■映画 『奇蹟がくれた数式』2015
天才数学者ラマヌジャンの生涯を描いた映画。
中途半端な理系の僕は、ラマヌジャンの名前は知っていても、具体的な業績や彼の生涯を知っているわけではなかった。
特徴的な名前だから覚えていただけだ。
「数式」という単語に惹かれた家人がこの映画を観たいと言うので、映画館に足を運ぶ。
この手の映画というのは評価が難しい。
ノンフィクションとフィクションの線引きが中途半端で、製作者の意図が見えるわけではない。映画として面白いか?と聞かれたら…微妙。
そして、何よりもラマヌジャンの苦労や苦悩はわかるが、彼の数式を理解できるわけでない。
こういうのは書籍で読んだほうがずっと頭に入るし、得るものも多いだろう。
余談だが…
劇中に同じインド人数学者として、マハラノビスとかが出てくる。
データ統計解析で使われるマハラノビス距離を定義した人だ。
数学的な意味を理解できる馴染みの名前が何だか嬉しかったりする。
シン・ポメラ DM200のこと
10/22(土)昼前、出かける直前にDM200が届いた。
意外に早かった。
10/21(金)発売なので翌日の午前中に宅配で届くのは当たり前なのだが、半世紀かけてジジイに刷り込まれた社会的な時間感覚ではかなり早い。
金曜は出張で販売店に行けなかったという事情も考えると、便利な世の中になった。と思う。
新機種が届いたので、これが旧機種DM100で本格的に打つ最後の文章になるだろう。
(DM100はこれからバックアップ機になる予定。家人が狙っているのだが、家人は僕よりももっと文章を書く仕事なので、DM200をもう一台買い与える方が良いような気がしてる。)
出かける電車の中で文章を綴る。
まぁ、DM100との思い出作り。
DM100からDM200へ速攻で乗り換えたのは、DM100の組み込み用ATOKの変換能力の貧弱さに依る。
DM100のそれは一太郎3の頃の連文節変換程度の変換能力で、今日的な尺度で評価すると、表示される候補の単語/文字のがとても貧弱だった。
文書作成中の思考の中断/ストレスの元だ。
それでもDM100を愛用した。
外で移動中に文書作成するには他に選択肢がなかったからだ。
必要十分な機能がコンパクトにまとまっていた。
キーボード、液晶ディスプレイ、かな漢字変換、ファイル管理、SDカードアダプタ、QRコード出力、USB通信機能、そして辞書機能。
何よりも蓋を開いてすぐに文章入力を始められるのが良かった。
移動とかの合間時間を有効に使えた。
DM200に対して、DM100には乾電池や軽さという利点が、まだある。
と、ここまではDM100で書いた…
ここからはDM200。
以下、慣らし運転の印象。
触ってすぐにわかるのは、表示される文字の綺麗さと、キーボードの剛性。
キーボードの剛性は、キーボード全体の据わりがよくなったのと、キーそのものの剛性がかなり高い。
これらは製品発表時点で謳われていた内容なので新味はないが、実際に操作してみると安定性・安心感はかなり高い。
ATOKの変換はあまり気にならない。
自然。
今までが変換時にストレスが溜まる場合があったので、こうして空気のように気にならないのが一番ありがたい。
液晶画面の横から、辞書やQRコード、ブルーツゥースのボタンがなくなったのは少しさみしい。
手がショートカットキーを覚えるまでの辛抱という所。
新機能のアウトラインはまだ試していない。
いずれ長文を書くときに使うだろう。
WiFiは、しばらく使う予定はない。
僕自身がまだクラウドを使ってないし、それで不便を感じていないからだ。
DM200に搭載されているネット機能はソフトウェア的には貧弱で、積極的にネットを使う気にはならない。
入力した文章を即座にやりとりしないといけない報道関係の方々や、SDカードスロットを持たないApple製品を持っている人たちのための機能なのだろう。
僕はそう割り切った。
とにかくDM200は、日常生活の中で文章を書く人にはお勧め。
