かみのこの のそみかのちの
  いまめさめ まいのちのかみ そののこのみか

(神の子の 臨み彼の地の 今目覚め 真命の神 園の木の実が)

解説

神の子は「(王を天帝の子とする思想から) 国王をいう。」「イエス‐キリストの特別の呼び名。」「キリスト教で、信者、天使、アダムなど、さまざまな場合にいう。」「ユダヤ教で、超人的な存在、また信仰深いイスラエルの民の呼び名ともされる。」、臨むは「君主、治者として、人民、被治者に対する。君臨する。また、予想できる事態に対応した態度で人に対する。」、彼の(かの)は「話し手と聞き手双方の既知の事物をさす。あの。例の。」、真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて) 純粋である、まじりけがない、などの意を表す。」、木の実(このみ)は「木になる果実。きのみ。」の意味です。

余談

この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Pachelbel's Canon D Dur - Rap - Evangelion canon rap by Mali』(「Daily videos」さん)


雑感

くっそ懐かしい。

この曲は、昔買った「EVANGELION-VOX」というアルバムの中にある「ARMAGEDDON(アルマゲドン」という曲と同じなのだが、ずっと日本語訳がわからなかった。

所々意味がわからん部分がありつつも、動画の日本語字幕設定でやっと解って嬉しい。

下記参照。

『マタイによる福音書 第24章』(「WordProject」さん)


『マタイによる福音書 第25章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第21章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第22章』(「WordProject」さん)

 

なかきよの ひかりなるはか
  れいかいか いれかはるなり かひのよきかな

(永き代の 光なる場が 霊界が 入れ替はるなり 可否の良きかな)

解説

霊界は「精神の世界。精神およびその作用のおよぶ範囲。肉界に対していう。」「霊魂の世界。死後の世界。あの世。」、入れ替わる(いれかわる/いれかはる)は「 他のものと交替する。いりかわる。」、可否(かひ)は「よいかよくないか。事のよしあし。」「賛成と不賛成。可決と否決。」の意味です。

雑感

ふと出て来た歌です。

霊界物語参照。

『霊界物語 第1巻 基本宣伝歌』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


日月神示参照。

『今度 役目きまったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。此の世は一(ひとつ)であるぞ。われの身体われに自由にならぬ時来たぞ。神に縋(すが)るより仕方なくなって、すがったのでは、間に合はんぞ。今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすればタマ入れかへて、よい方に廻してやるぞ。よろこびの身といたしてやるぞ。』(松の巻 第十帖)

『世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。』(下つ巻 第二十三帖)

『一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。』(富士の巻 第四帖)

『神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。』(天つ巻 第二十帖)

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

『前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。早よう改心なされよ。建替の事 学や智では判らんぞ。』(松の巻 第十二帖)

『八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。』(至恩の巻 第十四帖)

『一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、青氣(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。』(雨の巻 第十四帖 青氣は原文では「青+氣」の一文字漢字の形)

火水伝文参照。

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 今までの世でありたならケガレと光、共にあることも仕組み有りて出来たことなれど、新しき御代になりたればケガレと光、共にあること適わぬのじゃ。仕組み変わるのじゃ。このことよくよくハラに入れて下されよ。今迄の神仏説きし転生は古き教えの中でのことじゃ。今迄は中つ世の神々のお役目なればいたしかたなくありたなれど古き転生の教えこ度で終わりぞ。取り違え致すなよ。

 こ度の事は元つ神の仕組みなれば、中つ神々様でも解からぬ事ぞ。元つ心にスミキリてなくれば神々と申せど何処へも逃げおおせぬお仕組みなるぞ。光ひとつ上ぐるのじゃから、ケガレ持ち越せぬのじゃ。汝初めてのこと由、解かり難きも無理なきが、ケガレ持ちたまま何処へ生まれ落つるつもりぞ。こ度は汝の生まれ落つる所、何処にもなきぞ。神、許さぬが由ぞ。これ程申してもマコト持ち行けぬ者、止むなし。その者の最も避けたき苦難、万倍の有りざまにして未来へ打ち捨つる外なきも解かるであろうが。もう神、待たれんのぞ。

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 この方が陰にまわりて、三千世界を守護致し来たりたは、汝が一刻たりとも速やかに、自ら真釣るを取り戻し欲しく、願いありたからであるぞ。皆々神成る身なから、ご一柱も残す事無く、自ら取りて欲しかりたのじゃ。それ由のこの方の艱難辛苦でござりたのであるぞ。汝等がこの方をどの様な酷き扱いに成されてもそれでもじっと我慢を致し、ただただ汝等を守護致し、何とかお陰をお授け致して、少しなりと善き方にお向け差し上げたくての、至誠を貫きての願いからじゃ。

 今今に至る始源からのマコトに辛きご苦労は、ただただ汝等皆々が、早う『あやま知』に気が付きて、真釣るマコトを取りて欲しいがため、仕え真釣りたのであるぞ。この方は与える一方で取りたるものは一に無く、汝が愛しく可愛想なから、気付け、気付け、と朝に夕に、昼夜にたがわず打ち鳴らし来たりたなれど鳴り成らず、時節はとうに実地の響きに入りてしもうて、残り無くなりてしもうた。

