誰かが辛い状況で、その聞き役や受け止め役、またはネガティブを捨てられるゴミ箱役になることも時にあると思います。
聞き役や受け止め役にされ、消耗してしまう悩みを聞くこともあります。
人の心の澱み、もしくは苦しみを受け止めるのは、それなりにエネルギーを使います。
気も遣うでしょうし。
なので自分が損したように感じやすいかもしれません。
このことについて個人的に思うことを書いてみます。
私も過去に何度も経験してます。
時には自殺をほのめかされたこともありました。
かなり重い内容だったり、本当に相手がひどい目にあった話を聞くこともありました。
相手が詐欺や犯罪に巻き込まれたり、貞操に関わることなど、かなり深刻な内容もありました。
そんなとき、苦しくてどうしようもなく、こちらに聞いてほしくて電話やメールをしてくるわけです。
相手が話しながら号泣したり、本当に苦しくてどうしていいかわからないんだな、というのが、ありありと伝わってきました。
相手がかなり理不尽な被害にあってるのがわかり、聞いてるこちらが激しい怒りがこみあげてくることも少なくなかったです。
特に、エンパス体質の方は相手の苦しみを自分のように感じたり、わかるかもしれません。
そして、エンパス体質の方は受け止め役になることも少なくなかったりするんですよね…。
相手も共感を求めてることも多いですし。
相手が苦しんでるほど、大変だと思います。
話を聞いたり受け止めることで相手の命を救えることに繋がる
だったら、話を聞くのや受け止めるのはだめなことなんでしょうか?
聞く側も消耗するし、エネルギーを取られたり、損なイメージがあるかもしれません。
スピリチュアルや心理学等でも、マイナスなイメージを持つ方も少なくない気がします。
確かに、自分が犠牲になる必要はないです。
何より最優先すべきは「自分」です。
ただ、損なイメージがあるからといって、苦しんでる人がどうしようもない状態で打ち明けようとしてくるのを、「私が負担や損になるし」と一切、無視や拒否をするのは、個人的には違和感を感じます。
それも自由ですが、「自分さえ良ければいい」という傲慢さを感じます。
人は助け合うことも必要だと思います。一人では生きていけません。
話を聞いてほしいというのはSOSです。
その相手は、友人など、付き合いがある人で大事な人なことが多いと思います。
その大事な人が、どうしようもなく苦しんで助けを求めているわけです。
話を聞いて受け止める人情くらい、あっても良くないでしょうか?
解決してくれ!救ってくれ!は依存ですが、話を聞くだけであればそこまで困難ではないと思います。
こちらが解決してあげる必要はないのです。
話を聞いてもらうことで「共有」ができます。
聞いてもらうだけで解決するわけではないけど、苦しみは少しであっても軽くなります。
「じゃあその苦しみは聞く側に行くんじゃないのか!」と思う方もいるかもしれません。
それは聞く側次第です。
苦しみが自分に来てしまう、相手が楽になって自分がその分苦しむにという方は、受け止め方に問題があるからです。
境界線が引けてなかったり、エネルギー的な対処をしてないからです。
それは相手のせいではないと私は思ってます。
確かに重い深刻な内容ほど、聞くのは楽じゃないかもですが、あなたが話を聞くことで、相手は自殺を回避できたかもしれないんです。
間接的に一人の命を救ってるかもしれないんです。
「けど、聞くのはエネルギーを消耗する」と思う方もいるかもしれませんが、消耗したって充電すればいいじゃないですか。
充電ができないとすれば、それもその人の問題です。
ただ、「自己犠牲」にならないことが大事です。
過去の私は、この自己犠牲をやってました。
つまり、自分が負担になりすぎるほど、人の聞き役や受け止め役になってました。
相手が依存してくることもありました。
だからエネルギーバンパイアのターゲットにされやすかったのもあると思います。
相手が話を聞いてもらいたがる頻度が多かったり、自分ばかりその人の受け止め役にされてる状態であれば、受け止め過ぎない必要もあります。
自分の中でここまでと線を決めておき、それ以上を越えれば付き合い過ぎないなども必要かなと思います。
過ぎると相手を依存させることにもなりかねないですし、それは互いにマイナスになってしまいます。
ただ、損なイメージがあるからと、全く話を聞かない受け止めないだと、人情のない傲慢な人になりかねないです。
許容範囲内であれば、たまに聞き役や受け止め役になることがあってもいいと思います。
仕事外でお客さんの聞き役になる必要は基本的にない
ちなみに、友人などでなくお客さんの聞き役や受け止め役になってしまう場合もあるようです。
お客さんから、仕事外のプライベートのときに聞き役や受け止め役になりやすく悩むというケースも聞きます。
これについては、また別に書くかもしれません。
ケースバイケースだと思いますが、基本的には、プライベートでお客さんの聞き役になる必要はないと思います。
それは業務外になるし、特にヒーラーの方はそのあたり、線を引いておかない自滅しかねない恐れがあります。
また、それはお客さんを依存させかねません。親切や優しさのつもりがマイナスになりかねません。
聞き役や受け止め役になるときは、基本的には友人や家族などそれなりに深い付き合いの人だと思います。
対等、公平な立場というんでしょうか。
お互いに聞き役や受け止め役になれる関係が基本だと思います。
お客さんが例えばヒーラーにプライベートで話を聞いてもらいたがるときは、「ヒーラーの人」として聞いてもらうことを求めがちです。
逆にそのヒーラーが、そのお客さんに弱音などを聞いてもらいたがったら、そのお客さんは引くか戸惑う(もしくは怒りを感じる)と思います。
なぜなら個人の人として見てるのではなく、「ヒーラーの人」というフィルターをかけて見てるからです。
「自分は話を聞いてもらうのは構わなく、ヒーラー側は聞く役専門」とそのお客さんは当たり前のように思ってると感じます。
それは公平ではないですよね?
なぜそうなるかというと、プライベートな仲ではないからです。
ヒーラーとして見るのでなく、友人など、一人の人間として見てるか、によります。
プライベートな仲でないのに、プライベートなときに聞き役や受け止め役にさせるのは適切とは言えないです。
プライベートでも仲が良く、お互いに受け止め合える関係ならアリだとは思います。