■アニメ 『君の名は。』 2016日本
全く気にしていなかったのだが、いつの間にか『君の名は。』が『シン・ゴジラ』を越えて興行収入100億円を越えたという報道があった。
日本映画で興行収入が100億円を越えるのは、スタジオジブリの宮崎駿監督の『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』以来の快挙。
僕は、新海誠監督の作品に対しては、画面の情報量の多さ、日本的な湿気を含んだ空気感の表現、背景の美しさ…これらが素晴らしいのだが、一方でどうも設定がオタクっぽくて一般人に理解しがたいのと、ドラマがリリカルで、全体的に残念な印象を持っていた。
それが興行収入100億円…
圧倒的な作品のネームバリュー、TVのニュースショーでの特集やCM放送、そして夏休み突入と同時に公開された『シン・ゴジラ』に対し、ほとんどマスメディアで取り上げられる事なく、夏休みの最終週の公開というハンデをモノともせずにだ。
これは一般受けして、よほど面白いに違いない。
そう思い劇場に足を運ぶ。
結果…
わざわざ劇場で観るほどの映画ではなかったと言うのが、正直な印象。
画はよくできていたし、大まかなプロットも悪くなかった…
ただ、もう少し脚本をブラッシュアップできたのではないか印象もある…
主人公たちが夢で入れ替わっている間の記憶が、時間経過と共に失われていくという設定は、最初からもっと印象的に、そしてリリカルに描いた方がも良かった。
意識のタイムリープと流星の件は、途中から展開が読めてしまう。
ここら辺が甘かったせいか、この作品はオッチャンの心の琴線には触れてこなかった。
ただ、この映画が売れている理由はよくわかった。
新海誠監督の作品としては初めて、ハッピーエンドを描いたからだ。
会いたい気持ち。大切に想う気持ち。それを守りたい気持ち。
そしてそれは移り変わる季節や年月の中で、どんどん失われていく。
諸行無常。
新海誠監督の作品は、常にそういうテーマを扱う。
だから彼は世界の一瞬を丁寧に切り取り、その映像は空気を感じるほど濃密で清浄で美しい。
ある意味、とても日本的なアニメーション作家だ。
そうした諸行無常が作中人物の想いの上にも投影される。
彼らの想いは痛いほど純粋で、しかし、それらの初恋はかなわず、そして永遠になる。
諸行無常自体は仕方のない事なのだが…
彼の作品の若い登場人物たちは、それに対する不安と焦燥、そして諦観を抱えている。
これまでの作品は、その諸行無常を、子供から大人、あるいは思春期から大人へ、生から死への変化としてとらえ、無意識のうちにネガティブな視点で作品作りをしていた様に思う。
いつまでも閉じた世界に浸りたい子供や、悲恋に憧れる少女趣味な作品…
決して気持ちの良いものではない。
新海誠監督がその映像の素晴らしさに反して、メジャーになれなかったのもその気持ち悪さに原因があった。
新海誠監督自身、その辺については自覚的で、『星追う子供』から向きを変えようとする。
『星追う子供』では、成長する=死を受け入れるという辺りをテーマに据えた。
しかし、「閉じた永遠」から、いきなり「生と死」では、心理的なギャップが大き過ぎてテーマは消化不良。
作品はトマソンの様に大きく空振りしてしまった…
新海誠監督は、この『君の名は。」でやっとその諸行無常に対して前向きに向き合った。
状況に対し働きかけ、未来を変えていく…そしてハッピーエンド。
新海誠がある意味ふっきれた結果だ。
映画館に足を運ぶのは、僕のようにスレた大人ばかりではない。
どちらかと言えば、日常生活のもやもやの捌け口として疑似体験を求める層の方が多い。
彼らには、途中はどうであれ、ハッピーエンドが必要だ。
だから、大切な人を失う不安を煽った挙句、ハッピーエンドのこの作品は、視聴者の心をぐっと鷲掴みにした。
売れて当然だろう。
追記
個人的には、前作『言の葉の庭』の方がずっと面白かった。
掌編だけど…