花園にある麟祥院です。 

 

 

妙心寺の塔頭。東海派。

寛永11年(1634年)、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母・春日局の京における香華寺として、碧翁愚完を開山として創建。徳川家光が寺領200石を与えます。寺号は春日局の法号・麟祥院殿仁淵了義尼大姉からとられました。当初は仁和寺の近くにありましたが、寛永12年、妙心寺東南の木辻菖蒲小路に移転。寛永20年、春日局が没すると菩提寺となります。明治30年、妙心寺塔頭・大通院の境内一部を割いて現在地へ移転。北隣には、伯父稲葉貞通創建の妙心寺塔頭・智勝院があります。

中にある御霊屋は、家光の妹徳川和子が後水尾天皇入内時に女御御殿の釣殿として建てられ、二条城に移築されて能舞台となった後、移築されたもの。

通常非公開。

 

  

 

境内。

 

 

春日局菩提寺碑。

春日局(1579~1643)は江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。名は福。父は斎藤利三。母は稲葉安(稲葉一鉄女)。父利三は明智光秀の重臣で本能寺の変に加わり、山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れると近江国堅田で捕らえられて処刑されました。福は母方の祖父稲葉一鉄の庇護下で育ちます。叔父稲葉重通の娘稲葉正成室早世後、重通の養女として正成の後室となります。正成は小早川秀秋の家臣でしたが、慶長7年(1602年)、秀秋が21歳で死去し小早川家が断絶すると浪人となります。慶長9年、福は江戸幕府2代将軍徳川秀忠の嫡男・竹千代の乳母に採用され、夫正成と離縁して江戸城入り。元和2年(1616年)、竹千代元服、徳川家光となります。元和9年、家光が3代将軍に就任。女性官僚制度の江戸城大奥を作り上げ、その頂点に立って采配を振るいました。寛永6年、紫衣事件により朝廷と幕府が険悪となる中、上洛して御所へ御所へ参内。三条西実条の猶妹となり従三位を受け、後水尾天皇と中宮徳川和子(家光の妹)に対面。後水尾天皇より春日局の名を賜ります。寛永9年にも上洛、従二位。寛永20年、65歳で死去。

 

 

 

麟祥院;京都市右京区花園妙心寺町49