なぜわたしが社会福祉専門職になったのか?

 

 

シリーズで書いております。

 

 

 

■  前回読み逃した方はコチラ!

 

 

大学の講義はアウェイ状態。

専門用語の意味が分からず、

当然、講義の内容も分からない。

 

 

とにかく、

 

 

 

福祉の現場を自分の目で見る

 

 

 

 

実際見たことを専門知識に結び付けて理解するしかないと思いました。

 

 

 

 

学内のいくつかのボランティアサークルには所属していませんでした。

 

 

 

そのかわり

同級生に誘われたら、なるべく参加するようにしました。

 

 

 

高齢者分野は、祖父母がまだ生きていたので、祖父母に関わればなんとかなる。

 

 

 

知的障がい、精神障がい、身体障がいなど。

 

 

 

障がいによって、

福祉センターや授産施設などに出掛けて行きました。

 

 

 

 

授産施設には、以後、定期的に2週間か1か月に1回の頻度で行きました。

 

 

 

(2001年当時は授産施設でしたが、現在は就労継続支援B型作業所と呼びます。)

 

 

 

その施設には、脳性麻痺の方、筋ジストロフィー症の方、自閉症の方たちが働いておられたと記憶しています。

その中の一人で、脳性麻痺の同い年の女性Hさんと仲良くなりました。

 

 

 

ある日、そのHさんから

 

 

「なおさん、今度はいつ来てくれるの?」

 

と聞かれたのです。

 

 

 

 

私は、

 

 

このHさんの言葉に衝撃を受けました。

 

 

 

なぜならば、

 

 

 

資格もない、免許も持たない私。

 

 

 

 

ただ、ここにいること。

ただ、それだけ。

それだけなのに。

ありのままの私を求めてくれる人がいる」

 

 

 

と思ったからです。

 

 

 

ボランティア活動では

 

 

障がいを持った方たちと同じ目線で、対等な立場に立つこと。

感性を研ぎ澄まして、障がいを乗り越え、心を通わすこと。

 

 

その大切さを学びました。

 

 

 

 

そして、

それらに対して、

 

 

なんとも言えない喜び感じてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

次に続きます.

 

 

 

■ コミュニケーションの通過点

 

■ 心と心が触れ合える瞬間を教えてくれたパリ旅行

 

 

 

 

 

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