2018年9月、コーカサス&東欧の未承認国家を中心に旅した記録です。
※今回、旧ソ繋がりでウクライナ情勢の見解も述べてますので、かなり長文です。
翌朝、ズグディディから再度、未承認国アブハジアをリベンジです。まさかの日帰り。
ホテルにスーツケースを預け、タクシーで州境へ。ジョージア側はすぐにパスし、アブハジア側のチェックブースへ再び入ります。
昨日のロシアン警察が、今日も担当でした。
「おはようございます!昨日はどうも!」ニコリ
昨日、返された入境許可証を再度見せ、今回はすんなり通過(当たり前)。何故か知りませんが、飴をくれました。爆
そしてさらにかなり歩き、今度はパスポートの確認ブースへ。
とても写真など取れる雰囲気ではないくらい、ロシア警察がウヨウヨしておりました。軍人もいたかな。
ジョージア側にもグルジア軍は配備されていましたので、いつドンパチ始まるか、多少の緊張感はありましたかね。
アブハジアのパスポート確認処理はアナログ。許可証の一致やパスポートの照合などに相当時間がかかると、どなたかのブログで読んでいましたので、本を持って行きました。
しかし、その待機場所は外で、板を並べただけの超簡易な椅子が二つあるだけ。
ベンディングマシンもなければ、食べ物を売ってる場所もない。何もない。
座って本を読んでると30分で腰が痛くなる。
一時間経過。
「あのう、私のパスポート、どうなっていますか。」
「確認中なので少し待って」
中を覗くと、本当にアナログ。
何十年前のマイコンですか?東ドイツ冷戦時代の秘密警察が使ってた何かですか?
そして、黒電話とFAXのみ。
ITって単語、知ってますか?
もしかして、本部かなんかとのやりとりも全てアナログですか?もしかして、私の情報を紙書類をひっくり返して探し回ってますか?
気持ちを鎮めるため、何故か道でヨガを始める私。笑
太陽礼拝。
お願いだから早くしてくれ。と願いながら、太陽礼拝を何度も繰り返し。笑
珍しく思ったのか、ウロウロしていた大きなガタイのロシア警察が話しかけてきた。
「ブッダ?」
「うん、まあ、、そのようなものです。ヨガといいます。」「喉が渇いたのですが、ミネラルウォーターを飲めるところありませんか」
この狭いスペースにあるわけないにも関わらず聞いたのですが、そのロシア警察、どこかへ行ったと思ったら、2リットルのミネラルウォーターを持ってきて私にくれました。そして、
「長いと5時間以上待つから」
ひょえー!陽が暮れてしまうがな。
これアカン。
これもう日帰り無理だろ?IT化されてれば2秒で終わる確認作業が5時間?
今、ここは何時代を歩んでいますか?日本で言う明治あたりですか?
他国へのサイバー攻撃は最先端なのに、こっちは明治時代かい!
このボーダーを抜けても、首都のスフミまで相当な距離があります。
スフミまで行かないとVISAは貰えない。VISAがないとアブハジアから出られない。入境したが最後、何がなんでもスフミまで行かないとならないのてす。
これは、待てる時間を決めた方がいいな。あと一時間待って許可がおりなかったら諦めよう。
半分以上諦めながら、更にストレッチ始める。笑
それから、30分くらいですかね。呼び出され、パスポートが返されました。
ふう。。。
前々から言ってますが、ほんとロシア系は何をするにも時間かかる。
さて、最後の難関をクリアしたので、首都スフミへ向かいます。
本来ならここでタクシーを拾いたかったのですが、あいにくおらず、スフミのずいぶん手前の街まで出るマルシュートカに乗り込みました。その街から、スフミ行きのマルシュートカへ乗り換えます。
その狭い車内で、隣に座ったのが意外な人でした。
ジョージア人です。
何で、ジョージア人がアブハジアへ入境できるの?
