下立売通花屋町西入るにある平安宮内裏内郭回廊跡碑です。

 

 

平安宮内裏内郭の周囲を囲っていた回廊跡。内裏は天皇の住まいを指します。平安宮内裏は平安宮の一角、平安宮朝堂院の北東にありました。

平安宮内裏は平安京遷都と同時に延暦13年(794年)より用いられました。天徳4年(960年)、初めて焼失。村上天皇は後院(退位後の上皇の住まい)の一つであった冷泉院に内裏再建まで住みます。天延4年(976年)に内裏が焼失した際、円融天皇は関白藤原兼通の邸・堀河院を仮皇居とし、貴族の邸宅を皇居とする里内裏の始まりとなりました。一条天皇の代には内裏が3度焼失。鳥羽天皇の頃よりは天皇は通常里内裏に住み、行事の際に内裏入りするようになります。嘉禄3年(1227年)、平安宮内裏は16回目の再建途上に焼失して以降は再建されず、里内裏に移行しました。

大内裏廃止後、一帯は荒野となり、内野と呼ばれました。天正15年(1587年)、関白豊臣秀吉が内野に聚楽第を建設。文禄4年(1595年)、豊臣秀次切腹により聚楽第は棄却されますが、このとき徹底的な破壊が行われたため、その地下にあった内裏遺構も残りにくくなったと考えられています。

昭和38年、下水道工事に際して壇石を発見。昭和44年と昭和48年の発掘調査で回廊跡が発掘され、昭和54年、「平安宮内裏内郭回廊跡」として国の史跡に指定されました。平成20年、平安宮豊楽殿跡と合わせて「平安宮跡 内裏跡・豊楽殿跡」と名称変更。平成29年、「平安宮跡 内裏跡・朝堂院跡・豊楽院跡」と名称変更されています。

 

 

内郭回廊跡。

 

 

 

平安宮内裏内郭回廊跡碑;京都市上京区下立売通千本東入田中町