【187th_イラク】アリー暗殺現場とイスラム教シーア発祥地クーファ | 地球の陸地を一人旅〜現在192ヶ国〜

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一昨日から、ミンミンゼミが鳴き始めました。本格的に夏がやってきてしまいました。







ブログは引き続きイラクです。イラクの夏に比べたら、東京などまだ涼しい方。笑







昨日と一昨日で、イスラム教にスンニとシーアの派閥が生まれた経緯をお伝えしました。元々、預言者ムハンマドが代弁者として説いたイスラム教は一つでしたが、アリーの選出によってシーアが発生し、アリーの信望者以外をスンニ派と呼ぶようになりました。







現代でも中東各国の男性の名前は「ムハンマド」や「アリー」が大変に多いです。サウジの皇太子MBSのMはムハンマド、イランのハメネイ師の本名は「アリー・ホセイニー・ハーメネイー」です。ハメネイ師は以前にもお伝えしたようにアリーの末裔。私の中東の友人たちもアリーさんはホント多いです。







今日のトリップノート記事は、そのアリーさんが暗殺されたクーファの美しいモスクと、その周辺のご紹介です。



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神学と学問の都市クーファ


クーファはバクダードの南方、ナジャフの隣町に位置する都市です。



クーファとナジャフの地図



正統カリフ時代の第四代カリフ「アリー」が首都を置き、イスラム教シーアの拠点でもありました。また、イスラーム法学の研究の中心地のひとつであり、クルアーン(コーラン)解釈学の始まりの場所でもあります。アラビア文字の書体であるクーフィー体の名前はクーファに由来し、アラブの男性が頭に巻く「クーフィーヤ」もクーファが語源とされるなど、アラブの歴史に深く関わる重要な街です。





イスラム教シーアの起点となったクーファの歴史


現在に至るイスラム教の宗派「シーア」は、ここクーファが始まりです。街のご紹介をする前にその歴史を紐解きたいと思います。




初代イマーム・アリーの拠点クーファ


偉大なるイスラム教預言者ムハンマドを父方の従兄弟にもち、ムハンマドの娘ファーティマの夫でもあるアリーは、ムハンマドがイスラム教の布教を開始したとき、最初に入信したひとりとして早くからムハンマドの後継者と目されていました。

クーファの活気ある街並みと店舗


アリーの暗殺

第四代カリフとなったアリーは、首都を現サウジアラビアのメッカからここイラクのクーファへ遷都します。しかし661年、アリーはクーファの大モスクで祈祷中、毒を塗った刃で襲われ2日後に息を引き取ります。正統カリフ時代のカリフ4人のうち3人は暗殺されています。


◆正統カリフ時代

第一代カリフ:アブー・バクル(632年 - 634年)
第二代カリフ:ウマル(634年 - 644年)暗殺
第三代カリフ:ウスマーン(644年 - 656年)暗殺
第四代カリフ:アリー(656年 - 661年)暗殺




ウマイヤ朝の開朝

ウマイヤ家出身の第三代正統カリフのウスマーンが暗殺された際、彼を輩出したウマイヤ家はこれをアリーの一派による仕業と糾弾しました。アリーが暗殺されたのち、ウマイヤ家のムアーウィヤは正式なカリフを自称し、イスラム世界の統治者となります。また、カリフの地位を自己の「家系による世襲」と宣言しウマイヤ朝を開きます。



アリーの支持者による反発とシーアの形成


ウマイヤ家の世襲に反発したアリーの支持者は、それを認めず「預言者ムハンマドの娘婿であるアリーと、ムハンマドの血を引くアリーの息子ハサンとフサイン、およびその子孫のみが指導者たりうる」と主張。彼らを無謬のイマーム(指導者)と仰ぎます。のちにアリーの支持派は「シーア」となり、ウマイヤ朝の権威を認めた多数派は、後世「スンニ」と呼ばれるようになります。




リー・シーアの十二イマーム


アリーを初代イマームとしたシーアの人々は、アリーの長男ハサンを第二代イマーム、弟のフサインを第三代イマームとし、彼らをイマーム(指導者)として信仰します。しかし、680年にイラクのカルバラーで弟のフサインが襲撃され悲惨な最期を遂げます。







