2011/11に訪ねた地中海沿岸の旅を綴っています。
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昨夜キプロスに着きました。この国は初めて訪ねます。34ヵ国目です。
キプロスは地中海に浮かぶこんなカタチの島国。ここに着くまで、私はキプロス島は一つの国だと思っていました。まぁ、国際的には一つの国なのですが、実際は独立を巡り衝突し、南北に分断され「グリーンライン」と呼ばれる境界線が引かれています。南北の自由な行き来はできません。
歴史を紐解くと、キプロス島はもともと東ローマ帝国配下時はギリシャ語を話す正教徒に占められていました。その後、オスマン帝国支配下となりトルコ語を話すイスラム教徒が流入します。これによりギリシャ系とトルコ系住民の混住する複合民族国家となりました。
1914年、第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊。キプロスはイギリスに併合されます。国民は変わらずギリシャ系とトルコ系。
1948年、第二次世界大戦後にギリシャ国王が「キプロスはギリシャに併合されるべき」と、イギリスからの独立を唱えます。すると、それに異を唱えたトルコ系住民は「キプロスを分割してギリシャとトルコにそれぞれ帰属させるべきだ」と主張します。
1960年、イギリス、ギリシャ、トルコの三者間協議の結果、先ずキプロスはイギリスから独立します。この時点ではギリシャ系もトルコ系も島全体的にゴッタに共存しています。
1974年、キプロスのギリシャ併合を目指す強硬派によりクーデターが起き、トルコ人を守るためトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領。これをキッカケに北キプロスへトルコ系住民、南キプロスへギリシャ系住民が流れて、民族的にも宗教的にも南北に分断されます。
※インドの独立時にヒンディーは現在のインド、ムスリムは現パキスタンとバングラデシュに民族大移動があったのと同じ。
分断されたものの、この時点でもまだキプロスは一国。
1983年、北キプロスはトルコの軍事的支援を得て一方的に独立宣言。別の国として分離独立しました。
国なんてものは「領土・国民・主権」の3要素が満たされれば誰にでも作ることはできます。私でも、パラオあたりに島を買い、数名の有志集めて「roro国」宣言すれば良いだけ。更に国連加盟国のうちの一カ国でも国家承認してくれれば立派な独立国です。
ISISも領土を得て、国として独立宣言してましたよね。あれは「アリ」なのですよ。今は領土を奪還されて「国」の体は成してないはずですが。
他にも、私は何カ国か未承認独立国家へ訪ねています。
ナゴルノ・カラバフはつい一昨年、領土闘いに負けアゼルバイジャンに併合されてしまいました。
北キプロスは、現在もトルコからのみ国家承認されている未承認国家です。
というわけで、私はここに来るまでキプロス島は一つの国と思っていたので、国際的に認識されている(南)キプロス首都ラルナカに来たのです。
日本でフライトをサーチしていた際、「何であれほど世界各都市をくまなく結ぶトルコ航空に、超近隣国であるキプロス、しかも首都のラルナカ行きフライトがないのだろう?」と不思議に思っていたのですよね。
ココへ来てなるほど、そういう背景があったのね。と納得。
着いてから知る。爆
今でこそツーリストのキプロス南北縦断は柔軟になってきているらしいものの、元々住んでいた人たちは分断されたまま家族が一緒に住めない状態が続いているそうです。
第二次世界大戦以降、ドイツの東西統一を見ても、欧州で未だあの戦争以降に国家が再統一されてないのはキプロスくらいなのでは?
まあ、ドイツと違って民族や宗教が違うとなかなか難しそうですけどね。それなら何故、朝鮮半島は統一されないのか?ということになりますので、一度別れた両者にそれぞれ長がいる状況で、再度くっつくのは難しいということで。笑
個人的には、それで争いが起きないなら分断されたままでも致し方ないのではと思いますけどね。統一しようとしたらまた諍いが起きるのは目に見えてる。やめといたほうがいい。爆
ラルナカで泊まっているホテルは中心部からかなり離れています。
ここはマラガと違って承知のうえで遠方に。朝食をたらふく食べました。ちょっと庭を散歩してみます。
この看板の絵の、華麗なジャンプぶり。
ちょっと遠そうですが、散歩ついでにビーチ沿いを歩いてラルナカの街の中心部まで歩いて行ってみたいと思います。