

(このくだりは僕と本件について、話してない人には意味不明な人だらけの表現となります)

 

真剣ならば、離れてても伝わるし、考えとか志とか意志とかいうものは今風に言えばDNAとかいうものだと思う。

命までかけはしないけど、人生かけているから、守るべきものは、ちゃんと守る。

自分のしょい込んだ責任はちゃんと果たすし、投げ出さない。

 

ひとつ、選択肢を増やすことにした。

 

この意味についてはきっと、もっと先の先の先に、見えてくるのかなと思う。

すがすがしい気持ちで、そこに臨んでる。

 

ときを戻そうとある芸人が言った。

バックトゥザフューチャーとはよく言ったもんだと思う。

 

今からの少しの間でやることがが、自分らしくもあり面白いそんな、時期になると思うとなんとなく、自分のことを少しだけ、ほめてやりたくなる。

 

お前、ちゃんと欲を捨てきれてるなと。

 

もはや、僕自身は普通の人生ではない。

 

だから、傍にいて欲しい人たちのために、守るべき人のために、僕はロックンロールジャーニーを再始動させんだなと思うと笑えてくる。

 

気持ちは四畳半一間。あの時代に、ついて来たいと思ってくれる連中をちゃんと連れていこうと思う。

 

バックトゥザフューチャー。

 

自らの意志を持って、長い人生の旅をすることがロックンロールジャーニーであると今更ながらに思い出した。

 

そして、ジョジョの奇妙な冒険の第六部じゃないけど1周したんで、ちょっと変わってんだよな。

 

意思が、意志に。

この微妙な違い。

最後、ピカンチみたいだな。

そういえば嵐も活動停止か・・・・

 

この文章には主語述語がない文章があるというのもなんかアレ。

 

こっからは、もう少し、カッコよく行く。

変わらないことも大事

 

変化を求められることも多いと思うのですが、変化しないということに対する評価があってもいいんじゃないかなと思います。

 

目立つから評価される。

 

これを変えないといつまで経っても、見えないところで達頑張ってくれてている人のことは見えないままであると思います。

 

会社の組織が少しだけ大きくなりましたが、僕は見えない場所を見るように意識をしないと、上がってくる声だけだと間違った判断をするなと思っています。

 

また、人数が多くなることが必ずしも幸せではないし、メリットがあることでもないと思いますので、ちゃんとバランス感覚を持って、状況を見定めないとならないと思っています。

 

小さな会社は、スキルの濃度が濃いままで維持ができるというのは、何かの本に書いてあったことで、スピード感から意思決定など素早く行えるということは本当にそうだと思います。

 

大手は大手で小さなワンミスは組織の中でカバーができるので、その点は、強い部分だと思います。あとはより大きな事業が展開できるようになるという点も強さですね。

 

ではうちのような中小企業はどうなのか?と思うと。

 

やはり小さな会社の視点で物事をくみ上げていくべきで、例に挙げると「YES」をとるための確認などが出始めると要注意だと思っており、どんどん良いと思うことは現場レベルで判断して、先に進めていくことが重要なのだと思います。

 

判断が遅いことこは、全体のスピードを下げるので、なるべく早く決断をしないと思いながらここ数か月を過ごしてきました。

 

僕の性格上、起きたこと、行ったことなどは自分からは口外する気もなく、言う必要性も認めないと思っていますが、言葉にしないと伝わらないこともあるのだと思います。

 

見えてるもの、言葉で出たことがすべてではないと思います。

 

 

 

 

 

 

18期に入りました。

本来であればもう少し早い時期に記事にすべきところでしたが、今回は特段の事情がありこの時期の更新となりました。
色々とバタバタしていた、というのが理由ですが、これ以上の言葉が思い浮かびませんので悪しからずご容赦ください。

会社は日々進んでいますが成長はいったん止めました。
(止めたというべきか、止まらざるを得ない状況というべきか)

決算業務を煮詰めていくなかで、初めて、税理士さんから言われました。
橋満さん、遺書をしたためておくべきです。

さて、大体、こういう時に、ろくでもないことを僕は言うのですが、性格といえばそうですが、かなり大事なことだと思います。
始まりの時に、ちゃんとゴールを決めておく。

戦略、戦術、実行。

目標がないと戦略は立てられないので、ゴールを決めるということが始まりであると思っています。

現実は、そんな高尚なことばかりでもないのですが。

話がそれにそれたので、戻すと、

18期に入りましたので20周年を想定できるながれとなりました。
ですので、頑張ろう!

と僕が本心で書けば、僕は僕に怒られることになります。
これこそが気の緩みです。

目の前の現実がある中で、見えてもない未来が来ると思い込んでいるこれがよろしくない。
物事が大台に向かうと途端に目先が見えなくなり、つい知らぬ間にできた思い込みに縛られるということがあります。

 

危機を脱した瞬間に失敗する。

目標達成まで、あと一歩のところで、失敗する。

こんな事例はたくさんあります。

 

問題があったから失敗するので、それがどこで表面化するのか。

それが違うだけなのだと思いますので、時間が問題を解決してくれることなんて何もないと思います。

考えの乗った、行動のみが、問題を解決してくれるものだともいます。

さて、弊社、役員を除いた、管理職が7名となりました。

ですので、管理職に求めるものが、
名実ともに管理職であること、
自浄作用がある会社組織となるように振舞いつつ、部下を守ること。

僕には僕の社長としての振る舞いというものがあります。
心とそれがイコールではない時もあります。
とはいえ、根底には、もっと大きな気持ちがあって、それが間違ってなければ、振る舞うということも大事なのだと思います。

本当は怒りたくないなんだけどなぁ、けど、ここでちゃんと強く言わないと愛じゃないだろ、
とか、
根拠なくとも大丈夫と伝える、安心してもらうためにも、けど、いまはまだ大丈夫じゃないから、自分で、裏で何とかするしかないけど何とかしてしまうしかないから言い切っちゃおう、とか。

「名実ともに」「振る舞い」この言葉を最近はよく言っています。
それ以外だと、「自浄作用」「総括」「仕組み作り」「安全地帯にいるな」とか、そんなことを言葉にしている気がします。

「なにができて、どうあるべきで、なにができるのか」これは言ってないけどよく思っている言葉。

会社が成長するということは、売上とか人数とかそういうことだけではない、みんなが同じ方向と結果を求めて進めているということだと思います。
そういった意味で、僕は会社の成長を止めました。

そして、これから成長に向けて準備する期間を少し持って、そこから、また、進むということだと思います。

その時期時間を持てたこと、そして、今までの自分たちがすべて正しいという甘えがあればこれを崩す良きタイミングと思っています。

こんな大事な機会は滅多とこない。
そして、会社の哲学がここで強化される時期です。

僕の大好きなトヨタ自動車の綱領。
ど真ん中にある「質実剛健たるべし」、心に響きます。

格好だけのヤツ、キライ、言葉だけのやつ、キライ。

 

 


豊田綱領

豊田佐吉翁の遺志を体し

    一、上下一致 至誠業務に服し 産業報国の実を挙ぐべし
    一、研究と創造に心を致し 常に時流に先んずべし
    一、華美を戒め 質実剛健たるべし
    一、温情友愛の精神を発揮し 家庭的美風を作興すべし
    一、神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし

さて、世の中に宣言するようなことは何もない。

黙って、進むのみ。