スピリチュアルの世界でありがちなジャッジ。
本物か偽物か。
スピリチュアルリーダーやヒーラー、スピリチュアルカウンセラー、占い師など。
本物か偽物かというジャッジをしたりされることは少なくないです。
スピリチュアルの世界というのは「言ったもん勝ち」な所があり、そのせいかカオスにもなっていて内部の争いや足の引っ張りも横行してるのかなと感じます。
自分を本物としたいから、自分と違うことを言ったりしてる人を偽物判定するということも起こるのかもしれません。
スピリチュアルは調和を目指す世界だと個人的に思ってますが、そのスピリチュアルの世界においても争いやジャッジがあるというのは皮肉なものですね。
今回はスピリチュアルの世界において「本物か偽物かジャッジをする心理」について考察してみます。
本物と思いたいのは依存心が原因?
たとえ好きなスピリチュアルリーダーがいるとして「この人こそ本物だ!」と思うとして。
もちろんそう思ってもいいです。
本物と思いたいのは「依存」や「期待」が関わります。
本物と思えることで「この人についていけば大丈夫」「この人の言うことは信じて大丈夫」というような責任を他者に委ねたい心理も隠れてあったりします。
つまり自己信頼や自己責任が関わります。
自己不信が根底にあるということです。
自分の判断や選択を心から信頼できず不信感があると。
自分以外の他者や外側に答えや真実を求めるのが人間です。
これはほとんどの人が陥ってることなので仕方ないのですが…。
集合意識の課題とも言えると思います。
この時、誰かを本物と認定することで、その人に答えや真実、選択を求めているわけです。
偽物ジャッジについても同じ心理です。
誰かを本物と判定するには「偽物も必要になる」からです。
また自分にとって都合が悪い人を偽物判定することで自分を正当化したい心理もあります。
(自分は間違ってないと思いたい)
ヒーラーなどのスピリチュアル関係者が誰かや特定の特徴当てはまる人を偽物ジャッジするのも、自分を本物としたいというケースが多いと推測します。
なのでこの人は本物、あの人は偽物とジャッジしてしまうということです。
自分が良い、好きと思うものや人を良い、好きと思えばいい
ここからは私の個人的に思う所感です。
本物か偽物かジャッジはスピリチュアルの世界において多いのは仕方ないとも思います。
見えない世界なので。
本物か偽物かジャッジなんかしたくない、そういうジャッジを手放したい!ともし思った場合。
やはり自己信頼の問題なので、自己不信を手放して自己信頼を高めましょうとなるでしょう。
私の意見や考えとしては
「自分が良い、好きと思うものや人を、ただ良い、好きと思えばいいのでは?」
です。
そこに正解や間違いはないのではないでしょうか?
もし誰かが間違ってる、偽物と主張したとしても。
自分が良い、好きと思ってるならそれを尊重すればいいのではないでしょうか?
正しいかとかより、自分の心に素直に従って良いと私は思います。