人の話を聞くこと
「ワタシはね、あのコはちょっと足りないんじゃないかってね、
ほんの少し心配してたんですよ。ほんの少しですよ。
あのコは小さいころから立つのが遅かった、言葉が出るのが遅かった、
メシを喰うのも遅かった。でいつもボーっとしてるでしょう。だから心配で、心配でね」
「ええ。なんの心配もありません。ただ一つ、気になる点がございます」
レガートの表情がカッと厳しくなった。
「気になる点とは!?」
「フランソワ様は、あまり人の話を聞くのがお得意ではないような気がいたします」
「ああっ‥」
痛いところをつかれた、図星だ。レガートは恥ずかしくなった。
「確かに、フランソワは小さいころから人の話を聞くのが苦手です。
授業中もぼんやりしています。いつだったか私がフランソワに説教をしたとき、
フランソワはずっと私の肩越しを見ていた。何を見ていたと思います?
窓の外のコマドリを見ていたんですよ!
「お父さん、コマドリがえさをついばんでいるよ」ってね。私の説教は、
耳の左から右に流れていったんです。ハハ、あのコは‥ほんとに‥ハ‥ハ‥」
「頭がいい人というのは、人の話を聞く能力が高い人のことなのです。
人の話を聞き、理解する。それが出来なければ、学校で授業もうけられませんし、
社会に出てもやっていけません。人の話を聞く訓練は、幼児のころから
行われるのが一番いいのですが、今からやっても十分間に合います」
「してその方法とは」
「読み聞かせです」
「読み聞かせ‥」
レガートは渋い顔をした。
「読み聞かせとは、幼い子供に母親がしてやるものでしょう。
彼ぐらいの年齢の少年には、いささか幼稚かと」
「そうです。母親が幼い子供に物語を聞かせてやる。
それが子供の聞く力を養う基盤となっているのです。
失礼ですがフランソワ様には幼いころ、読み聞かせの時間をたくさんとって
あげたでしょうか」
レガートは言葉につまった。脳裏に、フランソワの母親で、
自分の妻だったポーニ-ヌの顔が思い浮かんだ。
「フランソワの母親は、フランソワが5歳のころに亡くなりました。
確かに、彼が母親とすごした時間は少なかった。
それは否定しようのない事実です。
…今からでも間に合いますでしょうか」
「ええ。間に合います」
ピエール氏は自信に満ちた表情でうなずいた。
知能検査
話は少し前にさかのぼる。
数年後にひかえた受験のために最良の家庭教師をフランソワにつけなければ
と日々各方面にしかるべき人脈と情報の網を張りめぐらせていたレガートのもとに、
思いがけないタイミングでタイミングである学者がサンメリ城を訪れた。
彼の名前はピエール・タギエフ。
パリ大学で心理学を学び、博士号を取得した学者だという。
「私は人の頭のよしあしを判定する診断テストを開発した学者です。
全国を回ってフランスの平均知能を測っているのですが、
良ければ診断テストにご協力お願いできませんでしょうか?」
対応した臣下は胡散臭いと思った。
でも一応城主に報告した。
いつものように、
「ああ、だめだめ。訪問販売と宗教の勧誘は断って!」
とその手の胡散臭い話はすぐ断るだろうと思った。
しかし意外にも、レガートはこの話に食いついた。
「その学者は、人間の頭の良さを数値で測れると言うのか?」
「そうらしいです。知能診断テストという試験を受けて、
その点数によって頭のよしあしがわかるようなのです」
「すぐ上に上がってもらうように」
ピエール博士はフランス中をわたり歩き、長旅のせいか
身なりがボロボロで不潔に見えた。
分厚いメガネをかけ、ひくひくと口の端をあげる癖が
神経質な印象をあたえた。
「これはそんなに難しいテストではないのです。いくつかの
単純な計算と、短い文の読解と
絵を見て何が描かれてあるか、その絵の中に
どんな模様が隠されているかあてるだけです。40分程度で
終わります」
「ふむ。なかなか興味深いテストですな」
「ではこの城の皆さんに協力していただいていいのですね」
「ええ。その前にちょっと。最初に、私の息子を…
息子の知能を計ってくださいませんかね」
「息子さんですか。いいですよ」
「ありがたい。もう一つ。その結果はくれぐれも内密に」
