2006年8月に訪ねたバルト三国の旅です。

 

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ラトビアのリーガからエストニアへ飛びました。

 

 



プロペラ、エライ揺れたのを覚えてる。





エストニアはここにあります。





空港から電車に乗って、





首都タリンへ。





タリンの起源は、1219年にデンマーク王ヴァルデマー2世がエストニア人の要塞集落を占領し、そこに「トームペア」という城塞を築いたことに始まります。城塞都市である タリンの旧市街は未だ健在。





1285年にタリンはハンザ同盟に加わり、貿易港として発展。





1346年にはデンマーク王ヴァルデマー4世が市をドイツ騎士団に売却し、以後20世紀に至るまで経済的・文化的にドイツ人の影響を強く受けます。



 

 

その後は1561年にスウェーデン領となり街は衰退、1710年にはロシア帝国領に。





度重なる混乱にもかかわらず、タリンには旧市街を取り囲む城壁と、ドイツ人商館や豪奢な公共建築、教会建築などの13〜18世紀の建造物が残されており、世界遺産に登録されています。


 

 

 

こちらはトームペア城。この辺りの城は 城っぽくないのが特徴。笑 外観がシンプルよね。


 

 

 

こちらは聖母マリア大聖堂(トームキリク)。トームペアの語源にもなった教会です。



 

 

トームキリクは、1219年にデンマーク人がトームペアを占領してすぐ建設した教会で、エストニアで最古の教会です。



 

 

創建から何度も修復が繰り返されたため、さまざまな建築様式が混在する教会となりました。1684年には、トームペアを襲った大火災によって大部分を消失し、約100年の年月をかけて再建されています。


 

 

 

こちらはタリンを代表する建築ですかね。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。19世紀末に建てられたロシア正教の大聖堂です。壮麗です。

 


 

 

901年当時の支配者帝政ロシアによって建てられたアレクサンドル・ネフスキー聖堂は、エストニアの人々にとって喜ばしい建物ではなかったよう。




聖堂はエストニアの英雄の墓の上に建てられたもので、ロシアの権力を示すとともに、エストニア人の民族運動を抑える目的があったとされています。

 

 

 

 

独立後に取り壊す 話も多くあったようですが、それは実現せず、現在ではエストニアに住むロシア正教の信者にとって重要な教会となっています。


 

 
 

聖堂内には、イコン(聖像画)やモザイク画の他、日露戦争で戦死したエストニア人の慰霊碑があり、入口を入って右手には、日露戦争で沈没したロシア艦隊を記念したプレートが掛けられています。



 

 

こちらはヴィル門。


 

 

 

中世の城壁の門として現存しています。


 

 

 

穀倉地帯のビールは美味しい。度々 ビール 休憩です。

 


 

 

こちらはキーク・イン・デ・キョク。高さ38mの塔で、ここは丘の上にある行政区のトームピアを防衛するために1475年に建造されたもの。「キーク・イン・デ・キョク」とは低地ドイツ語で「台所を覗く」という意味で、塔からは周囲の家のキッチンを覗くことができることから名付けられました。



 

 

こちらは旧市庁舎。北欧諸国の中で保存度が最も高いゴシックスタイルの建築物です。





尖塔は高さ64メートルで、「Old Thomas」という像が置かれ、1530年からタリンを見守り続けています。Old Thomasは昔のタリンの戦士で今はタリンのシンボルになっています。





タリン旧市庁舎が市庁舎として機能したのが1970年まで述べ700年。7世にも及びます。





建設当時から市政府要員が市政を行う場所ですが、それ以上に「タリンの力」を人々や来訪者に見せつける目的がありました。

 




市政を行う以外に裁判所、貿易新商品を紹介する場所、演劇所や要人の休憩所などとしても使われたそうですよ。

 




現在は主にコンサートもしくは来訪された外国の王室や大統領を招待する場所として使用されています。

 

 



内部にあるアーチ状の天井をはじめ、多彩多様なミーティングルーム、繊細に制作された彫刻も展示。





尖塔にのぼることもできます。

 




聖オーラフ教会。


 



ここも 展望台まで登ることができます。


 



展望台からの眺めは見事ですよ。


 



うろ覚えですが、ここより高い建物は教会の尖塔しかなく、360度、大パノラマ。


 


北欧 やバルト三国のこのペンシル尖塔が好きです。



 


こうやって見ると、アレクサンドル・ネフスキー教会だけ異色というのも よくわかります。


 



城壁がくるりと 旧市街 を囲んでいる様子。


 



こちらは、ブラックヘッド会館。

 

 



ラトビアのリーガでご紹介したものと同じ。





ランチはちょっとした小道沿いのレストランへ入り、肉を頼んだら、





どデカい肉にナイフが刺さってた。日本人から見るとなんか縁起悪くない?





しかしさすがな大きさ。完食しましたけどね。爆





いかにもなこの絵。笑





店内も可愛い。





タリンは二泊しました。翌朝はカドリオルグ宮殿へ。


 



カドリオルグ宮殿は、18世紀のペートリーナ・バロック様式の宮殿で、エストニア語とドイツ語の名前はどちらも「エカテリーナの谷」を意味します。





ここは、展示物はもちろん、建築のインテリアも素晴らしいものでしたよ。





かなり写真を撮ってきていますので、特に気に入ったものを羅列しますね。

















 


 


 






ランチは穴蔵レストランへ。


 








この黒いソーセージが名物だったかな?





タリンもリーガ同様、旧市街はとにかく可愛らしい印象でした。





色々と エピソードがあったように思うのですが、20年も経ってると思い出すことができない。



 

 

特に友達と行くと、そちらの方に気を取られ、あまり一つ一つの建築や文化などに意識も向かわず、よっぽどのハプニングがない限り覚えていないんだな、これが。





2日分で長くなりましたが、タリンは気の良い街という印象。





バルト三国は、わりと日本人は好きなのではないかななという風に感じます。