誰かに嫌な言動をされたり、不快なことをされたとき。
嫌な気持ちになるのは自然な反応です。
特に、悪意や意地悪、虐げ、ハラスメントなど、理不尽に思うときはなおさらです。
自分に対し、なぜか嫌な気持ちにさせることをしてくる人。
その人たちは、自分にとってこんな役割があるかもしれないことを書いてみます。
嫌な人は、自分の代役をしてくれている
※嫌なことをされるのも、いろいろなケース、要因があり、今回書くのはあくまで可能性の一つです。
全てに当てはまるわけではないです。
それは「自分の代役をしてくれている」です。
相手は鏡、鏡の法則にも当てはまるかもしれません。
嫌なことをしてくる人は
「自分ももしかしたら、同じことを誰かにしていたかもしれない」
「自分も、選択や道を間違えれば同じことをする人間になるかもしれない」
そんな可能性を見せてくれる役割の人です。
パラレルワールドの概念があります。
もしかしたら、パラレルワールドの自分が、嫌なことをする人のような人間になってるという可能性もあります。
もしくは、ついしてしまうことがあるかもしれません。
自我は自分を守る役割がある
人間というのは、弱さがあります。
この地球は、肉体を持って様々な感情体験をするための場です。
また他者や世界との分離を体験する場でもあります。
なので、個の意識、自我(エゴ)が強いです。
感情体験にはネガティブも多く含まれていて、傷つくことも痛みもリアルに体感します。
あまりに体感がリアルなので、傷つくことや痛みは恐怖となり、回避や自己防衛が重要となります。
そのために自我が必要となります。
自我は守る役割があります。
自分を守るために、自我が恐れに基づいた思考感情をさせ、過去の失敗、傷や痛みを度々思い出させたり。
未来に起こるかもしれない失敗、不安や恐れを考えさせたりします。
そして、自分を守るために外側や他者と戦わないといけない、勝たないといけないと自動反応させます。
自分にひどいことをしてくる人は、恐れに基づいた自己防衛が根底にあるからです。
自分を守るために戦ったり、先に攻撃して上に立とうとしたり、負けるのを嫌がり勝ちたがるわけです。
これは、誰にもあります。
本能ともいえます。
誰かを攻撃しない人でも、心の中で相手が悪いとジャッジしたり、相手のせいにすることは普通にあります。
行動や言動に移さなくても、無意識に戦う意識になったり、心の中で相手を責めることはよくあることです。
これは、自我の防衛反応です。
誰しも、攻撃側や加害者側に回る要素は持ってるということです。
つまり、自分だって、道や選択が違っていれば、自分にひどいことをしてくる人のようになっていた可能性もあるわけです。
周りや環境のおかげなのか、自分の強さのおかげなのか、守護してくれる存在の導きのおかげなのか。
何のおかげかわかりませんが、どうにか腐らず、道や選択を誤らずに済み、誰かにひどいことをする人間にならずに済んだわけです。
嫌なことをしてくる人は、ストッパーでもある
そして、誰かにひどいことをする加害者側を繰り返す人間にならずに済んだのは。
自分にひどいことをしてきた人たちのおかげでもあります。
被害者側になることで、ひどいことや言動をして他者を傷つける人のことを、よく見ることができます。
嫌な気持ちになるでしょうし、憧れたり尊敬することは普通ないと思います。
ひどいことをしてきた人は、自分も同じ人間や生き方になっていたかもしれないのを、止めてくれた役割があるかもしれないーー
その人たちが先に見せてくれて嫌悪感を感じられたから、自分はそうならずにいられたかもしれない。
人は弱さがあります。
未熟さもあり、間違いも犯します。
時に闇に誘惑されたりもします。
自分は大丈夫、自分は善人だと思っても、きっかけや選択次第で、どんな生き方をしていたかわからないかもしれません。
人は弱さがあるので、自分の中の闇に負けてしまうこともあります。
闇を飼いならせず、飲まれてしまうこともあります。
残念ながら、被害者側だった人が、自分の中にある闇に負けて加害者に転じてしまうケースだってあります。
「自分ももしかしたら、同じことを誰かにしていたかもしれない」
「自分も、選択や道を間違えれば同じことをする人間になるかもしれない」
ひどいことをしてきた人達は、そんな可能性を先に見せてくれたり、自分の代役になってくれ、ストッパーになってくれた人達なのかもしれないですね。