 一人も残す事なく気付かせるは遂に出来なんだ。残念なことになりてしもうて遂に一度に一回で改心致させる他無き様となりて、身魂相応のケガレを一度で払うは修羅の地獄を生きるもならず、死ぬもならずさ迷い行かねばならぬ者、数多居りて、人民様には可愛想でお気の毒で、この方も見ては居られん極みにてあるが、愛しき我が子をこの手で屠る、修羅の地獄のそのまた下を、慙愧慟哭堪えに堪え、血の涙を流し支える大神の、至滋至愛の御心を、少しは察して下されよ。いたらなんだところは、始源から、汝等を支えるために陰に回りて、艱難辛苦のご苦労を、至誠貫きつくし参りた、元つ神々のマコトに免じて許して下されよ。

 解かりたでござろうが。今今の時申すは、マコトの淵に辛うじて残りある者を最期の最後のご守護を出して、あちらに一人、こちらに一人と拾うて居るのじゃ。このヒノモトも、今今は獣と人とに分かれありて居るなれば、先ず先ずに汝等お一人お一人が、自ら神のお宮と鳴り成されて下されよ。汝が心底この方について参りて居るなれば、既にご守護を出しあるのじゃ。気付きあれよ。汝の感謝の響きが糸にてあるのぞ。感謝の響き大切にしおくれよ。汝を救う命綱じゃ。

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ひころよの なみすへかみの
  いさをしを さいのみかへす みなのよろこひ

(日頃世の 波統べ神の 功しを 財の見返す 皆の喜び)

解説

波は「世の乱れ。騒ぎ。ごたごた。」、統ぶ(すぶ)は「多くのものを一つに集めまとめる。」「一つにまとめて支配する。統轄する。統治する。」、功し(いさおし/いさをし)は「手柄があること。手柄。功績。いさお。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

下記参照。

『十六神将の出現 (ミロクの世に向けて)』(「瑞霊に倣いて」さん)

最近、南鳥島周辺でレアアース開発というニュースを見た。

『南鳥島周辺でレアアース開発へ 「日米で協力検討」高市総理 1月に泥引き上げ実験』(「yahooニュース」より)

 


日月神示の下記部分がようやく出て来た感がある。

『日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。』(地つ巻 第三十五帖)

やはり日本は、善人悪人分け隔てなく、無料で誰にでもそのエネルギーを与えているお天道様(=太陽)のあの姿に倣って、税金を撤廃して、何もかも無料にする代わりに、皆がタダ働きする「日の光の政治」「与える政治」を一日も早く始めるべきだと思う。

下記参照。

 


出口王仁三郎聖師も同じことを言っている。

下記参照。

 

 

 

 

 

にくのみか きよきみひかり
  とひらから ひとりかひみき よきかみのくに

(肉の身が 聖き御光 扉から 火取り佳美見き 良き神の国)

解説

聖い(きよい)は「おかしがたい雰囲気である。神聖である。」、御(み)は「名詞の上に付いて、それが神仏、天皇、貴人など尊敬すべき人に属するものであることを示し、敬意を添える。」、火取る(ひどる)は「火であぶる。火にあてる。焼く。」、佳美(かび)は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Innocent Days』(「Hitomi - トピック」より)


雑感

下記参照。

『「聖霊」 すべての穢れを焼き尽くす炎』(「瑞霊に倣いて」さん)

火水伝文参照。

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 【火・土・水】申すは正しく【口・心・行】の事にてもあるを申し伝えあろうがな。なれば火土水(ヒトミ)を真釣りた申すは、口心行(クシンギョウ)を真釣り行じた申すに、同じ事にてあるは解かるであろうがな。汝等皆々このフミ読むに「ひとつのマコト真釣りた響き申すは、総ての構えに真釣ろう響きじゃ」申した事よもや忘れて居るまいな。マコト真釣る申すは、総てのマコトの響きと一如鳴るを申すのじゃ。それ由、バラバラには取らいで下され申して居るのぞ。
    
 火土水のお土が曇れば、結びたる火水も曇るぞ。日月地の月が曇れば、結びたる日地も曇るぞ。神幽顕の幽が曇れば、結びたる神顕も曇るぞ。霊力体のお力が曇れば、結びたる霊体も曇るぞ。口心行の心が曇れば、結びたる口行も曇るのぞ。解かりたでござろうが。心、曇りて居れば組み結びた花々は、ケガレ負いたる仇花となりてしもうのぞ。可哀想でござろうが。早う、心、清め清まりて下されよ。

 心スミキリてマコト真釣りて結ぶを一二三(ヒフミ)申すぞ。マコト真釣りた息吹の事ぞ。真言であるぞ。生く言魂の事にてあるよ。マコト真釣りた火土水いうは剣のことにてもあるのざぞ。邪をハライ、マコトを顕す草薙の剣の響きのことにてあるのじゃ。日々の、狭間狭間に汝等の、瞳に正しき宿る様、心清まりスミキリて、映る火土水の諸々に、感謝の響きを出しくれよ。情けと花を持ち行きて真釣るマコトの尊きに、思いを至して下されよ。マコトの玉を手中になされよ。

