やる気のない人がいる
泣きじゃくるパスカルを前に、フランソワは根負けして
提案した。
「わかった。じゃあ、一緒にパリにいこう。
父さんに頼んでみるよ。
そのかわり、パスカルも勉強するんだよ。
なんの目的もなく一緒に同行することは
できないだろうからね。
君も勉強したいんだって言えば、きっと
同行を許してくれると思うよ」
パスカルはしゃくりあげながらも
その言葉を聞き、顔をあげた。
「ほんとう?」
「ああ、本当だ。
だから勉強するんだよ」
「うん、わかった。おれ勉強するよ。
字もおぼえるし、きれいなフランス語を話すように
頑張る」
「そうだね、きれいなフランス語をしゃべるのは
難しいからね。僕もいまだに、重っくるしい
なまりが入ってるって向こうの人には
言われるから」
「うん。たくさん勉強するよ。だから
一緒にパリに連れてってね」
「わかった。約束しよう。父さんに頼んで
みるよ。ね、マリウス?」
「‥‥‥あ?」
突然話を振られ、ぼんやりと昨日
中華街で食べた酢豚のことをなんとなく
思い出していたマリウスは顔をあげた。
「父さんにパスカルの同行も許してもらえるよう
頼もうと思うんだ。君も一緒に頼んでくれるよね」
「おれも?」
「いやなのか」
「‥‥‥‥別にいいけど」
その言葉にフランソワはぴくりと反応した。
「また出たね、君の口癖
「別にいいけど」
その消極的な肯定。
昔から君はなんつうかこう‥やる気がないって
ゆうか‥‥
僕らが5歳ぐらいのとき、近所の森でラズベリーの
たくさんなっているポイントを見つけた僕は
嬉しくて嬉しくて森に探検しに行こうと
君を誘ったら君は
「おっくうだ」
ってゆったよね。
僕はその
「おっくう」
とゆう言葉の意味を知らなかったものだから
父さんに意味を尋ねたら
辞書で調べてみなさいと言われて
じいに手伝ってもらって調べてみたら
「ものごとが面倒であり
関わりたくないさま」
と出てきてその時の哀しみといったらアンタ‥‥」
「よく憶えているよねそんな昔のこと‥‥」
「衝撃だったからなその言葉が‥」
ハートの8が出ない
フランソワが自室に戻ると、マリウスとパスカルが
暖炉の前の暖かい絨毯の上でトランプに興じている姿があった。
シュークリームを頬張り、口のまわりを粉砂糖だらけに
したパスカルが叫んだ。
「よう、フランソワ!遅かったね!」
「なんか‥この部屋たまり場になってるよね‥
別にいいけど‥」
フランソワは机に父から渡された資料を置き、
大皿に積み上げられたシュークリームを一つ口に入れた。
「ほら、次お前の番だ」
マリウスに促された時、真剣に自分の持ち分のカードを眺めていた
パスカルが突如、声を上げた。
「また君ってやつは!どうしてだい!?どうしてハートの8を出して
くれないんだい!?僕がそれに続くハートの9やら10やら11やらを
持っていることを君は知ってて無視しているんだね??
ハートの8だけじゃない! スペードの3も! クローバーの6も
君が持っているんだね??後がつかえているってゆうのに!
君ってやつは!!」
「いや、これはそうゆうゲームなんだろ」
「君は僕がカードを出せないでパスパス言ってるのを見て
楽しんでいるんだね??なんて底意地の悪いやつなんだ
君ってやつは!!」
「だからこれはそうゆうゲームなんだってば!!」
数分後、マリウスはパスカルに勝利した。
パスカルはかなり不機嫌にカードの後片付けをしている。
急に無口になって手荒にカードをしまう姿は、
周囲の大人に無言で怒りアピールをする子供の姿そっくりだった。
しかしマリウスは特に気にも留めずフランソワに尋ねた。
「城主様はなんだって?」
「それが、おれにパリの大学の教授のところに行って、
勉強してきてほしいみたいなんだ」
「パリの?なんかこの間の話では、家庭教師が来るとか
言ってなかった?」
「それが、二人候補がいて、どちらを家庭教師にふさわしいか
見極めてこい、とゆう話らしい」
「大学教授って、そんな個人の家庭教師とかしてくれるのかな。
忙しいんじゃないの?」
「おれもそう思うんだけど‥‥‥」
そこで、話の成り行きを聞いていたパスカルが
口をはさんだ。
「パリ?パリに行くの??」
「ああ、たぶんね」
「いいなあ!おれもパリに行ってみたい!
