はて、

いつか見たさん橋?

いえ、

若者に人気のあの「原岡桟橋」ではありません。


そのすぐ近く、

館山市鏡ヶ浦に突き刺さる素朴な桟橋です。


とっかかりがなく、怖いです。


でも、人生の道みたいで、

なんか良いですねー。


先端。

前の日に、

88ヶ所の看板を見ているだけに、

「あなたならその先は、どうしますか?」

と問われているような感じです。


年齢的にも、

生かされる命は、あとこのくらいかもしれません。

そう思うと、一歩ずつ大事。


そのあとは

お決まりの道の駅、びわ倶楽部。

今年のアカンサスはこんな感じでした。



一度見事な満開の様子を見たことがあるので、

いつもそれと比べてしまいます。

あの時が偶然に良すぎたのかもです。


それがこの2枚です。

見事でしょう。

後にも先にもこんなん見たことがありません。


どうしてもこのイメージを追ってしまいますが、

植物は気温、天候に左右されますから、

この姿にあえたのは「幸運」ですね。


そして、お決まりのびわソフトで仕上げ。


帰りは房総の造り酒屋「亀田酒造」で

日本酒好きの友人に「寿満龜」を購入しました。

創業260余年だそうです。

金賞を受賞したりする老舗中の老舗。



この季節はいつも天気予報との睨めっこ。

雨と雲との競争になりますが、

それでも、びわと神社仏閣巡りは欠かせません。
高速は使わず行きも帰りも一般道を交代運転、
時間はかかりますが、
道の駅にも寄ったりすると、
その土地の暮らしが見えて楽しいものです。
往復200キロ。
今年も来れて上出来でした。

本日も読んでいただきまして、
ありがとうございました。

さて、

次なるお寺は館山市内の妙音院。


第二次世界大戦の空襲にも

ひっそりと生き延びた山門です。


昔、とある老女がここを訪れて、

ここは地形が素晴らしく、

ぜひここで88箇所巡りのお寺を開きなさいと進言したそうで、

高野山に直接申し出てここに作ったとか。


安房高野山八十八箇所霊場の案内が。



ここを潜って登っていきます。


ひとけのない鬱蒼とした階段を分けいって。

少しおどろおどろしい道をズンズン進みます。

一段一段、滑らないようにゆっくり、ゆっくり。

行手には、

一体一体、お坊さんの像が祈りを捧げています。

なんだか写真を撮るのはおこがましいようで、

一枚も撮れず。

でも、なぜかこの一枚だけ。なぜだろう。



自分にもよくわかりませんが、

これなら良いと訴えるものがあったのでしょう。


降りて来てウケたのが、

看板にあった言葉の数々。

平成8年とありますが、

これが書かれた時代は、おそらくもっと遡って、

平均寿命が60代くらいだったのでしょうね。



数字は年齢を表していると思われます。

58番 此処より下り坂、人生昇りだけでなく下りの苦難が多いでしょう。

65番 人生で1番大変なことが起こる時のようです。健康大切に。


一つ一つにウンウンとうなづきながら、

68番で爆笑です。

68番 もう自分の人生にけじめをつける時でしょう。

   未練を残さずに。


思わず「はい!」と。


81番 米寿まで険しい坂を下ります。人生最終の化粧です。

88番 米寿まできました。おめでとうございます。


おー、88歳はめでたくも幸せな年齢なのですね。


長寿でいたいと願った時代、

長寿は幸せと思った時代、


超長寿を手にした現代。

みんな本当に幸せだろうか。


「90歳、何がめでたい!」


今旬のこの言葉が胸に刺さります。


社会も個人も問題は山積ですが、

命の最後まで力一杯生きなきゃね。

自分らしく生かせてもらえるのかしら。


私の場合、

健康があって、仕事があって、ボランティアもできて、

一応暮らしは自転車操業の貧乏ヒマなしだけれど、

今ほど幸せに感じた時はありません。

明日どうなるかわからないけれど、

今こうしてブログを書いて、

1人でも読んでくださる人がいるというのは

またとない幸せなこと。


日々無事に過ぎることもまた

この年齢になると奇跡のようなこと。


いくつもの小さな幸せを十分に噛み締めています。


いつも読んでくださりありがとうございます。

お、いきなりどこ?



館山湾の入り口、

いつも鏡のように穏やかな海であることから

鏡ヶ浦と呼ばれる海を見下ろす那古寺です。



『養老元年(717年)この地を訪れた行基さんが、天皇の病気平癒を祈願して那古の海中から得た流木で、観世音菩薩像を刻したのが始まり(「千葉のお寺巡り」より)』だそうです。

坂東33所観音巡りの33番目で、結願の証も授与しているそうで。

そんな由緒あるお寺だったのね。

今まで素通りしていて失礼しました。


お寺の奥はハイキングコース。

館山湾と館山市が望めます。

今年も来れて良かった。



展望台には、

今話題の紫式部の供養塚と歌があったりして。


「めぐりあひてみしや、それともわかぬまに、雲隠れにし、夜はの月かな」


そばには泉式部の歌もあったりして。

「あらざらん、この世の他の思い出に、いまひとたびのあうこともがな」



ここで万葉の世界に浸れるとは、

高校時代以来かしら。半世紀以上ぶり!