 どうじゃ。真釣るマコトの一如なる、鳴り鳴る響きを真釣り成す申すは、それぞれの【火・土・水】一如に真釣り縫う事にてあるは解かりたな。これよりは火、土、水を【口・心・行】に真釣り縫うて伝え参るなれば、汝等の日々の心の持ち様をキチリ、タテワケ致して行く程に、くどうなりても辛抱致してついて参られよ。後に伝うる事どもは、こを得心なされて、安心なされて行じられる様、明かし伝え知らせしものなるを、今今に知りて置かれるが善かろうぞ。

 【真釣り】成す申すは、唯ただ、マコトの響きが顕れ鳴るを申すのであるぞ。【鳴る】は、成るの生きある響きの鳴り鳴りある姿を申すのじゃ。これ解かるか。

 【三真釣り】成す申すは、真釣りたものが正しく調和に結ばれる様〈支える火の御ハタラキ〉〈結ぶお土の御ハタラキ〉〈現す水の御ハタラキ〉三つ総てを一つに和し響かすことにてあるよ。和し響くとはマコトが顕れ鳴ることでござるぞ。一二三のことじゃ。成り響き鳴る弥栄の真響きであるぞ。全一如申しても善いぞ。一如申しても、和し鳴る響きは全く一つの音色にござる。解かり易う伝うるに全一如申して置くぞ。マコトの響きの言霊【口】が必ずタテワケありて、スミキリた【心】で、そが言霊をスクリと立て持ち、口に違わず【行】に組み結び現し行くが、三真釣り持ち行くいうことでござるのぞ。こが一如の真釣りぞ。

 〈支える火の御ハタラキ〉必ず立ちありて〈現す水の御ハタラキ〉正しく顕るは解かりたか。こを正位の構え申すのじゃ。くどう申すは反対に、タテヨコ逆さに組み結びては、マコトのものは何一つ産まれはせんからぞ。こを逆位の構え申すのぞ。不調和もたらし、汚泥混濁の世と成らしめるがオチであるぞ。今世を見ゆれよ、末にはほどくしか無いものばかりでござろうが。万古末代副わねばならぬ、天地のコトワリを外して居りては、こ度越えるは適わぬ夢にござるぞ。
    
 汝等皆々、お一人お一人、何かの事どもを支え居るであろうがな。汝等ご自身が支える基でござるなら尚の事、軽き思いや言の葉で、成すは適わぬ事ぐらい、百も承知にござろうが。なれば、在りて有るモノ支えるは、いかなる力におわすのか、思いをなして見なされよ。下がりて裏で支え成す、尊き御力知れぞかし。

 火の御ハタラキが、下から支える裏の御ハタラキ〔▽、陰の構え〕にござるよ。火の御ハタラキ申すは、一なるぞ。神なるぞ。霊なるぞ。日なるぞ。口なるぞ。火の位に座されます御力徳におわします。万象万物【正化】さすご苦労の御ハタラキであるぞ。こは父の御役じゃ。至誠大愛の御役にござるよ。下から上へ燃え立ち昇る如く、ご自身は下の下の下に下りて、見えぬ陰の存在と成りて、何かのことを背負いご守護致し生かし活かして、背負われてるものが得心致して、不平不満も無く安心致して生きある様、下から上までスクリとマコトをタテワケ立て、ご守護致すこの世の基の御ハタラキを申すのであるぞ。マコトタテワケルご苦労がその基じゃ申して居るのぞ。万象万物【正化】の基なれば、火の一旦発せらるれば、正味の形に結ぶまで、響き鳴り鳴りて居るのぞ。そはマコト少なければ、末はメグリに鳴り成り結ぶもあるいうことにござるぞ。こは決して忘れんで下されよ。心曇りて、火、傾けばマコト少のう成るのぞ。火、ヨコに成るればマコトタテワケ適わず、汚泥混濁の世と成るは解かるであろうがな。それ由、火はスクリと真すぐに立てねばならぬのじゃ。情けの裏にてマコトを支え、花の裏にて散らぬマコトを咲かす響きが火の音色じゃ。【口・心・行】にありては【口】が火のハタラキの御座なるを知らせ置くぞ。言霊の響き大事に慎み深く使うが善いぞ。

 魔コトの思いを持ちて、神の御前で申せぬ様な【行】いを図るが如きなさり様を、逆位の構えの『魔釣り』申すのぞ。そは、真コトの御座なる【口】の座にウソを据えるが事にてあるぞ。そは正位に座すは適わぬ魔コトを、正位の御座に据え置きて、そをマ釣りの基に成すをいうのぞ。魔コトを正位に位させ、真コトを外に追いやるがその事じゃ。こは恐ろしきことであるを知りて下されよ。【口】の座申すは、真釣りを支える御ハタラキの御座でござろうが。【火の御ハタラキ】の御座にござるぞ。この御座に座るもの、マコト無きは許されぬ由、マコト無くありて座りたるもの、先々可哀想であるぞ。何れ姿形を変えメグル情けと鳴り鳴り響きて、必ず【行】に結び現し、外した真釣りを取り戻さしめる、至誠の極みの御座にござるからじゃ。人民様は、生きある何時かの時々に、自ら至誠の口の座に、数多の不誠を据え置きたを忘れて居られるが由、自らがもろうメグリの真姿に気付けぬのじゃ。こは元つ真釣りの、万古不易の神法なるを知りて下されよ。