パリに行って、うまいお菓子をたらふく食べてみたい!」
「マリウスも行くんだよ」
「は?おれも行くの?」
「むり?」
「別にいいけど」
「おれは??」
勢いよく食いついてきたパスカルにフランソワは
冷静に言い放った。
「お前? お前は‥‥お呼びでない」
それを聞いた瞬間パスカルは凍りついた。
「な‥なな‥なんでおれは置いてきぼりに??」
「なんでって‥‥それが妥当だと思うんだけど‥‥」
「ちょっ‥‥ひど‥‥」
「ひどいって言ったって‥」
「びっくりした‥」
「いや‥だってさ」
「もしかしてあんたたち、おれのこと嫌い?
これって‥これってイジメなんじゃ」
「え、いやそんなことないってパスカル!
今回は悪いけど、でもけして嫌ってるとかそうゆうんじゃ」
フランソワはあわてて弁明しようとしたが
パスカルはすっかり消沈していた。
「こんなことって‥う‥う‥」
「ごめんよパスカル泣かないでおくれよ」
「どちくちょう‥う‥ううう‥」
そんな二人の様子を、マリウスは貧乏ゆすりをしつつ
メンドくせー‥‥と思いながら距離を置いて傍観していた。
父と息子の会話
レガートに呼び出されたフランソワは、父の部屋の前で躊躇していた。
また何か自分は父を困らせるようなことをしただろうか?
いったい何を言われるのだろうか?
ここ数年、父親と話すことがおっくうで仕方ないフランソワは
気が思くてしょうがなかった。
フランソワは思春期特有のあからさまな反抗の態度を取ることは
なかった。父とも普通に話す。しかしそれは第三者が間に
介入しているとき。複数でいるときである。例えば
モンブランとか、マリウスとか。彼らが会話に加わっている時は、
父とよどみなく話すことができた。しかし、二人きりになると
とたんに会話はなくなり、気まずい沈黙が訪れ、やるせない
気持ちでどちらかがさりげなく席を外すのだった。
扉をノックして部屋に入ると、レガートは机の上に
資料を並べて、それをいかつい顔で眺めていた。
「フランソワか。そこに座りなさい」
促されてフランソワは椅子に座った。
レガートは、息子のひたいに傷があることに気付いた。
「その傷、どうした?雪合戦のときのか」
「あ、うん。ちょっと……」
「痛むのか」
「いや、とくに…」
父を目の前にすると、フランソワはものすごく無口だった。
これがモンブランやマリウスだったら、
「それがさー、さっき雪合戦でパスカルがさー、
雪玉に石をしこんでてー、最初は気付かなかったんだけど
なんか痛いなあと思ったら血がにじんでてさあびっくりしてさあ」
などと延々状況説明するところだが、父には
「とくに」「べつに」の一言で済ませてしまうのだった。
「今日お前を呼びだしたのは、ほかでもない、お前の
今後の進路についてだ。私の考えとしては、お前には
より高い教育をうけるために大学に行ってほしいと思う。
そこでだ、パリ大学の工学部教授にお前の家庭教師を
頼みたいと思う。候補者は二人いる。そこで、お前は
今からパリに行き、その二人のどちらの教授の元で
勉強したいか、自分で決めてくるのだ」
「えっ、工学部の?」
「そうだ」
「工学部って…そんな、工学部興味ないんだけど…」
「なにも工学部に行けと言ってるわけではない。
大学の雰囲気を感じてくればよい。
教授には、専門的知識ではなく一般教養としての
教育をお任せするつもりだ」
「えー…、候補者は二人って…」」
「そうだ。まったくタイプの違う二人の研究者だ」
「おれが選んでいいの?選ばれなかった方に失礼じゃない?」
「まあ、そうゆうことは考えなくていい」
「そうゆうことで話は進めておく。ちなみにパリには、
お前ひとりでは心配であるからマリウスにも行ってもらう」
フランソワは父の突然の提案にとまどいつつも、
エッフェル塔やベルサイユ宮殿、シャンゼリゼ通りの情景が
一瞬にして脳裏に去来し、胸がときめいた。
アカデミック
これまでの経過を一気に説明してきたレガートは
大きく息を吐いた。
「つまり、だ。私は様々な情報に振り回され、
様々な方歩を試み、これまでにも何人かの優秀な家庭教師を
フランソワにつけ、学力の向上につとめたが、
それもいまいち十分な結果を得られなかった。
私は気付いてしまったのだ。やはり、ここサンメリでは
彼に十分な学力を身につけさせるのが無理であることを。
つまり、彼にはパリにおいて最高の教育を受けさせるべきだと」
女官長は心の中でつぶやいた。
(ああ、またレガート様のパリ・コンプレックスが出たわ!)
