なんか変態チックな題名になってしまいましたが…

夜道にて、
一見爽やかな女子高生とすれ違った瞬間、

ふわっ と…

じゃなくて、

もわーっ と、
湿布の匂いがして!

率直に申し上げて、
ちょっぴりショックだったのは、なぜだろう。

女子たるもの、甘い香りを漂わせるべし、という、ステレオタイプ?

湿布はオバサンくさいというステレオタイプ?

はたまた
あまりに古い匂いに対するレトロスペクティブ?

いずれにせよ、
湿度の高い梅雨時期は、
闇夜に、こんもりとにほひ漂うことを実感し、
これは使えるかもとか、
気をつけた方がいいかもとか、
考えてみたり。

ああニッポン風情だなぁ、と
思ってみたり。
他人に期待するから、落胆する。
会社に期待するから、落胆する。

分かっているけど、
期待してしまう。

だから、落胆する。

今日はどちらも十分に味わった。

まるで、FUJIYAMAのてっぺんから、
ぐりぐりぐりーっ、と落ちるような(実際乗ったことはないんですけど)、
湿度と粘度のある落胆を。

変われるのは自分だけだとか?

自分の考え方を変えるべきとか?

ポジティブな捉え方は、いくらだってありますよ。

自分の努力にのみ立脚するって。

でもそれって、
ネガティブに、いや、現実に即していえば、
期待するのを諦めるということ。

少し、
寂しいと思うのは、わたしだけなんだろうか。

人間が、敢えて集団でいることの、
ダイナミズムに欠けるというか。

一事が万事、そんな物事の考え方に、
ちょっと疲れてきたこの頃。
自分がパッションを持てるものを探し求めている。

探し求めて、ここまで来てみたけれど、
結局それ(=マーケティング)は手段であって、
目的ではない、ということが明らかになってきた。

手段として、まだまだ学ぶところは多いけれど、
問題は、
結局それを、何に使うか、だ。

単に、わたし自身の生活のために、使うつもりは毛頭ないのだから。

「頭で考えていてもパッションは湧いてこない」

うん、
それは、パッションなのだから、当たり前の話。

けれど今日もわたしは、自分のパッションが何によってもたらされるのだろう、
それは組合わさると大きなことになるのだろうか、否かについて、
ただ並べ立てて、
結局それを料理しきれずに、
ぼんやりと、待っている。

そして、
「待っていても、パッションはやってこない」
ということも、
また当たり前の話なのである。

「パッション」は、イエス・キリストの受難も表す言葉。

宗教にはあまり詳しくはないし、
その重みと、自分の進むべき道に向かっての迷いや苦しみを、
重ねるつもりは、ない。

けれども、
或いは、「その、パッション」、のように、
自分が何かに向かって、駆り立てられ、還元され、
それによって幸せを感じられるという、
そういう風に生まれてきたはずだ、ということだけは、
事実であると信じている、
それだけの話なのである。