 火を見やれよ。火は総てを焼き払い、マコトの響きのみをタテワケ残す型示しにてあるぞ。万象万物正化の響きをタテワケご守護致すが大事な御ハタラキじゃ。【口】に出した事どもは違えず【行】いて下されよ。【口】を慎みて下され言うはこの事あるが由じゃ。【口】は火傷の元ぐらいに思いて慎み行くが善かろうぞ。

 マコトをタテワケ支えるハタラキを護持致すは、《身欲》に囚われぬ強き心を持ちて無くれば、適わぬ事と知り置かれよ。自らは金の家から、銀の家に移りても、銀の家から、銅の家に移りても、マコトのモノしか残さぬ、火の浄化の御ハタラキなるに気付きて、ミタマ相応のお鍛えにござるから、何事にも感謝の鳴り響く気持ちで、マコトを支え行じて下されよ。下に下りても感謝の気持ちを持ち行くは、大層な神徳が支え真釣るぞ。自らを下に下に下げ行きて、支えるハタラキに仕え真釣るは、この世の基のハタラキなれば、身欲を控えて成し参る、尊き我が子を見過ごす様なこの方にてはござらぬぞ。ドン底に落ちてなお、深き感謝を持ちてマコトを護持致し来た者は、花の咲き行く時節になりたぞよ。万古末代散らぬ花であるぞ。マコト、マコトにご苦労様でござりたなぁ。汝が背負うて参りた苦の種が、今に至りて明なに開く時節となりたのじゃ。散らぬマコトの花いうは、辛苦の種を背負うて、長き険しき道を参らねば、咲きは致しはせぬ花じゃ。永き幾再生転生を繰り返し、ご苦労を致してないミタマ申すは一つとてござらぬなれど、ミタマ相応のメグリを持ち居る由、荒ぶる《身欲》に囚われて、今世に酷きザマと成り鳴りてある者、数多居るのじゃ。今生に入りて益々《身欲》に囚われ居りた者共は、自ら背負わねばならぬご苦労を、他人に背負わせ自らは、易き陽気な道を駆け下りて居るなれど、下りた分だけ苦の種が、重きに増え行くだけのみぞ。段々重きに成り鳴りて、行くも戻るも出来なくなりて、間違えに気付きたところで、マコトのご苦労申すものをなさりて無いから、険しき道は行くに行かれず、この方にすがりて参りても、今の時節は三真釣り持ち来て下さらねば、どうする事も出来はせんのじゃ。人民様、マコトの道のご苦労の万分の一のご苦労なりと、三真釣り持ち行くご苦労で成し参りて下されよ。そうで無くれば真釣りを支える火のハタラキが、どうありても取れぬから申して居るのぞ。支えるハタラキが心底解からねば、マコトのタテワケは出来はせんぞ。

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 自らは他人の為には何のご苦労を致すこと無く、他人のご苦労を奪って生くるを恥とも思わず、好き勝手に身欲に生くるは悪に魅入られて居るのじゃぞ。『魔釣り』た行に結びて居るのぞ。口慎まれよ、心慎まれよ、行い慎まれよ。真釣り深くありて下されよ。〈恥ずかしくありた〉思う程に自ら厳しくご苦労成されば、マコトの感謝の響き言うものが段々に解かりて来るぞ。この方の申す事もハラで解かる様に成りて来るから、自らに厳しくあればある程、お陰一々ついて来るのじゃ。マコト三真釣り持ち行く者には、元つ神の御霊統がキッチリご守護致してどんどん善き方に向けてやるから、今今に心を決め、改心致して問にあう様に生きて下されよ。このフミと縁を結ぶ程のミタマでござるから、見事、鍛えに堪え、堪えに鍛えて下されよ。時が無い由、今今にこの方の申す通りに致すが善いぞ。

 この方が、こ程三真釣りなせ申すも、魔釣りた今世に言の葉で、無きが如くのマコトを伝うるは、適わぬ事にて在るからぞ。この方は、元つマコトを真釣りある由、総てと共に在りて有るなれば、解からぬ事とて一つも無きが、総ては総てに真釣り響き鳴りて、共々に鳴り響きなされてお出ませ鳴るなれば、一つの響きは一つにあらず。総ての響きと一如なる由、マコト真釣り結ぶが何程の事にござるか、取れて無き人民様には、どうありても言の葉でマコトを伝うは適わぬ事と知り置かれよ。どう在りても伝えんとなすなれば、汝等の申す禅問答の如き様となりてしもうのぞ。それでは人民様、何が何だか益々解からなくなりた上、気分で解かりた様な積もりになりて、マコトが益々遠のくから、この方が今今に、神のマコトは学でも知でも解からんと、ハキリ止め置くのであるぞ。汝等はこの方の言うた通りなさるが、マコトにてあるを知りて取られて下されよ。

 神のマコト申すは、真釣りて行に結ばねば、末代取るるは適わぬ事ぞ。今今は遂に実地の末期に入りて居りて、間違えて居る暇は無いのぞ。メグル情けの真っ最中に居るのであるぞ。くどう三真釣り成せ申すもこの事あるがためでござるよ。これよりはタテカエの最後までメグリ益々、猛々しく逆巻きて来るから、実地の行にて処する他、越える術は一厘も無いのぞ。ざから、うるさき思われる程に念を押して居るを解かりて下されよ。

