きるつみの ひかりのみすら
このときと のこらすみのり かひのみつるき
(切る罪の 光のミスラ 此の秋と 残らず御法 可否の神剣)
解説
秋(とき)は「重要な時期。」、御法(みのり)は「上位の者からの命令、おきて、法令を尊んでいう語。」、可否は「いいことと悪いこと。よしあし。善悪。かふ。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(ヤマツミ)’‘海神(ワタツミ)’など他の語と複合して用いられる。」の意味です。
雑感
ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。
下記参照。
『ミスラ』(「wikipedia」より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%A9
『霊界物語 第25巻 第4篇 神花霊実 第13章 握手の涙』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
『お釈迦様の死後五十六億七千万後に現れる【みろく菩薩】を仕組んだ存在がある。だが誰もそれが仕組まれた物だとは思わなかった。』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
ミスラはペルシャの神ということだが、霊界物語的にはフサの国ということになる。
霊界物語では神素盞嗚大神の本拠地「斎苑の館」がある場所だ。
そのスサノオの魂を持つとされる出口王仁三郎聖師は、自分は平和をもたらしに来たのではなく、剣を持って裁きに来た、と言われたそうだ。
『これからの戦争』(「瑞霊に倣いて」さん)
そして霊界物語は最後の審判書とも呼ばれている。
『三鏡 水鏡 霊界物語は最後の審判書なり』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
霊界物語は81巻もあってずいぶんと長いが、それだけにいろいろな登場人物が出て来る。
いろんな善人や悪人が出て来て、さらに善人だと思って居た人が過去に重い罪を犯していたり、今までは悪人だったが大改心して並みの善人では到底行けない高い天界に昇ったりとか、そういうことが書かれてある。
そして、それら登場人物達も、なんというか、象徴的な人物像の雛形として描かれている場合もあるようにも思える。
たとえば物語には「高姫」という、ものすごい曲者(くせもの)が出て来るのだが、場所によっては「鼻高姫」などと呼ばれていたりして、要するに「高姫」という一個人を表しつつも同時に、天狗(鼻高)になった人々の雛形、というような意味合いもあるものと思われる。
三千世界を救うといって、本人は色々とやるのだが、その実、自分の野望を達せんと奔走していたりしている。
下記参照。
『霊界物語 第56巻 第2篇 宿縁妄執 第8章 愛米』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
つまり、物語の中の「高姫」を見ていると、天狗になった人がどういう立ち振る舞いをするのか、とか、どうやって人を欺いたりするのか、ということが見えて来る、ということなのだ。
高姫は他の人には改心しろ改心しろと迫ったり、自分こそが救世主だから周りは全部自分の言うことを聞くべきだ、というような旨のことを言ったりして周りを困らせたりするのだが、いざ自分が突っ込まれたり、他人から諫められると、いろいろと理屈をいって煙に巻いたりて、自分の非を認めなかったりする。
高姫は途中改心したりするのだが、また元に戻って悪さをして、とある場面で人事不省に陥り、今度は中有界(天国と地獄の中間に位置する霊界)に身を置くのだが、そこでも同じようなことを繰り返していたりする。
下記参照。
『霊界物語 第56巻 第2篇 宿縁妄執 第6章 高圧』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
要は、高姫のように、自分を省みずに他人に改心を迫ってばかりいたり、自分は結構な血筋だから偉い人だと勘違いしたり、自分には高貴な神様がついているから他人を救えるのだと慢心したりしていると、最後は地獄的な世界に行って、そこで生前と同じことを繰り返してしまいますよ、という教訓があるように思う。
一方、初稚姫(はつわかひめ)という登場人物は、大神の化身でもあり又分身ともある。
『霊界物語 第52巻 第1篇 鶴首専念 第1章 真と偽』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
なので、物語の中で初稚姫がどういう立ち振る舞いをしているか、或いは他の登場人物に対して教訓する場面を読んで、それを参考にして自分に生かしていけば、より高い天国に進める素地が出来上がってくる、ということでもある。
霊界物語では他にも、現世で大金持ちで権力を欲しいままにしている実業家や政治家が、死後、その生前の事柄を審判され、地獄に落ちて行く様が描かれていたり、逆に、とある国の王妃が国民の母として最善を尽くした結果、霊国と呼ばれる天界に行ったりすることなどが書かれてある。
下記参照。
『霊界』(「オニペディア」より)
また天界には三段階あると示されているが、第一天国に行く人はどういう傾向の人か、第二天国に行く人はどういう傾向の人か、なども書かれていたりするので、読んだ人は、どうすればより高い天国に行けるかが分かったりする。
また地獄の様子も描かれており、ある場面では、壊れかけた汚い家で牛糞を食ったりしていたりする。
当人達は身魂相応で、その状態を心の底から喜んでいるのだが、読者からすれば、あんなところに行きたくない、ということになって、今の内に改心したい、という気持ちが芽生えて来たりするのだ。
このように、いろんな考え方(思想)やいろんな性格の登場人物が出て来て、正神界邪神界に相当する、或いは所属する登場人物達が、それぞれ崇高な教えを述べたり、権謀術数を張り巡らしたり、改心したり、間違いを犯したりなど、物語の場面場面に出て来る様子を読むことによって善悪の基準がわかり、読者はより高い天の世界へと導かれる、という風な構造になっているのだ。
霊界物語では、そういう場面が随所に散りばめられており、だからこそ音読することによってお陰を頂ける、ということになっているのだろうとも思う。
全部音読するだけで第三天国が約束されており、第二天国、第一天国も夢じゃない、というのは、まさに霊界物語が「福音」であることの、何よりの証になっているのではないかとも思う。
下記参照。
『「霊界物語」による死者の霊魂の救済』(「瑞霊に倣いて」さん)
『霊界物語 第55巻 序文』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)