花園にある大通院です。

 

 

妙心寺の塔頭。東海派。

天正14年(1586年)、一柳直末が妙心寺58世・南化玄興を開山として創建しました。大通院2世は湘南宗化であり、山内一豊夫妻ゆかりの寺となっています。

湘南宗化は捨て子であったといい、天正14年、一人娘の与祢を長浜大地震で亡くしたばかりの長浜城主・山内一豊とその正室・見性院夫妻に拾われます。夫妻はこの捨て子を養子として育てます。文禄4年(1595年)頃、家督相続の火種になることを恐れた一豊の命により妙心寺に入り出家、湘南宗化となります。湘南宗化は妙心寺塔頭・大通院2世となり、一豊が土佐藩初代藩主となると土佐の円明寺を中興しました。慶長10年(1605年)、一豊が死去。一豊の甥・山内忠義が土佐藩2代藩主となります。見性院は夫の死後、土佐を引き払って京へ上り、養子の湘南宗化と再会。山内家より隠居料1000石を受けて妙心寺の近くに居住、この地で没しました。寺内には山内一豊夫妻の霊屋があります。

明治34年、妙心寺塔頭・高厳院を合併して取り込んでいます。

通常非公開。

 

 

境内。

 

 

 

大通院;京都市右京区花園妙心寺町50