 今の時節言うは腹が痛いとか胸が痛いとか、一時、ご守護神様のご一力に助けてもろう様な時節にてはないのぞ。腕一本、足一本、お命まで無うなってもおかしくない時節にてあるぞ。今今に生きザマを正し直すが、汝が心の持ち様にてござるのじゃ。マコトのご苦労を厭う性根、早う捨てて下され申して居るのぞ。この方心配ざから言うて居るのぞ。汝の心はきれいに鳴りて居るか。マコトの火は立ちて居るのか。立ち居振る舞いは礼儀正しゅう鳴りて居るか。大丈夫でござろうか。今今はマコト三真釣り持ち行かぬ者、お陰渡せんのじゃ。マコト大丈夫でござろうな。くどう気を付けて置くぞ。出来る時申しても今は残りの時が無い由、今今より三真釣る行い致して下さらねば、肝腎要の草薙の剣を、自ら創る響きが無うなりては、取り返しが出来んから、痛く心配致し居るのぞ。この方は今今も汝にお陰差仕上げたくてウズウズ致して居る鳴れど、マコトがハラに結晶なさりて無くば、お陰を渡すも、行より先を今今に語るも、かえって残念に結びてしもうから、この方も早う渡したくあるに渡せずにあるのじゃ。今の今も待ちて居るに、何をして居るのざ。ぐずぐずして居らねで早う取りに参れよ。

 今今に至りて安易に逃れる逃げ道を、神の言魂に探すが如き思いを持ち居る者は、知らず、悪の響きに共鳴りなされて居るぞ。こ度の事は、何処にも逃げ場無きを伝え知らせあろうがな。真ス直に潔く、今今の心をきれいサッパリ切り換えて、この方の申す様に三真釣り持ち行きて下さらねば、何を知りてもご無念じゃとも申したでござろうが。時の終わりた最期の最後に至りた由、汝もついて参られよ。早う行じて下されよ。ピタリ、ピタリと汝等お一人お一人に、はまりたお陰を授け行くぞ。こ程善き結構なご苦労申すは、これまでになかりたのであるぞ。

 汝等皆々、メグリも因縁も違うて、今今も違うた響きにありてあるのざから、あちらの教えこちらの教えのマコトの響きと、そのままにて和すは適わぬ事にてあるぞ。千に一つのマコトの響き、生かしあるためにも、この方の申す様になさりて下されば、自らに厳しき者程早う善き方へ向けてやるから、早う三真釣り厳しく行に結びて、身魂相応のケガレ自ら払うて下されよ。辛うなりたら、この方にすがりて参れよ。汝等皆々、神のお宮と鳴り成さる尊き地の日月の神々様じゃ。マコト持ち来てすがりて下されば、如何様にもご守護致すぞ。神それが嬉しいぞ。

 マコトに今世申すは、至苦不便の世にてあるのぞ。身欲が基と鳴りて居る由、何一つ思いのままに鳴らぬのじゃ。思い通りに鳴らぬから、身欲を基の我と我がぶつかり合うて、益々ご苦業の多き酷き世と鳴り進むのじゃ。《ご苦業》鳴るは出口無しの、身欲を基のあやま知の、魔釣る響きに入り住むからじゃ。この方が【ご苦労】申すは出口に向こう事にてあるぞ。ミロクの入り口に向こう事じゃ。

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 これより日月に至る神仕組み、伝え参るが、そが前に、真釣りと魔釣りをタテワケて、今世の魔釣りを統べ魔釣る、悪き響きの自らに、伝え語らせあるが由、じくりと聞きて見なされよ。真釣りも魔釣りも二つ共、元つ仕組みのマ釣りにありて、表裏一体のものにてでござるが、ハタラキは全くの逆様でござるから、よくよく注意申して置くぞ。一つは【タテナオシの真釣り】にてあるぞ。今一つは『タテカエの魔釣り』にてござるのぞ。今今の世のマ釣り申すは九分九厘、魔釣りとなりて居るを先ず先ずに知りて下されよ。スメラの真釣りと、ユダヤの魔釣りのことにてあるぞ。今今に伝え知らす事程にハキリ、タテワケ下されよ。    
 

 魔釣りの負うたタテカエ申すは、汝等の界にありては破壊とは見破られん様に、進歩と見紛う様に仕組まれありたのぞ。元つ真釣りた仕組みを取り違え、自らの神を迎えんがため、醜くケガレしこの地の上を、魔釣る仕組みの力にて、タテカエ払い清めんと、思いなしたが初めであるぞ。彼の者共の心、聞いてみやれよ。そは、『この地にある者共は『我善し』力で欲望を、追いて尽きせぬ者なれば、恥も節度も無きが由、よもや人とは申せまじ。仇醜き獣なれば、この地を汚すは許せまじ。神に選ばれ約せある、ユダヤの民の負うところ、統べる御神の尊きに、無礼がありてはならぬ由、獣の卑しき性情を、煽り使いて喜ばせ、自ら滅ぶ大魔釣り。金銀名誉に性欲を、加えまぶしたエサなれば、獣なる身にては抗ぜまじ。

