インドへ
いつだったでしょうか。
図書館で一冊の本に出会ったのは。
横尾忠則先生の『インドへ』です。
当時サイケ好きだった私は大変貧乏だったため、それ故にファッションデザイン専門学生だったにも関わらず洋服は仲屋無限堂とか大中など(両店舗さんごめんなさい、当時ファンでした)のインドやらチャイナな洋服しか買えなかったので、特にインド好きという自覚はなく、その本の表紙のインドの神、シヴァだったか、ビシュヌだったか、忘れてしまいましたがそのエレキテルな美しさにうっかり手に取り読んでしまったのです。
あれから十数年、本の中味はすっかり覚えちゃいませんし、趣味はすっかりサイケよりさかのぼり、仲や無限堂よりもっと安い古着屋でモッズ、カーナビーなんかのミニスカートをはきまくり、そしてサイケ飛び越えてパンク好きになり、それでもインドカリー屋には月2、3回のペースで行くという、インドとつかず離れずの生活を送っておりました。
『インドへ』に再びインドで出会うまでインド好きよりもっとやっかいな、私とインドの因果関係に気づくはずもなく相変わらずだらだらと都内のインドカリー屋を食べ歩き、阿佐ヶ谷
の居酒屋の傍らで耳にした「インドには30歳になる前に行かなかったら一生行く縁がない」という言葉にうなづき、『インドへ』で横尾忠則先生が「三島由紀夫先生が生前「インドに呼ばれた者だけがインドに行ける」と言っていた」と言っていた(なんのこっちゃ)のを胸に馳せ、インドなる望郷を思い描くようにはなっていたのでしょうか。
当然、そんな話は1970年代以前のことなんでしょう、嘗ては仏様の生誕地天竺と仰がれていたインドもシルクロードをニンニキニキニキ行くまでもなくエアインディアの直行便でわずか九時間という近さの昨今、インドはIT革命で押し寄せたバブルまっただ中、三島先生や横尾先生がみたインドとはすっかり変わっているでしょう。
そうだインド行こう
そんなこんなで29歳冬、仕事を辞め、こじんまりとまとまった時間と金があった私は30歳になる前にインドに呼ばれたかのように思いついたのでした。
次号へ続く
図書館で一冊の本に出会ったのは。
横尾忠則先生の『インドへ』です。
当時サイケ好きだった私は大変貧乏だったため、それ故にファッションデザイン専門学生だったにも関わらず洋服は仲屋無限堂とか大中など(両店舗さんごめんなさい、当時ファンでした)のインドやらチャイナな洋服しか買えなかったので、特にインド好きという自覚はなく、その本の表紙のインドの神、シヴァだったか、ビシュヌだったか、忘れてしまいましたがそのエレキテルな美しさにうっかり手に取り読んでしまったのです。
あれから十数年、本の中味はすっかり覚えちゃいませんし、趣味はすっかりサイケよりさかのぼり、仲や無限堂よりもっと安い古着屋でモッズ、カーナビーなんかのミニスカートをはきまくり、そしてサイケ飛び越えてパンク好きになり、それでもインドカリー屋には月2、3回のペースで行くという、インドとつかず離れずの生活を送っておりました。
『インドへ』に再びインドで出会うまでインド好きよりもっとやっかいな、私とインドの因果関係に気づくはずもなく相変わらずだらだらと都内のインドカリー屋を食べ歩き、阿佐ヶ谷
の居酒屋の傍らで耳にした「インドには30歳になる前に行かなかったら一生行く縁がない」という言葉にうなづき、『インドへ』で横尾忠則先生が「三島由紀夫先生が生前「インドに呼ばれた者だけがインドに行ける」と言っていた」と言っていた(なんのこっちゃ)のを胸に馳せ、インドなる望郷を思い描くようにはなっていたのでしょうか。
当然、そんな話は1970年代以前のことなんでしょう、嘗ては仏様の生誕地天竺と仰がれていたインドもシルクロードをニンニキニキニキ行くまでもなくエアインディアの直行便でわずか九時間という近さの昨今、インドはIT革命で押し寄せたバブルまっただ中、三島先生や横尾先生がみたインドとはすっかり変わっているでしょう。
そうだインド行こう
そんなこんなで29歳冬、仕事を辞め、こじんまりとまとまった時間と金があった私は30歳になる前にインドに呼ばれたかのように思いついたのでした。
次号へ続く