兄弟の絆
ジャンはそのまま倒れ、意識を失った。
騒動の渦中の中で、ひときわ大きく、叫ぶ者がいる。
ランスロだ。
彼はジャンを抱きかかえ、頬を叩き、体をゆすり、声の限りに弟の名を呼び続けた。
普段冷静な彼からは想像できない姿だった。
村人の悩みを聞き、神の教えを説き、導く穏やかな神父である彼は、
自分を見失って叫び続けた。
「…お、お、大げさだなあ。演技じゃないの」
デュポンは空気の読めない発言をした。
ジャンの顔を覗き込んだデュポン氏を、ランスロが殴った。
かなり年期の入ったパンチで、デュポン氏は吹っ飛んでしまった。
ジェアノ警部とマリウスがランスロを止めに入った。
フェリゼはただオロオロするばかりである。
フランソワは吹っ飛ばされたデュポン氏をそのまま放置しておくわけにも
いかず、嫌だったけど一応見に行った。鼻血を出してひくひくしていたが、
意識はあるし大丈夫そうだったのでそのままにして戻った。
ランスロはジャンを抱きかかえ、立ち上がろうとする。
「どうするんだ」
「医者に、医者に行かなければ」
うわごとのように繰り返しながら、ランスロはジェアノ警部の手を
振り払って立ち上がろうとする。
「落ち着け、落ち着け、ランスロ。落ち着くんだ!」
「医者を、医者を…」
「大丈夫だ、毒なんてはいってやしない」
「何を!どうしてだ!」
「ヒステリーを起こして気絶しただけだ、毒なんて入っていない」
「しかし、君は毒物反応が出たと言ったじゃないか!」
「毒じゃない、これは食中毒だ」
ジェアノ警部は言い切った。
それを聞いてマリウスが立ち上がった。
「やっぱりそうだったんですね」
全員がマリウスを振り返った。
「この毒物事件の犯人は、あなただ!」
フェリゼとフランソワが息をのむ気配が伝わってくる一方、
ジェアノ警部は犯人と名指しされたにも関わらず、
まったく表情を崩さなかった。
「ほう…それはどういうことだ?」
「てゆうかあんた今まで毒物事件だって言ってたのに、
今更食中毒だって言ってる時点でおかしいでしょ」
「ふん…」
フランソワはマリウスの袖を引っ張り、小声で聞いた。
「勝算はあるの」
「いや、5割方はったりだ」
「えっ」
「けど5割は事実だ」
「大丈夫かな…」
「つまりこうゆうことだ」
一歩前へ出て、演説を聴く観衆の注目を集める演説者のごとく、両手を広げて皆の注目を促した。
最悪な暴言
マリウスがそのことについてもう少し思考をめぐらそうと思案していると、
あることによってその思考が中断された。
ぶどう酒によってチャボが死んだという事実を知ったデュポン氏が、
やはりこれは毒物事件だと言い張り俄然自己主張を始めたのである。
「食中毒でマウスやチャボが死にますかね?
やはりここは警部さんのゆうとおり毒物混入事件でしょう?」
「確かに、あのチャボが死んだのは不思議よねえ…」
フェリゼが首をかしげながらうなずく。それはデュポン氏に同意した、
というより、不思議なことに対して首をかしげるような肯定だったが、
デュポン氏は鬼の首を取ったかのように勢いづいた。
「そうでしょう?そうでしょう!毒ったら、毒ですよ。
何よりも警察がそう言ってるんですよ。それをですね、
どこの誰とはいいませんけどね、勝手に人の農園に夜中に入ってきてね、
食中毒だって言い張る失礼な馬鹿がいるからややこしくなるんですよっ」
ジェアノ警部の顔を横目でチラチラ見ながら、
デュポン氏は早口でツバをとばしながら興奮気味にまくしたてた。
嫌な大人だ、反吐が出そうだ、とマリウスは思った。
しかしながら強引に食中毒と決め付けれられたといのはまあ事実だし、
ぶどう農園の存続にかけて身の潔白を晴らしたいと思うのは仕方ないと
思い、マリウスは大人な態度をとるよう、自らをいさめる。
「それにね、私は思いますけど、今回の事件は、
ジャンが関係しているのではないかと思うんですよ」
急に矛先を向けられて、ジャンは顔をあげた。
マリウスも、少なからず驚いた。この泥沼でおぼれるがごとく見苦しく
暴れる者のとばっちりが自分に向かってくるのかと無意識のうちに
身構えていたが(マリウスが食中毒って決め付けたので)
それがまったく別の人物に向かったからである。
「ジャンは昔からこの村の鼻つまみものさ。警部さん、
あんたもわかってるだろう?昔から、こいつには手を焼かされて
きたでしょう?スリや万引き、窃盗、置石!今回のこともね、
こいつが関係してるですよ、絶対。こいつがいると、
ろくなことがおきないんですよ、実際」
「ちっげえ!おれじゃねえよ!」
