平安宮朝堂院跡碑~平安宮朝堂院跡 | 古都の礎

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千本丸太町にある平安宮朝堂院跡碑です。

 

 

平安宮朝堂院は、平安宮の一角にあり、国家の政務が行われたところ。

朱雀門の北正面にあり、塀と廻廊で囲われ独立していました。朝堂院には、国家の公式行事を行う大極殿、官僚が日常業務を行う朝堂(八省堂)、出勤した官僚が会昌門が開くまで待機する朝集堂などがありました。朝堂院の呼称は平安宮において初めて見られ、それまで分離していた大極殿と朝堂が一体化。天皇が出御する大極殿は龍尾壇と呼ばれる壇を設けて朝堂よりも一段高くなった壇の上に建てられました。

広大な平安宮を維持するのは困難となり、政治の場は次第に天皇の住まいである内裏に移ります。朝堂院は貞観18年(876年)に焼失、天喜6年(1058年)にも焼失。いずれも再建されますが、安元3年(1177年)、安元の大火で焼失後は、朝堂院が荒廃していたこともあり再建されませんでした。

 

 

 

平安宮朝堂院跡碑;京都市上京区千本丸太町