どうも、ナマステ~印度で育児と育自の両立できない日記~ -90ページ目

安産のすすめ②陣痛編

三分置きに陣痛がくるんですが、陣痛がない時は普通の人のようにカサカサーッと歩いてゆけます。
陣痛が来たら牛歩牛歩。
ちまたの人に怪しまれないように気を使います。
何人か私を不審の目で見ていましたが、なんとその中に末の妹がおりまして「怪しい人がいる~やばい」ということで病院までついてきてくれました。
祝日前でしたが、二人の妹は祝日も仕事という過労日本人なんで立ち会いはあきらめてました(この日のために江戸落ちしていた母はめまいで病床)。
そして夫はインドの僻地。

歩いているうちに陣痛は二分置きになり、「やばいやばい産まれる~」と焦りつつ、普通なら15分の道のりを30分かけてやっとの思いでたどり着き、分娩室に入ったのは午後十時半過ぎ。
息子が産まれたのは近所の総合病院の産婦人科で、そこはLDR(何の略?)という陣痛台が分娩台に早変わりするという優れたメカ?を設備。
このすばらしさに後から大感動!
なんてったって分娩台まで歩かなくってもいいんです!
産み終えた後、ドクターに一頻りこのメカの素晴らしさについての感動を述べたところ、
「俺は昔ながらの錆びたようないきみ棒が好きだねぇ」
なんておっしゃってました。

さすが痛みに強い(鈍い)私でも陣痛が山場になってくると痛かったです。
こっからは呼吸方が命になってきます。
私はラマーズ方って言うんですか?
有名な「ヒッヒッフー」です。
いろいろ試してこれが息しやすかったんで「ヒッヒッフー」で陣痛を乗り越えました。
ただ鼻炎アレルギーの為、日頃から鼻呼吸が難しく、それで難儀はしました。
赤ちゃんに新鮮な空気を送ってあげるためにも鼻呼吸は大切です。
陣痛の間隔はどんどん短くなり、ラマーズ方なんてまじめにやってられなくなります。
「ヒーッ」「痛いーッ」「アーッ」と奇声を発してしまうんですが、助産師さんに怒られました。
そして真夜中の分娩だったため、陣痛のこない間は眠い!
帰るタイミングをなくした妹たち(もう一人も仕事帰りに駆けつけ)も「お姉ちゃんヒッヒッフーよヒッヒッフー」なぞと運動会さながらの応援、頼むから一人にしてくれ~気が散る~とせっかく来てくれたのに追い出し、アーッ旦那がいなくてほんとによかったとこの日ほど思った日はありませんでした(いたら間違いなくうるさい)。

かれこれ四時間ほどそんなことをして、一体いつになったら産まれるんじゃ~眠い~っ
「助産師さ~んっ、眠いですっ、もうできません~っ」
と訴えたところ、「あら、もう子宮が全開に開いてるわ、早いわね、もうすぐ産まれますよ頑張って!!」

いきみ編に続く

息子へ

 今日は僕が産まれて18日目のお誕生日になります。

産まれてから特にママにびっくりな出来事はなく、おっぱい飲んでねんねして、だっこしておんぶしてまた明日♪な日々でした。

(パパがいないのがちょっと寂しいかな)

でも今日は一日中ぐずぐずで、ねんねも30分したらおっぱい、の繰り返し、仕舞には寝不足で僕の左目のくっきり二重瞼がなくなってしまうほどに。

お熱もないし、どうしたのか分からないで、どうしようもなく、初めて母乳以外のミルクをあげてみるとあらまびっくり!?

あっと言う間に80ml飲み干してその後こてっと眠ってしまいました!!

おっぱいがでてなかった・・・!

