ゼミに参加してみる
永遠とも思われるような教授の独り言を聞いたあと、
せっかくだから‥というわけで、3人はマスター(修士)のゼミに参加する
流れになった。
「僕たち専門の、まして大学院の授業なんてわからないと
思うんですが‥」
というフランソワの言葉に、
「まあ、雰囲気だけでも感じ取れればいいと思いますよ」
というマレ助手の言葉に、「じゃあちょっとだけ‥」と、軽い気持ちで
参加したのが、大間違いであった。
ゼミ室、学生たちの間ではお茶室と呼ばれている簡易キッチンの
ついたその部屋にはホワイトボードが一つと長テーブルと椅子がぐるりと
囲んであり、どことなく、コーヒーの香りがふんわりと香っていた。
4人の修士の学生と、教授、助手、それにフランソワ達の3人を加えて、
ゼミは始まった。
「今日はフィリップ君の担当だったよな。145ページから始めよう」
教授に促されて、フィリップという学生はホワイトボードの横に立つと、
数式をボードに書きながら説明を始めた。
3人はそのまったくちんぷんかんぷんな数式を眺めながら、
解らないなりにも熱心に参加している態度を見せなければと思い、
配布されたテキストとホワイトボードを見比べつつ真剣に説明に
聞き入るふりをした。
しかし難解な数式を前に、眠気が襲ってきた3人はしだいに
うつらうつら船を漕ぎだした。
そんな三人を現実に引き戻したのは、教授の恫喝だった。
一瞬3人は居眠りをした自分たちが叱られたのかと思ったが、
そうではなく、フィリップ君の発表に納得がいかない教授が声を
荒げたのであった。
「なにこれ、どうすればこうなるの?
何がわからないの?何がわからないかわからないってことが
一番困るよね?」
教授に気圧されて、フィリップ君はしどろもどろに質問に答えたが、
その回答がまた見当違いだったらしく、さらに教授の怒りをかい、
収拾がつかないほどその場の空気はきまずいものとなった。
「お前は小学生か!小学生でもわかるよこんなの!
教科書の知識を仕入れるぐらいなら一人でもできるよ!
そんなの一人で家帰ってやれよ!
大事なのはその知識を使って応用することだろ??
このゼミはそうゆうことをやる場所なんだよ!
自分の頭で考えろよ!なんにも考えてないんだよお前は!」
3人はいたたまれなくてしょうがなかった。
フィリップ君は涙目だった。
フランソワもつられて涙目になりそうだった。
教授、現れる
研究室に戻って4人がくつろいでいると、そこに
勢いよく扉を開閉して教授が入ってきた。
あまりにも大きな音だったので、3人は飛び上がらんばかりに驚いた。
美しいほどにつるりと禿げあがった頭の両サイドに、
不自然に長くふさふさした白髪が垂れ下がっている。
耳の長い犬みたいだ。メガネの奥の目は眼光強く、
キョロキョロとせわしなくあたりをうかがっている。
研究室内の空気が一瞬にして緊張したものになった。
教授は研究室内を、腕組みをして眉間にしわ寄せながらうろうろと
獲物を見定めるライオンのように動き回り学生一人一人に声をかけた。
「来週のゼミは君からでいいかな?」
「はい。大丈夫です」
「今度のゼミは合同だからな‥遅れるなよ」
「はい、大丈夫です」
教授はくるりと振り向いて、チョコバーを食べながら本を熱心に読む
研究員に声をかけた。
「君、夏の学会はどうなった」
研究員はビクリと体を震わせ、あわてて口のまわりについた
チョコをぬぐった。
「はい、通りました。ポスター発表ですけど」
「関係ない。ポスターだろうが檀上に上がろうがどっちでもいい。
それよりもいいか、あのK大学の仲良しグループには気をつけろ」
「え、でも僕はあの先生たちにはずいぶんお世話になって
いろいろご教授していただいたのですが」
「ばかやろう!俺はあいつらが大嫌いだ!あいつらから得る
ことは何もない‥。いいか‥やつらの発表の時にだな‥
ケチョンケチョンにけなしてやれ!ケチョンケチョンにだ!」
「そんな子供みたいな!」
それから教授は応接間に入ってくると、ソファに腰掛けて
縮こまっている3人に気がついた。
「誰だ、この子供たちは」
「サンメリからのお客様です」
助手の言葉に、教授はようやく思い出したようで向いのイスに
腰掛けるといくぶんヨソ向きの、愛想笑いを浮かべて挨拶した。
「どうも。はじめまして。教授をやっております名もなき学者です。
私の名前は‥そうですね‥ラルクアンシェルとでも呼んでください。
訳して‥虹。っは!!くっだらない!馬鹿馬鹿しい!
