自分を愛せないのに、他の人に愛されるのを求めるとはこういうこと | 遠隔ブロック解除ルイ スピリチュアルサロン裸足の女神 公式ブログ

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自己愛、自分を愛するとは

自分をまず愛すること、自分を満たすこと

スピリチュアルや自己啓発ではよく言われることです。

自分の内側(思考感情含めた意識、周波数)が現実を創り、反映されることも、今では知っている人も増えています。

自分の内側が満たされて調和すると、現実もスムーズになってきます。



これは私も実感してますし、自分の内側が現実を創り、反映されてるとわかります。

昔、現実が辛く厳しかったときも、自分の内側が不調和で自分を愛せてなく、自分に厳しくして低く扱っていました。

 

それがそのまま現実に反映されるていたんだなと今ならわかります。


自分を愛そうとせず、恋愛などで誰かに愛してもらったり癒してもらいたがり、自分が自分を愛せないから他の人にしてもらうしかないと思い込んでました。

11年前からスピリチュアルを学び、そして約7年前からヒーラーになり、そこから人生が180℃くらい変わりました。

そして自分を愛せなかったことも変わり、自分を愛せるようにもなりました。

というより、自分を愛せるようになったから、人生が変わったというのが正しいです。

自分を愛さず他の人に求めるとは

自分が自分を愛して満たすのは基本のことです。

ただ、自分を愛しましょうと言われてもピンと来ない方もいるかもしれません。

まず、自分を愛さないのに他の人に求めるとはどういうことかを例に出してみます。

あなたにかけがえのない親友がいると思ってください。
ずっとそばにい続けてくれて、ずっと一緒にいた理解者であり、無条件に味方になってくれる、唯一無二の親友です。


ですがそんな親友を、いつしかあなたは当たり前に思うようになりました。

それこそ空気のように当たり前な存在に。
そして親友を放置するようになりました。

当たり前な存在だからです。

そして、あなたは好きな人ができ、その人に求めるようになりました。

好きな人にもっと愛してほしい、好きな人にたくさん愛されて満たされるのを実感したい。
そして幸せを実感したい。

そう期待し、あなたは関心を好きな人ばかりに向け、好きな人のことばかり考えるようになりました。



ずっとそばにいて味方でいてくれた理解者の親友を放置し、ぞんざいに扱うようになりました。

当たり前な存在すぎて、愛されるのをわざわざ求めないからです。
あまりに当たり前な存在なので、幸せを実感しづらいからです。

言ってしまえば、つまらないわけです。

それより、好きな人に愛されて実感したくなりました。
それは当たり前ではなく、ロマンティックで胸が躍り、キラキラしてるようにあなたには感じられるからです。

あなたは唯一無二の親友がどうでもよくなって、大事にしなくなり、好きな人にばかり関心を向けるようになりました・・・


この例えに出る親友が「自分」です。

自分を愛さず、他の人に愛されることを求めるとは、こういう状態です。

自分が自分を愛するだけではつまらないと感じる

「自分」はあまりに当たり前な存在です。

自分が自分の味方なんて当たり前だし、あまりに当たり前すぎて実感を感じづらく、つまらなく感じやすいのかもしれません。

そうなると外側に求めるようになります。

外側だと実感しやすいのもあると思います。


先ほどの例えのように、ずっとそばにいてくれた大事な親友(自分)を大事にしない。
あまりに当たり前なので、つい適当に軽く扱って
しまう。

そんなことを私たちは、ついしてしまいがちです。

なんだか自分が可哀想じゃないですか?


産まれた時からずっと自分はそばにいて、理解者でいてくれた存在です。

誰より大事なはずなのに、当たり前すぎてつまらないからと、他にばかり求めて関心を向ける。

それは誰より大事な自分を無視するようなものです。


自分を愛さずに他の人に求めるとは、そんなことを自分にしていないか?ということです。

確かに外側(誰か)に求めるのは楽しいです。

自分みたいに当たり前な存在じゃないですし。だから楽しいと思います。

もちろん外側に関心を向けて愛されるのを求めてもいいと思います。
それだって私たちがしたい体験です。

ですが、当たり前すぎてつまらないかもしれないけど、自分を愛することを疎かにするのは、自分を無意識に無視して傷つけることと言っても過言じゃないと思います。

そして、それが現実に反映されます。
自分で気付かないとしてもです。


誰かに傷つけられたことは私たちは敏感だけど、自分が自分を傷つけることには鈍感なことも少なくないかもしれないですね。