なんと風流な。


人生は幾つになっても

ワクワクするような

新鮮な出会いがあふれています。


市内一のソテツの大樹。

根本の近くで12本に枝分かれしていて、

樹高6メートルだそうです。

樹齢は不明だそうですが、

嘉永7年(1854年)、力士の奉納とあるそうで、

長い年月、館山を見守ってきているのですね。


館山、まだまだみるところがいっぱい。

奥が深いです。

次も一緒に巡りましょう。


本日もご覧いただき

本当にありがとうございました。

あまりどうということのないブログなのですが、

それにもかかわらず立ち寄っていただきありがとうございます。植物の写真が多いので、ご覧いただく方の癒しになれば幸いです。


先日はいきなり父の思い出話をしたものですから、

どうしたの?と声がかかりました。

ありがたいですね。気にしてくれました。


ずっと以前にご縁のあった方が亡くなったので、

関連して父を思い出したというわけでした。

故人を思うのも供養の一つかな、と

時々先に逝った方を想うようにしています。


さて本日は、この場所。



ハーブや宿根草が咲くガーデン。

深く息を吸いたくなります。

いや、思わず思いっきり吸い込みました。

良い香り。



ガーデンを渡る風に、

懐かしいイギリスのガーデンの香りを感じて、

内心狂喜乱舞。



あの佐倉のハーブガーデンが、

今年行ったらこんなふうに変化していました。



洒落たカフェコーナーができていて、トイレも完備。



アクティビティやイベントができるスペース。

マルシェのキッチンカーが入れる広場もあって充実。



ボランティアさんたちの一途な気持ちが伝わって

胸が熱くなります。


世話が大変でしょうに、無料なんです。

嬉しいですね。

四季折々訪れたくなります。

私に絵心があれば、ここにじっと座って

絵筆を取りたいくらいですが。


常盤植物化学研究所が手がけているガーデン。

ここで販売しているハーブソースも

美味しいんですよね。

皆様も心が癒されたい時、

いつか訪れてみてはいかがでしょうか?


本日もご覧いただきましてありがとうございました。

いつもご訪問いただきありがとうございます。

本日はなんとなく、

やっぱり父に似たのかなーという、

過去を振り返ってのお話です。


私の父親は大正元年生まれの靴職人でした。

大正元年は明治45年と同じなのですが、

自分は明治生まれではない!

というのが自慢でした。

それの何が違うんだか。

まるで寺内寛太郎のような短気で頑固な職人。

寺内寛太郎一家。

私が育った家庭は知る人ぞ知る、

ちゃぶ台返しのあの家族そのものでした。


兄弟喧嘩をしていると、父は必ず

ドン!とちゃぶ台を叩き、

お膳をひっくり返すが早いか、

子供達は蜘蛛の子を散らすように飛び去り、

あとで戻って

泣きながら飛び散ったご飯や味噌汁を掃除し、

もしも両親が離婚したらどっちについていくかと

寝床で真剣に話しながら

翌日には何もなかったのように

ケラケラと笑っていた昭和の家族。


浅草で修行し、

何度もデザイン賞をとり、

銀座の有名靴店に毎日のように納めていた人。


気に入らないなら買うな、と、

お客と喧嘩腰になることもありました。

お父さんは商売にならないと、

母がよく嘆いていたものです。


きょうだい全員そうなのですが、

私もその職人気質を受け継いでしまったようです。

ただ、あのような短気はカッコ悪いと思ったので、

瞬間的湯沸かし器のようにはなるまいと、

母に言われたように、

腹が立った時は5秒我慢するように努力したものです。



20代の頃、

虎ノ門のとある社団法人に勤めていたのに、

オフィスワークに馴染めず退職して

花屋に転職してしまいました。

カエルの子はカエル。


当時華の霞ヶ関の通産省の一階に

職場があったにもかかわらず、でした。

あー、勿体無い。


それはそれは楽しかったのですが、

作るということにこだわりがあったのでしょう。


転職したアトリエで、

こんなブーケをデザインしました。

シルバーのブーケです。



某有名ブランドのウエディングブーケにも

関わらせていただくこともありました。

当時、山口百恵さんと三浦友和さんなど、

華やかな結婚式がブームでしたから、

週刊誌を開ければ、

かわいい花嫁さんたちが、

私たちのアトリエで作ったブーケをもって

グラビア写真を飾っていたものです。


結婚式場の車内広告にもよく出ていました。

パーツの作成は高度な技術を必要としたので

手先が器用な父に内職を頼んだら、

完璧に作ってくれました。


だけど、父に似たところはもう一つ。

器用貧乏。

金儲けが下手。



血は争えませんね。

どうもお金儲けに繋がりません。

いつも貧乏で、

貧乏はこれからも続きそうですが、

貧乏は筋金入りの姉曰く、

借金がないのが自慢だよ、と。

そう、それは自慢です。


むしろ、

この歳で、仕事があること、

打ち込めるものがあること、

それが何よりありがたいことだと思います。

今できること、

頑張りたいと思います。


本日も読んでくださいましてありがとうございました。