 心と体を弱めれば、知恵は元々弱き由、扱い易き家畜なり。卑しき家畜の獣なれば、知力申すも底浅く、知恵にてだますはいと易き。薄弱虚弱に致すには、身欲を煽れば自らに、競って群れて来る程に、エサの加減で操りて、『あやま知』どんどん植え付けて、科学の名にて衣与え、科学の名にて食与え、科学の名にて住与え、過つ教えの出す毒で、自ら滅ぶが獣なるぞ。自ら滅ぶ学説を、見通す力の目も持たず、有り難がりてマ釣り上げ、身欲携え進み行く、進むが囲いのその奥へ、出口あらざるその中へ、おだてすかせばいと易く、我先誇りて進むなり。

 神の支えるハタラキを、金の支えるハタラキに、だまし身欲と結ばせて、見える身欲を作らしめ、工業興して物作り、返すカタナで地を壊し、金無き身にては何事も、適わぬ世界と成さしめて、欲を煽りた夢魔釣り、叶うは難きも解からずに、手のへで踊るあさましさ、生くる基になるはずも、何の力も無き金に、まんまと命を預けたが、我が手に命を預けたと、気付けぬ愚かな獣なるぞ。

 卑しき家畜の獣なれば、神を敬う心なく、ありても選ばれ無くあれば、いずれ我らの邪魔になる。持ちたる敬神壊すため、自由、平等、博愛を、幾年使うてバラマキて、敬う基を迷信と、成して潰すが教育の、我らが仕掛けし裏舞台。功をそうして世界中、上下無き世と成り果てて何から何まで平等と、狙い通りの混乱を、狂いたタワゴト信じ込み、我らが図りし策略に、まんまとはまりし獣なるぞ。

 家畜の生くる基なる、衣食住成る基なる、神の創りしその糸を、勝手にむさぼり費やすは、神の御国を汚し行く、許すは適わぬ事なれば、魔釣りた糸とすげ変えて、生くる基と切り離し、衣食住する物買うに、総てが魔釣りた糸なくば、生くるも適わぬ世と成して、偽の三ロク(六六六)に従わす、魔釣りた企み九分九厘、成就致した今今が、世界を手中に致す時。残る最期の裏芝居、今今今に幕引きて独り立ちたるヒノモトを、餌食に致して世を潰す、我が神統べる時成るぞ。
    
 ユダヤの身魂の我が民は、神に選ばれ約せある、汚すも尊き民なれば、世界の要所、要所にて、使える獣を操りて、身欲と力を叶えさせ、血縁、血族成さしめて、魔釣る仕組みに働かす、ニセのユダヤを創りたり。我が力を持ちあれば、地位も名誉も即ザマに、与うも奪うも自在なり。自ら望みて入り来たる、身欲固まる獣達も、余す所も無き程に、縦横無尽に配したり。いずれ元々獣なれば、生かすも殺すも獣達の、忠誠次第で決めるなり。心惑わす業持ちて、ケガレ逆巻く悪しき世に、させるが獣の仕事なり。獣を使うて獣潰すケガレを払う仕組みなり』

 彼の者共の心底解かりたか。見通す力の目いうは、何でも見通す目の事ぞ。第三の目の事じゃ。しかあれ、そは知恵の目なり、真釣り無く開かれるは魔眼と成るなり。蛇の登り切りた姿なり。蛇の精一杯の姿にござるよ。しかあれこれにて寸止まりでござる、真釣り無き知恵は枝なり葉なり。カミカエラねば自ら持ち行けぬサダメであるよ。

 魔釣りの経綸申すものは、自らの神を迎えて千年王国を創ろうと、神に仇成す汝等に、身欲のエサをちらつかせ、汝等の心を曇り曇らせ、獣の心と鳴り成らせ、生くる総ての神の糸を彼の者共が支配して、逆らう事の出来ぬ様に致しておいて一挙に汝等の首根っこを押さえる仕組みが、魔釣りの経綸の表の意味でござるのぞ。こがイシヤの仕組みでござるよ。大き仕組みをいと易く、知らせ伝え申したなれど、魔釣る仕組みは汝等の、日々生くる事どもに裏に表に綾なして、魔釣りた糸を引かせある、知らぬは汝ばかりでござるのぞ。何でもかんでも楽なミチには気を付けなされよ。心が獣に成りて来るぞよ。苦を避けむ甘き心が危ういぞ。しかあれ、この世に悪生ぜねば、発動致さぬ仕組みでありたを忘れて下さるなよ。

 マコトに綾なす仕組みにて、細かき仕組みは数知れず、ど偉い仕組みも控えて居りて、人知で取るは適わぬ事であるなれど、この方は総て知りて居る由に汝等は皆々この方の申したことどもを、守り行じて下されて、安心致して見てるが善いぞ。この方の申したことどもを、守り行じて下さらねば、ケガレを払うお仕組みに巻き込まれてしまうから申して居るのぞ。汝等ご自身が清まらねば、仕組み知ろうが知るまいが、汝自身が危ういと申し知らせてあろうがな。今今は残りた時が無い由にくどういうて居るのじゃ。清まり、清まりスミキリて下されよ。

 今今の世申すは、『蛇の火』が心の宮を奪う事に必死になりて居りて、悪の教えを良き事の様に、どうあってもだまし通すお積もりで、魔釣りの道具を総て使うて、金漬け物漬け色漬けの欲漬けに致して、汝等の身欲を精一杯煽るだけ煽りて来るから、陽気な心の持ち様でありたなら危ういぞ。『蛇』は『蛇』じゃ。『蛇』と成して型示しあるは、どこまで行きても『蛇』であるは解かりて居ろうに《我欲》のご都合で真釣りの基を崩すから、遂には仇成すものまで信じる様に成りてしもうのじゃ。魔釣りばかり上手に成りてしもうてどうするお積もりじゃ。

