弱いはずの人が自分が思う以上にしっかりしていると困る人がいる | 遠隔ブロック解除ルイ スピリチュアルサロン裸足の女神 公式ブログ

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以前書いた、エネルギーバンパイアや

好き避けに関連した記事が

アクセス数も多く、思ったより

反響がありました。

 

→エネルギーバンパイアや好き避けする人は自己愛に傷がある?

 

自己愛に深い傷がある、

自己愛系に関係することを

今回は書いてみます。

 

恒例の、エネルギーバンパイア

シリーズでもいいですね笑

 

今回は支配系や

共依存型のエネルギーバンパイア、

自己愛系について。

 

自分の子供、介護が必要な親…

一人では生活できない家族を

お世話する時、

その人が予想以上にしっかりしていたとしたら、

あなたはどう思いますか?

 

認知症が進んだと思っていたのに、

約束を覚えていた。

まだ一人では着替えが出来ないと

思っていたら出来た。

 

それが子供なら成長した証です。

介護が必要な人の場合は回復ではありませんが、

まだできることがあるという

喜びでもあるはずです。

ですが…

この本来なら予想外に喜ばしい出来事を

不愉快に感じる人が中にはいます。

 

そういう人は、相手がダメじゃないと困る

と無自覚でも思ってるケースです。

 

できない人でいてくれないと困るわけです。

「まだ早い」「無理しないで」という

一言で相手が出来ることを封じようとします。

 

子供であれば自立心と成長を促すべき時に

いつまでも子供のまま弱い

存在でいてくれないと我慢ならない。

 

介護のシーンでは、一人で行動出来る人に対して

「危ないから一人で外に出ないで!」「どうせできないんだから」

「覚えていないんだから」と決めつけて、

出来ることをどんどん削ってしまいます。

 

 

そうすると、出来ていたことが出来なくなり、

症状はどんどん悪化の一途…本人としては

良かれと気を使ったつもりですが、

違った意味で「深層が望んだ形」に

なったというわけです。

 

しかし、現実的には自立して欲しい、

ひとりでできることはして欲しいと

思っていることも多く、結果的に

出来ても出来なくても気に入りません。

 

実に理不尽で矛盾してますよねおいおい

本人の中でも相反する思いが

あるわけです。

 

 

できないくせにしゃしゃり出るなと

辛く当たることも増えていきます。

 

では、出来ない人であって

ほしいと思うのはなぜでしょうか?

 

彼ら・彼女らは、自分より弱い人間の

世話をすることで自分に価値を

授けたいと考えているようなのです。

 

わかりやすいところで言うなら、

嫁は家に入り家のことをするのが

当然だから仕事を辞めて家にいて欲しい

という気持ちに似ています。

 

こういう考え方の男性もいるでしょうし、

それも価値観の一つではあると思います。

 

 

以前ブログに書いた「失恋ショコラティエ」

のサエコさんの

旦那さんもそうでしたよねちぇ

(あの旦那も自己愛系っぽいですね…)

 

もちろん、本当に家のことをお願いしたいだけ

かもしれませんが、問題ある人の

「嫁は家にいるべき」という

思い込みの中には

 

「だって男は強いのだから」「自分は主人だから」

というマウント的な思いや支配欲が隠れています。

 

知らないうちに主従関係を築き、

相手が弱い立場でいてくれないと

自分の価値が成り立たないと感じています。

 

出来ることを奪い自立できないように

縛り付け、一人では生きていけないという

思いを植え付けようとするんですね・・・・

 

どうでしょうか?あなたの周りにいませんか?

 

精神的DVや経済的DVをする人は

こういうタイプです。

 

弱い相手は自分の価値を高める

道具ではありません。

 

これは、意地悪系、攻撃系とはまた

少し違いますね。

身近な関係で起こりやすいし、

自分は大丈夫と思ってる人でも

ありがちな気がします。

 

エネルギーバンパイアというと、

被害者側とは思えても、

加害者側とは私たちは

なかなか思えないものです。

 

誰しも一時的に、

エネルギーバンパイア状態に

なることはあるし

今はそうでなくても、

 

過去はそうだったことも

一時的にあるのが

ほとんどでしょう。

 

自分は被害者側だから、

大丈夫というわけでもないと

いうことです。