そんなことにも気づかなくて母失格だね

ニャン太君ごめんなさい・・・

手の掛からないよい子だとちょっと手抜き育児をしていたのかもしれない

深く反省

母はニャン太が大大だあい好きです

元気でよい子に育ってね



母より

安産のすすめ


息子ニャン太をこの世に産み落とし、早くも二週間と三日が経過、生まれたばかりの頃はしわしわで首をすくませ、亀さんみたいだったのに、この頃はほっぺたもふっくら二重顎、大仏君からだんだん夫の面影をたどれるようになりました(けどパット見は和顔)。



息子は予定日を丸二週間と大幅に遅れにゅるりとでてきたのですが、分娩にかかった時間は約5時間と初産にしては早めの安産でした(と助産師さんにいわれました)

小学二年生の時、盲腸炎を腹膜炎にするまで我慢した事を誇り、痛みには強い方(鈍い?!)だから多分安産だろうと思っておりましたが、予定日を過ぎてもいっこうに陣痛らしきものを感じる事がないので、臨月も末期になりながら「まさか想像妊娠だったか」などと心配もしました。(想像妊娠で本当におなかが膨らむと聞きましたが、エコーには想像胎児が映るんでしょうか?)



息子があまりにも出てこないので予定日から十日後に予定入院、陣痛促進剤投与、出産しますか、ということになったのですが、折しも時はゴールデンウィークに突入間近、時間外分娩費を心配しながら、「サンボ(胎児時代の息子の名前)早く出てきてぇ~」と祈り、毎日午前散歩、午後散歩、夜は自宅の階段を往復20回とひたすら歩いておりました。

おかげで付き添って歩いていた母は2kgダイエットできたのですが、陣痛は依然起きないまま、入院予定日を迎えてしまいました。

自然分娩したかった・・・

どんよりとした気持ちで病院に行く支度をし、それでももしかしたら先生はもうちょっと様子を見てくれるかも、と最後まで希望を捨てずに向かったところ、「NST(胎児モニター)は毎日チェックして入院はもう少し様子をみましょう」と言われ、やったやったと走る気持ちを抑えつつ、自然分娩への道は再び開けた訳なんですが、その夜待ちに待った「お印」が出たのです!

マインドコントロールか、やっとその日から軽いおなかの張りを感じ始め、いよいよかと思いきや、初産婦さんには前駆陣痛という不規則に起きる嘘陣痛があるらしく、「本当の陣痛は判で押したように10分置きに来てものすご~く痛いから絶対分かるよ」と助産師さんに指導され、印が出てから二日間その日を待ちました。

おなかは「張り」からだんだんと生理痛のような痛みに変わり、それはおなかに漬け物石を抱えている様に、しくしくと痛むのですが、まだまだ時間を計るほどでもなく

「これが前駆陣痛か、いてぇよ、いてぇよ」

ともだえながら近所の公園を行ったり来たり、自宅の階段を上ったり降りたりして気を紛らわせていたのです。

夕方まで相変わらず前駆陣痛?は続き、七時半より戯れに時間を計って見たところ、その波はなんと三分置きに来ているではありませんか!!

痛いけど我慢できないほどじゃない...助産師さんが言ってたほどものすご~く痛くない...二時間様子見よう

と勝手に決め、ベッドにゴロンとなり、二時間経過、前駆陣痛?は三分間置きに相変わらず来てますが、やっぱり我慢できないほどではありません。

でもこのまま治まらないとつらいかも...一端帰されるかもしれないけど病院に行こう

そんで夜もとっぷりふけこんだ九時45分近所の産院までのこのこと歩いて向かったのでした。。。



待て次号

インド脳

 先日読者登録をいただきましてhttp://kms.ameblo.jpさんどうもありがとうございます。

kmsさんのブログを拝見しましたところ、お子さま用の家計簿が非常に細かく記載されておりまして参考になりました。

大ざっぱで刹那主義のB型な私にはとてもなせる技ではないと感心しつつ、一児の母となった今、子供に金銭教育する前に自分をどうにかせんといかん...と喝入れ!!



さてさてそこでインドの金銭感覚を思い出してみますと、インドっていう国はなんと!世界一B型の人口が多い国(比率41%)であるためか、何となく国民さんは自己中で楽観的(私のこと?!)のように受け合います。

そして広大な土地、多大な人口、人々は生活の殆どを自給自足、国内生産で補っているためか、物価も驚くほど安く、GNP、GNIともども6万円程度という、よく言えば無駄のない、悪く言えば貧乏な国です。

金銭教育に関しては、子供達はよく働きます。

よい子→芝刈り一日1ルピー(涙無しで語れない夫の子供時代)