「もちろん、テスト結果は厳重に管理します。個人情報ですから」
部屋に呼ばれたフランソワは素直にそのテストを受けた。
その間レガートは別の部屋で、部屋の中を行ったり来たりしながら
落ち着かなく待った。
(もしも彼の結果がものすごく悪かったら?いやいかし意外と
ものすごく良かったりするかもしれない…いや、変に期待すまい。
きっと平均だろう。平均より下かもしれぬ…。まあそれでも
いい…、きっとちょっと悪いぐらいだ。きっと…)
レガートは結果が出るプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、
結果が悪るかった時がっかりしないよう心に保険をかけていた。
「採点が終わりました」
思っていたよりずっと早く、ピエール氏が扉を開けて出てきた。
机に座って向き合うと、ピエールは結果がかいてあると思われる
紙を手になにやら顎をしきりに触りながらおもむろに口を開いた。
「で…採点の結果ですが」
レガートは心臓が高鳴り、動揺を押し隠そうと逆にあせって
早口でまくしたてた。
「はっきりおっしゃってくれてけっこうです。ええ大丈夫です、
なんと言われても心の準備はできています。ええ、OK。‥どうぞ。なんなりと。
あのコがどんな結果になろうと私は大丈夫です。たとえこの城を引き継ぐのに
ふさわしくない頭の持ち主と言われてもね、ハハッ、先生、はっきりおっしゃって
ください。バカですか、あのコはバカなんですか!!?」
「落ち着いてください。フランソワ様の結果は、大変いいものです。
バカだなんてとんでもない。むしろ、私が現在集計しておりますところの
平均を大幅に上回った非常に優秀な成績ですよ」
レガートは目を見開いた。
「もう一度言ってください」
「フランソワ様は、優秀です」
「おお、神よ」
レガートは顔を覆って椅子に倒れこむように座った。
安堵感からか頬はピンク色に染まりっている。
田舎者
レガートはフランソワに最高の家庭教師をつけたいと常日頃思っていた。
彼は息子にフランスの中心、パリの貴族の子息に教養で差をつけられたくないと
思っていた。ゆくゆくはパリの社交界に参加し、貴族と接触する機会も
増えるだろう。その時恥をかかないように、相応の教養と品位を身につけて
いてほしいのだ。なにより、自分の跡を継ぐ未来の城主に、
最高の教育が必要でないはずがない。とかたく信じている。
レガートはパリに憧れ、パリの大学で学んだ経験があるため、
サンメリをちょっと物足りなく感じ、ちょっとしたコンプレックスを感じていた
ことも事実である。それはフランソワに対する言葉の端はしに感じ取れた。
「フランソワ、田舎の城主だからといって馬鹿にされるようなことをしてはならぬ」
「フランソワ、田舎だからといってサンメリを恥ずかしく思ってはならぬ」
「フランソワ、サンメリは美しい田舎町だ。この田舎独特の美しさは都会
のパリにはないものだろう」
素直な性格のフランソワはレガートの言葉に神妙にうなずくのだった。
実際には、サンメリはそれほど田舎というわけではなかった。地方の中核となる
それなりに近代的な街であった。ただ自尊心の強い、パリの魅力に
取りつかれてしまったレガートにとっては、なんら面白みのない、ひなびた
田舎街にしか見えなかった。
フランソワはレガートの言葉を信じ込んでいたので、
サンメリはマジに田舎だと思っていた。
「サンメリはどんなところですか?」
パリの貴族の言葉に、フランソワはこう答えるのだった。
「ド田舎です」
ショコラ・ティー
女官長がトレイにのせたティーセットを持って部屋に入ってきた。
部屋中に、ショコラの甘い香りが漂う。
「ショコラ・ティーですわ。アールグレイの茶葉の入った
ポットに、カカオの香り豊かなショコラをたっぷり注ぎこみました。
シナモンとジンジャーのスパイスが効いているので
体が温まりますわ。こちらはハーブのクッキーです。
カモミールとローズマリーのハーブを使って、しっとりと焼き上げました」
アンティークのカップになめらかな茶色い液体が注ぎ込まれる。
紅茶の香りと、ショコラの香りが絶妙な逸品だ。
女官長は、時々こういった創作的なお茶や菓子をつくるのを