「どうだね、二人とも。私の意見に賛成かね」
「ええ。それがいいと思います。レガートさま」
モンブランはニコニコとほほ笑んだ。
「いいですなあ。パリ。じいもその昔、エッフェル塔付近で
小汚い青年にまったく必要性のないミサンガを
無理やり結ばれて金を巻き上げられたことがありましたが
今となってはいい思い出ですじゃ…」
モンブランは遠い目をしてパリの情景を思い浮かべた、
オー・シャンゼリゼ…
小気味よいメロディーが彼の頭の中にこだました。
レガートはうむ、とうなずいた。
「君はどう思うかね?」
「ええ。フランソワ様に最高の家庭教師をつけることは
賛成ですわ。けど、それが大学の教授というのはどうでしょう?
思うに、大学教授というものはあまり教えることに長けてる
とは思えませんわ。元が勉強ができるので、
勉強ができない者の気持ちがわからないというか。
それにフランソワ様はまだ、工学の研究をするわけではなく、
一般教養としての知識を身につけるべきですよね?
数年後のバカロレア(共通大学一次試験)にそなえて。
でしたらなにも工学博士ではなくそれ専門の家庭教師のプロに
お任せしたほうが無難かと…」
レガートは腕組みをして顎をなでた。
「ふむ。君の言うことも一理ある。
しかし私は、フランソワに早くからアカデミックな、
本場の空気に触れてほしい。いやなにも研究者になれとは
言わないが、一流の研究者の学問に対する真摯な姿勢から
多くを学んでほしいのだよ」
つまり平たく言えば
名もない田舎の家庭教師よりも、華やかで洗練された都会の
大学教授に教わる方がアタマ良くなりそう……
というチープな願望を、レガートはもっともらしい理論で
押し通した。
POPONTA
窓の外に降りしきる雪を眺めながら、
暖かい部屋の中でフランソワは読書をしていた。
火のともった暖炉と甘いカフェオレで体の芯から
ぬくぬくとあたたかく、とろとろと眠くなりながら
字面を目で追う。
そこに、マリウスが入ってきた。
入ってくるなりテーブルの上に一冊の本を置き、
「さあ、ぼーっとしている場合じゃありませんよ」
とでもいうふうにフランソワからカフェオレを奪うと
一口飲んでテーブルの上にコンッと音を立てておいた。
「今日から読み聞かせの時間を取るように城主様に言われた」
「読み聞かせ?」
フランソワは姿勢を正して椅子に座りなおした。
「そう、オレがお前に本を読み聞かせるらしい」
「へえ。なんの本を?」
「これ」
差し出された本には
「動物村のポポンタくん」
とうタイトルがアライグマのイラスト入りで書かれていた。
「マジで?」
フランソワは顔をしかめた。
「マジで」
マリウスは冷静だった。
「今から本を読むから、その内容に対する質問に答えるんだ。
それによってお前がこの物語をちゃんと理解してるかどうか、
チェックするんだってさ。人の話を聞く訓練だって」
「それ、父さんが薦めたの?」
「そうだよ」
「ふうん‥」
「じゃ、いくよ。よく聞けよ。南フランスの村の原っぱに、
動物村という小さな村がありました。そこにはアライグマのポポンタが
父さん母さんと仲良く暮らしていました。ある日母さんは玉ねぎとにんにくを
つかってポタージュをつくりました。ポポンタはポタージュが大好きでした‥。
………… さてこの物語の主人公は誰でしょう?」
フランソワは衝撃を受けた。
父は‥父は自分のことをどう思っているんだろう?
言葉に詰まるフランソワをマリウスが見つめる。答えを待っているのだ。
フランソワはうめき声ともうなり声ともつかない声をしぼりだした。
「ポッ‥‥‥ポポ‥ンタ」
「正解です」
マリウスは声に感情をこめずに言った。そのまま物語を読み進めようとするのを、
フランソワは本を奪い取って止めた。
「やめてくれ!バカにされたような気になるッ!」
奪い取った絵本を抱え、椅子によろめいて座り込むと
フランソワは肩で息をしながらマリウスにあたった。
「君は、こんな役目を引き受けてなんとも思わないのか?
動物村のぽぽんただって?馬鹿馬鹿しい!
こんな馬鹿げたことを真面目に実行するやつがあるか!」
「おれは城主に言われたことをやったまでだ」
「城主がどうとか関係ない!君がこれをどう思っているかだ!」
「ぽぽんたがどうとかおれは知らない。おれにあたるのは筋違いじゃないか?」
扉の向こうでは、フランソワの様子を見に来ていたレガートが
二人のただならぬ雰囲気に立ち尽くしていた。