ジャンは変声期特有のかすれた声を裏返らせて叫んだ。
「そうさ、まったくこいつがいるとろくなことがない!お前の母親も、
お前がそんなだから捨てていったんだろうなあ!」
マリウスはもちろんこの兄弟の生い立ちや過去を知るわけではなかった。
しかしこのデュポン氏の発言が、地雷を踏んだらしいことは明らかだった。
さっとその場の雰囲気が凝り固まった温度の低いものに変わるのを
背筋がぞっとするほどリアルに感じた。
マリウスは不安に思い、ジャンを横目で見た。ジャンは怒るでもなく、
暴れるでもなく、まったくの無表情だった。
どんな表情も見て取れない表情に、マリウスは寒気がした。
それは外部からのストレスや攻撃から防御するために、
いっさいの感情を殺しているように見えた。
しかし自分の身を守るためのその術は、逆に自分の中のものを崩し、
壊死させていくようにもみえた。ヤバイ、と思った。この表情はまずい。
「デュポンさん、あなたは‥」
ランスロが口を開いた。唇が、怒りのためか震えていた。
「もういい」
さえぎったのはジャンだった。
「もういい。もういい、最悪だ。てめえらみんな最悪だ」
言うなりジャンは、ぶどう酒を奪い取って、一気に飲み干した。
あっという間のできごとだった。
一瞬であったにも関わらず、ジャンを止めようとするランスロ、
ジェアノ警部、悲鳴をあげ手で口をおさえるフェリゼ、
驚愕するフランソワやデュポン氏の動きがすべて
スローモーションに見えた。
少年の孤独な心情が蔓延した後で、
すべてが滑稽にもみえるほど、スローに見えた。
役者はそろった
役者はそろった。ここに、毒物事件に関わった全員がそろっている。
この中に、犯人はいるのか。(またはいないのか)
それとも本当にただの食中毒なのか。
マリウスは頭の中で人物の相関図、この事件との関わりを整理した。
デュポン(30代)
騒動の発端となったぶどう酒をつくった人物。ぶどう農園の2代目。
ランスロにぶどう農園を救ってもらった過去があり、恩を感じている。
不衛生な環境でぶどう酒を造っていたことが判明し、
過去に食中毒をおこしていることから、今回もそうである可能性がある。
フェリゼ(15歳)
毒物が混入したと思われるぶどう酒でチェリ―タルトをつくった。
そのことをしばらくたってから報告した。ランスロに惚れている。
ランスロ(25歳)
この村の神父。村人からあつい信頼をよせられている。
前科があったらしい。フェエリゼから想いをよせられているが、
本人がどう思っているかは不明。
ジャン(10代)
不良少年らしい。ランスロの弟。ランスロはこの弟に手を焼いているらしい。
フランソワ(16歳)
サンメリの王子。フェリゼのことが好き。恋敵のランスロにもわりと
友好的である。ぶどう酒が配られた村の会合の時に、
席を外していたことから毒物事件の犯人に疑われる。
ジェアノ警部(25歳)
村の警部。ランスロの幼なじみ。この事件を担当する。
早い段階から、フランソワを容疑者扱いする。
マリウス(16歳)フランソワの幼なじみ。
食中毒である可能性について考えてみた。その可能性の理由となるところの
原因は、馬に飲ませても変化がなかったことである。また、
チェリータルトを食べたが特に異常がなかったことからして、
ただの不衛生なぶどう酒であったのだという可能性は高い。そして
ぶどう酒を飲んだことにより村人数名が体調不良を訴えたというが、
いずれも症状は軽かった。
次に毒物が混入されていたという点で考えてみる。毒物が混入されていたとする根拠は、次の2点である。まず、ジェアノ警部が調べたところ、ランスロのぶどう酒にだけ他とは違い、高い濃度の毒物が検出されたということ。また、ランスロの庭先でかっていたチャボが、その毒で死んでしまったこと。
マリー婦人の証言により、デュポン氏は会合のたびに数人にぶどう酒を
配っていたことがわかる。(えこひいきだ)そのぶどう酒は、
それぞれ配る人によってふちの何センチまで入れるか、決まっていたようだ。そのかなりせこい行為は村人の間でも知られており、つまりそれにより
どのぶどう酒が誰に配られるか、周知の事実だった。そのことから、
犯人はランスロを狙った、ランスロに対する怨恨である可能性が高い。
とマリウスは考えたのである。しかしながらこの
「顔見知りによる怨恨の可能性」というのは、ジェアノ警部がフランソワを
連れて行こうとしたとき、案に「この村に来てランスロと出合ったばかりで
怨恨を抱く可能性がない」と示唆する意味合いでとっさに出た言葉であり、実際に「怨恨の可能性」という線はどうなの、という気がしないでもなかった。ただ単にぶどう酒に毒を入れた愉快犯なのかもしれないし、
