同情されるのは気持ち良い?体験談について
前回の続きです。
★関連記事
⇒ 同情を求めることが不幸を引き寄せる?被害者意識と同情の関係
なぜか不幸や理不尽に感じる出来事を引き寄せてしまう要因の一つに、不幸や不遇な目に遭うと同情を得やすく(自分に同情するのも含む)快感が得られるメリットがあるからだと前回書きました。
※他にも様々な要因があり複雑に絡んでいることも多いです。あくまで要因や可能性の一つです。
同情されることが強い快感だと体感しインプットされた、私の実体験を書いてみます。
私が小学1年だった時のことです。
私は給食を食べるのが遅く、その時は苦手な食べ物があったのか特に遅く、昼の掃除の時間まで給食を食べ終わることができず、泣きそうになりながら食べてました。
すると、掃除に来ていた5、6年生の上級生の女の子たちが私の様子を遠巻きに見て
「えー、可哀想…」
と心配して同情してくれました。
小学低学年の子が給食を食べられなくこんな時間まで食べているのは、気の毒だったんでしょう。
その時私は、高学年のお姉さんたちに同情されるのを
内心、嬉しく感じてました。
すごく優しさを感じて、可哀想と思ってもらえるのって気持ち良いんだと実感しました。
その快感は強烈にインプットされました。
可哀想だと、優しくしてもらえるし、助けてもらいやすいんだ
そうわかる体験でした。
この時が初めてでなく、何度も似た体験はしてきてましたが。
そう、可哀想だったり困っていると、優しい人が味方になってくれたり、助けてくれたりするんです。
そのことを幼少期からインプットし続けてました。
そしてことあるごと、無意識でそのパターンを使い続けました。
困っている時に、俯いて困っている様子を出していると、誰かが助けてくれてました。
なぜなら人間は優しいからです。
特に同情すると、人は助けたくなる心理があるようです。
私は逆エンパス体質の性質の方が強いので、困って悲しそうにしているとそれが発信されて、影響されて同情してくれる人が現れやすかったのもあったと思います。
確かにこのパターンには助けられてきました。
このパターンでピンチを乗り越えたりもしてきました。
ですが、大きなデメリットも抱えることになりました。
それは
同情されることがメリットになり、同情されるために不遇なことを無意識に引き寄せてしまう
というパターンです。
もちろん、自分では気付いてません。
不遇なのは、自分が可哀想だからだと本気で思い込んでました。
そして、どんどん被害者意識や自己憐敏も強くなっていきました。
そうして…自己憐敏から余計に同情を得たくて無意識に不遇を引き寄せてしまうパターンに、長い間ハマってしまってました。
私の実体験を例に出してみました。
厄介なのは自分でなかなか気付けないことです。
そして、自分が不遇で可哀想だと本気で思い込んでいることです。
自分を可哀想と思う自己憐敏や、自分を被害者だと思う被害者意識は、本当に巧みなトラップだなと思います。
自分を可哀想だと思い込むと、なかなか変われません。
外側軸や他人軸になります。
★外側軸、他人軸についてはこちら
そして、気持ち良く快感でもあるので、余計に手放しづらかったりします。
他人から同情されるだけでなく、自分で不遇な思いに浸るのも、気持ち良く快感を得られたりします。
まるで悲劇のヒロインやヒーローのようで。
思い切り浸れて、自分に酔うことができます。
これは快感を得られるものでもあります。
※批判をしているわけではありません。
実体験を通して、過去の自分に対して今にしてみればこうだったなと感じたことを書いてます。