 真釣りた火のご霊統と、真釣りて無い火のご霊統を取り違え居りては、大失態をやらかすぞ。真釣りた火のご霊統申すは、竜体にて現れなさる生き通しの元つ大神様のご霊統にござる。真釣りて無い火のご霊統申すは、蛇の体にて現れなさる知恵の神のご霊統でござるよ。竜と蛇とをハキリ、タテワケ成さらいで居りてはマコトは見えんぞ。汝等の申す邪竜いうは、蛇の化かした姿にてあるから、何時までも化かされて居るのでないぞ。竜は天降りてハラに【マコト】を開く成り。草薙の剣と申すなり。蛇は底より上り来たりてアタマに『分かつ知の目』を開く成り。魔眼と申すなり。こ度は竜と蛇との戦ぞ。ハラとアタマの戦いでござるよ。

 人民様には未だマコトが解からんから、せっせと蛇の道を開く努力を成されて居るが、どんな事に成りても神はもう知らんぞ。汝の底に封印せしものを、自ら解き放つのであるから、この方は知らんと申して居るのぞ。どんな辛い行にも堪えスミキリたマコトの者が成さるのであれば、この方が特と見届けて、ご霊統のご竜神にお出まし願いて、汝のハラに天降り行き、汝のマコトを開き行きて、万古末代守護なさる、草薙の剣を渡すなり。こは真釣る至誠の神宝にござるのぞ。

 神宝を持ちて蛇の封印を解き真釣るが、こ度の事に関わりて大事な事でありたなれど、取れる人民様居ない程に、蛇の道ばかりどんどん開いてしもうて、一挙に事を成さねば鳴らぬ時節に至りて、一挙に汝等皆々に、草薙の剣をお渡し致さねば鳴らぬ様に成りてしもうたが、世界は蛇の道が九分九厘開かれありてしもうて、日本の中にもどぷり蛇の力に魅入られ居る人民様数多居るから、授かる草薙の剣で、苦しさの余り自ら払う酷き有り様が見えるによりて、気の毒で、この方は見るのがいやであるぞ。今今に獣から人に早う戻りて下されよ。時は無いのぞ。
    
 草薙の剣いうは火土水(ヒトミ)の事であるぞ。一二三(ヒフミ)の火土水(ヒトミ)の事であるぞ。真言の事であるぞ。息吹合うた言魂の事であるぞ。生く言魂の事にござる。マコトを申すのでござるよ。余りにケガレた身魂のままである者に取りては、一挙に一回でマコトをハラに据えられては、生くるも成らず、死ぬも成らず、苦しみの余り改心致すも底の見えてる改心由、それも成らず。悶え暴れ狂いて、しまいには自らの頭を、自らが潰す末路と成り果てしもうのぞ。

 蛇はアタマを潰さねば死なぬと同じ道理でござるよ。神、頼むぞ。汝はこう成りては下さるなよ。末代地獄で暮らす事に成りてしもうぞ。二度とヒノモトのお土踏めん様な恥ずかしきザマと成りてしもうから、よくよくに注意して置くぞ。

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かむるなか なみとみるみは
  まいりけり いまはみるみと みなかなるむか

(被る中 波と観る身は 間入りけり 今は観る見と 真中なる無我)

解説

被る(かむる)は「頭や顔などにそれを覆うものを載せる。また、全体をすっぽり覆う。かぶる。」、見(み)は「見ること。また、はたから見える物の状態。」、真中(みなか)は「まなか。まんなか。」、無我は「仏語。我(われ)というとらわれを離れること。また、不変の実体である我(が)は存在しないとすること。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画音楽を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『0 (feat. Katali)』(「Sakuzyo Official」より)


雑感

下記参照。

『【ヤバい数式】波動関数が「意識の正体」を示していた!量子力学×ヌーソロジーが暴く意識の謎』(「noosなくらし」さん)

 

一応、歌の解釈をしてみたいと思う。

「被る中」は、目の前の世界そのものが全て、この意識に、この点(・)なる自分に覆いかぶさっている感覚。

「波と観る身は 間入りけり」は、自分の身体が空間の中に溶けていくような感覚。わかりやすくいうと、自分の身体と目の前のPCのモニターとかコップとかが同じように感じられる感覚のこと。

「今は観る見」は、観ることそれ自体の感覚になっているということ。つまり、通常は自分の目を使って、目の前のモニターやコップを見ているわけだが、その「見ている」という感覚自体を観ている、ということ。

別の言い方をすれば、何を見るにせよ「見ること」そのものを感覚している、ということ。

このように、今となっては「見ること」そのものを感じて(観じて)いる感覚と「真中なる無我」の状態のみになっている、という感じです。

はかなのな かはきりつふの
  ひかりけり かひのふつりき はかなのなかは

(儚の何 川霧粒の 光りけり 加被の仏力 儚の半ば)