特にランスロを狙ったという意識はなかったかもしれない。それに、
「怨恨」という可能性を主張した時、ランスロの村人からの評判は
すこぶる良く、怨恨を抱くような人物ではないということから、
ランスロに恋するフェリゼに想いをよせる男、という点で、
唯一怨恨を抱きそうなのはフランソワ、ということになってしまい、かえって墓穴を掘る結果となったのである。
と、ここまで考えて、マリウスはあることに気がついた。
食中毒という線の方がいくらか客観性がある。
というか、毒物だと主張しているのは、ジェアノ警部だけなのではないかと。
そして毒物であるという事実も、
ジェアノ警部によってのみ示されている。
つまり、警察で調べたところ毒物反応が出た。
ジェアノ警部がたらしたぶどう酒によって庭先のチャボが死んだ。
この2点である。
疑惑のスパイラル
「昨日食べたチェリータルト。あれね…」
それから口ごもった。
「なんだ、昨日のチェリータルトがなんなんだ、その先は!」
マリウスは嫌な予感にいらだった。
「つまり、あのチェリーは、そのぶどう酒で漬け込んだものなのよ」
フランソワは固まった。
「うそ…じゃあ…」
しかしマリウスは冷静だった。
「すでに食べてから丸一日はたっている。毒が混入されていればすぐに
症状がでるはず。やはりここは食中毒という点が妥当だろう。
さくらんぼを漬けこむさいに、鍋でぐつぐつ煮ただろう。
それによって熱湯消毒が行われ、食中毒の菌が死滅したんだ」
「じゃあ、あのチャボはなんなの?」
「問題はそこだ…」
3人は考え込んだ。
「…とゆうかフェリゼ、なぜそのことを今になって言う?
最初になぜそれを言わなかった?」
「だって…さっき気付いたんですもの。
ランスロの家には他にも数本ぶどう酒があったのよ。
さっき買い物に行く前に足りない材料を調べていたら、
家に残ったぶどう酒のビンがどれも空いてないのに気づいたのよ。
つまり私が使ったのはジェアノ警部が持っていった例のぶどう酒
だったんだって、気付いたのよ」
にわかには信じられなかった。事件がおこった直後に、
自分がどのぶどう酒を使ったかすぐ調べないなんて。
ここに来て、怪しい人物が2人、身内から出てきた。
ランスロとフェリゼ。
もちろん、ランスロが前科があるということだけでこの事件と
結びつけるのは拙速な対応である。人は様々な過去を持って生きている。
その過去の事情にとらわれて、現在の人間を評価するのは偏見というもの
である。しかしながらランスロの現在の神父という職業とあの聖人めいた
貫禄が、その「前科がある」という事実とギャップがあり、
そのギャップが人に、いささか「胡散臭い」「何かあるのではないか」
という印象を与えるのであった。
ランスロが、ジャンを小麦の袋でも抱えるように軽々と肩に抱えて
戻ってきた。往生際悪くじたばたと足をバタつかせ、
ランスロの顔に蹴りをいれた。
「この、クソ兄貴」
「このクソガキ…!」
ランスロはジャンを羽交い絞めにして身動きをとめた。
普段穏やかなものいいのランスロが、暴言を吐いている!3人は固まった。
その3人の困惑振りに気付いて、ランスロははっともとの穏やかな表情を
作ろうとしたが、それはかなり引き攣ったぎこちないものになった。
「すいません。この子は私の弟で」
「おとーと!!?」
マリウスとフェリゼは声をあげた。
呆然と2人の兄弟の戒めあいを見ていると、
ジェアノ警部とデュポン氏が駆けつけてきた。
「うるせえ…誰がお前のおとーとだっ、
一人だけいい子ちゃんになりやがってよお、
くそうっ、離せ、離せってばよ、いたっいててて」
「今度は何を盗った?後でじっくり話しを聞こうじゃないか」
「か、関節はやめて。あっ無理、むりむり駄目駄目!!」
「アンリに言って刑を長くしてもらおうか」
「ばかー。やめろよクソ野郎!」
「アンリ。すまなかった、手間をとらせた」
「いやいい。こっちによこせ」
ジェアノ警部はジャンを後ろでに縛り上げた
毒か、食中毒か
マリウスは自分の後ろにランスロがぜいぜい息を切らしながら
ついてくるのを感じていた。「メタボリックシンドロームをご存知ですか?」と聞きたくなるようなたるんだ腹をたぷんたぷんと上下に揺らして、懸命にマリウスの後ろをついてくる。前方に馬車が見えた。その傍に、フランソワが
へたりこんでいる。そのフランソワから、小柄な人間が一人、
パッと離れたかと思うと全速力で駆け出した。誰だ、あれは?