悪い子→ホテルのドアをノックし、俺はギャングだ5ルピーよこせと、うそのピストルを突きつける

普通の子→旅行者に物乞いをする

頭いい子→旅行者に写真を撮られたらモデル料を請求する&旅行者のリキシャにただで相乗りする

1ルピー=約2.5円です。

芝刈り以外はいずれも私が現地で実体験した話です。



インドの物乞いは世界的にも有名な話で粗方の皆さんは聞いたことあると思いますが、その心づもりでインドの中心地デリー空港に降り立っても、聞きしに勝る実態のすさまじさに大抵の人は蒼白するようです。

子供の物乞いは子守スタイルで小さい子をだっこして、インド十億人トラフィックジャムが赤信号ならば後先気にせず旅行者を乗せたタクシーの窓へ手を伸ばし、「1ルピー、1ルピー」とせがんでくるんだからこちらとしてはびっくりです。

結局信号が変われば無情にも車は行ってしまうのでそれまでが勝負なんですが、この様な演出系特攻隊物乞いも親が差し向けていると誰かが言っておりました。

この他の類例をあげますと話がオカルトになりそうなんで止めときますが、

この様な子供達をあなた方はどう思いますか?と夫、他数少ないインド友人に尋ねますと、「良くないと思う」「働かないでお金を貰おうなんてお馬鹿さんだと思う」なんて言っておりましたが、心ん中では「おめぃら金持って遊びにきてんだから1ルピーくらいよこせよ」と思ってるかもしれまへん...



そんなインドの金銭教育(?!)は参考になりましたでしょうか?

ちなみに私はド・ケチなんで鐚一文もあげたことありません。(殺されると思ったのでちびっこギャングにだけ5ルピー払った)



ニャン太の百面相②

 そんな珍道中を経て無事出産を終え、只今育児に奮闘(する程手が掛からない大仏息子)中なんですが

息子はウンチ前、穏やかでありません。

息子にはエコロジーの(貧乏ともいう)ため、布おむつを愛用させています。

おしっこをひっかけると気持ち悪いらしく、ぴゃーと泣くのですが、おなかいっぱいおっぱいを飲んだ後、眠い時はうんこをしても気にせず寝ています。

早く取り替えてあげないとお尻がかぶれてしまうかしらと思いつつ、せっかく寝てくれたのに起こすのも何なんだと、つい、怠惰な母親。

しかも布おむつなんで早速取り替えても続きのうんこを新しいおむつに出された日には泣くに泣けません。

息子のウンチはサウンドブザー付きで、ウンチをしたことをブリブリブリ~♪っと知らせてくれるんです。

そしてブザーは決まって授乳中に鳴ります。

なんで無視する事はできません。

最初、催す度にすごい音なのでびっくりでしたが、息子のホッとしたような爽快な顔を見て心配ないと思いました。

息子が泣かないから取り替えはもうちょっと様子を見ようかなぁなんて思う私は鬼母です。

けれど新生児なもんでまじめに取り替えてたらキリがないでんす。

朝から夜までは汚れた布おむつ約16枚程になるでしょうか。

夜中は(夜九時から使用してもいいことにした:家庭内ルール)紙おむつを使っていますが、こいつはすげぇ!約12時間で取り替えはたったの3~4枚、息子もカンファタボーな寝顔でぐっすりです。

おむつを一日に何度も洗濯するのと紙おむつを捨てるのとどっちが経済的でエコロジーなのかご存じの方教えてください。

息子と私のストレスは明らかに紙おむつの方が軽減します。

布おむつは情緒を育てるとか、おむつ取れが早いとか言われていますが、85%は紙おむつで育ったであろう集団の中でうちの息子だけ妙に情緒豊かでも困るし、某雑誌で、おむつ取れはトレーニングの仕方次第だから紙おむつでも布おむつでも、さほど変わりません、と書いてありました。



日本にいるとこんなことまで悩みになってしまいますが、インドの赤ちゃんはおむつをしてない!

ていうか丸裸です!

あくまでも私の目で見ただけ&うわさ&主人言ってた、だけなんで、インド十億人調査をした訳ではないです。

間違った情報で憤慨したインド人いたらごめん



独身時代、一人旅の途中長距離バスの中で見かけた丸裸の乳児を抱いたサリー姿の女性。

汚物はいったいどうなるんだと冷や冷や見守っていましたが、車中8時間ほどの間、それを処理するシーンには出会いませんでした...(ていうか寝てた)

そんな裸の赤ちゃんを抱いたインドの女性に原始的な美しさを感じつつ、うんこさんの行方は結局今も分からないままです。

そして主人も子供時代は裸ん坊で育ったとかとか(親戚の子・1歳もノーパンだったような...???)

