このテーマについて、改めて書いておきますが、すべての事柄を時間軸で正確に語っていくわけではないので、話に登場しない人もいたり、多少自分視点で偏っての語りも多々あると思います。
ノンフィクションでありますが、フィクションだと思って読んだくらいのほうがいいかもしれません。
さて、前回はライブハウスを視察したり参考にせず起業に踏み切ったとこまで書きました。
本来なら、広島中のライブハウスやその手の場所に足を運び研究、また経験者から助言をうけるのが定説だとは思いますが、なにせ前職のバルコムを退職しようと思った時期から開業まで2ヶ月しかなかった(自分で決めたデッドライン)ということもあり、そういう下準備期間が全くなかったといえます。
僕が辞めたいと考えた前か後だったか、どのような順番だったかは今でははっきり覚えていませんが、もともとあの場所にはライブハウスがあり、そこが廃業するので誰か後を引き継がないかという話しが回ってきました。
この話があったからライブハウスをやりたくなったのかという、<鶏の卵が先か鶏が先か>というのは、今となっては記憶が曖昧なのですが、とにかくあの時はグッドタイミングだったといえます。
そこはもともとライブハウスだったのですが、当時のownerの立ち会いで下見をしました。
ただ、その時の印象は僕がイメージしたライブハウスの真反対のイメージでした。
黒くて薄暗くて、楽屋もなくて.....
当時はこんな感じ。どのように改装したかは↓を見て
https://ameblo.jp/rootwest/entry-11587924893.html
前ownerから引き継ぐという話しに対しては僕は断りました。
僕は自宅から近い地域だったことに魅力を感じていましたし、防音をしているというメリットのみに魅力を感じていて、その他の物品やその店の既存客とか、そういう価値には興味はありませんでした。
結果的に今の状態になるように大改装をしたわけです。
前オーナーがスケルトンにして立ち退く予定だった場所を防音壁や防音ドアを残したまま退去されたことはラッキーだったと言えます。
話をいったん少し巻き戻しますが、バルコムをやめようと思ってから、アメリカへ旅に出ました。
アメリカとライブハウスの造作はあまり関係ないといえますが、僕にとってバルコムで仕事漬けの毎日から、クリエイティブ思考に戻す時間が必要でした。
音楽業界から去って、すっかりと音楽っぽい雰囲気とか思考がなくなっていた時期でした。
とはいえ、ライブハウスを構想する引き金になったのは、バルコムで働いていた頃にミュージシャン時代の旧友達が広島でのライブに誘ってくれて復帰したこともあります。
丁度バルコムを退職する一年前位の2012年8月3日(金)にスマトラタイガーでライブをやったことは思い出深いですね。
同時期に現KORNのドラマーであるレイさんともリズムセクションを復帰したこともあり、この頃から少しずつ音楽関係に戻るリハビリを無意識にしていたともいえます。
当時は音楽業界に復帰するというよりも、バルコムで仕事をしながら演奏を楽しく続けられる環境があるといいな....位にしか考えていなかったと思います。
2013年の初夏にバルコムを退職しようとしたときは、ある日の給与査定の面接で上司に不本意なことを言われて頭にきて辞めますとその場で言いました。
ライブハウスをする為に辞めたという理由も多少はあった可能性はありますが、あの時はやはり勢いで退職してしまったといえます。
辞めると決めてからは、現在の場所を借りられるかもという想定の中で金策です。
すでに奥さんが3丁目のたこボールという移動販売車のたこ焼き屋さんを起業(2010年夏にプロジェクトスタート)していて、僕もそれを見ていたので、起業の素人ではなかったとはいえ、銀行から借金をするということは初体験だったといえます。
まずは、想定される金額を考えるのですが、PAシステムや照明の値段、内装費などわかるはずもなく大変苦労したことを覚えています。
借りるのも銀行で借りるのか国民金融公庫みたいなとこなのか、まったくわからずにとにかく独立開業の本を読みまくって勉強しました。
ハーレーを売っていた時は4~500万円のローンの手続きや審査をしていたので、人にお金を貸す段取りをすることは得意でしたが、自分で現金を借りるとなると全く手も足も出なかったですね。
自己資金もゼロでしたし(笑)
続く