名前というものにはたしてどれくらいの意味があるというんでしょう!
ところで君たちはT・Sエリオットの小説を読んだことがあるかな?
上品な猫はたくさんの名前を持っている‥
マンカストラップ・グリドルホーン・エリザベス・フリキシェブル
そういったものにですね、つまり彼らのその名前といった概念が
もたらす独自性というね‥」
その後も延々と教授の話は続いたが、3人は彼が何を話しているのか
さっぱりわからなかった。教授はお構いなしに一人で喋って、一人でウケて
笑って延々と話し続けた。
大学にて
ようやく目的地の大学に着いたのは
面接時間をゆうに1時間は過ぎた、午後3時だった。
しかし、大学校内はただっぴろく、どこに待ち合わせ場所の
研究室があるのか皆目見当もつかない3人は
誰か人に場所を尋ねようか思案したが
校内を闊歩する学生たちはみな垢ぬけて賢そうに見え、
大人な雰囲気を醸し出している彼らに話しかけることに
気おくれしてしまい、挙動不審になりながらキョロキョロと
あたりをさまよった。
そして標識と地図をたよりに研究室を目指すと目の前に現れた
研究所は大変年期の入った、平たく言えば大変ぼろい建物であり、
3人のテンションは少し、下がった。
「こんな朽ち果てた古い建物で、最先端の研究がおこなわれてるってゆうの?」
パスカルは不安げに言った。
「まあ、こうゆうぼろくさい所の方が研究に集中できるのかもよ。
とりあえず時間もないことだし急ごう」
マリウスを先頭に3人は研究所の中へ進んでいった。
心なしか薄暗い廊下を進むと、すれ違う学生は皆伏し目がちで
どこか暗い印象を受けた。
「なんかみんな暗いね。猫背だしね」
「毎日閉じこもって研究してるとああなるんだろうな」
「音響工学‥‥ここだ」
三人はドアを開けた。
中は雑然と書類や物が積み上げられてあり、足の踏み場も
ないほど散らかっていた。
書類で埋もれた机に向かって数人が熱心にペンを走らせ、
誰ひとりこちらを振り向こうとはしなかった。
「あの、ボンジュール」
フランソワが声をかけると、書類の山の向こうから一人の
男がひょいっと顔を出した。
「ああ、サンメリの‥?どうぞこちらへ」
「遅れてすみません。失礼します」
3人は足元に散らばるゴミか何なのか判別のつかない紙や
器具を踏まないようにまたいで歩いた。
3人が通されたのは部屋の一角に無理やり作った感じの応接間
であった。ソファにテーブルが無造作に置かれている。
「私は助手をやっております、マレと申します。
コーヒーどうぞ。今、教授を呼んできます」
いかにもひ弱そうなメガネをかけた優男の助手は、
3人にコーヒーをふるまうと教授を呼びに部屋を出て行った。
が、すぐに戻ってきた。
「すみません。あの、、今会議中で長引いてるみたいで。
もう少し待っててください」
「すみません。僕らが遅れたんで予定がずれてるんですよね。
いくらでも待ちます」
フランソワは恐縮して言った。
助手と3人は向かい合って座ったが、会話がなく、
コーヒーをすする音だけが響いた。
そのうちコーヒーもなくなり、完全な沈黙が訪れた。
隣で研究にいそしむ研究員が紙にペンを走らす音だけがこだます。
沈黙をもてあそび、手遊びをしてやりすごしていた助手が
口を開いた。
「あの‥‥無響室とか見学します?」
「無響室‥?」
「まったく無音の世界を作り出した部屋です」
3人は面白そうなので行ってみることにした。
その無響室は壁にたくさんのギザギザがあり、