その後はフサインの系統が代々イマームの地位を継承しますが、すべてのイマームは暗殺されます。



◆十二イマーム派

第一代イマーム:アリー
第二代イマーム:ハサン
第三代イマーム:フサイン
第四代イマーム:アリー・ザイヌルアービディーン
第五代イマーム:ムハンマド・バーキル
第六代イマーム:ジャアファル・サーディク
第七代イマーム:ムーサー・カーズィム
第八代イマーム:アリー・リダー
第九代イマーム:ムハンマド・タキー
第十代イマーム:アリー・ハーディ
第十一代イマーム:ハサン・アスカリ
第十二代イマーム:ムハンマド・ムンタザル - 隠れイマーム



874年に第十一代イマームが亡くなると第十二代となるべき「ムハンマド=ムンタザル」は姿を消してしまいます。アリー・シーア信者は第十二代イマームは迫害を避けて「お隠れ(ガイバ)」になった」「その後も人知れず生き続け、世の終わりに先立って救世主として再臨する」と信じるようになりました。




テロ組織の温床とされたクーファ

クーファは先述の通りアリー信奉者の多いシーアの街です。サウジのメッカから、わざわざ首都を遷すほどアリーにとって重要な街でしたが、これに伴いしばしば反乱・反政府の温床ともなりました。






近年の米国によるイラク侵攻ではテロ組織の温床とされ、米軍と激しい戦闘が発生し多くの一般イラク人が亡くなりました。遡って、中世にはアッバース革命の中心地となり首都に返り咲くなど、政治の中心となる重要な街だったのです。




大モスク(Masjid al-Muazzam)

クーファにある大モスクは、現存する世界で最も古いモスクの一つです。モスクと呼ばれる寺院が建設されたのはここが世界初ともいわれています。ここは西暦638年から建設が始まり、何度も大幅な再建と修復が行われてきました。アリーは661年にこのモスクで暗殺され、当初はこのモスクに埋葬されていました。749年、ウマイヤを倒しアッバース朝の初代カリフが正式に宣言されたのもこの大モスクでした。



クーファの大モスクとミナレット



警備をしている警察にカメラとパスポートを預け、女性はチャドルを借りて二度のチェックポイント(持ち物、ボディチェック)を通ります。



クーファの大モスク、美しい装飾



広大な敷地にいくつかのモスク、寺院が点在します。イスラムの伝統では、ここはノアの住居であり、彼が方舟を造った場所ともされています。



クーファの大モスク、シーア派の聖地



また、このモスクで一回お祈りを行うことは、他の場所で1,000回の祈りを行うことと同等で、メッカ巡礼と同等であるとシーアは述べています。



クーファ大モスクの柱と絨毯



一番手前にある寺院の入口は、趣向凝らした豪華なものです。カルバラーのアッバス廟に負けずとも劣らない美しいエクステリアです。



クーファのモスク、美しい装飾とシャンデリア
私コレスマホの待ち受けにしてる



天井の装飾も美しいです。何世紀にもわたって歴史的・宗教的に重要なモスクの一つです。



クーファのモスク天井装飾



グレート・モスク(Al-Sahla Great Mosque)


美しい建築様式が特徴的なこちらのモスクは、アリーとイマーム・ザマンの住処であったとされるモスクです。


クーファの大モスクとミナレット



このモスクは、十二代目の隠れイマームであるムハンマドが再出現後に住むとされている重要なモスクです。



クーファ大モスクの美しいシャンデリアとアーチ



こちらのモスクは天井ドームの装飾に個性が光ります。



クーファ大モスクの豪華なシャンデリア



広い礼拝室の天井は、大きいドームの周りを小さな複数のドームが囲むなど、これまた珍しい(虫っぽい?笑)素敵なデザインです。



クーファのグレートモスク天井装飾



筆者は世界中のモスクを探訪してきましたが、ここまでにない珍しい色使いとデザインです。



クーファのモスク天井装飾



サーサ・ビン・ソハン・モスク(Saasa bin Sohan Mosque)


クーファには大小様々なモスクが点在します。上述の二大モスクを筆頭に、小さなモスクも建築美の光るものが多く、モスク巡りの楽しい街です。こちらは、アリーの教友でありシーアに尊敬されるサーサ・ビン・ソハンのモスクです。



クーファの大モスクとミナレット



ムアウィヤ1世によって現在のバーレーンに追放され、666年(西暦44年)に亡くなっています。ドームやミナレットの細部にわたり緻密な装飾の凝らされた美しいモスクです。



クーファのモスクの美しいミナレット



クーファはシーアの拠点だけあり、このほかにも美しいモスクの多い街。ぜひ、ご自分の足で新たな美しいモスクを探訪されてみてはいかがでしょうか。




クーファへの行き方
首都バグダッドから行く場合、アラウィ・サウス・ガレッジからシェアタクシーで向かいます。乗車時間は一時間前後です。




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