もちろんインドにも紙おむつは売っているらしいです。

インド人一部のお金持ちは使ってるらしいです。

何でも日本より高く、(質もイマイチ?)在インドの日本の方はわざわざ日本製を送ってもらっているという話も聞きました。

ざっとインドのおむつ事情をお話しまして、え~っと思われた方もいらはると思いますが、

おむつ関係で中国のおむつはずれトレーニング用股割れパンツほど度肝を抜かれた物はないでしょう。

インド人もびっくりのその代物は、その名の通り股の部分が割れていて、お尻全快のうんこし安いアイデアズボン(私が見たのは長ズボン)でした。

画像をお見せできなくて誠に残念です。

ある意味全裸より恥ずかしそうなんですが、これ以上未確認情報のまま股割れズボンについて私が好き勝手に書いてしまいますと、かねてから悪化しつつある日中友好が更にどうにかなりますと怖いのでここまでにいたします。

↑より詳しい方の情報をお待ちしております。



話が息子のうんこ事情から世界情勢まで大幅にずれてしまいましたが、ただいまブザーが警報いたしましたので今日はこれにて失礼します。

私が愛した国インド

とはイランへ嫁いだハギギ志摩子さんの自叙伝「私が愛した国イラン」のマネなんですが、日本人の女性は世界一いろんな国の男性と国際結婚してるらしいです。

2003年二重国籍を持つ人は百人に一人だそうです。

日本人は江戸時代の鎖国二百年をトラウマに世界的国際国(何か変?)にも関わらずシャイな人柄も手伝ってか、英語が下手でイケてない人種だったのは古のジパング、今じゃ中華を食べ、フランスの古城に住んで、日本人の奥さんもらうのが世界の三大幸せなんていいますからねぇ。

 かく言う私も英語は大の苦手科目でしたが、でたらめなインドではでたらめなケンとエミリの中学英語がでたらめに通じたわけで、私の主人もなぜかでたらめな日本語が話せる(そうなんよ~とか言う、おまえ誰じゃ~っ)怪しいインド人だったのでインドでは会話で笑えることはありましたが困ったことはありまへんでした。

 そうあれは結婚申請してから一ヶ月後晴れて私たちの結婚が受理され公的役人の前に立たされた時のことでした。

 一通りの書類にサインし終わり気を付けをしていた私らに公的役インド人はこう訪ねたのです。

「テル ミー ドーストゥ」

私→「???」

ドーストゥを教えて下さい...?ドーストゥってなんやろ?

しばらく考えましたが分からず、ぼーっとする私に役人はなおも訪ねます。

「テル ミー ドーストゥっ」

「テル ミー! ドーストゥっっ!!!」

「え~(ToT)ドーストゥてなんや~分から~んっ、主人っ、教えて~」

主人は半ば呆れ口調で、俺が先に言う、と言って

主人「ドーストゥ」

役人「ナンチャラカンチャラ(マラヤラム現地語)」

主人「ナンチャラカンチャラ」

役人「ドータラコータラ」

主人「ドータラコータラ」

えんえんえん・・・

要するに現地語で結婚の誓いを繰り返して言って下さいということだったらしい。。。

そんならリピート アフター ミーと言ってくれれば分かったのにのに。( -d-)9"



 そう言えばこの公的役人、申請時も「アー ユー レディ トゥ マリッジ?」(結婚の準備できてんのか)の質問を三回も繰り返し聞いてきて私はそのたびに「イエス アイム シュア」(はい、もちろんです)と繰り返し答えたわけですが、日本では杉並区役所の戸籍係の人にこんな質問や結婚の誓いなんかも要求されるわけないから予想もつかない展開で、英語分からんおバカな日本人、と野次馬のインド人に冷笑され、恥ずかしさのあまり「あんた等の英語文法おかしいぃ~(`o´)ウリャ~」と一人で吠えていましたが、東の天竺にケンとエミリに教えてもらった中学英語に苦悩する日本人の気持ちを分かってくれる人はいるはずもなく、結婚成立しめでたいはずが虚しい気持ちで役所を後にしたのでした。。。