と聞いたところ、
元々アブハジアに住んでいたが、アブハジア戦争で追い出され(この人も難民)、その際に、足の悪い年老いた母親がジョージア側へ避難することができず、現在もアブハジアに一人で住んでいて、一ヵ月に一度の面会が許可されているとのこと。
そして、入境申請webチャットの彼と同じく、どれだけアブハズ人とロシア人が酷いかということを、英語で小声でとうとうと語ってくれました。
相当なわだかまりと見ました。
先にも書きましたが、ジョージア人は本当に陽気です。そしてアブハズ人はほぼロシアンですので、性質が合わないだろうな。。ということは、外野の私から見ても分かります。
まあ、それだけが内戦の発端にはなっていませんが、何度も書きますが旧ソはロシアになりたい自治州、ロシアから独立したい自治州、とにかく今の国に収まることが嫌な自治州でごった返しており、崩壊後30年以上経った未だに揉めています。ウクライナ東部然り。
ほんと難しいですよね。
その彼とはメールアドレスを交換し、未だにちょくちょくアブハジアの現状などを教えてもらっています。
さて、バスターミナルに着きました。ここもまた、なーんもないところで、おっちゃんたちと話しながら、マルシュートカが出る時間まで待ちます。
一時間くらい待ったかな。やっと出て、そこからまた2時間くらいかけて首都スフミへ。これ、スフミと書いてあります。ロシア語ですね。
先述しましたが、スフミへ着いたらまず必要なのが、アブハジアのVISAを取得すること。
アブハジアは未承認国家ですので、入国時や他国でVISAを取得することはできません。VISAがないと出国できませんので、何をおいても先ずは外務省へ行ってVISAをもらわないと。
しかし、予め当たりをつけておいた場所から、アブハジア外務省は引っ越ししているとバスの中で聞き、慌てふためいて運転手に頼んで、バスルートではないにも関わらず外務省前で降ろしてもらいました。笑
よかった。ここを探してる間に日が暮れてたと思う。
中へ入ると、VISA発行の狭い部屋へ通されました。VISA代を払って入境許可証とパスポートを見せると、すぐにこのVISAシールを発行してもらえます。
よし、これで出国は可能だ。未承認国には日本大使館はありませんので、何かあった時かなり困ります。
以前、イラクの未承認エリア「クルディスタン」へ行ったときも、ハプニングがありました。
さあ、VISAもゲットしましたので街を散策してみます。
外務省の建物を出てすぐに公園が見えてきました。
戦争で亡くなったアブハズ人とロシア人のようです。
サーッと見渡していると、わりと歳のいった女性が話しかけてきました。彼女は、黒海沿い北側の「ソチ」から旅行で来たロシア人だと話してくれました。そして私に、
「こんなに沢山のロシア人が殺されたのよ。」「信じられないでしょう?」「ジョージア人は野蛮だから。」
と仰ったのですよ。
はい?
なるほど。
ロシア人から見ると、そういう風に映るんだ?
返す言葉がなく、軽く何度か頷き、無言でその場から離れました。
元々ここに住んでいたジョージア人も、相当数が殺されています。
旧ソ時代、アブハジアに住んでいたグルジア人は45%、アブハズ人は17%、ロシア人15%。
アブハズ人は少数民族だった。
旧ソ崩壊後にアブハジアはグルジアの一自治州となりましたが、グルジア化に嫌悪感を示したアブハズ人は反政府に動き内戦状態へ。
グルジア軍が一旦は制圧も、他の自治州(南オセチア)が独立戦争し始めたのを機に再び独立機運は再燃し、アブハジア戦争へ向かいました。ロシア援護でグルジア劣勢となりグルジア人を追い出した。
この戦争では、双方にそれぞれ4,000人を超える戦闘員、民間人の死者がでています。そして、これにより避難を余儀なくされたグルジア人難民は25万人にも及ぶのですよ。30年経った未だに故郷へ帰れず、難民のままです。
元々ここはジョージアの領土ですが、このロシア女性はどういった認識でこの戦争と現状を理解しているのだろうか?
私はジョージア人難民の言い分だけ聞いて来てます。陽気なジョージア人が好きですので、もしかしたら、私の感情が真実を偏らせているのかも知れません。
これが、「正義なんてこの世に存在しない」と私が思う一つの例なのです。両者、自分の正義のもとに生きてますので何が正解かなんてものは存在しない。そこに外野の正義感情が入り交じる。
アブハジアから少し逸れてしまいましたが、同じ旧ソの自治州繋がりから連想される、私のウクライナ情勢に対する一見解です。
さて、旅に戻って、この時ちょうどアブハジア独立25周年。大きな公園の先に掲げてありました。
アブハジア内の観光ツアー。色々と観光資源となる自然の多い国のようです。