部屋の中央にイスが一つ置かれていた。
部屋に足を踏み入れたとたん、3人は何とも言えない、未知の
感覚を覚えた。
「あっ!」
「うわ!」
「やばい」
「うわあ!おれヤダ、こうゆうのやだ!」
パスカルは嫌だと言いつつも、未知の感覚に興奮して思わず
笑ってしまう。
「うわあー声が声が吸い取られる‥」
とフランソワ。
「なんか心もとない‥」
いつも冷静なマリウスも不安を感じる。
3人んの反応を面白そうに観察していた助手が口を開く。
「音が反射されないので物足りなく感じるのです。
自然ではありえない状況なので、長時間ここにいると
気分が悪くなったり不安になったりします」
3人は早々に部屋を出ることにした。
迷える子羊たち
どんよりと薄暗い空の下、パリの街を心もとなげに
右往左往する3人の少年たちがいた。
底冷えのするパリの石田畳の通路を視線をさまよわせ
ながら3人はとぼとぼと歩く。
フランソワは振り返ってマリウスに尋ねた。
「面談の時間って何時からだったっけ‥」
「2時からだよ」
「まだ間に合うよね」
「たぶんね」
「初日から遅れるのは印象悪いよね」
「かなりね」
「‥‥とりあえず、あそこで売っている甘栗を食べて
心を落ち着かせよう」
フランソワは甘栗屋から甘栗を買うと、
マリウスとパスカルの3人でベンチに腰おろし、
あつあつの甘栗を分け合った。
3人は沈黙したまま、もくもくと甘栗を食べた。
甘栗の皮をむく、ぱきぱきという音が響いた。
食べ終わると、フランソワは立ち上がり膝に
散らばっていた甘栗のカスをはらった。
「さあ!いこう、二人とも!」
3人は歩き出した。勇ましく前進するフランソワの後を
二人はもくもくと歩いた。
数分後、彼らがたどりついた広場には、
先ほどと同じ場所に、同じように甘栗屋が甘栗を
売っていた。
フランソワは自分の不甲斐なさに涙目になるのを
必死でこらえた。それに気づいたマリウスがフォローに
入り、そこでまた道に迷った少年たちは
数分、時間をロスした。
パリへ!
「まあまあ、いいじゃないのさ。ともかく
俺達はみんなでパリに行くんだ。
楽しみだなあ」
パスカルはすでに機嫌を直し、
噂や本の中でしか知らないあこがれのパリに行けることで
夢心地であった。
「昔うちの父ちゃんがゆってたよ。パリに出稼ぎに行くと、
一日に一回は犬のうんこ踏むってな。
だから父ちゃんはいつもパリに行くことを、
犬のうんこ踏みに行ってくるってゆってたんだ。
みんなが「パリに行ってくる」って自慢げに言う中、
とうちゃんは
「ちょっとうんこ踏んでくるわ」ってゆうんだ。
イカスだろ?
たぶん父ちゃんは気取ったパリ市民に対して、
皮肉をいうことで田舎者の自分を慰めてたんだなあとは思うけど。
けどおれはそんな父ちゃんが大好きだ。
‥でもそんなに多いのかな、犬のうんこ」
フランソワは首をかしげた。
「さあそれはどうだか知らないけど。
でも面白いね。犬のうんこ踏みにいく。。か」
「だろ??おれらも、犬のうんこ踏みにいこうぜ!」
「ああ、行こう!!犬のうんこ踏みにいこう!!」
それから二人はなんだかすごくテンションがあがって
しまって、フランス国歌をこぶしをふるって歌いながら
「犬の‥(以下略)」のフレーズを繰り返した。
およそ貴族の屋敷に似つかわしくないフレーズが
飛び交うなか、二人の下品なお子様たちと距離をおいて
マリウスは昨日夕食を摂りに行ったいきつけの中華料理屋の
料理人、リュウおじさんの後頭部が
さすがにそろそろやばいよな‥‥


