本中毒、映画中毒、仕事中毒、そして...恋愛中毒 -32ページ目

■書評 谷甲州『工作艦間宮の戦争 新・航空宇宙軍史』 ハヤカワ書房2018/5/25

 

 

航空宇宙軍史は、太陽系の木星や土星の衛星の政府による外惑星連合軍と、アステロイドベルトより内側の地球政府を中心とする航空宇宙軍の戦争を題材とした連作。
谷甲州がもう40年近く書き続けているシリーズ物。
昨年は第一シリーズを年代順に収録しなおした文庫を順次刊行。

本作は、2年前に第二次惑星間戦争を題材にスタートした新シリーズの第2巻。

 

航空宇宙軍が外惑星探査宇宙船イカロスを改造・軍事転用。
外惑星領域よりも遙かに遠い軌道に進出させた後、内惑星領域に戻る際の高速を利用して、防御の薄い太陽系外側から土星のタイタンに一撃離脱の爆撃攻撃を計画。
そのイカロスの作戦を軸に、それ探知した外惑星連合軍側の防衛戦、追撃戦、航空宇宙軍側の作戦立案/実施者、その命令逸脱を阻止しようとする者達、イカロスの回収にあたる特務艦…様々な側面からそれぞれの物語が紡がれる。

感じるのは、宇宙空間を舞台にした戦争をハードSFとしてリアルに描く難しさ。
兵員の生命維持のコストの高さ。
高速飛行による可能な作戦行動の物理学的制約の大きさ。
その破壊力の大きさと、宇宙船やステーションの脆弱性。
『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の世界観っていうのは嘘なんだなと思い知らされる。(いや、軽くて強度が高い素材が開発されたのかも知れないけれど。ガンダリウムとか…)
そもそも惑星間戦争なんて非効率で現実性がない。
フィクションとしてのこの小説そのものが成立しないのではないかと、はらはらしながらもその論理的な綱渡り楽しめたりする。

僕が強く惹かれた登場人物がいる。

このイカロスによる爆撃作戦を考えついた早乙女大尉。
この作戦立案時の目的は本来は、土星のタイタンへの戦略爆撃によって外惑星連合の継戦能力を奪い、早期に戦争を終わらせる事なのだが、彼が作戦実施者として艦長に赴任してみれば、航空宇宙軍からの作戦指示は威嚇攻撃。作戦は換骨奪胎されていた。

作戦本来の意義を達成するために、彼は軍の統治機構の不備を利用して行動を起こす…

 

実はこういう事は会社組織の中でも時々ある。

日本の会社組織は事業のアイデアを思いついても活かせない。

出来ない理由やデメリットを課題評価して、せっかくのアイデアを換骨奪胎してしまう。

リスクを取らず何もしない事を自分達の役目と勘違いしている経営者は多い。

 

本作での航空宇宙軍が恐れたのが何だったのかは、僕にはよくわからない。

あまりにも効果的すぎる作戦の非人道性なのだろうか…

■書評 梨木香歩『海うそ』岩波現代文庫 2018/4/17

 

移りゆく年月と、変わらない人の記憶…
さりげない中編かと思っていたら、100年以上の年月を濃密に感じさせる宝石の様な作品。

昭和初期。
主人公・秋野は南九州の寂れた島、遅島に学術調査に訪れる。
秋野は島を訪れる前に許嫁と両親を続けて失っており、精神のリハビリも兼ねてこの島へ来たのだった。

島は狭いながらも高低差が大きく急峻な地形。
その高低差に故に広葉樹林から針葉樹林まで多様な植生、豊かな自然がある。
かもしか・山羊が野生している。

この島は、中世より江戸時代まで仏教の修験道の場として栄えた。
明治初期の廃仏毀釈によって、それらの寺院は破壊され、森の自然の中に遺構として残っている。
だがそれだけでは無く、島の中には、土着信仰のモノミミや、平家の落人伝説、そして南方からの建築様式である二ツ屋と北方からの鍵屋、多様な文化の歴史が島中で混交し、そして島の自然の中で埋もれようとしている。

読者は、一人称で語られる主人公と同化し、島の住民との交流や、調査行を体験する。

その体験の中で自然の大きな流れの中に埋もれようとしている先人の営みを愛おしく感じる。

 

この小説の凄いのは、その50年後も描いていること。

50年の歳月は残酷だ。

調査の時には永遠に続くと感じた自然を、開発という名のもとに破壊し、その中に埋もれていた先人たちの営みの痕跡を削り取ってしまっている。

諸行無常…

 

「海うそ」というのは、島の高台で見られる蜃気楼の事。

先人の時代、昭和初期、そして50年後…

一番儚げなこの蜃気楼だけが3代の時代とも変わらない。

報道に物申す

新潟県で小学2年生の女児が殺害された。
絞殺された後に遺体を線路内に放置、轢死を偽装するというかなり悪質な事件だ。
まだ何もわかってないし、犯罪者の心理とか社会の有り様とかについて一家言あるわけでもないので、事件そのものについては特に書く事はない。

テレビニュースとかの報道の仕方について、ちょっと酷いな。と感じた事を書く。
それは。憶測で犯人狩りが始まっている事。
帽子を目深にかぶり、サングラスとマスクした黒づくめの男の目撃が報道されている。
被害女児が、事件のあった朝に、当該人物に追いかけられたと友達に言ったとか、近所でその人物がたびたび目撃されたとか…
同時に白い車が当日たびたび目撃されたという報道もある。

いやいや、少し待てよ。
その人物がまるで犯人で、白い車というのが犯行に使われたかの様な報道だ。

そんな事実はまだ発表されてない。

 

もちろん、各社とも名言はしない。
これこれ、こういう情報があると言い方。

ずるい言い方だと思う。

こうした情報は出所がはっきりしない風聞に過ぎない。

事件に直接関係があるわけではなく、関連性が憶測された情報にすぎない。
しかし、それらの報道によって、視聴者は印象操作を受けて、意識の中に当該人物を犯人像として擦り込む。

無責任で乱暴な報道姿勢だ。
もし、事件現場の近所に黒づくめの服と白い車を持っている人がいたら非常に困った事になるだろう。

迷惑な話だ。
この情報が真犯人と関係なかったら、マスコミ各社はどう責任を取るのだろう…

 


森友・加計学園の事件の報道も似たようなものだったと思い出す。
不確かな情報でマスコミと野党がワァワァと騒ぎ、国会審議が停滞。
もしかしたら、現政権側に何らかの瑕瑾が有ったのかも知れないが、野党とマスコミの追求はただ騒ぐだけの稚拙なモノで、何もはっきりわからないまま未だに国会は紛糾している。
その状態を見れば、報道と野党各党の実務遂行能力に疑念を持たざるを得ない。

まともな大人はもう野党には投票しないだろう。

 

今回の女児殺害事件の報道も、無責任な姿勢なものだ。

 

お隣の国の事を、民衆のパトスよって言動がコロコロ変わり、国内法や国家間条約を守らない法治国家ならぬ情治国家(情痴国家?)と揶揄しているが、意外と人の事は笑えない。