 この頓珍漢インドの結婚劇で一瞬インドか嫌いになったのですが



帰国し早、半年、手掴みで食べるターリーミールズが恋しく、和食のおっぱいを飲む生後13日の息子を片腕に第二の故郷となったインドを懐かしむのでした。。。帰りたい。。。

ニャン太の百面相①

ジャンル出産育児なのにインドのことばっかりで何でやねんと思われてもやばいので
息子について↓

ニャン太(80%本名)

生後十二日男の子インド人(親父)と日本人(お袋)の混血児

この実験的ミクスチャーに、ハーフは優性遺伝だから絶対かわいい子がでてくるとか、インド人の子供はみんな目がでかくてかわいいとか、周りからもさぞや美少年がでてくるんだろうと期待され、図に乗った私までもきっとお目目ぱちくりのキャワユイキュムリン赤ちゃんがでてくるんだわと開門された自分の恥骨をわくわくしながら見守っていましたががが。



でてきた僕ちゃんは主人にも私にもあんまし似てない大仏君だったのです!!

正直初めて見た我が子は期待が大きすぎたせいか

「(親の目からは十分愛くるしいのですが一般的には)可愛くはない」
の一言でした。
(後に友人Kに「これ(主人)とこれ(私)が混ざって何で美少年がでてくんだ」と制止された。Kよ、目が覚めた。ありがとう)

生まれた直後、貞子さながらの上目三拍眼でにらまれ、その後すぐに「おもろかった?」と聞いたかのようにへら~と笑った息子。

いくら筋肉の偶然の収縮とはいえ、こいつはひょうきん者意外なに者でもない!
決めた!三枚目で行こう!と勝手に決意。
出産を終えた直後感動して泣いちゃうのかしらなんて思ってましたがあまりの修羅場劇に(忙しい助産婦さんに靴下を脱がせてもらった)恍惚となる気もなく、ガラスに映る会陰縫合術を施されている我が身を見ながら大仏息子の将来を案じるのでした。。。

インドへ

いつだったでしょうか。
図書館で一冊の本に出会ったのは。
横尾忠則先生の『インドへ』です。
当時サイケ好きだった私は大変貧乏だったため、それ故にファッションデザイン専門学生だったにも関わらず洋服は仲屋無限堂とか大中など(両店舗さんごめんなさい、当時ファンでした)のインドやらチャイナな洋服しか買えなかったので、特にインド好きという自覚はなく、その本の表紙のインドの神、シヴァだったか、ビシュヌだったか、忘れてしまいましたがそのエレキテルな美しさにうっかり手に取り読んでしまったのです。
あれから十数年、本の中味はすっかり覚えちゃいませんし、趣味はすっかりサイケよりさかのぼり、仲や無限堂よりもっと安い古着屋でモッズ、カーナビーなんかのミニスカートをはきまくり、そしてサイケ飛び越えてパンク好きになり、それでもインドカリー屋には月2、3回のペースで行くという、インドとつかず離れずの生活を送っておりました。
『インドへ』に再びインドで出会うまでインド好きよりもっとやっかいな、私とインドの因果関係に気づくはずもなく相変わらずだらだらと都内のインドカリー屋を食べ歩き、阿佐ヶ谷

の居酒屋の傍らで耳にした「インドには30歳になる前に行かなかったら一生行く縁がない」という言葉にうなづき、『インドへ』で横尾忠則先生が「三島由紀夫先生が生前「インドに呼ばれた者だけがインドに行ける」と言っていた」と言っていた(なんのこっちゃ)のを胸に馳せ、インドなる望郷を思い描くようにはなっていたのでしょうか。
当然、そんな話は1970年代以前のことなんでしょう、嘗ては仏様の生誕地天竺と仰がれていたインドもシルクロードをニンニキニキニキ行くまでもなくエアインディアの直行便でわずか九時間という近さの昨今、インドはIT革命で押し寄せたバブルまっただ中、三島先生や横尾先生がみたインドとはすっかり変わっているでしょう。



そうだインド行こう



そんなこんなで29歳冬、仕事を辞め、こじんまりとまとまった時間と金があった私は30歳になる前にインドに呼ばれたかのように思いついたのでした。



次号へ続く

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