電車の中での、ある連れの会話;

 ー 後輩の指導って難しいよねー、なんか、アメとムチと使い分けらんないし。
 ー 女の子とかすぐ泣くじゃん、正直厳しいよねー。
 ー あー、でも俺の後輩男だからな。でも、今まで入ってきた子の中で一番アホだな、あれ。
 ー うそ、ひどいの?
 ー ひどいっていうか、字がめちゃくちゃ汚い。こないだ、書いてたメモに、「しのざきさん」
   ってあるから、みんなで「しのざきさん」探したんだけど、見つかんないわけ。
   よくよく調べてみたらさー、「みのざきさん」なわけ。
 ー は?
 ー カタカナでさー、「ミノ」がさ、「シノ」にしか読めないわけ。字汚いのとかどうしようもねーし。
 (すべて関西言葉ですが、便宜上、東京風にしております、ご了承ください。)

確かに、ですよ。
そりゃあきっと大変ですよ。
だって、おとなになってまで、「字」とか、直らない。

というかですよ、
最近、「字」、書いてますか?
他人の「字」、見てますか?

きっと上記は、バイトとか、日報を書く人たちの、会話。

わたしたちは…
PCですべての作業が完結するようになった昨今、
ことに、他人の字を見る機会が、極端に減ったように、思う。

自分の字は、メモとか、下書きとか、そんなので見たりするけれど、
他人の字は、ほとんど。

電話も取り次がないこの会社では、ましてすべての文字系コミュニケーションは、
メールやらコミュニケーターで行われるわけで、
見ないですね、本当に。

となると、
結構たまに、「え、この人、こんな字書くんだ」っていう驚きがあったりして、
それは、ポジティブなときとネガティブなときとがあって、
それを感じる瞬間が、結構面白かったりする。

すごいきりっとしてるのに、意外に字が大雑把とか、
すごい大きいのに、意外に字が小さいとか、
その逆もよくあるし。

ま、わたしの字は、気分によって変わります。
でも、愛着もあります。

もっと、字を感じられたら、コミュニケーションも変わってくるのかな?

親や、大切な人たちに書いてもらった手紙やメモが、
まるでお守りのようになっていくように。

日々、もっと、やさしさが存在しうるかも、しれないね。

だって、
字、のことを考えてたら、
父を想った。

わたしは父の字が大好きで、小学校の備品には、全部、父に名前を書いてもらったっけ。

決して上手ではないのだけれど、
デザイン的にまとまった、形のいい、素直な字。

センスのいい人だと、思っていたっけね。

そういう想い出も、
残念ながら、PCでは残せないよね。

こうやって改めて、
字を書くことを見つめてみると、
仕事の仕方も、友情のつなげ方も、親への感謝の仕方も、恋の仕方も、
少し変わってくるのかもしれない。