と、突如、後ろをぜいぜい言いながら走っていたランスロが地鳴りのような
野太い声をあげた。
「ジャアアアンンン!!!!」
そして急激にスピードアップした走りを見せ、
その人物を追いかけだしたのである。瀕死のセミが道路で死にかけていて、
死んでるのかな?と足の先でちょっとつついたらいきなりジジジジジッと
暴れだしてぎゃっとなった時の気分に似ていた。まだ力残ってたの?
てゆうか今までのフェイント?みたいな。ランスロの走りは見違えるように
ものすごかった。例えていうならジャッカルをおいかけるチーターだ。
ジャッカルがチーターの追撃を振り切ろうと、機敏な方向転換を見せるように、少年も右に左にターンした。しかし執拗に獲物にくらいつく
チーターのごとく、ランスロも少年の機敏なターンにくらいついていった。
ちらっと後ろを振り返ったとき、少年は体勢を崩した。足がもつれ、
ころびそうになるのを両腕を滑稽に大きくふってこらえようとしたが
かなわず転倒した。そこにランスロが飛び掛った。砂埃が舞う。
ランスロは少年の上半身を抱え起こし、「歯ぁ食いしばれっ……」とゆうドスの聞いたセリフの後、ぱちんぱちんと両頬を打った。
マリウスは止めようかどうか迷ったが、お知り合いみたいなので
放っておくことにした。
駆け寄ったところのフランソワは、放心状態で呆然としていた。
「フランソワ…その座り方は骨盤に悪い。やめろ」
地面にペタリと座り込んでいるフランソワを立ち上がらせ、
しっかりしろ、という風に背中を叩いた。
「フランソワ。逃げちゃだめだってば。お前が逃げる必要はないんだ。
もう事件は解決したんだよ」
フランソワは首をふるふると振った。
「いや逃げてない。巻き込まれただけだって…
あのジャンってゆう子に…それよりも、
本当に食中毒とゆう線は確かなのか?」
「多分ね」
「多分って…」
「そうゆうことにしておけばいい」
「やっぱりまだはっきりとは解決してないんだな?
じゃあ、あのことを、一応心にとめておいて欲しい」
「あのことって?」
「さっき、マリウスに耳打ちしたあのことだよ」
マリウスはちょっと考えてから言った。
「らんすフォアぜんかっか…?」
「えっ?」
「らんすフォアぜんかっかってしか聞こえなかった」
「は?」
「そういったんじゃないの」
「なにそれ!どんだけ難聴なんだよ!」
「お前の滑舌が悪いんだよ!」
フランソワはマリウスの襟をぐいっと手繰り寄せ、小声で言った。
「「ランスロには前科があったんだ」って言ったんだよ!」
思いがけない言葉にマリウスは眉をひそめた。
「それは本当なのか」
「刑務所にいたジャンって子が言っていた。
今、ランスロがものすごい勢いで追いかけていったあの子だよ」
「確かに、お知り合いみたいじゃないか。不良グループの一員だったのかな」
ふっと人の気配を感じて顔を上げると、そこにフェリゼがたっていた。
マリウスはフランソワからすっと離れて何食わぬ顔で声をかけた。
「フェリゼ。買い物か」
「そうよ、あんたたち今、何をこそこそ話していたの」
「なんでもないよ」と言う風に手をふって誤魔化し、
フェリゼから視線をはずすと、傍らの馬車が目に入った。
よぼよぼのお馬さん。見覚えのある御者の老人。
「この馬車。おれがここに来るときに乗ってきた耳の遠い馬車じゃないか」
フランソワはハッとした。
「そう、マリウス。さっきのジャンていう子が
この馬に例のぶどう酒を飲ませてしまったんだ」
「毒入りのぶどう酒を?」
「そうだ」
マリウスは考え込んだ。
「それはちょうどいいじゃないか。あのぶどう酒に実際毒が入っていたのか、いないのか、ただの不衛生なぶどう酒なのかこれで判明する」
年老いた馬の首筋をマリウスはそっとなでた。
「飲んだのはいつだ」
「5分ほど前だ」
馬はのんきに草をはんでいる。ひきつけを起こす様子はない。
「これで決まりだな…毒がはいっていたらすぐに吐くなり、
苦しむなりのリアクションを起こすはず。
このぶどう酒に毒は入っていない。食中毒だ」
「馬は食中毒起こさないのか」
「人間にとっては不衛生なぶどう酒でも、馬にとっては問題ないんだろう」
「でもちょっと待って」
それまで黙っていたフェリゼが声を上げた。
「ジェアノ警部がぶどう酒をチャボに飲ませたら、
一瞬で死んだわ。食中毒でチャボが死ぬかしら?」
「それは確かに…」
「それにね、もう1つ気になることがあるの」