「私は昔から人に気を使うことが多いんです」
「よく気を使うから気を使わない人になりたい」
こんな風に悩んだり、気を遣う自分を損だと感じる人は多い気がします。
気を遣うことが多い自分が嫌で変えたい・・・
気を遣うって疲れるイメージがあるし気を遣わない方が良い気がする
こう思い、気を遣うことにネガティブなイメージを抱く方もいると思いますが、実は悪いことではないという話をスピリチュアル観点を交えて書いてみます。
人に気を遣うことが多い人は自分も気を遣ってもらうことが多くなる
自分がしたこと、与えたことは自分に返るという法則があります。
これはスピリチュアル的考え方で科学的に証明されてるわけではないですが、この法則は強いと思われます。
人に気を遣うことが多いと、他の人より疲れやすかったり自分が損しやすいというセルフイメージを持つ人は多いです。
ですが
「人に気を遣うことが多いと、人からも気を遣ってもらうことが多くなる」
という大きなメリットがあります。
「そんなことはない。私の方がいつも気を遣ってばかりで他の人からはぞんざいに扱われることが多い」
こんな反論をしたくなるかもしれません。
ですがこれは忘れている可能性が高いです。
人は、誰かからされた嫌なことは記憶に残っても、誰かからされた良いことは記憶に残りづらかったりします。
記憶というのは自分が思っているより、忘れていることが多いです。
3年前の〇月〇日に何を食べたか、日記をつけてない限りすぐに思い出せない人が多いと思います。
全て記憶しているつもりでも、忘れていることは自分が思うよりずっとずっと多いということです。
記憶で忘れているかもしれませんが、日常の、ちょっとした場面で他人から気を遣ってもらっていることも多いのではないでしょうか。
また友達など周りにいる人も、気を遣ってくれるタイプの人がいるのではないでしょうか。
「類は友を呼ぶ」なので自分と似たタイプの人と友達になりやすかったりします。
「私がいつも気を遣うばかりで他人からはぞんざいに扱われてばかり」
という人は、そういう記憶の仕方をしているということです。
自分が気を遣うタイプなので、気を遣われることを「ごく当たり前で普通のこと」と思って気付けてない可能性も高いです。
自分にとってごく当たり前のことなので、気付けないということは意外と多いです。
無遠慮な関係性が良いか、気遣いもできる関係性が良いか選べばいいだけ
「人に気を遣う人は損、疲れる」というようなネガティブなイメージがあるかもしれません。
ですが気遣いができる人は、他の人から「この人は無遠慮に言い合う関係を好まないんだな」と思われやすいです。
もちろん中には、あえて受け入れてくれそうな人をターゲットにする厄介な人(エネルギーバンパイアや自己愛系、モラハラなど)も存在します。
ですが多数の人は、相手がどういう距離感を望んでいるか感じ取ったり判断しようとしています。
お互いに言いたいことを無遠慮に言い合い、互いに遠慮無用で言いたいことを言う腹を割った関係もあります。
こういう、腹を割った関係に憧れる人は多いと思いますが、お互いに気を遣わない関係なのでズケズケと言いたいことを言われることもあります。
そういうのが苦手という方も少なくないのではないでしょうか。
他人に気を遣うことが多い人は、相手を気遣い距離感を取って接するので、厄介な人やよほど鈍感な人でない限り、相手もある程度距離感を取る方がいいと判断されやすいです。
それを、他人に壁を作られてしまうと悩むケースもありますが、無遠慮ではなく気を遣ってくれている状態です。
壁を作る、作られるというのは、気遣いできるということでもあります。
壁がない関係というのは良いことですが、無遠慮に接してこられることも受け入れないといけません。
気を遣うことが多い人は、一部の厄介な人を除いては、他人からも気を遣ってもらいやすい人でもあります。
気を遣いたくないと思いそれを実行するのは自由ですが、他人に気を遣わなくなり無遠慮に振る舞えば、自分も無遠慮に接してこられやすいことも受け入れる必要はあります。