汗を、じんわりとかいているのに、
体は、ひんやりとしていて。

汗の、その下の皮膚を触るだけで、
わたしは自分の体がこんなにも冷たいのに気付いて、驚くことがある。

そして、その奥にある、芯、とやらが、ずっと冷えきっているのにも気付いて。

…単に冷え性とか、
自律神経の乱れとかじゃなくて…

不思議だなぁ、なんて、思う。

表現的には、
暑い熱いと思って、汗ばんでいるのに、
実は冷えて、心許ない。

感覚の裏には、
そうやって必ず、
いつも何らかの事実があって、
その事実が、
感じているものとは、ちょっと違う、
つまり、ギャップがあったりとか、
時に正反対だったりすることもあるんだ。

そうやって掘り下げていったときに、
何が心地よいのか、
何が必要なのか、
深いところで解るようになったら、
もっと気持ちいいんだと思う。

深いところで解るように、なりたいね。
電車の中での、ある連れの会話;

 ー 後輩の指導って難しいよねー、なんか、アメとムチと使い分けらんないし。
 ー 女の子とかすぐ泣くじゃん、正直厳しいよねー。
 ー あー、でも俺の後輩男だからな。でも、今まで入ってきた子の中で一番アホだな、あれ。
 ー うそ、ひどいの?
 ー ひどいっていうか、字がめちゃくちゃ汚い。こないだ、書いてたメモに、「しのざきさん」
   ってあるから、みんなで「しのざきさん」探したんだけど、見つかんないわけ。
   よくよく調べてみたらさー、「みのざきさん」なわけ。
 ー は?
 ー カタカナでさー、「ミノ」がさ、「シノ」にしか読めないわけ。字汚いのとかどうしようもねーし。
 (すべて関西言葉ですが、便宜上、東京風にしております、ご了承ください。)

確かに、ですよ。
そりゃあきっと大変ですよ。
だって、おとなになってまで、「字」とか、直らない。

というかですよ、
最近、「字」、書いてますか?
他人の「字」、見てますか?

きっと上記は、バイトとか、日報を書く人たちの、会話。

わたしたちは…
PCですべての作業が完結するようになった昨今、
ことに、他人の字を見る機会が、極端に減ったように、思う。

自分の字は、メモとか、下書きとか、そんなので見たりするけれど、
他人の字は、ほとんど。

電話も取り次がないこの会社では、ましてすべての文字系コミュニケーションは、
メールやらコミュニケーターで行われるわけで、
見ないですね、本当に。

となると、
結構たまに、「え、この人、こんな字書くんだ」っていう驚きがあったりして、
それは、ポジティブなときとネガティブなときとがあって、
それを感じる瞬間が、結構面白かったりする。

すごいきりっとしてるのに、意外に字が大雑把とか、
すごい大きいのに、意外に字が小さいとか、
その逆もよくあるし。

ま、わたしの字は、気分によって変わります。
でも、愛着もあります。

もっと、字を感じられたら、コミュニケーションも変わってくるのかな?

親や、大切な人たちに書いてもらった手紙やメモが、
まるでお守りのようになっていくように。

日々、もっと、やさしさが存在しうるかも、しれないね。

だって、
字、のことを考えてたら、
父を想った。

わたしは父の字が大好きで、小学校の備品には、全部、父に名前を書いてもらったっけ。

決して上手ではないのだけれど、
デザイン的にまとまった、形のいい、素直な字。

センスのいい人だと、思っていたっけね。

そういう想い出も、
残念ながら、PCでは残せないよね。

こうやって改めて、
字を書くことを見つめてみると、
仕事の仕方も、友情のつなげ方も、親への感謝の仕方も、恋の仕方も、
少し変わってくるのかもしれない。








 
というコピーで、
もう何年キャンペーンをやっているのだろう、と日々眺める電車広告に思う。

わたしが初めて、このコピーに触れたのは、
かれこれ15~16年くらい前だ。

「凄いらしい」

っていう噂で、日本上陸20周年を迎えてるなんて、
そりゃあもう、噂じゃないってば、あんた。

暢気だなぁ…。

「オペラ座の怪人」

は、わたしの思春期の成長と共にあって、
もう、人生においてはベーシックな舞台である。

勝手に何を面白がっているかって、
つまりわたしの男性観の変化である。

初めて観たのは、12歳のとき。

ラウルがいいと思った(石丸幹二氏にはまる)。

10代の頃は、それでずっとラウルが好きで、あんな王子様が現れないかな、
なんて思っていたけれど、

20代境目くらいから、ファントム派(ロンドン公演の"孤独”で”情熱的”な英国ファントムにはまる)。

そりゃ不幸な恋に憧れもするわ、実際傷つくわ、な時期ですな。

そして、
20代半ばくらいから、ややラウル派に戻る。

女はやっぱり、ピュアーに愛されるのが一番よねとか、
不幸な影のある恋や愛は疲れて肌荒れを起こすとか、
そういう風に思う。

ファントムはEGOか、
はたまたストーカーか、くらいに思う。

というか、むしろ、
伏線というか、作品に込められた想いが気になって
(Andrew Lloyd WebberとSarah Brightmanの関係とか)、
集中できないばかりか、恐怖さえ覚える。

…などと。

「Wicked」聞きながら、「凄いらしい」ポスターを眺めて、
自分が歳を重ねてきたこと、を実感し、
変わってきた価値観と、
変わらずひとびとに感動を与え続けている舞台の意味や意義、
その重みを感じ、
わたしはきっと、こういう感情の表現の仕方を、
これからもずっと好きでいるだろうなぁと、
変わらない自分の部分を、確認する。

そうして、
何らかの形で、こういうもの、に、関わっていけたらいいと、密かに、思っています。