趣味にしている。気難しそうな顔からは想像できない、
細やかで可愛らしい一面を持つ女性だ。
「ありがとう。まあ二人とも座ってくれ。
どうした、モンブラン、青ざめた顔をしているが、具合でも悪いのか?」
レガートに指摘され、モンブランはびくっと身を震わせた。
「いいえ!大丈夫でございます。さきほどまで外に出ておりましたので、
少し体が冷えたのでしょう」
「そうか。これを飲めばすぐ温まるだろう。さ、いただこう」
3人はショコラ・ティーをすすった。
クッキーとお茶を楽しみながら、しばしどうでもいい歓談が
続いたが、やがてレガートが口を開いた。
「今日はちょっと、フランソワのことで話がある」
モンブランの心臓の鼓動が早まり、カップを持つ手が震えた。
「……そろそろ彼の、進路について真剣に考えなければならぬ」
それを聞いてモンブランは、安堵の溜息をついた。
自分とこの親戚の子供が城主の息子に石入りの雪玉を
ぶつけまくっていたことに対する苦言を言われるのかと危惧
していたからである。
モンブランはとたんに元気になり身を乗り出して相槌を打ちはじめた。
「ほうほう!そうですね!それは真剣に考えなければなりませぬ!」
「私の希望としては、私は彼にパリ大学に進んでもらいたいと
思う。しかしながら、彼はいまいち学力に乏しい。そこで、だ。
優秀な家庭教師をパリから招へいしたいと思う。そこで私は
めぼしい人物を二人ほど見つけた。彼らはいずれもパリ第6大学で教鞭を
取っている工学博士である」
モンブランの冷汗
老眼鏡を雪だるまにかけた犯人と思われるパスカル少年を
探しにモンブランが廊下を渡り歩いていると、
女官長が声をかけてきた。
髪をひっつめおだんごに結び、椿油でテカテカと
黒光りする頭に分厚いめがね。
神経質そうになんどもメガネに手をかけながら
女官長は早口に言った。
「レガート様がお呼びですわ」
「レガート様が?」
「ええ。ワタクシとあなたをお呼びなの。何か大切な話が
あるみたいなんだわ。わたくしちょっとお茶室に行って
ショコラを作ってきますからあなた先に行っててちょうだい。
お待たせしちゃ悪いわ。出来合いのものじゃなくって
チョコレートを刻んで溶かすところから始まるから
時間がかかるのよ」
言って女官長はぶつぶつとショコラのレシピを反芻しながら
去って行った。
サンメリの城主、レガートの部屋の扉には、
イタリアの有名な「真実の口」のレプリカが掲げられてあった。
その仰々しい顔は扉をノックするものに、大きな威圧感を与えた。
「お前は真実を口にしているのか?」
とその顔は問いかけているように見えた。
モンブランが扉をノックし、部屋に入ると、レガートは
全開の窓の傍らに立ち、腕組みをして窓の外を
見やっていた。
寒風を全身に浴び、顔にアラレ交じりの雪が
顔に直撃するのをものともせず、仰々しく中庭を見下ろす姿は
中世の絵画に描かれた英雄のように雄々しくも見えた。
「モンブランか。こっちに来い」
「はい」
「あれをどう思う」
レガートが顎で指し示す方を見ると、
城主の息子、フランソワと自分とこの親戚の子供、パスカルが
息を弾ませながら顔を真赤にして雪合戦をしているのが見えた。
中庭には、彼らの声が城の石壁に反射してこだましている。
「パスカル!なにか、君のなげる雪玉には仕掛けが
あるように思うんだが!!」
「なにかって、なにさ!」
「当たるとものすごく、痛いような気がするんだけど!」
「気のせいさ!」
「この僕のこめかみから流れる、少量の血はなんと説明したら?」
「それは血じゃない、心の汗さ!」
レガートはふん、と鼻をならした。
「雪玉に、石をしこむとはな……」
モンブランは全身から汗が吹き出し、体がガタガタ震えるのを感じた。
しかしながら実際のところレガートは、特に嫌味をゆったわけでもなく、
パスカル少年がモンブランの親戚という事実も忘れていた。
なんか最近よく城にいる少年という認識しかなかった。
彼はただ、「あのぐらいの年頃の少年って遊び方がワイルドだよね」
みたいな感じの感想で、二人の姿をほほえましく見て
いるだけであり、傍らの老人が大変狼狽していることに気付かなかった。