解説

儚(はかな)は「はかないこと。多く感動表現に用いる。」、何(な)は「‘なに’の変化した形、または、‘なん’の撥音の表記されない形。」、川霧(かわぎり/かはぎり)は「川の上やほとりに立ちこめる霧。」、加被(かび)は「仏語。神仏などが、慈悲の力を加えて、衆生を助け守ること。加護。擁護。加祐。」「授けること。加えること。」、仏力(ぶつりき)は「仏の持つ計り知れない力。」、半ばは「ある物事の途中。ある物事をしている最中。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女オリジナルサウンドトラックの中にある「朱に染まる」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

かけとほる ゆふきりふかむ
  にしひのひ しにむかふりき ふゆるほとけか

(影通る 夕霧深む 西日伸び 死に向かふ力 ふゆる仏が)

解説

影は「日・月・星・灯火などの光。」「光が反射して水や鏡などの表面に映った、物の形や色。」、夕霧(ゆうぎり/ゆふぎり)は「夕方に立つ霧。」、西日(にしび)は「西に傾いた太陽。また、その光。夕方に近づいてさし込む日ざし。」、力(りき)は「仏語。能力。また、神秘的なちから。すぐれたはたらきをもたらすちから。作用発動の根源にあるもの。」、ふゆは「語義未詳。振れる、揺れるの意か。」、仏(ほとけ)は「仏語。仏陀のこと。釈迦仏・阿彌陀仏・薬師仏などすべてにいう。」「死者の霊。また、死んだ人。死人。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女オリジナルサウンドトラックの中にある「朱に染まる」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

個人的には、この「ふゆる仏」の‘仏’は、その前に「西日伸び 死に向かふ力」と来ているので、西日の光がどんどん伸びて増していって、死(夜の世界)に向かっていく作用の力、ということなので、否応なしに流れる時間の流れ、常に変化していく空間性、即ち‘無常’のこととも解釈できるようにも思う。

はかなさの きつきかあはれ
  いまのまの まいれはあかき つきのさなかは

(儚さの 気付きがあはれ 今の間の 間入れば明かき 尽きの最中は)

解説

あわれ(あはれ)は「しみじみとした風情のあるさま。情趣の深いさま。嘆賞すべきさま。」「しみじみと感慨深いさま。感無量のさま。」、ばは「接続助詞。已然形に付く場合、順接の確定条件、偶然の条件を表す。~と。~たところ。」、明かし(あかし)は「光などが強くはっきりしている状態である。明るい。」、尽きは「尽きること。おわり。しまい。はて。」、最中(さなか)は「もっともたけなわである時。最高潮である時。さいちゅう。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画音楽を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Forest Funk』(「Sakuzyo Official」より)


雑感

下記参照。

『無常と不放逸 ブッダの遺言|スマナサーラ長老の切り抜き動画(初期仏教Q&A)#jtba #諸行無常 #仏教 ※テロップ入り』(「日本テーラワーダ仏教協会 公式チャンネル」より)

 

上記の参照動画で言われてる箇所は、どうも下記の『諸行は衰滅法なり 不放逸に成し遂げよ』の部分らしい。

下記参照。

『sn6.15『般涅槃経』Parinibbānasuttaṃ』(「ブッダ金の葉」より)

 

いねんある うみのみのもの
  みかかみか かみのものみの みうるあんねい

(意念散る 海の水面の 御鏡が 神の物見の 見得る安寧)

解説

意念(いねん)は「気持や考え。思い。」、散る(ある)は「離れる。ちりぢりになる。遠ざかる。」、海(うみ)は「陸地の中で、広くくぼんで水をたたえている場所。大きな湖沼。みずうみ。」、水面(みのも)は「水の表面。すいめん。みなも。」、物見は「物事を見ること。見物すること。祭礼や、観賞にあたいする場所、または賑わう場所などに行って見ること。物見遊山。」、安寧(あんねい)は「穏やかにおさまり、異変、不安などがないこと。また、そのさま。安泰。平穏。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画音楽を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Forest Funk』(「Sakuzyo Official」より)


雑感

下記参照。

『儀式・儀礼の起源・神道と天皇(113)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)

 

ていせんへ いたるおんせう
  ちうのまの うちうせんおる たいへんせいて

(停船へ 至る恩詔 宙の間の 宇宙船降る 大編成で)

解説

停船は「船をとめること。また、船がとまること。」、恩詔(おんしょう/おんせう)は「情けのこもった仰せごと。ありがたい帝の御命令。また、転じて慈愛のこもったことば。」、宙(ちゅう/ちう)は「そら。大空。また、地面から離れた所。空中。」、編成は「個々のものを集めて組織だった集団をつくること。特に、軍隊を組織すること。編制。」の意味です。

『The End (feat. Katali)』(「Sakuzyo Official」より)


雑感

ふと出て来た歌です。

何か突拍子もない歌が出て来てしまったが、出て来たものはしょうがないので、載せることにしました。

イメージとしては、全次元を跨いだ全宇宙を統括する大王的存在が、大編成された宇宙船(UFO)を地球へと向かわせるという詔(みことのり)を発した結果、それら無数の宇宙船(UFO)が地球上に現れて、間髪を入れずに地上へと降りて来る、といった感じ。

なお、宇宙船(UFO)は、この三次元宇宙の遠い彼方からやって来るイメージではなくて、高次元の宇宙から随時次元下降してやって来るというイメージ。

なので、この地球上の感覚からすると、どこからともなく無数の宇宙船(UFO)が瞬時にして現れる、といった感じ。